鉄 線
推古朝から大化の改新を経て律令国家の成立に至る過程を論じた7世紀日本古代国家論 第23回
第4章 「古代国家と生産関係」 (第4講)
1) 首長制の生産関係
1-4) 班田制の成立:
大化改新の特徴は人民の地域的編戸と一般的校田が一体化して実施されたことである。令制の編戸と班田収受制とが国家の収取と税収の基礎をなした。班田制とは国家的土地所有のことである。口分田は所有主がいる「私田」で、無主田が「公田」である。743年「墾田永代私財法」の制定で公田の概念に揺らぎが生じた。それ以前の土地所有形態は屯倉など大土地所有制を除けば、在地首長制の伝統的経済基盤であた。郡内の各郷が集中して口分田の斑給を受けていたことは国家の権力であるが、』実際は郡司に制度化された在地首長層の公民に対する階級的権力に他ならない。班田収受制とは、戸籍・計帳に基づいて、政府から受田資格を得た貴族や人民へ田が班給され、死亡者の田は政府へ収公された。こうして班給された田は課税対象であり、その収穫から租が徴収された。日本書紀によれば、646年正月の改新の詔において「初めて戸籍・計帳・班田収授法をつくれ」とあり、これが班田収授法の初見である。しかし、この改新の詔に関する記述には多くの疑義が出されており、このとき班田収授法が施行されたと即断することはできない。班田収授法の発足は、初めて戸籍が作成された670年、若しくは飛鳥浄御原令が制定された689年以降であろうと考えられている。班田収授法の本格的な成立は、701年の大宝律令制定による。班田収授制は、律令制の根幹をなす最重要の制度であった。現存する養老律令によると、班田収授の手続きは次のようである。
1)原則:班田収授は6年に1度行われた。これを六年一班という。戸籍も同様に6年に1度作成されており、戸籍作成に併せて班田収授も実施されていた。
2)手続き:戸籍作成翌年の10月1日から、京又は国府の官司が帳簿を作成し、前回との異動状況を校勘する。そして、翌1月30日までに太政官へ申請し、2月に班田収授が実施された。
3)対象:口分田・位田・職田・功田・賜田が班田収授の対象とされ、例外は寺田・神田のみとされた。
4)班給面積:例として口分田の場合、良民男子 - 2段、良民女子 - 1段120歩(男子の2/3)
大化の改新の政策として勧農と開墾が国家事業として掲げられ、特に堤や溝などの灌漑施設の造営が指示された。その特徴は、①開墾の主体は在地首長層である。②新しく開墾された田地が公田になった。首長層が把握する労働は私的なものから公的なものになった。これが雑徭制につながった。③大化改新後の開墾は新しい技術と生産力を基礎とした。旧村落から条里式村落が出現した。開墾ー公田ー条里制ー国・郡の境界の設定というふうに拡大した。土地の配分は「班田」(国有地開墾)、「賦田」(在地首長層の開墾)、「給田」(屯田兵による庄田)という形で呼ばれる。
(つづく)