ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート ホーキング著 林一訳 「ホーキング、宇宙を語る」(ハヤカワ文庫 1995年4月)

2016年12月31日 | 書評
宇宙の始まりと構造を問うービックバンとブラックホールの謎に迫る 第4回

3) 膨張する宇宙ービッグバン以降の宇宙像

何を隠そうか、私は宇宙のこと特に天文学のことは小さい時から今までからっきし無関心であった。恒星、惑星、衛星という区別は、家族関係に例えると、太陽を親として恒星と呼び、水星、金星、地球、火星、木星、土星、天王星、海王星は子供で太陽の周りを回転するので惑星と呼び、各惑星には数個の衛星が回っている。地球の衛星は月である。人工衛星は含まない。というぐらいしか知らないし、星座は今でも見分けがつかない。もっと遠方の星のうち、最も近いのはケンタウルス座プロクシマと呼ばれる星で約4光年であり、肉眼で見える星も多くは数百光年内の距離にある。現在の宇宙像は、望遠鏡にその名を冠するエドウィン・ハッブルが1924年銀河が唯一の銀河ではないことを証明したときから解明が始まった。極めて遠い銀河はあたかも天空に固定されているように見える。星の見かけの明るさは、放射される光の量(光度)と、距離によって規定される。ある特殊な方の星は全て同じ光度をもつために、近くの星は距離が測定できることに注目して、ハッブルは9個の銀河の距離を決めた。現在の望遠鏡で見ることができる何千億個とある銀河の一つに我々が住んでいる。訳10万光年の大きさを持ちゆっくり回転している一つの銀河である。それぞれの銀河は何千億個という星を含んでいる。星からくる光の色をスペクトル分光すると、連続した黒体輻射(熱スペクトル)に、星には特徴的な形でスペクトルが欠けている。これによって星の大気中の元素を同定できる。1930年代そのスペクトルの欠けている部分が赤い方の端に向かって相対的にずれていることが観測された。遠ざかる可視光電磁波は波長が長く(振動数は小さく)なり赤い方へずれ、近づいてくる電磁波の場合は波長は短く(振動数は大きく)なり、青い方へずれるというドップラー効果によって、大部分の銀河は赤方偏移しており我々の銀河から遠ざかってゆくことが分かった。そして銀河の赤方偏移は無秩序ではなく、我々との距離に正比例していたのである。宇宙が膨張しているという発見は20世紀の偉大な知的発見であった。ニュートンらの静的宇宙像では、重力の影響で宇宙は収縮すると考えていたが、もしこの膨張速度がある臨界速度を超えていたら、大きくはない重力では膨張をおしとどめることはできない。静的宇宙への信仰はアインシュタインをして一般相対性方程式に宇宙定数を導入し静的なるように補正したほどである。時空には膨張する傾向が内在しており、これが宇宙のすべての物質の引力と釣り合うようにできているとアインシュタインは信じた。1922年ロシアの数学者アレクサンドル・フリードマンは宇宙について非常に簡単な仮説を設け、どの方向を眺めても宇宙は同じように見えること、別のどんな場所から見ても同じことが言えると仮定した。この仮定は1965年ベル研究所のベンジャスとウィルソンが鋭敏なマイクロ波検出器の雑音の原因を考察する研究で確認された。雑音は太陽系の彼方からきており、どちらを向いても同じであることからフリードマンのモデルが実証された。これを銀河が遠ざかることに適用すると、どの二つの銀河もその間の距離に比例した速さで離れ去ってゆくことである。これを「宇宙の一様な膨張」と呼ぶ。1935年ロバートソンとウォーカーは宇宙モデルを考え、①ゆっくりした膨張では重力でやがて収縮に向かう(ビックバンからビッククランチへ)、②宇宙は急速に膨張し止まることはない、③宇宙の膨張に重力が抑制要因として働くが収縮はしないという3つのモデルを提案した。②のモデルではあらゆる空間には境界がないことを意味する。空間は無限である。膨張し再崩壊する①のモデルでは空間はそれ自身に折り曲げられ広がりは有限である。臨界的な膨張速度を持つ③のモデル出は空間は平坦で無限である。現在の膨張速度は、宇宙が10億年ごとに5-10%の割合で膨張している、膨張を止めるのに必要な銀河の質量は1/100にさえ満たない。目には見えないが我銀河のなかにも「暗い物質」が存在するに違いない。この暗い物質をかき集めても膨張を止めるのに必要な量の1/10であろう。宇宙がたとえ再崩壊に向かうにしてもあと100億年以上先のことであろう。その前にあと40億年くらいで太陽が燃え尽き人類も消滅している。ビックバンという時点を数学者は特異点と呼ぶが、時空の湾曲率が無限大であったためすべての理論は破たんするので、時間の始まりはビックバンにあったと言わなければならない。1963年ソ連のリフシッツとハラトニコフは一般相対性理論が正しければ、宇宙には特異点、ビックバンがあり得たことを示した。1965年ベンローズは一般相対性理論における光円錐と、重力が常に引力であることから、自分自身の重力で崩壊してゆく星はある領域内に閉じ込められ、表面は大きさがゼロになるとした。これを星だけのことでなく宇宙全体にも当てはめるなら、ブラックホールと呼ばれる時空のある領域の中に特異点が生じるのである。1970年ベンローズとホーキングの論文は、一般相対性理論が正しく、かつ宇宙が現在と同じ程度の物質を含んでいさえすれば、ビックバン特異点があったはずだということを最終的に証明した。しかし量子効果を考慮すると特異点は消えるのだである。その理由は、一般相対性理論は一つの部分理論にすぎず、特異点が示していることは宇宙のごく初期に宇宙は非常に小さく、同じく部分理論である量子力学が扱う小さな世界での効果が無視できない状況であったとすれば理解の端緒が開けるのではないだろうか。ビックバンの特異点を理解するには一般相対性理論と量子力学の協力が必要な理由が存在する。

