ブログ 「ごまめの歯軋り」

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平成経済 衰退の本質

2021年04月30日 | 書評
京都市東山区 「祇園新橋 伝統的建築物保存地区」

金子勝 著 「平成経済 衰退の本質」 

岩波新書(2019年4月)

第4章 終わりの始まり (その2)

② 経済・財政危機の発生経路 

安倍政権は財政健全化を事実上放棄し、そのつけを未来の世代に先送り(収入の2倍を使って見えを張る生活の借金を、子供、孫、ひ孫に支払わせること)しようとしているようだ。政府の財政健全化の見通しはいつも甘く、絶えず決算を先送りしている。2013年に立てた「経済財政の試算」ではGDP成長率を3.3%とし、消費者物価上昇率は3.2%になり、長期金利も上がってゆく極めて恣意的なシュミレーションである。結果は全くの絵に描いた餅であったことが判明したので、ばかばかしくてその嘘を検証する気にもなれない。要するに東京オリンピックまで異常な金融緩和策を続け、オリンピック景気に沸くという花見酒のシナリオである。そのためあらゆる経済指標の統計が改ざんされ、財政赤字を日銀に付け替える作業が行われている。その先には政府・日銀の信用失墜になるだろう。では財政が破綻する経路とはどのようなケースになるだろうか。その一つはハイパーインフレのケースである。最悪のケースの予見は難しいが、財政危機のリスクの指標として。ISバランス(貯蓄―投資バランス)から導かれる民間部門の貯蓄過剰=政府の財政赤字+貿易収支の黒字がある。このまま財政赤字が続いた上、民間貯蓄が減少したり貿易収支が赤字化すると、外国資本の流入がないとバランスが取れないからである。アメリカでは双子の赤字(財政と貿易赤字)をキャッシュフローで何とか持ちこたえているのである。日本の場合、家計個人の貯蓄がバブル崩壊後減少してゆき、それに代わって非金融民間企業の貯蓄部門の主役に躍り出た。企業が内部留保を積み上げた結果である。労働分配率が低下し個人貯蓄は減少した。数値の上での「労働生産性」向上はGDP/(就業者数×労働時間)である。「働き方」改革とは無制限に働かせて労働時間をカウントしないことで労働生産性の分母を改善できる。あるいは低賃金の移民労働者を拡大して企業が儲けることができる。アベノミクスは、金融緩和政策でバブルを引き起こして分子のGDPを上げることであるがバブルはいずれはじけるものである。当面の数値改善策でしかない。

しかし本質的な問題は労働生産性というより、産業構造の転換の遅れである。金融緩和を続けているうちに産業衰退が一層進んできた。超低金利政策はもう経済活性化の金利機能を自ら麻痺(死に至らしめた)している。産業が衰微し、「金融ゾンビ企業」や構造不況業種の生き残りにだけ役に立っているが、「成長戦略」とは東京オリンピック・大阪万博・カジノ誘致のような土建建築業ブームという伝統的な公共事業しかない。当面とりあえず経済が持っているのは、中国向け製造機械の輸出である。これも両刃の刃で、やがて中国が自作できる段階になれば対中輸出も減少することは鉄鋼製鉄業と同じ歴史の繰り返しになるだろう。問題なのは貿易黒字の縮小と赤字かである。2010年までつづいた貿易黒字は、リーマンショック後で円高になり大きく減少した。16-17年の貿易収支は再び黒字化したが、約5兆円でかっての1/3にとどまった。18年には1兆円の赤字に転落した。貿易黒字の大半は自動車に頼っている。スーパーコンピューター、半導体、液晶家電などの花形業種は見る影もない。電気自動車EV転換に立ち遅れれば20年以降貿易赤字が定着するであろう。産業衰退で貿易赤字が定着し、所得収支の黒字幅が縮小すれば、いずれ国内で財政赤字をファイナンスできる可能性がなくなる。そして国内で国際が消化できないと本当の財政危機に直面する。公債の国際格付けは3AからシングルAに下がった。さらにBに移行すれば外国からのキャッシュフローがバランスを取れなくなって財政危機になる。ギリシャの場合と同じ危機に直面する。

