何とかするという 気骨は環境の産物だ
中学の野球部時代も働かなくてはならず、練習もままならない。しかも、母親は中学を出たら就職して欲しいと言う。そんな時、助けてくれたのは兄でした。男の子ならせめて高校くらいは出ておかないと、大人になったら苦労すると言って母を説得し、自分の大学進学を断念して私を高校へ行かせてくれました。学問の好きな兄が自分の将来と引き換えにして守ってくれたのです。貧しい環境もひとつの力なのだと、プロ野球選手になれた時に気付きました
中学の野球部時代も働かなくてはならず、練習もままならない。しかも、母親は中学を出たら就職して欲しいと言う。そんな時、助けてくれたのは兄でした。男の子ならせめて高校くらいは出ておかないと、大人になったら苦労すると言って母を説得し、自分の大学進学を断念して私を高校へ行かせてくれました。学問の好きな兄が自分の将来と引き換えにして守ってくれたのです。貧しい環境もひとつの力なのだと、プロ野球選手になれた時に気付きました