ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート 田中秀明著 「日本の財政」 中公新書 (2013年8月 )

2014年05月31日 | 書評
日本の財政改革の失われた20年と財政再建の道筋ー財政規律と予算制度改革 第8回

3) 先進国の財政再建ー成功例と失敗例から学ぶ (その3)

6) フランス: 上に述べた5つの国は英国連邦系の国々であり、次にヨーロッパ大陸系(EU)の国の検討に入る。フランスは1980年代までは比較的良好な財政収支であったが、1990年代になると財政赤字は急速に悪化し93年には6・5%の赤字となった。その原因はEU統合による税制の統一によって、付加価値税・法人税・貯蓄課税の引き下げによるものと考えられる。つまり大幅な税収の低下である。1993年右派連合のパラデュール内閣が誕生し、「経済・社会再建プログラム」を開始した。さらに1994年「公的財政の管理に関する5か年基本方針」を制定した。国の財政赤字を毎年0.5%づつ改善し、97年までに赤字を2.5%以下にするプログラムである。マーストリフト条約の財政基準は、健全財政国家として赤字は3%以下、債務残高は60%以下にすることを基準としている。1995年にシラク大統領が就任し、社会保障制度改革をふくむ財政赤い地削減策を提案した。しかし支出面の削減計画は国民の強い反発を招き1997年の選挙で与党は敗北した。会計操作などでなんとかユーロへの参加は果たしたものの、財政赤字は2000年に1.5%、2003年には4.1%、2009年には7.6%に拡大した。2008年予算管理を強化するため、予算法案と同時に「複数年財政計画法」の国会提出が義務付けられた。2012年提出の「複数年財政計画法」(5か年)では、2017年までに財政赤字を0.3%とすると規定された。フランスが財政赤字を制御するうえでの困難はその政治制度になる。力の弱い大統領と議院内閣制度の2つの統治機構があるからである。いつもねじれ現象を引き起こしている。もう一つの問題はフランスはドイツと並んで社会保障制度を基本とする社会である。英国連邦系の新自由主義社会と、欧州大陸系社会はあるべき社会の理想を異にしている。社会のセーフティネットを無駄として地方自治体運営を民間に任せるような新自由主義を取るか、安定した格差の少ない社会を求めるか、どちらがいいかは価値観の問題である。


7) ドイツ: ドイツは1980年代までは強い経済力を背景にして良好な財政収支を誇っていた。GDP成長率は5%であるにもかかわらず、1990年の東西ドイツの統一に伴う財政負担の急増(社会保障関係費とインフラ投資)から財政は一気に悪化した。(国家統一を優先課題として、あえて財政収支の悪化を国民全体の痛みとする価値観の問題である) 1995年に財政赤字は9・5%に拡大した。コール政権は「ドイツ統一基金」を設けて債務処理にあたった。こうした東西ドイツ統一コストを処理して財政再建を進める力となったのは、マーストリフト条約であった。EU委員会に中期財政見通しを提出し、国内的には中期財政計画を立てた。1997年には財政赤字は2.6%になってユーロ参加基準を達成した。様々な会計操作が行われたようだが、ドイツの財政再建は難産であったといえる。そして2000年には一般財政収支を1%の黒字に転換させた。翌年からまた赤字となったが、2005年にメルケル連立政権が誕生し、積極的な財政再建に取り組んだ。2007年には付加価値税の引き上げ(19%)、所得税の最高税率の引き上げ(45%)の税制強化策によって2007年にはふたたび財政黒字を達成した。リーマンショックにより2010年の赤字に転落したが、翌年2011年には財政収支はほぼ均衡した。(21012年度は黒字) ドイツが東西統一に伴う財政負担という貧乏くじを引きながら処理してユーロ圏の優等生になったのは高く評価される。2009年連邦基本を改正し、連邦政府の赤字は0.3%以下に制限するという規定を加えた。

8) イタリア:  イタリアは1990年代半ばまでOECD諸国の中で最も財政収支の悪い国であった。政治的にも小党連立の不安定政権、社会保障給付、脆弱な徴税システムなどが財政再建を困難にしていた。1992年の財政赤字は10%を超えていた。とても共通通貨ユーロに参加できる国とは考えられなかった。高いインフレと失業率、弱い通貨などイタリア経済の弱さが目立っていた。そのイタリアが1990年代からマーストリフト条約加盟を目指して、歴代内閣が財政再建に乗り出した。本格的な財政再建は1996年に誕生したプローディ中道左派政権からである。財政赤字の削減は支出面が中心となり、年金や地方の改革、公共事業と公務員給与削減、収入面ではユーロ税が効果をだして、1995年の財政赤字7.4%が1997年には2.7%となり、マーストリフト条約基準を満たした。1993年の選挙制度改正により小選挙区比例代表制により安定したガバナンス強化が図られた(2005年にはまた比例代表制に戻ったが)。1995年「経済財政計画」には、財政収支、プライマリーバランス、債務残高の対GDP目標が設定され、拘束力を持つことになった。新たな支出に当たっては「財源確保規定」が設けられた。リーマンショックで2009年には財政赤字は5.5%まで悪化したが、相当の財政の改善がみられたというべきであろう。これでOECD主要国並みの水準になったといえよう。