(つづく)

読書ノート ホーキング著 林一訳 「ホーキング、宇宙を語る」(ハヤカワ文庫 1995年4月)

2016年12月30日 | 書評
宇宙の始まりと構造を問うービックバンとブラックホールの謎に迫る  第3回

2) 空間と時間- 一般相対性理論

ニュートン力学と相対性理論の時空の捉え方の相違を考えよう。物体の運動に関する概念は、ガリレオとニュートンまでさかのぼる。アリストテレス的な見方ではもっぱら思索することで宇宙を支配する法則を捉えることができると考えたが、ガリレオは実験によって、物体はその重さに関わらず同じ割合で落下速度を増すことを明らかにした。ニュートンはガリレオの法則を運動法則の基礎として利用した。力の効果とは物体の速さを変えることにある。アリストテレスとガリレオ・ニュートンの慣性の考え方が違う点は、力が加わらない時アリストテレスは静止すると考え、ニュートンは等速度運動であると考えたことである。ニュートンの運動の第一法則は「慣性の法則」であり、第二の法則は力が2倍になると速度も2倍になるという「力の法則」である。そしてニュートンは「万有引力の法則」を発見した。重力は物体間の距離の二乗に反比例することを発見し、惑星の運動は楕円運動となることを証明した。出来事の位置と出来事の間の距離は観測者の座標(移動する列車内か車外か)では異なっており、アリストテレス的絶対的静止が不可能なことは、ニュートンはガリレオの相対論から絶対空間(絶対的位置)が存在しないことを知っていた。しかしアリストテレスもニュートンも絶対時間は信じていた。しかし光速に近い速度で動くものについてはこの考えは通用しない。光が大きいが有限の速さで伝わるということを発見したのは、1676年デンマークのクリステンセン・レーメルであった。木星の衛星から届く光の間隔の測定から、木星と地球の距離の測定が不十分な時代に光の速さを14万マイル/秒(現在の光速は18万6000マイル/秒)と計算した。光の速度に関する理論は1865年マックスウエルの方程式ができてからのことである。マックスウエルは電磁波のさざ波が伝わる速さを可視光の波長より計算し光速とした。1887年アルバート・マイケルソンとエドワード・モーリーは精密な測定を行って、地球の運動方向とそれに直角な方向での光速を比べたところ、二つは同じであった。これがアインシュタインの光速一定の公理に結び付いたのである。1905年スイスの特許局の職員であったアルバート・アインシュタインは、絶対時間の概念を放棄すればエーテルの概念は不要になるという論文(特殊相対性理論)を書いた。フランスのポアンカレは数学的にその考えと同じ結果を得た。相対性理論の前提は、等速で動いているすべの観測者に対して、その速度がどうあれ科学法則は同一であるべきだとする。そしてすべての観測者にとって光速の値は同じである。アインシュタインの有名な式E=mc~2に要約される質量とエネルギーの等価性と光速以上の速さで運動することはできないということがアインシュタインの理論の功績である。光速の90%の速さで動く物質の質量は普通の時の2倍となる。こうした理由で通常の物体は相対性理論によって光速以下の速度で動くよう制限されている。光あるいは電磁波のような固有の質量を持たない波だけが光速で動くことができるのである。光速一定の制限下では絶対時間の概念は修正される。