(つづく)

平成経済 衰退の本質

2021年04月29日 | 書評
京都市右京区 「仁和寺 方丈勅使門」

金子勝 著 「平成経済 衰退の本質」 

岩波新書(2019年4月)

第4章 終わりの始まり (その1)

① 出口のない「ねずみ講」 異次元の金融緩和政策の破綻 
「失われた30年」の過程は、マクロ政策の景気対策とミクロ政策の構造改革の間を振り子のように揺れながら、いまや現状維持さえ難しい状況となった。アベノミクスの失敗はまさに「終わりの始まり」を意味する。安倍政権は、バラマキ、見せかけ、諦めの三種のポピュリズムを使い分けているが、その基盤は出口を考えない日銀の「信用創造」である。黒田日銀総裁に政策目標は、①2年で2%の物価上昇率、②マネタリーベースを2年間で2倍に、③長期国債の保有量を2倍以上にすることであった。その結果、日銀の国債保有量は、リーマンショック時08年で42兆円、異次元緩和開始時点の13年3月で125兆円、19年には478兆円に膨れ上がった。株式保有量は、13年で1兆5000億円から、19年3月で24兆4764億円になり、日銀の総資産は563兆円でほぼGDPと同じとなった。国の借金は13年度の991兆円から17年度には1087兆円となった。16年には日銀はマイナス金利を導入し、超低金利政策は地方銀行の経営を困難にした。この超低金利政策は大手銀行には適用されず、18年には大手銀行の当座預金残高は389兆円に積み上がった。16年末の国債保有量は日銀が42.3%を占め、銀行や生保は各々20%以下である。海外投資家の保有率が11%に増加した。日銀の政策金利は2000年以来ずっとゼロ状態を続けているが、16年以降アメリカは金利を戻す方向にかじを切った。2019年2月の消費者物価指数は石油の値上がりの影響があったが0.4%にとどまった。実質賃金はマイナス0.2%になり、デフレ脱却とはとても言えない。アベノミクスが「出口のないねずみ講」といわれるのは、日銀が金融緩和を止めたとたん、国債価格が下落し金利が上昇し、日銀と銀行は天文学的な負債を抱え込むからである。2017年度末の国の財政赤字は1087兆円に達するのに国債利払いが10兆円にとどまり財政破綻せずにいるのは、日銀が低い利子で国債を買い支えているからである。もし金利が上がれば国債利払い高は急膨張する。安倍は日銀の政策委員をリフレ派で占め政策の失敗の対する根本的な批判を封じ込めている。

