ブログ 「ごまめの歯軋り」

読書子のための、政治・経済・社会・文化・科学・生命の議論の場

日本郵政 10万人を正規社員に 

2010年04月30日 | 時事問題
朝日新聞 2010年4月30日4時1分
10万人の正社員化、日本郵政11月から 3年計画で
 日本郵政にいる約20万人の非正規社員のうち約10万人を正社員化する採用計画の全容が29日、分かった。今年11月から採用を始め、3年程度で作業を終える。3年以上の勤務経験があり、正社員を望む全員に採用試験と面接を実施、合格者を対象とする。
 日本郵政のグループ社員は計約43万人で、うち20万人以上が非正規社員。 今回の計画で人件費は年3千億~4千億円膨らむ見通しだが、日本郵政はゆうちょ銀行やかんぽ生命が住宅ローンなど新規事業に参入し、収益を拡大することを当て込んでいる。

道路族のドン亀井氏 せめての罪滅ぼしか 久しぶりに聞く明るいニュースで民主党政権になってよかった 半官半民のJPだからできること 

読書ノート 野中広務、辛淑玉著 「差別と日本人」 角川oneテーマ21新書

2010年04月30日 | 書評
差別、朝鮮人差別と闘った二人の対談 第6回

3)国政と差別 (1)

 1995年(平成7年)1月17日に起きた阪神淡路大震災は、長田地区の被害が最も深刻であった。これは2005年9月1日の米国メキシコ湾のハリケーン・カトリーナ災害がそうであったように、差別災害であった。社会的に最も弱い人々が最も災害に弱いということを日本中に知らしめた。米国ではニューオリンズの海岸地に住む黒人が最大の被害を受け、阪神淡路大震災では長田地区の在日朝鮮人が最も被害を受けた。耐震構造など全くない古い住宅の密集地が地震による倒壊と火災発生の中心となった。高級住宅地の芦屋地区のタイル張りの立派な建物はびくともしなかった。長田地区といえば関西人ならピンと来るように、朝鮮人で皮なめし業から靴製造業へそしてケミカルシューズ製造業の中心地であった。災害は最も弱い人に襲いかかるのだ。しかし阪神淡路大震災は助け合いの精神が救ってくれた。行政よりボランティアの力も発揮された。当時野中氏は自治大臣、国家公安委員長であった。国松警察庁長官に「関東大震災の二の舞に絶対にしてはいかん」といい、兵庫県警に徹底したという。

 野中氏の国政での動きには不可解の一語である。反共の政治家野中氏と、弱い者への味方という意味で野中氏を理解できない人が多い。だからこの章は野中氏を讃えるための章にはしたくない。事実だけ断片的に述べるに留め、真の狙いは本人は絶対に口にしないだろうから憶測に過ぎない。まず「アジア女性基金」である。日本画戦争中に植民地であった朝鮮、台湾の女性と占領地であった中国の女性を性奴隷として軍用慰安婦としたことに対する国際世論への対応である。日本軍の反道徳的犯罪的行為である従軍慰安婦問題については、吉見義明著 「従軍慰安婦」 岩波新書を参照してください。この問題については「南京虐殺事件」とあわせて、日本人政治家は記憶喪失を装うか、なかったことにしたがる。ドイツ人のようにアウシェビッツのユダヤ人虐殺にしっかり向き合う事をする勇気がないのである。
(つづく)

文藝散歩 加藤周一著 「日本文学史序説」上下 ちくま学芸文庫

2010年04月30日 | 書評
日本人固有の土着的世界観をさぐる日本文化思想史概論 第41回

9)第4の転換期:19世紀 幕末から明治維新 支配層の分裂と西欧文明の影響 (11)

 1870年代に地方で生まれ東京の私大(早稲田)で学んだ小説家の一群を「自然主義」文学者という。島崎藤村、正宗白鳥、国木田独歩、岩野泡鳴、田山花袋、徳田秋声らはいずれも地方の没落士族の息子であった。彼らは江戸町民文化も武士階級の教養を継承するわけではなく、西欧文化に育てられた一群である。しかしキリスト教から西洋の窓口に入っただけで、ほとんどが直ぐに棄教しキリスト教の核心(原罪と唯一神による救済)の影響も受けていない。彼らはキリスト教の中に自己実現の手段を夢見たが、その夢が場違いである事を理解するのに時間はかからなかった。そして彼らが自分を所属させる事ができた集団は「文壇」であった。坪内逍遥は小説論「小説神髄」で「心の中の内幕を洩らすところなく描いて周密精到」を小説の目的とした。人物を理想化せずにあるがままに描きだそうというわけである。二葉亭四迷は口語体の小説「浮雲」で自分の人生をそのままに、そして話し言葉で誰でも書ける小説を作った。彼らの経験とは田舎の大家族の束縛から自分を解き放とうとして出来なかった大家族の生活のことであった。そして東京での文士生活の些事や人事の葛藤であった。田山花袋の「布団」は別れた女のぬくもりに涙を流す哀れな文士のことを書いた。こんな小説を読んで些事の心理が分ったとして何の役に立つというのか。19世紀フランスのゾラの説いた「自然主義」とは何の関係もなかった。ゾラは科学主義に起点を置いた社会的視野の中で、自分を書くのではなく市民社会を対象とした。日本の文人は誤って「自然主義」を翻訳しただけの事であった。例外は島崎藤村の「夜明け前」は明治維新の激動の中の人間を主人公とし、「破戒」は被差別の人間の運命を描いて歴史の中に捉えた壮大な叙事詩であった。正宗白鳥はキリスト教を捨てたあと文壇という集団に移った後も、棄教の理由を生涯意識した人であった。生涯聖書を座右において、ダンテの妻の猜疑心、トルストイの恐妻振りという「真相」にほとんど自虐的に固執した。人物の精神性より些細な真実が重要と見たのだ。これについては小林秀雄が「正宗白鳥論」(未完)を書いて議論している。日本人の宗教性は神か仏かという峻別をもとめるのではなく、神でも仏でもよく、無差別に救済してくれるものへの信頼感、安心を提供してくれる現世利益型宗教のことである。
(つづく)