国会審議の空洞化の原因は、国会制度そのものにある 第6回
1) 戦後新憲法での国会運営 (1)
いまさら帝国議会を持ち出すまでもないのだが、国会という観点で帝国憲法を見てゆくと、立法権は天皇にあるといいながら帝国議会の同意を必要とし、帝国議会は法案提出権も持っていた。1924年から1932年まで存在した日本の政党内閣はイギリスなどにおける議院内閣制と同じ発展を示すものであった。政友会と民政党の政権交代も実現した。しかし議院内閣制を保障する憲法上の記述がなく、内閣主導の政策決定を阻む勢力も多く存在して昭和の初めに軍部の台頭とテロであっけなく崩壊した。太平洋日中戦争で破れポッツダム宣言を受諾した日本に進駐した連合軍司令部(GHQ)は日本の民主主義的傾向の復活強化を目指した。GHQ民政局は帝国憲法での弱い議会が軍国主義の台頭を招いたという認識から、新憲法は議会の権限を大幅に強化するものとなった。1946年11月に制定された日本国憲法は国民主権を謳い、国会を「国権の最高機関であって、唯一の立法機関である」とした。新憲法は議院内閣制を明文で保障し、内閣総理大臣は国会議員の中から国会の議決で指名される。新憲法は連合軍民政局で議論され、三権分立のアメリカ型より、立法府が最高の地位を占めるイギリス型に傾き、イギリス型の議会優位の仕組みにアメリカ流の解釈を施すことで決められた。1947年4月に制定された国会法では、アメリカ連邦議会をモデルとした常任委員会制度、立法補佐機構の充実が取り入れられた。アメリカ流に国会の権限が著しく強化された。法案などの審議は本会議中心主義から委員会中心主義へ導かれた。常任委員会には強力な権限が与えられ、公聴会、国政調査権の主体となり、法案提出してもよい事になった。欧州型の議院内閣制の議会にはないほど委員会の権限は強力である。
(つづく)
1) 戦後新憲法での国会運営 (1)
いまさら帝国議会を持ち出すまでもないのだが、国会という観点で帝国憲法を見てゆくと、立法権は天皇にあるといいながら帝国議会の同意を必要とし、帝国議会は法案提出権も持っていた。1924年から1932年まで存在した日本の政党内閣はイギリスなどにおける議院内閣制と同じ発展を示すものであった。政友会と民政党の政権交代も実現した。しかし議院内閣制を保障する憲法上の記述がなく、内閣主導の政策決定を阻む勢力も多く存在して昭和の初めに軍部の台頭とテロであっけなく崩壊した。太平洋日中戦争で破れポッツダム宣言を受諾した日本に進駐した連合軍司令部(GHQ)は日本の民主主義的傾向の復活強化を目指した。GHQ民政局は帝国憲法での弱い議会が軍国主義の台頭を招いたという認識から、新憲法は議会の権限を大幅に強化するものとなった。1946年11月に制定された日本国憲法は国民主権を謳い、国会を「国権の最高機関であって、唯一の立法機関である」とした。新憲法は議院内閣制を明文で保障し、内閣総理大臣は国会議員の中から国会の議決で指名される。新憲法は連合軍民政局で議論され、三権分立のアメリカ型より、立法府が最高の地位を占めるイギリス型に傾き、イギリス型の議会優位の仕組みにアメリカ流の解釈を施すことで決められた。1947年4月に制定された国会法では、アメリカ連邦議会をモデルとした常任委員会制度、立法補佐機構の充実が取り入れられた。アメリカ流に国会の権限が著しく強化された。法案などの審議は本会議中心主義から委員会中心主義へ導かれた。常任委員会には強力な権限が与えられ、公聴会、国政調査権の主体となり、法案提出してもよい事になった。欧州型の議院内閣制の議会にはないほど委員会の権限は強力である。
(つづく)