日銀は国債だけではなく、多量の株を買って株価を維持している。これを「官製相場」という。19年3月で日銀は24兆4764億円のETFを持ち、信託預かり株式も8892億円を持つ。全体のETFの3/4を持つことになった。日銀がリスク資産である株を大量に買うのは異常事態である。日銀が株を売れば株価は下落するので、これも止めるにやめられない「出口のないねずみ講」である。加えて年金積立金管理運用GPIFや3つの共済年金が株買いに走っている。17年度末でGPIFと共済年金は54兆円3457億円の株をもち、海外証券を72兆円3854億円を持っている。年金基金を使って円安・株高を作り上げている。それに郵貯と簡保が加わって「官製相場」を支えている。金融資本主義では企業そのものが売買の対象となるので、企業の株価を高めると買収されにくくなる。また企業同士が株を持ち合うと二重課税を避けるため、その配当には法人税がかからないので内部留保を積み上げるメカニズムとなる。株価が上がると内閣支持率が連動して上がる現象は、株価上昇を望む層を喜ばすことにつながる。それで歓迎されるのである。これを「選挙循環」という。だから選挙前に景気対策をして景気が良くなり、選挙後物価上昇を抑えるために景気が悪くなるのである。1997年以降、日本では株価と内閣支持率が連動するようになった。株価維持が内閣の生命維持装置となった。日銀の株買いは内閣存続のために必要となった。世界経済の中で日本の地位の低下は著しいが、株価だけがバブル期並みの水準に上がっている。株の官製相場は、外国人投資家の取引が70%を超えている現在で日本の株式市場は外国投資家にとって格好の餌食となる。空売りや先物取引CTAデータのトレンド変動だけを追いかける「さや抜きファンド」の暗躍も見逃せない。日銀が先頭になってバブルを演出しているのは株だけでなく、不動産投資信託買いへの介入は19年で5087億円となっている。2018年12月から19年初めに世界同時株安が起きた。アメリカの利上げ政策が原因で景気にブレーキがかかったためである。英国はEU離脱により年8%の大幅な景気後退となるだろう。日本では東京オリンピックが終わると建築・不動産バブルは景気後退局面に入るであろう。日本で金融危機が起きた場合打つ手はもうない。円安株高依存の日本経済の没落が始まる。日銀そのものが債務超過になる危険性が高い。日銀は銀行の決済システムの中枢にあって、次の三つの政策手段を持つとされる。①政策金利を通じた金利誘導、②通貨供給量のコントロール、③預金準備率の操作である。金融危機が生じた場合、もはや低金利政策は使えない。銀行の倒産,信用秩序の崩壊となる。すでに470兆円も国債を買い込んだので国債取引も成立しない。預金準備率も当座預金が400兆円積み上がったまま腐るしかない。黒田日銀は安倍政権と一体化しており独立性を完全に喪失しているので、日銀法第5条が禁じている国債の直接買いに追い込まれる恐れがある。これは事実上戦時経済と同じになる。日銀が財政赤字をファイナンスすると、産業衰退が一層加速し政府の財政健全化政策を根底から諦めたことになる。これはもう民主国家ではない。独裁軍事政権と同じである。そして戦争に訴えることになるであろう。

(つづく)


平成経済 衰退の本質

2021年04月28日 | 書評
京都市北京区 京町屋

金子勝 著 「平成経済 衰退の本質」 

岩波新書(2019年4月)

第3章 転換に失敗する日本 (その3)

③ 転換の失敗がもたらしたもの (その2)
安倍首相は政策目標を何一つ実現することなく、その失敗を覆い隠すために政策目標を次々を打ち上げる口先だけの「スローガン政治」に徹している。忘れやすい野党はまともにその責任を追及して来なかった。2013年「三本の矢」、14年「女性活躍」、15年「新三本の矢」と「一億総活躍」、16年「働き方改革」、「生産性革命」、17年「人づくり革命」ところころスローガンを変えているが成果を検証したことは無い。三本の矢の「2年で2%の物価上昇」は6年たってもデフレ脱却は達成できなかった。もう日銀の黒田総裁はスローガンさえ口にしなくなった。安倍首相は「やっている感」を演出するだけで、嘘が連続するデマゴギー政治となった。強権政治に必要な「特定機密保護法」、「安保関連法」、「共謀罪法」など危険な法だけは強行採決している。外交はアメリカへの「ポチ外交」、「ゴルフ外交」だけで何の成果もなかった。北朝鮮問題やアジア経済圏に関しては、アメリカ無条件追従外交に終始し、日本をアジアの孤児にした。「原発セールス外交」はことごとく失敗した。日立が東芝に代わって原発推進役を買って出たが、原発輸出路線は完全に破綻した。日米貿易交渉では安倍首相は譲歩し続けた。TPPを推進するのではなく二国間FTA交渉でトランプに押し切られた。対ロシア外交では18年9月プーチン大統領に、北方領土問題を棚上げして「前提条件なしの平和条約締結」を主張されて一歩の前進も無かった。安倍の「ポピュリズム政治
は人々を扇動する演説の能力を持たないため、人びとを諦めさせることを狙っているようだ。野党の弱体化に助けられている場合が多い。また首相を取り巻く官僚陣営が政策決定にあずかっている。原発再稼働・原発輸出路線を推進する通産省出向官僚や特定機密保護法、共謀罪法を推進する公安警察、外事警察関係出向官僚である。しかし内政も外交もほとんど政策目標を達成していない。むしろ批判を封じるためにメディアに介入する強権を発動する。そして安倍政権は立法、行政、司法の三権分立を破壊しているが、これは公安警察出向官僚の官房副長官が局長を務める内閣人事局が600名の幹部官僚の人事権を握っているためである。公文書改ざん、統計資料の作為的偽造など、内閣の鼻息を伺う官僚の忖度が目に余るような不正につながっている。政治家の政治資金規正法違反は公然と行われ問題視さえされない。国民を「またか」というあきらめとニヒリズムのマイナスの感情に誘導している。究極の無責任時代に陥っており、自浄能力はさらさら存在しない。状況は次第に敗戦濃厚な戦時財政と似てきており、日本の経済と社会を破滅味追い込んでゆく危険性が高まっている。

