京都市右京区 「等持院 足利義政像」
金子勝 著 「平成経済 衰退の本質」 第1回
岩波新書(2019年4月)
序に代えて
日本はすでに先進国から脱落している。今の日本は規律を失った権力者のやりたい放題が横行する世の中になった。政府は公然と公文書や政府統計を改ざんするようになり、森友・加計問題では改ざんを指示し国会で偽証を繰り返す高級官僚は不起訴となり、改ざんを強いられた近畿財務局職員は自殺に追い込まれた。閣僚が公職選挙法や政治資金規正法に違反しても罪に問われることは無い。政府だけでなく民間大手企業においもデータや会計粉飾が露見しても経営者は責任を取らない。ノーチェックの無責任時代の腐敗した日本はもはや世界の笑われ者に堕落し、世界の規律やスタンダードに合わない。日本の常識は世界の非常識となったことを自覚していない。どう見ても日本は衰弱する国である。かっては世界有数のシェアを誇った日本製品は自動車を除いて次々と地位を落とし、情報通信、バイオ医薬、エネルギー関連など先端分野では日本企業の遅れが目立った。平成時代が始まった1989年はバブルの頂点にあり、「ジャパン No1」だと奢り高ぶっていたが、すでに没落が始まっていたのだ。その後の「失われた30年」で日本は産業競争力を完全になくした。 バブル崩壊後の「失われた10年」のなかで、経営責任も監督責任も問われることなく、不良債権の抜本的処理を怠ったため、97年11月には北海道拓殖銀行、山一證券などが経営破綻する金融危機が発生した。その時を境にして賃金も、中産階層の所得も、家計消費も、生産年齢人口も、GDPも減少するデフレ構造に移行した。そして「失われた20年」時代に入った。そして2011年3月の東電福島第1原発事故でも同じことが繰り返され、さらに「失われた30年」時代に流れた。リーダーが責任を取らなければ産業も社会も生まれ変われない。金融機関の不良債権を切り離し、企業再建に取り組むこともなくひたすら財政金融政策でゾンビ化する企業群を救済してきた。そのゆきつくさきが「アベノミクス」であった。当初2年で終わるはずだった異次元の金融緩和はデフレ脱却に失敗して6年以上も続いて「出口政策」さえ見つからない。安倍内閣は外交も内政も掲げた政策目標をほとんど達成できておらず、安倍首相はそのことに答えず次々とスローガンを変えてゆくだけであった。メディアは官邸の恫喝によって委縮し、ひたすら自粛を重ね、アベノミクス政策の検証も行っていない。政権はメディアの演出で生かされて、面目だけを維持してきた。平成はバブルの崩壊から始まったが、結局財政金融政策を使ったマクロ経済政策も、規制緩和を中心とする構造改革も「失われた30年」を克服できないどころか、事態は一層悪化している。主流経済学に代わる全体的な体制概念を提供できる経済理論はない。筆者は制度経済学の病理学的アプローチという方法論で、市場を「制度の束」ととらえ、多重の調節制御の仕組みを解き明かす試みを、金子勝・児玉龍彦著「逆システム学―市場と生命のしくみを解き明かす」岩波新書2004年、金子勝・児玉龍彦著「日本病 長期衰退のダイナミクス」岩波新書2016年の2冊の本に問うた。以下この2冊の著書の問題提起を取り上げて、本書「平成経済 衰退の本質」の序としたい。なお著者金子勝氏は1952年生まれ、東大経済学部卒業、東大社会科学研究所助手、法政大学教授、慶応大学教授を経て、現在立教大学特任教授である。専攻は財政学、地方財政学、制度経済学であるという。
(つづく)