光速c=dx/dtの定義から距離x、時間tは絶対概念ではなくなる。時間は空間から完全に切り離されるのではないし、またそれと独立なものではない。時間は空間と結びついて時空と呼ばれる。事象(物事の発生)は空間と時間の関数であるという意味で「時空ダイヤグラム」と呼ぶ。事象は空間のある一点と時間のある一点で起きる何らかの事柄である。空間を三次元の座標(x,y,z)で表現すると、時空は四次元空間(t,x,y,z)の中での出来事の位置を指定する。しかし四次元空間を描くことは難しい。マックスウエルの方程式は、光源がどのような速さで動こうとも光の速さは同一であることを予測するがそれは精密な測定で確認されている。出来事の光が波紋状に伝播されると考えると、四次元空間では一つの円錐を形作る。従って現在の事象で発せられる光を1点にして未来光円錐、過去光円錐が時間という縦軸について纏わりついている。光は常にその円錐の内部に存在するし、それ以外の領域は現在に何も影響しない。例えば太陽が消滅したという事象の未来円錐内に地球が到達するのは8分後である。つまり8分後に我々はやっと気が付く。重力の影響を無視するとアインシュタインとポアンカレの特殊相対性理論ができる。特殊相対性理論は光源がすべての観測者にとって同じに見えることをいい、ニュートンの重力理論とは両立しない。重力は特殊相対性理論が要求するように光速あるいはそれ以下で伝わるのではなく、無限大の速度で伝わる。1915年アインシュタインは一般相対性理論を提唱した。アインシュタインは重力が他の力とは異なり、時空が平たんなものではなく、その中に質量とエネルギーが分布しているため湾曲しているという革命的な考えを打ち出した。一般相対論では物体は常に四次元時空の中で直線に沿って動いているようだが、三次元空間では湾曲した経路をたどっている。これは言い換えると、太陽の重力は時空を湾曲させており、そのために地球が四次元時空の中でまっすぐな経路をたどっているにもかかわらず、三次元空間では円軌道に近い軌道をエアがいているように見える。これはニュートンの重力理論の予測した惑星の軌道と同じように見えることである。ところが太陽に近い水星の楕円軌道の長軸が1万年に角度にして一度の割合で太陽の周りを回転していると一般相対性理論は予測する。光線もやはり時空の光路をとると、時空の湾曲の為、光は空間の中では直線的に伝わるようには見えなくなる。つまり一般相対性理論は、光は重力場によって曲げられると予測する。これは1919年イギリスの観測隊が日食を観察し光が曲げられることを実証した。惑星から来た光が太陽によって曲げられ見かけの位置が変化することであった。一般相対性理論から導かれる予測は、地球の重力の強さによって時計の進み方が違うことである。1962年高さの異なる二つの時計の差を測定し、地表に近い時計は遅れることが実証された。いまでは人工衛星から送られてくる信号を利用した精度の高い航行システムに利用され、実用性の高い理論となった。こうして相対論は絶対時間を排除してしまった。本質的に不変な宇宙は存在せず、有限な過去にはじまり、未来の有限な時間に終わりを告げるかもしれない動的な膨張する宇宙像に取って代られた。

(つづく)



読書ノート ホーキング著 林一訳 「ホーキング、宇宙を語る」(ハヤカワ文庫 1995年4月)