(つづく)


平成経済 衰退の本質

2021年04月27日 | 書評
京都市中京区 京商家「金銀糸 堅口商店」

金子勝 著 「平成経済 衰退の本質」 

岩波新書(2019年4月)

第3章 転換に失敗する日本 (その2)

③ 転換の失敗がもたらしたもの

リーマンショックは日本を混乱に追い込んだ。それは円高になり株価が下落したためである。内需が低迷する中で円安が輸出産業の利益を確保し、低い成長率をかろうじて維持していた。リーマンショックは自民党から民主党への政権交代をもたらした。民主党の「マニフェスト」スローガンには、①「コンクリートから人へ」大型公共事業の廃止と地域主権による社会福祉の充実、年金や健康保険の一元化、子供手当と孝行無償化、②貿易自由化圧力に対して戸別所得補償、③地球温暖化対策取り組み強化、再生エネルギーンの固定価格買い取り制度、④東アジア共同体構想、アジアの経済発展の取りこみ などであった。「国家戦略室」、「行政刷新会議」の設置は注目されたがマニフェストの実施は不十分であった。その理由は①先端技術への無知、八ッ場ダム中止におけるメディア・パフォーマンスのみ、②財源不明確、工程表なしといった準備不足、③小沢をめぐる党内対立、④2011年3.11東関東大震災と東電福島原発事故の対応混乱である。おおよそ政権担当政党としてはお粗末極まりない姿勢であった。混乱を引き起こしたことには官僚集団の不作為とサボタージュがあったが、それを御することができなくてはガバナンスが問われるのである。2012年12月の総選挙で民主党は惨敗し、自民党と公明党で全議席の2/3以上を獲得した。こうして第2次安倍内閣が誕生した。異次元の金融緩和を中心に、財政出動、規制緩和の成長戦略を3本の矢とする「アベノミクス」をスローガンとした。政策は再び景気対策としてのマクロ経済政策に振れた。これらの政策は今まで失敗してきた政策の寄せ集めであり。周回遅れでないように見せかけるため大規模に宣伝しただけのことであった。近隣の中国・韓国に追いぬかれつつある国民感情を取って「歴史修正主義」で解消しようとしたが、戦勝国である外国から厳しい批判にさらされ撤回した。米朝会談を軸とする北朝鮮の非核化問題では完全に「蚊帳の外」に置かれ、米国追従外交では日本は存在感を失った。ナショナリズムを煽る安倍の政治姿勢は世界で広がるポピュリズム(衆愚政治)と共通性を持つ。しかし安倍首相のポピュリズムはトランプ大統領の移民排斥と極右ポピュリズムとは異なっている。

