ブログ 「ごまめの歯軋り」

読書子のための、政治・経済・社会・文化・科学・生命の議論の場

東日本大震災と医療問題: 原発作業員の産業健康衛生

2011年04月22日 | 時事問題
医療に関する提言・レポートfrom MRIC by 医療ガバナンス学会(2011年4月19日) 「福島原発から産業医の報告」 谷川武 愛媛大学医学系大学院 公衆衛生・健康医学 より

 4月16日から19日まで非常勤産業医として福島第二原発の健康管理にかかわりましたので報告する。東電はたしかに事故の当事者であるが、原発で働く人も家族を失い住む場所もない被災者なのです。原発所員に対する異様なパッシングが彼らのストレスを高くしています。事故を起こしている第一原発の従業員は第二原発の体育館を宿泊所にしていますが、睡眠時無呼吸症候群などがみられます。現場の医療スタッフは、産業保健に関して産業医科大学の常駐医師の派遣を求めている(現時点で学長は同意している)。外部からの第一,第二原発全従業員の健康管理を実施することが求められる。4月7日つけの谷口修一氏(虎ノ門病院血液科)の「自己末梢血幹細胞採取」のプロジェクトについても、原発事業所では受け入れる事を表明しており、谷口修一氏の現地説明が予定されている。


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4月22日午前8時 茨城県空間線量率データ(茨城県放射線テレメータより)
http://www.houshasen-pref-ibaraki.jp/present/result01.html
測定局    NaI線量率nGy/h  風向    風速m/s
日立市大沼     207      東       1.2
東海村石神     168      西北西     1.8
水戸市吉沢     98       北北西    0.4
鉾田市徳宿     141      カーム     カーム
昨日と同じです。(22年度測定値の統計はほぼ30-50nGy/hの範囲にあった。1年間の総量被爆線量は0.43mSv以下であった)


読書ノート 白波瀬佐和子著 「生き方の不平等」 岩波新書

2011年04月22日 | 書評
生き方は個人の選択だが、そもそも最初から立つ位置が異なる 第3回

 55体制後の自民党保守政治はパイの増加に対応した圧力団体的政治で、政策論については極めてお寒い限りであった。颯爽と政策を引っさげて登場したのが2001年の小泉内閣であった。その過激な言動にメデァを始め国民が酔いしれ、新自由主義政策で労働と福祉を縮小し、アメリカ並みの金融市場社会に転換しようとした。「格差は悪くない」という与党が衆議院で圧勝し、メディアが作る世論のいい加減さが露呈した。そして気がついたら「貧困」が社会を覆っていた。2008年12月日比谷公園が派遣村になって大きな社会問題として意識された。朝日新聞特別報道チーム著 「偽装請負ー格差社会の労働現場」などが問題を喚起した。ついで関心が集まっているのが「子供の貧困」である。格差の本質は貧困にある。格差は子供をも支配しているのは当然であろう。20世紀末の平成不況時代には、就職氷河期といわれ、若者の世代にロストジェネレーションが生まれた。そしてそれは正規労働者のリストラとなって全体に及んだ。格差・不平等・貧困は許されるべきことではない状況の程度が強まっている。そのなかで2009年9月自民党政権は倒れ、民主党政府が生まれて国民の社会福祉への期待は高まった。マニフェストに書かれたことを実行する財源は国債でそれがさらに国家財政を圧迫するというジレンマがあるものの、政策の基本姿勢がどこまで実行されるか国民は注視している。社会の制度や規範が社会を構成する個々人の関係に介在して、その関係が家族や地域、会社、政府といった次元の異なる集まりに繋がって行くのである。個々人の生き方はライフステージに従って展開する。子供、若者、女性、高齢者という社会的弱者に矛盾は集中して現れる。そのようなライフステージごとに不平等のありようは異なるが、そこに生きる人々と諸制度のあり方を設計するためには、それらをつなぐ接着力として社会的想像力が要求される。お互いに年齢、性別、世代の問題を共有して、違いを超えてつながるシステムを著者は「お互いさまの社会」という。上野千鶴子、辻本清美著 「世代間連帯」(岩波新書)の説く所もこれに近いかもしれない。
(つづく)