2016年12月29日 | 書評
一般相対性理論と量子力学の融合で新統一理論をめざし、宇宙の始まりと構造を問うービックバンとブラックホールの謎に迫る 第2回

1) 私たちの宇宙像序論ー宇宙に起源があるのか、終わりはあるのか。

 宇宙はどこから来たのか、どこへ行こうとしているのか、宇宙には始まりがあるのか、あるとすればどのようなことが起ったのか、時間とは何か、時間には始まりと終わりがあるのか、宇宙には涯がないのか、・・・私たちは宇宙について何を知っているのだろうかという「何故」から本書は始まる。紀元前340年のギリシャの哲学者アリストテレスは「天体論」を著し、地球は丸い球だと見抜いていたが、地球は宇宙の中心であり、円運動は天空に最もふさわしい「完全な運動」だと信じていた。紀元2世紀プトレマイオスはアリストテレスの考えを完全な宇宙モデルに仕立て上げた。地球を宇宙の中心として、月、水星、金星、太陽、火星、木星、土星、恒星の順に円軌道を描いているとしたモデルである。彼のモデルは今から見ると矛盾だらけであったが、広く受け入れられ教会もこのモデルを聖書に一致する宇宙像として採用した。しかし1514年コペルニクスはもっと単純なモデルを異端裁判を恐れて匿名で発表した。太陽がが中心に静止し地球と惑星がその周りを円運動するというものであったが、1世紀のあいだ誰からも注目されず放置された。その後1609年イタリアのガリレオ・ガリレイは望遠鏡で観測し、コペルニクス説では軌道が観測とぴったり一致しないが、コペルニクス説を支持した。同じころドイツのヨハネス・ケプラーはコペルニクス説を修正し、惑星は円軌道ではなく楕円軌道を動いていると主張した。しかし惑星の運動を生じる力については磁力説を考えた。1687年イギリスのアイザック・ニュートンは「プリンピキア」を著して、太陽との距離の二乗に反比例する万有引力を仮定して楕円軌道をえがくことを証明した。月に地球を巡る楕円軌道を描き、惑星に太陽を巡る楕円軌道を描かせる力が万有引力(重力)だとする説を唱えた。ニュートンの重力理論が常に引力として働くような条件では、無限大の静的宇宙モデルはあり得ないことが示唆された。20世紀になるまで宇宙が膨張するとか収縮するとか考える人は誰もいなかった。遠方の星が太陽の表面と同じように輝いているのは、有限の時間に光りはじめたと仮定する以外にはない。すると星の灯りを最初に灯したのは何かという問題となる。宇宙の起源については太古の昔より宗教によって論じられてきた。宇宙の第一原因として「神」が設定されたのである。聖アウグスチヌスは「神の国」で宇宙創造の時期を紀元前5000年に設定した。アリストテレスは神の関与が大きすぎるとして天地創造説を取らなかった。カントは1781年「純粋理性批判」において宇宙の時間的な始まりや宇宙空間に限界があるかどうかを検討した。どちらにしても矛盾(二律背反)があるとして、結論は出さなかった。宇宙は静的であり変化がないと信じていたころは、宇宙に始まりがあったかどうかは形而上学あるいは神学の問題であった。しかし1929年エドウィン・ハッブルが遠方の銀河が我々から急速に遠ざかっているという画期的な観測を行った。宇宙が膨張しつつあるのだ。初期には天体の物質密度は高かった。ハッブルの観測は、宇宙が無限に小さく、無限に濃密だったビックバンと呼ばれる時点があったことを示唆した。それは現在に何も影響を与えないのだから、それ以前の観測可能な結果は存在しない。それ以前の時間は定義不能であるという意味で、ビッグバンが時間の始まりであった。宇宙について語る科学理論とは、①恣意的な要素を小数しか含まないモデルで多くの観測結果を正確に説明できること、②観測の結果について確定的な予測を行うものと理解される。どのような物理理論も仮設であり、暫定的なものであることを免れないが、観測によって原理上反証すなわち否認できるような予測をこなうことができることが、良い理論の条件である。科学理論の最終目標は、全宇宙を記述できる単一の理論を提供することであるとされる。これまで宇宙の起源を検証することは形而上学の問題であった。宇宙を一掴みすることは非常に困難である。したがって部分理論を構築して攻めることになる。ニュートンの重力理論、一般相対性理論、量子力学が部分理論として存在する。一般相対性理論と量子力学を統合して重力の量子論を作ることが精力的に進められてきた。これが今日の物理学の主要な課題である。宇宙の規則的な進化の方法という推論能力をダーウィンの自然淘汰原理に求めることは妥当性がある。