日本の社会・政治状況は独特の展開をしてきた。その流れを概観し安倍首相のポピュリズムを検証する。
早い時期から労働組合や農協。医師会・商店街などの職業団体や中間団体の影響力が落ちていた。とりわけ労働組合の組織率は1953年に40%、83年には30%、2003年には20%を切り、16年には17%に低下した。社会民主党(特に社会党)の凋落ぶりが著しく、市民は選挙に参加する気をなくしていった。「支持政党なし」という無党派層がメデイァの流す情報によって影響されて、浮動票の動きで選挙が決せられる場合が多くなった。94年に小選挙区制になり世襲議員が有利になり、当選するためには党本部の認定を得ることが必須の要件となり派閥の力も弱くなった。衆議院選挙の投票率は1990年までは70%あったが、バブルがはじけた90年代以降投票率は急速に低下した。2004年の小泉劇場総選挙と2009年の民主党の政権交代選挙の時は投票率は高まったが、2010年以降は投票率は60%を切っている。政党政治はポピュリズム的手法に依存した。小泉純一郎はこのポピュリズム手法を存分に活用したが、安倍氏にはその能力は高くない。むしろ投票率を下げて無力感を持たせるメディアへの誘導策に長けた菅官房長官の手腕に頼っている。その結果極めて凡庸な三世議員が国会に現れるのである。安倍首相は税金を集めて予算を組み国民を統合するというまっとうな政治の基盤を徹底的に無視し、予算の半分を国債発行による「バラマキ・ポピュリズム(衆愚政治)」の悪循環を繰り返して「失われた30年」の失敗の上塗りを行っている。日銀が赤字財政をファイナンスするポピュリズム政策は決して経済成長をもたらさない。安倍政権の不正・腐敗疑惑が頻発しているにもかかわらず、「官製相場」で株価が上昇し、安倍内閣の支持率も下がらないのは、株高で表向きは景気の良さを演出し、東京オリンピック、大阪万博で景気のいい花火を打ち上げているのは、いわばボナパルトの「パンとサーカス」の政治である。2014年消費税率5%から8%へ引き上げるとき、法人税率を下げ、復興特別法人税を漸次引き下げてゆき、2018年の法人税減収は5.2兆円となった。結果企業は内部留保を大幅に積み上げた。

(つづく)


平成経済 衰退の本質

2021年04月25日 | 時事問題
京都市中京区麩屋町通三条上がる 「旅館 柊屋」

金子勝 著 「平成経済 衰退の本質」 

岩波新書(2019年4月)

第3章 転換に失敗する日本 (その1)

② 周回遅れの「新自由主義」

2000年代前半の小泉首相の「構造改革」は周回遅れの新自由主義であった。市場原理に任せることで経済が成長するというシンプルなスローガンであった。2003年より構造改革特区が始まり04年に道路公団などの特殊法人が民営化された。そして郵政民営化は大波乱があったが、小泉首相は解散総選挙で「小泉劇場」選挙(観客民主主義)に勝った。そして小選挙区制度では、自民党本部の公認が得られないと当選できないため、旧派閥は没落しタカ派が主流になり、かつ当選第一に有利な地盤・看板を引き継ぐ2世3世議員の比率が高まった。そして自民党内部では派閥色が薄れ多様性を失った。経済政策としての規制緩和、構造改革によって経済成長は実現しなかった。小泉政権の雇用規制緩和や社会保障費削減は格差を一層広げ、地域はますます格差が広がり(東京1極主義)弱体化した。外交的には小泉首相はブッシュの大義なき対テロ戦争に関与し、自衛隊海外派兵の道を開く法案が目白押しに成立した。小泉政権では竹中平蔵経済再生財政相が金融危機対応にあたった。97年の金融機関の経営破綻には公的資金が投入されたが、金融危機は収拾せず政府系金融機関の一時国有化がなされた。99年竹中ら経済戦略会議は、銀行経営者の責任を3年間棚上げして申請方式で公的資金の注入(7兆4500億円)が行われた。2002年10月に金融再生プログラムが作成され、ようやく10年遅れで不良債権の厳格な査定とりそな銀行と足利銀行の国有化、そして公的資金投入となった。こうして公的資金は12兆4000億円がずるずると注入された。結局48兆円もの公的資金が注入されたが、経営者はだれも責任を問われるものはいなかった。そして大手銀行は「三大メガバンク」に再編され大きくて潰せない状況を作り出した。財政出動に加えて金融緩和もエスカレートし、ついに99年にゼロ金利政策が導入された。日銀としてはこれ以上金利政策は取りようがないので、政策目標を金利から、民間銀行が日銀に預け入れる当座預金残高という「量」に変更し、市場に潤沢な資金を供給する「量的金融緩和政策」に転換した。