読書ノート 小田部雄次著 「皇 族」 中公新書

2011年04月22日 | 書評
明治以来の皇族の歴史を知ろう 第11回

第1部 明治・大正時代 欽定憲法と皇室典範 立憲君主制時代の皇室 (7)

 近代日本が最初に経験した対外戦争は、日清(1894年)・日露(1905年)戦争であった。この戦争に軍人皇族9名が参加した。陸軍では有栖川幟仁親王ら5名、海軍では有栖川宮威仁親王ら4名であった。日清戦争では台湾占領において北白川宮能久親王は戦病死した。この戦役で勝利したことにとって皇族の間には戦勝気分が横溢した。又日露戦争を契機として朝鮮での権益の優先権を得えた日本帝国は1910年李朝朝鮮を合併し、李王朝の一族は日本の王公族となった。1926年李朝王公族の皇室典範というべき「王公家軌範」が成立した。明治維新後多くの皇族が軍事留学や外遊に出るようになった。物見遊山的な外遊も増え、1921年北白川宮成久王はパリで自動車事故で死亡する事態も発生した。1920年フランスに軍事留学した東久邇宮稔彦王は6年たっても帰国を拒否し、大正天皇の崩御した翌日に帰国したという。これには稔彦王は常日頃から平皇族を自嘲し大正天皇と不和であったことが大きく影響しているようだった。近代国家における最初の皇后は英照皇太后であった。五摂家の九条家から孝明天皇に嫁いだが、儲けた二人の女子は夭折し、孝明天皇が中山慶子との間に儲けた庶子(後の明治天皇)を養子とした。明治になって最初の皇后は五摂家の一条家から嫁いだ昭憲皇后であった。皇后と明治天皇野間に子はなく、権典侍であった葉室光子、柳原愛子、千種任子、園洋子に生ませた庶子(男4人、女10人)や、後宮の管理を一条家から派遣された高倉寿子に任せた。大正天皇の皇后には五摂家の九条節子(貞明皇后)がなった。大正天皇の間に4人の男子を生んで、皇統の心配を払拭したといわれる。皇族も華族も「皇室の藩屏」と称される特権集団であったが、皇族と華族では構成も機能も自ずと違っていた。皇族は15宮家の天皇の血族である。華族は公家、諸侯家および明治維新で功があった政治家・官僚・実業家・学者・軍人など多種多様な構成である。華族は皇族と平民に間を取り持つ存在であるが、内部の身分差は甚だしかった。皇族には原則として資産はない。宮家の皇族歳費は大正時代一家あたり10万円ほどであった。資産や所得でいえば、旧大名や実業家の方が皇族よりはるかに豊かであったといえる。皇室の高等女官は主に華族の子女から選ばれた。華族の学校であった学習院は1977年に創立された。1885年女子には華族女学校が設置された。皇族の子弟には特別な扱いと教育がなされたが、1920年以降は特別扱いは廃せられたが、皇族子弟の成績は発行しなかった。1926年皇族就学令がだされ、原則として皇族の子女は6歳から20歳まで学習院または女子学習院に就学すると定められた。
(つづく)

筑波子 月次絶句集 「春日野望」

2011年04月22日 | 漢詩・自由詩
四月梨花白皎然     四月梨花 白皎然たり

三春桃李樹紅燃     三春桃李 樹紅に燃ゆ

双槍巨岳青揺地     双槍の巨岳 青は地を揺がし

一望長江碧接天     一望すれば長江 碧天に接す


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(韻:一先 七言絶句仄起式  平音は○、仄音は●、韻は◎)
(平仄規則は2・4不同、2・6対、1・3・5不論、4字目孤平不許、下三連不許、同字相侵)