(つづく)

読書ノート ホーキング著 林一訳 「ホーキング、宇宙を語る」(ハヤカワ文庫 1995年4月)

2016年12月28日 | 書評
一般相対性理論と量子力学の融合で新統一理論をめざし、宇宙の始まりと構造を問うービックバンとブラックホールの謎に迫る 第1回



1982年スティーブン・ホーキングスはハーヴァードで講義をしたあと、空間と時間に関する一般向けの書物を一切の数式を使わないで書こうとした。そしてそれは1988年に出版され、単独翻訳権を得た早川書房が1995年林一訳で邦訳版を出版した。ホーキングは1942年生まれ、オックスフォード大学とケンブリッジ大学で物理学と宇宙論を専攻、早くから理論物理学の第一人者と認められ、1974年史上最年少の若さ32歳で王立協会会員に選ばれ、1979年にはケンブリッジ大学ルーカス記念講座教授に任命された。この職はかってニュートンやディラックも就いたことがある名誉ある職位である。筋委縮性側索硬化症ALSと闘いながら、奇跡的にも命を長らえ(2015年で73歳)、多くの優秀なスタッフに支えられて現在も独創的な研究・執筆活動を行っている。ホーキングの研究の歴史は、第Ⅰ期は、ロジャー・ベンローズ、ロバート・ゲロッグ、ブランドン・カーター、ジョージ・エリスらを共同研究者とする「時空の大曲的構造」論であった。第Ⅱ期は1974年から始まった「量子論」では、ゲーリー・ギボンズ、ドン・ページ、ジム・ハートルらが共同研究者となった。本書は重力の一般相対性理論と原子の量子力学を基礎として、自然界及び宇宙の起源の始まりと未来を語るものである。宇宙には始まりがあるのか、なぜ存在しているかという本質に迫る、哲学と科学の境界の書であり、多くの人にとって人間の知性の限界をさらけ出すことになり話題にしたくない領域である。そのためかどうかは定かではないが、ホーキングを適切に評価してノーベル賞を与えるという動きは無いようだ。業績をまとめておこう。一般相対性理論と関わる分野で理論的研究を前進させ、1963年にブラックホールの特異点定理を発表し世界的に名を知られた。一般相対性理論が破綻する特異点の存在を証明した特異点定理をロジャー・ペンローズと共に発表した。一般相対性理論と量子力学を結びつけた量子重力論を提示している。この帰結として、量子効果によってブラックホールから粒子が逃げ出すというホーキング放射の存在を予想している。1971年には「宇宙創成直後に小さなブラックホールが多数発生する」とする理論を提唱、1974年には「ブラックホールは素粒子を放出することによってその勢力を弱め、やがて爆発により消滅する」とする理論(ホーキング放射)を発表、量子宇宙論という分野を形作ることになった。いまなお現代宇宙論に多大な影響を与えている。ホーキングのサイエンスフィクション好みは有名で、本書の各所に面白い想像話が埋め込まれている。例えば時間順序保護仮説によって過去に戻るタイムマシンは不可能という立場をとっている。これは「我々の時代に未来からの観光客が押し寄せたことはない」ことからも裏付けられるとしている。タイムマシンが将来的にできるかどうかに関しては「私は誰とも賭けをしないだろう」とした。また2010年4月25日にアメリカのディスカバリーチャンネルのテレビ番組にて、クリストファー・コロンブスがアメリカ大陸に到着した時、アメリカ先住民が征服されたことを引き合いに出し、人類と宇宙人との接触は人類にとってよい結果をもたらさないとして宇宙人とのコンタクトを試みるべきではないと主張した。またホーキングは宗教界とは無縁の人で、2010年9月7日「宇宙誕生に神は不要」と主張し、宗教界から批判を浴びたとされる。さらに人工知能批判としては2011年5月、人間の脳について「部品が壊れた際に機能を止めるコンピューターと見なしている」とし、「壊れたコンピューターにとって天国も死後の世界もない。それらは闇を恐れる人の架空のおとぎ話だ」と否定的な見解を述べたといわれる。