小泉首相の「構造改革」は結局なにも新しい産業は生まなかった。それどころか規制改革会議のメンバーは「改革利権」をあさった。国家戦略を欠如した成長政策はIoT、ICTといった情報通信産業の発展に乗り遅れ、労働規制緩和によって若い労働力の使い捨て、キャリアーづくの機会を奪った。大学予算を毎年1%ずつ削り、研究者の有期雇用を進めた結果、基礎研究と基盤技術開を弱体させた。小泉政権は長期化したが、2008年のリ―マンショックではその経済の脆弱性が露呈した。直接サブプライムローン関係証券を買っていないにもかかわらず、先進諸国間で一番GDPの落ち込みが激しかった。小泉構造改革の最大の弊害は年金制度の切り下げであった。「三位一体改革」という名で行われた地方自治体の予算削減は地域経済を疲弊させ、地方から若者がいなくなった。診療報酬改定で3回連続の引き下げが行われ、中小市町村の中核病院は大きな打撃を受けた。赤字が拡大し、大学医局から派遣されてくる医師の引き揚げによって経営が成り立たなくなった。地方交付税削減政策が続いたため自治体の財源不足から病院の赤字補填も出来なくなった。こうして地方の中核病院は閉鎖され、統廃合、民営化、診療所への格下げなどに追い込まれた。2025年までに政府はベット数を最大20万床減少させ、30万人を自宅や2000年から始まった介護保険の介護施設へ移す計画である。要介護3以上でないと特老ホーム施設への入所が認められなくなった。欧州では1990年代に財源と権限を地方へ移す地方分権改革が行われたが、日本では10年遅れの改革でも、財源も権限もない改革に終わり、予算削減に伴う「改悪」だけが目立った。これはずるずるしたバブル処理のための公共事業政策に地方財政が動員されたためである。小泉首相の「三位一体改革」という地方財政改革は、①国から地方へ財源を移す、②国庫補助金を削減する、③地方の自主税源が増えた分だけ地方交付税を削減することであった。欧州では地方分権化の流れに沿って地方税源を充実させるものであったが、日本ではこれに財務省の予算削減だけが目立った財政再建「改革」に終わってしまった。国の所得税の10%を減税し、その部分を地方の個人住民税に10%上乗せする形であったが、3兆円の財源移譲は2006年まで行われなかった。その一方で国庫補助金は4.7兆円削減、地方交付税は5.1兆円も削減された。その結果2004年地方財政危機がもたらされた。これは国の地方に対する約束違反もしくは「詐欺」である。こうして夕張市が財政破綻した。この地方財政危機を背景に市町村合併が推進された。「平成の大合併」である。3213あった市町村は2010年には1727と半数近くまで減少した。その結果国の地方財政管理を強め「財政健全化指標」が課せられた。国の約束違反の結果を地方の財政放漫にすり替えたデマゴギーである。こうして地域の格差が拡大した。

(つづく)