ブログ 「ごまめの歯軋り」

読書子のための、政治・経済・社会・文化・科学・生命の議論の場

平成経済 衰退の本質

2021年03月29日 | 書評
京都市右京区 「等持院 足利義政像」

金子勝 著 「平成経済 衰退の本質」 第1回

岩波新書(2019年4月)


序に代えて

日本はすでに先進国から脱落している。今の日本は規律を失った権力者のやりたい放題が横行する世の中になった。政府は公然と公文書や政府統計を改ざんするようになり、森友・加計問題では改ざんを指示し国会で偽証を繰り返す高級官僚は不起訴となり、改ざんを強いられた近畿財務局職員は自殺に追い込まれた。閣僚が公職選挙法や政治資金規正法に違反しても罪に問われることは無い。政府だけでなく民間大手企業においもデータや会計粉飾が露見しても経営者は責任を取らない。ノーチェックの無責任時代の腐敗した日本はもはや世界の笑われ者に堕落し、世界の規律やスタンダードに合わない。日本の常識は世界の非常識となったことを自覚していない。どう見ても日本は衰弱する国である。かっては世界有数のシェアを誇った日本製品は自動車を除いて次々と地位を落とし、情報通信、バイオ医薬、エネルギー関連など先端分野では日本企業の遅れが目立った。平成時代が始まった1989年はバブルの頂点にあり、「ジャパン No1」だと奢り高ぶっていたが、すでに没落が始まっていたのだ。その後の「失われた30年」で日本は産業競争力を完全になくした。 バブル崩壊後の「失われた10年」のなかで、経営責任も監督責任も問われることなく、不良債権の抜本的処理を怠ったため、97年11月には北海道拓殖銀行、山一證券などが経営破綻する金融危機が発生した。その時を境にして賃金も、中産階層の所得も、家計消費も、生産年齢人口も、GDPも減少するデフレ構造に移行した。そして「失われた20年」時代に入った。そして2011年3月の東電福島第1原発事故でも同じことが繰り返され、さらに「失われた30年」時代に流れた。リーダーが責任を取らなければ産業も社会も生まれ変われない。金融機関の不良債権を切り離し、企業再建に取り組むこともなくひたすら財政金融政策でゾンビ化する企業群を救済してきた。そのゆきつくさきが「アベノミクス」であった。当初2年で終わるはずだった異次元の金融緩和はデフレ脱却に失敗して6年以上も続いて「出口政策」さえ見つからない。安倍内閣は外交も内政も掲げた政策目標をほとんど達成できておらず、安倍首相はそのことに答えず次々とスローガンを変えてゆくだけであった。メディアは官邸の恫喝によって委縮し、ひたすら自粛を重ね、アベノミクス政策の検証も行っていない。政権はメディアの演出で生かされて、面目だけを維持してきた。平成はバブルの崩壊から始まったが、結局財政金融政策を使ったマクロ経済政策も、規制緩和を中心とする構造改革も「失われた30年」を克服できないどころか、事態は一層悪化している。主流経済学に代わる全体的な体制概念を提供できる経済理論はない。筆者は制度経済学の病理学的アプローチという方法論で、市場を「制度の束」ととらえ、多重の調節制御の仕組みを解き明かす試みを、金子勝・児玉龍彦著「逆システム学―市場と生命のしくみを解き明かす」岩波新書2004年、金子勝・児玉龍彦著「日本病 長期衰退のダイナミクス」岩波新書2016年の2冊の本に問うた。以下この2冊の著書の問題提起を取り上げて、本書「平成経済 衰退の本質」の序としたい。なお著者金子勝氏は1952年生まれ、東大経済学部卒業、東大社会科学研究所助手、法政大学教授、慶応大学教授を経て、現在立教大学特任教授である。専攻は財政学、地方財政学、制度経済学であるという。

(つづく)