(つづく)

読書ノート アインシュタイン・インフェルト著 石原純訳 「物理学はいかに創られたか」(岩波新書 上・下 1939年)

2016年12月27日 | 書評
力学的自然観から相対性理論の創造と量子論まで、一切の数式を用いないで相対論思想を記述した古典的名著  第16回 最終回

Ⅴ 量子ー量子力学と相対性理論 (その2)

 エネルギーレベルで電磁波を分けると、可視光は波長にして400-800nm、紫外線200ー400nm、遠紫外線100-200nm、エックス線1nm以下という順にエネルギーは高くなります。二つの小孔に対する可視光の回析現象(干渉)はその波長の数倍の距離(μm程度)で示しますが、エックス線では数千分の1以下の距離(nm)、つまり機械的に開けた孔ではなく、結晶分子の原子間距離において回析現象を示します。その現象を利用したのがエックス線回折による結晶構造解析法です。干渉縞より原子間距離の格子定数を決定する分析法です。ドウ・ブローイおよびシュレージンガーによって1925年頃確立された波動力学は見事な理論体系です。ふたつの理論が表面的には全く異なっているように見えても、その裏にある本質的な共通の性質を見つけ、その基礎の上に新しい理論を形作る、これこそ創造的仕事でした。たとえば弦の定常波は両端が固定されていると、与えたエネルギーレベルによって、波の数(節)は1,2,3と高周波に移動します。これから振動する弦と輻射を放出する原子の間にある類似が見て取れます。どの元素の原子にも、核を作る重い粒子と、核の外にある軽い電子があり、一様に動いている電子と一定の波長という連鎖構造をドゥ・ブローイが考えました。これが光が波の性質を持ち粒子の性質も持つという革命的な思考法です。量子論によっていったん後退したかのように見えた波動論が復活したのです。どの物理理論でも、根本的な思考法が最も本質的な役目を担い、公式にはそのような力はありません。この場合の根本的な推論は一様に動いている電子がある現象では波のような性質を示すということです。そしてそれは光粒子の言葉に翻訳できます。こうして電子の波長が計算された結果、エックス線の波長ととおなじ範囲にあるということです。つまり電子はエックス線と同じように回折縞を作るのです。電子波回折とエックス線回折はきわめて類似している。電子は外部電場または磁場の働く場合粒子のような行動を示しますが、しかし結晶で回折されるときには波動のように行動します。こうして物質と波という矛盾をどう調和すればいいのでしょうか。古典力学では質点はある時刻にある位置座標を占めるという風に記述します。つまり古典力学では光子や電子の働きを説明できません。電子についても一つの小孔を通過すると明暗の環を作るが、小孔が二つある場合には明暗の縞を作るのです。電子がたくさんあるところには縞があらわれ、少ない場所では縞は弱くなります。粒子説では同時に二つの穴を通過するわけにゆきません。多くの実験を繰り返す時ある電子は第1の穴を、他の電子は第2の穴を確率的に通過するというよりほかはありません。気体分子運動論が熱力学を生んだことは承知していますが、これは個々の分子を問題とはせず、最初から統計的(平均的動き)に扱うことで成功した理論です。個々の粒子の動きは確率で表すことになる。本来量子物理学は統計的な特質をもつものです。放射性元素の崩壊現象も確率的です。元素の分散した発光スペクトル線の強弱も確率的です。量子物理学は古典物理学の確定論は退け、最初から統計法則で述べる必要があります。量子物理学の方程式は、シュレージンガー、ハイゼンベルグ、ディラック、ボルンらによって発展させられました。それは任意の時刻における電子の位置や速度を計算するものではありません。量子物理学に方程式は確率波を決定するのですが、マクスウエルの方程式が電磁場を決定し、万有引力の方程式が万有引力の場を決定するのと同じです。確率波なるものが、三次元空間の中に存在する電磁場や万有引力の場に比べてはるかに抽象的で厄介なものです。

(完)