(つづく)

読書ノート 田中秀明著 「日本の財政」 中公新書 (2013年8月 )

2014年05月30日 | 書評
日本の財政改革の失われた20年と財政再建の道筋ー財政規律と予算制度改革 第7回

3) 先進国の財政再建ー成功例と失敗例から学ぶ (その2)

3) ニュージランド: OECD諸国の中でニュージランドは最も包括的かつ急進的な経済財政構造改革を実施した。1984年国民党政権への政治不信からドルの切り下げによる為替危機が発生した。代ったロンギ労働党政権は1984年から構造改革行ったが10年間ははかばかしい成果は得られなかった。実質成長率は1985-1992年まで1%以下であり、一般政府財政赤字はほとんど3-4%台が続いた。1990年ボルジャー国民党政府は社会保障関係を中心とした支出削減を進めた。1993年には景気が回復しGDPは4.7%の成長があった。1994年には20年ぶりに財政黒字に転換した。1994年「財政責任法」が成立し、2004年に財政法に統合された。この法は政府に財政ルール・目標を設定させるとともに、定期的にその達成状況を報告させる。政府に説明責任を課し透明性を高める効果を狙っている。1990年代後半からから2000年半ばにたるマクロ経済は基本的に良好であった。一般政府の財政収支については1994年から2008年までほぼ黒字を維持した。リーマンショックにより財政赤字が7.3%まで悪化したが、2012年には赤字は3.9%に縮小した。金融負債は2012年で8.3%にとどまっている。財政責任法はニュージランドの財政運営のアンカーとしての機能を果たし、財政規律を維持している

4) オーストラリア: オーストラリアの経済財政構造改革は1983年ー1996年の間労働党政府が主導した。オーストラリアはOECD諸国の中で最も構造改革が成功した国のひとつである。オーストラリアの構造改革は2つの時期があった。1つは1980年代半ば、2つは1990年代後半の改革である。前の改革は賃金抑制と景気刺激を柱とするマクロ政策であったが、構造改革というミクロ政策に移った。1984年「トリロジー」という財政ルール・目標が導入された。税制改革と政府資産の売却、歳出面では社会保障・公務員給与削減などを含む。予算制度の本格的改革として「財務管理改善プログラム」、「歳出検討委員会」の設置など多岐にわたった。1980年代後半には経済が急速に回復した結果、GDP 成長率は 4-5% となり、財政収支も改善し1998年には黒字となった。1987年から1990年まで4年間は黒字を続けた。しかし1990年代に入ると景気は後退し、再び財政収支は赤字となった。1991年に誕生したキーティング労働党内閣から1996年に誕生したハワード自由・国民党連立内閣が構造改革を進めた。ハワード政権は予算制度改革を行い、「財務管理アカウンタビリティ法」、「予算公正憲章法」などの法整備を行った。景気循環を通じて財政均衡を図るという財政ルールが誕生した。「予算公正憲章法」はニュージランドの財政責任法にならうもので、予算の将来見通しと歳出検討委員会が閣内に設けられた。2000年代前半のオーストラリアの好調な経済に支えられ、GDP成長率は3-7%を維持した(1992-2007年)。1997年には財政収支は黒字になり、2007年まで続いた。金融負債の対GDP比は1990年以降縮小の一途をたどり、2005年には黒字つまり貯金ができるようになった。リーマンショックの影響は一時的で、健全財政そのものであった。

5) カナダ: カナダの財政は1970年代以来慢性的な赤字が続き、イタリアに次ぐ悪化した状況であったという。これを打開したのが1993年に誕生したクレティエン自由党政権であった。1990年代初めのメキシコの経済危機の影響を受けた深刻な不況によって、政府財政赤字は1992年に9%となり、総金融負債は90年に74%、95年には100%までに膨れ上がった。マーチン財務相は「メキシコ経済危機が我々の目を醒ますきっかけとなった」といった。1994年度に予算制度改革を行い、中期財政フレーム、予算削減と順位づけを行うプログラム・レビュー、そして予算編成過程の透明化を実施した。「プログラム・レビュー」には6つの判断基準を導入し、この基準で各省庁が自己評価をしそれをもとに財務省が閣議を経てトップダウンで各省へ3ヶ年の歳出削減目標幅を割り付けた。こうしてわずか4年間で財政収支の均衡そして黒字化を成し遂げたのであった。1992-1997年の財政再建で、州への補助金削減、年金制度改革など財政の中身の削減は6%であった。リーマンショックの影響で2010年の財政はマイナス5.4%の赤字となるが、その後着実に回復した。2007年歳出プログラムの効率を維持するため「戦略レビュー」を導入した。

(つづく)