がん免疫療法とは何か

2021年03月28日 | 書評
京都市右京区花薗 「法金剛院 回遊式池泉」

本庶 佑 著 「がん免疫療法とは何か」 第11回

岩波新書(2019年4月)


第5章 日本の医療の未来を考える
医療と医学は単純に結びつくわけではない。医学的に重要な成果が医療に応用されたとしても、社会的インフラがないと一般の人に利用できないからである。日本には国民皆保険制度があり、優れた社会保障制度であるが既に破綻している。一般会計から税金が投入されているからだ。筆者らは「21世紀医療フォーラム」を作ってこの問題を10年間討議してきた。国民皆保険制度は、健康保険に国民全員が加入することが義務付けられ、保険料は収入に応じて支払うというまさに社会保障的な制度である。そして健康保険に加入している人はどこの病院でも受診して良いフリーアクセスである。欧州では公的保険制度で、かかる医療機関は原則指定されている。高度の医療が必要な時は医師が予約するしくみである。診療報酬は中医協によって診療点数が決定される。薬価も決められ、出来高払いである。米国では私的保険が中心である。現在日本の医療制度ではこのフリーアクセスと出来高払いが懸案の問題となっている。国民皆保険制度は、少子高齢化など人口構成の変化、高度化によって医療費が年々増加している。日本の保険料は「賦課方式」という実質は世代間の所得移転となっている。人の一生の医療費は死ぬ3-5年で50%以上になるからである。日本の健康保険制度を守るため、医療費削減、病院経営の効率化、モラルハザードの是正が必要であるが、フォーラムは次の提言を行った。①治療費・医薬品・医療機器・検査などの再評価を行い、無駄を省く。②地域の医療体制の再構築、高齢者を地域医療で支える。③医療提供・受診システムの改革、まず地域診療所でみてもらい高度な医療を必要するなら、紹介状をもって受診する。④適切な医師の配置、大都市から地域基幹病院への適正配置である。
医師の偏在には医師の適正計画が必要である。医師個人の自由だけでなく、日本弁護士会連合会のような組織を頭に描いて医師団体としてメディカル・アソシエーションのような組織が医師の適正計画を立てることがよいのではないか。高齢化社会では必ず死ぬことを自覚し、いかに生きるかと同時にいかに死ぬかを認識しなければならない。このことは終末期医療の問題に係わっている。生涯医療費は70歳以上で半分を利用している。療養型病院が終末期患者に本当に役立っているのだろうか。終末期医療の自己決定権をよく話し合っておく(リビング・ウィル)必要がある。2005年フランスで自己決定権の法制化が行われた。診療費を抑制する究極的な姿は病気にならないよう予防することである。人の健康状態を追跡する「ライフコ―スデータ」、遺伝情報からゲノムコホート研究(病気を予知できないかどうかの研究)の推進が望まれる。

(おわり)



がん免疫療法とは何か

2021年03月27日 | 書評
京都市左京区祇園東 「新橋 伝統的建造物保存地区」

本庶 佑 著 「がん免疫療法とは何か」 第10回

岩波新書(2019年4月)


第4章 社会の中の生命医科学研究
この賞は生命科学の成果を社会的に還元するメカニズムについて考えることが目的の総論である。生命科学は要素還元型の研究成果は素晴らしいものであったが、これからは生命体として有機的複合体的に研究する「分析から統合へ」の時代になった。生命科学の「生きるとは何か」という研究が、如何に病気を治すかということに直結することになった。生命科学と医学には教会がなくなったと言える。医学研究は動物モデルによって生体の仕組みを知り、ヒトへの適用を図る「社会実装」が医療である。政府は確実な投資効果を求めて医薬品や医薬機器の開発プロジェクトに多額の投資を行っている。とりわけ国立大学の法人化以降、性急な研究開発投資は研究の種を枯らすことにならないか危惧される傾向(これを出口志向という)が強くなった。生命科学では病気を治すプロジェクト研究はなじまない。誰も工程表が書けないからである。よく分からないことが多くそれをブレークスルーすることが尋常な方法では困難だからである。その要因は生命科学の膨大な要素の複雑性・多様性・階層性にある。第3章の⑨節に書いたように、遺伝子発現制御に係わる仕組みの組み合わせが膨大で(10^20は覚悟しなければならない)、実験計画が策定できないからである。だから何らかの病気を治すという目標から出発しないで、原理の解明を目指した生命科学研究から大きな展開がなされ、重要な病気の治療に貢献する場合が少なくない。医師が患者に向きあうとき、社会制度、倫理、環境、文化を考慮しなければならない。そして医師は常に特殊解として個人にむかうことになる。出口志向が強いプロジェクト型研究は生命科学研究には向かない。

