デカルト的二元論の科学文明から、人間が自然のなかにある生命論へ 第7回 最終回
4) 生命科学の道
この章は中村氏が館長を務めるJT生命誌研究館の歴史と目標及び中村氏の生命科学研究について概説する。生命誌研究館についてはJT生命誌研究館ホームページを参照してください。生命誌研究館とは、京都大学人文科学研究所に似た、多面的な研究討論で切磋琢磨する生物学サロンともいえる。だから研究所ではなく研究館なのだ。研究者の梁山泊的な存在でしかも民間企業JTがスポンサーである。企業の意志が前面に出ないことで知られる三菱生命科学研究所よりはもっとサロン的で、社会に対して開かれたパフォーマンスを心がけている。子供でも行ける科学博物館的な性格も備えている。設立は1988年なので25年ほど経過した。中村氏は東大理学部化学科生物化学専攻で、江上不二夫氏の薫陶を受け、渡邊格氏の指導を得た。1970年代江上不二夫氏は生物学を人間を対象とするものに変えようという「生命科学」を提唱し、「生命とは何か」という問いから始まった。つまりDNA研究を基礎として生物学の総合化を企てたのだ。当時生物学は分子生物学というファイン領域と生態学というグロス領域に分裂していた。1970年代は世の中では環境問題、エネルギ―問題(石油ショックから)が顕在化した。その時通産省は「サンシャイン計画」、「ムーンライト計画」、「ニューサンシャイン計画」を推進したが結局ものにならず、政府は別の道である原発一本やりの政策を推進したのである。1970年代アメリカではがんとの闘いというライフサイエンスプロジェクトが始まっていた。その実態は生物医学であり、医療の科学技術化だった。臓器移植ではバイオエシックスという分野ができたが、倫理問題というより経済的問題からの線引きに過ぎなかった。そしていま日本で生命科学と呼ばれているものはじつはこの「アメリカ式ライフサイエンス」のことである。日本の科学技術予算で生命科学研究に投資されるのは、役に立つ、具体的には医学につながる(病気治療)、経済効果のあることに集中しています。「生命を見つめて新しい生き方を探る」のではなく、「人間を機械とみてその故障を直して技術開発」にお金をつけるのです。2003年にゲノムプロジェクトは終わりましたが、遺伝子治療は期待通りには進んでいません。そして日本ではゲノムは終わったと称して、ゲノム研究には予算がつかなくなりました。なんとアカデミックの浅はかな流行現象でしょうか。脳研究は一時21世紀の初めに流行しましたが、脳やガン研究は今や流行から外れています。「集中と選択」という官僚好みのスローガンで、継続した研究は不可能となりました。現在のアカデミックな研究課題は大型プロジェクトに集中します。研究費のばらまきはよくないという理由で、研究者の発想で生まれた新しい研究の芽は大事にされません。機械論的世界観に基づいたライフサイエンスはアメリカのまねをして競争原理に染まっています。研究課題は中央集権化し均質化し大型化が求められます。質より量の動機で支配されています。こうなったのも近代科学文明のなせる業です。異質な研究課題を認めないという偏狭な科学政策になっています。グローバル金融資本と手をつないだ科学技術文明は、一律化を求めて突進するのです。これではいけないと、多様性を求めてより自然に近づくため、生命誌研究館は研究課題を設定します。少ない予算で動いている生命誌研究館には研究員は少なく、5つの少ない研究テーマで動いています。内容は多様ですのでちょっと紹介しますと、
①石川良輔研究グループの「オサムシ研究」は、DNA配列の系統分析から、日本列島の形成過程を追っています。
②蘇智慧研究グループの「イチジクコバチの共生研究」、
③小田、秋山康子研究グループの「オオヒメクモの体節研究」、
⑤尾崎克久研究グループの「チョウ研究」で人口産卵です。
膨大なデータは出ませんが、なんか昔風ののどかな研究体制です。しかし独創的です。
(完)
4) 生命科学の道