21世紀の初め日本の科学技術関係予算は4-5兆円で、科学研究費補助金は2000億円、そのうち生命科学関係は30%ほどであった。2015年に日本医療研究開発機構AMEDが米国のNIHをまねて創設されたが、出口開発に特化した研究資金制度である。基礎研究に近い機構には科学技術振興機構JST、日本学術振興会JSPSがあり、これらを総括する機関がない。2016年総合科学技術会議では生命科学の第五期基本計画は誰も描けなかった。物理学のような分野では、国家をあげて国際協力を行い世界一の観測装置をどこに作るか、予算獲得に血眼になっている。そこでは「競争」より「協調」が強調され論文執筆者に数百人の人が連署するような世界である。これに対して生命医科学は個人の創造性(感性)が重要視される分野で、有名雑誌に発表される論文の8割は誰も読まない論文で、半分以上は間違っているといわれる。甚だしきは研究のねつ造さえ報じられる状況である。日本の生命医科学研究費は世界的にみてもはや立ち遅れている状況で、国民からの寄付金による研究支援は他国に比べて少ない。日本における科学ジャーナリストの育成が立ち遅れており、日本のマスコミの閉鎖的、国際性の欠如、科学的判断の欠如は、国民の生命科学への理解の阻害要因となっている。典型的な例として、STAP細胞事件、子宮頸がんHPVワクチンをめぐる報道が目を覆うばかりであった。新聞社(ましてや週刊誌)に所属する科学記者ではなく、独立のサイエンス・ジャーナリストに依頼して記事を書く、健全な生命医科学ジャーナリストを育成することが必要である。

(つづく)



がん免疫療法とは何か

2021年03月26日 | 書評
京都市左京区 「百万遍 念仏寺」

本庶 佑 著 「がん免疫療法とは何か」 第9回

岩波新書(2019年4月)


第3章 命とは何か
⑧ ガン、細胞と個体の悩ましき相克
人類を悩ます病気の中で、ガンほど人々の生き方に影響を与えるものはない。20世紀後半に行われたアメリカのガン征圧プロジェクトは230億ドルを投入して、1993年次のような評価を行った。「分子生物学や基礎研究の進展はあったが、ガン征圧の成果には落胆を禁じ得ない」 ガンが遺伝子病であることは確かである。しかも広範な複数の遺伝子が関係している。遺伝的形質に依存するガンの例として、網膜芽細胞腫はRB1遺伝子の変異で起こる。RB1遺伝子は細胞分裂制御にかかわる遺伝子である。両親から受け継いだ遺伝子の両方に変異が起きた場合のみ発病するのは「がん抑制遺伝子」である。片方の遺伝子の変異でガンになるとき「原ガン遺伝子」である。AID遺伝子は、B細胞のみで発現しているときは免疫関連遺伝子であるが、ウイルス感染などでB細胞以外でも発現すると発がんに結びつくと考えられている。近年、ガンの診断や予後は著しく改善された。それは診断法の進歩と予防法が進歩したからである。しかしガンの特効薬はない。化学抗がん剤は増殖阻害剤である。副作用の改善は進んだが、如何に特異的にターゲットに薬剤を送り込むかというドラッグ・デリバリーに力がそそがれている。抗白血病剤として最も優れた「イマチニブ」が開発された。ガン免疫治療法については、第2章で記述したので省略する。

⑨ 生命科学の未来
20世紀後半から分子生物学という潮流が起こり、生命科学は分子レベルでその機能を理解できるという確信が生まれた。21世紀冒頭にヒト全ゲノム解読が成功し、2万を超えるたんぱく質コードの解明がなされた。翻訳されるたんぱく質遺伝子情報はRNAのスプライシングを受け、おそらく数倍のたんぱく質の翻訳がなされ、糖鎖の修飾だけでなく、リン酸化、アセチル化、メチル化などたくさんの修飾を受けて、蛋白の会合、低分子代謝産物との会合が行われる。その組み合わせはおのずと細胞の数10^13をはるかに超え10^20ほどの複雑さ御持つと思われる。たがってこれまでの分析的手法でどこまで解析できるかは定かではない。生物学を大きな制御・統御システムとしてとらえる生理学の潮流が21世紀の生命科学の方向性を決めるだろう。「生きていることはどう云うことなのか」を問わなければならない。

(つづく)


がん免疫療法とは何か

2021年03月25日 | 書評
京都市右京区 「仁和寺 方丈玄関」

本庶 佑 著 「がん免疫療法とは何か」 第8回

岩波新書(2019年4月)


第3章 命とは何か
⑥ 内なる無限-増え続ける生物種
地球上の生物種は数えることはできないが、推計によって約180―1000万種といわれている。記載される生物種は分類記載法が決まってから200年以上にわたって増え続けている。中でも細菌の数は想像を絶するくらい多種であるらしい。細菌を純粋培養せずともDNAを増幅して塩基配列を決定する「メタゲノム」法からの推計である。細菌には様々な力があり、環境対応性、エネルギー資源利用など人類に貢献しているが、ヒト個体の中にいる共生細菌である腸内細菌から栄養を受けとり、一定の免疫刺激を受けている。太古の進化をたどると、細菌が真核生物の細胞に潜り込んだ形跡である、ミトコンドリアや葉緑体遺伝子群がある。これらは細胞小器官と呼ばれ、いずれも真核生物の核とは異なる独自の遺伝子情報を持っている。細胞内への共生では生命体の独立性は失われ、宿主細胞と運命を共にする。なかには宿主細胞の核DNAに一部移ったものもある。有性生殖の微生物の接合が起こり、遺伝子情報の交換が行われる。薬剤耐性の遺伝子が性決定遺伝子とともに同じプラスミドに乗ると、その形質は同種の微生物に広がる。

⑦ 生・老・病・死
命あるものは必ず滅ぶ。細胞分裂で増殖する大腸菌のような原核生物では個体は生殖細胞と同一であるから、寿命という概念は成立しない。多細胞生物として有性生殖をおこなうとき、世代をつなぐ生殖細胞の連続性と個体の死がはっきり分かれた。生命体の寿命も遺伝情報の中にプログラム化されているはずである。寿命を規定する遺伝子研究はまだそのプログラムの全貌を明らかにしていない。細胞の分裂回数が規定されるという説がある。染色体の末端にあるテロメアの長さが分裂ごとに減少し寿命をプログラム化しているようである。生命体の生存は、先天的な遺伝情報と後天的な環境情報との間の緊張と調和のバランスの上に成立している。免疫系の働きで近年著しくヒトの寿命は延びた。環境情報である食事の質によって、エピジェネチックな修飾が起き遺伝子発現が変化することがある。インシュリン様成長因子受容体IGFRとそれを介する情報伝達経路の変異によって寿命が延びることが知られている。大部分の病気は環境要因と遺伝的要因の組み合わせで発症する。医学の目的は永遠の命を目指すものではなく、天寿を全うするものである。

(つづく)