この章は中村氏が館長を務めるJT生命誌研究館の歴史と目標及び中村氏の生命科学研究について概説する。生命誌研究館についてはJT生命誌研究館ホームページを参照してください。生命誌研究館とは、京都大学人文科学研究所に似た、多面的な研究討論で切磋琢磨する生物学サロンともいえる。だから研究所ではなく研究館なのだ。研究者の梁山泊的な存在でしかも民間企業JTがスポンサーである。企業の意志が前面に出ないことで知られる三菱生命科学研究所よりはもっとサロン的で、社会に対して開かれたパフォーマンスを心がけている。子供でも行ける科学博物館的な性格も備えている。設立は1988年なので25年ほど経過した。中村氏は東大理学部化学科生物化学専攻で、江上不二夫氏の薫陶を受け、渡邊格氏の指導を得た。1970年代江上不二夫氏は生物学を人間を対象とするものに変えようという「生命科学」を提唱し、「生命とは何か」という問いから始まった。つまりDNA研究を基礎として生物学の総合化を企てたのだ。当時生物学は分子生物学というファイン領域と生態学というグロス領域に分裂していた。1970年代は世の中では環境問題、エネルギ―問題(石油ショックから)が顕在化した。その時通産省は「サンシャイン計画」、「ムーンライト計画」、「ニューサンシャイン計画」を推進したが結局ものにならず、政府は別の道である原発一本やりの政策を推進したのである。1970年代アメリカではがんとの闘いというライフサイエンスプロジェクトが始まっていた。その実態は生物医学であり、医療の科学技術化だった。臓器移植ではバイオエシックスという分野ができたが、倫理問題というより経済的問題からの線引きに過ぎなかった。そしていま日本で生命科学と呼ばれているものはじつはこの「アメリカ式ライフサイエンス」のことである。日本の科学技術予算で生命科学研究に投資されるのは、役に立つ、具体的には医学につながる(病気治療)、経済効果のあることに集中しています。「生命を見つめて新しい生き方を探る」のではなく、「人間を機械とみてその故障を直して技術開発」にお金をつけるのです。2003年にゲノムプロジェクトは終わりましたが、遺伝子治療は期待通りには進んでいません。そして日本ではゲノムは終わったと称して、ゲノム研究には予算がつかなくなりました。なんとアカデミックの浅はかな流行現象でしょうか。脳研究は一時21世紀の初めに流行しましたが、脳やガン研究は今や流行から外れています。「集中と選択」という官僚好みのスローガンで、継続した研究は不可能となりました。現在のアカデミックな研究課題は大型プロジェクトに集中します。研究費のばらまきはよくないという理由で、研究者の発想で生まれた新しい研究の芽は大事にされません。機械論的世界観に基づいたライフサイエンスはアメリカのまねをして競争原理に染まっています。研究課題は中央集権化し均質化し大型化が求められます。質より量の動機で支配されています。こうなったのも近代科学文明のなせる業です。異質な研究課題を認めないという偏狭な科学政策になっています。グローバル金融資本と手をつないだ科学技術文明は、一律化を求めて突進するのです。これではいけないと、多様性を求めてより自然に近づくため、生命誌研究館は研究課題を設定します。少ない予算で動いている生命誌研究館には研究員は少なく、5つの少ない研究テーマで動いています。内容は多様ですのでちょっと紹介しますと、
①石川良輔研究グループの「オサムシ研究」は、DNA配列の系統分析から、日本列島の形成過程を追っています。
②蘇智慧研究グループの「イチジクコバチの共生研究」、
③小田、秋山康子研究グループの「オオヒメクモの体節研究」、
⑤尾崎克久研究グループの「チョウ研究」で人口産卵です。
膨大なデータは出ませんが、なんか昔風ののどかな研究体制です。しかし独創的です。
(完)
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