方言の比較から日常の語り言葉の語源を説く、柳田民俗学の知の所産 第7回
1) 毎日の言葉 その6
21) モヨウを見る
「モヨウを見る」の「モヨウ」に「模様」を当てるのは間違っている。衣類の模様とは染め模様、綾模様のように紋様とも言いました。これを吟味すると日本語の「モヨイ」から出た「モヨウ」の方が正しいようです。「モヨイ」は本来は時の感覚で、目に訴える紋様ではなかったのです。雨モヨイ、雪モヨイ、お天気モヨイがその流れにあります。「モヨフ」という動詞が中央からなくなってしまったことが原因です。名詞形「モヨオス」(催す)だけが残っています。そこで地方語でその語源を探ってゆきましょう。山形県では「二日してから」ということを「二日モヨテから」といいます。宮城県仙台では「オモウ」といいます。「モヨウ」はただ時間がたつというだけでなく、待つとか見合すとかためらうとかという意味に移ってゆきます。秋田・青森・岩手では「モヨル」ですが、新潟では「しばらくモイルとやって来た」といいます。支度をするとか女がお化粧する意味にも使います。
22) よいアンバイに
男が文章を漢字ばかりで書くと、いろいろな無理が重なります。「アンバイ」が塩梅、按排になるのです。明らかに当て字です。ここから意味を取ることはできません。「アワヒ」すなわち間を取ることが語源です。それが「アワイ」となり、「ワ」がバ行に移って「アンバイ」となったのです。濁音のまえの母音にNが付く例があります。関西では人の健康状態をアンバイと言っています。「いいアンバイです」が毎朝の挨拶の言葉です。海に出る人には「アワイ」は「ヒヨリ」と同じです。岡山では風邪を「カゼアンバイ」と言います。「アワヒ」は本来「合う、逢う」という動詞から来た上品な古語でした。「アワヒ」が「アイマ」、「グアイ」に変化しました。
23) 毎日の言葉の終わり(読者のお手紙より)
最終節は読者からのお手紙の質問に答えています。そのなかから面白いものをピックアップして紹介します。
*人が来られた時「イラッシャイ」、「オイデナサイ」は変ではないかという質問にはびっくりした、私は別に変とも思わなかった。已然形の結びなので未来の事かと間違うらしい。昔は「ヨウコソ」を使っていた。挨拶の言葉は短くて何か抜け落ちているようです。
*「ケッコウデス」の意味が分からないという質問です。「結構な」はもと「よい」という代わりに、学のある人が使いました形容詞です。「ヨイ」、「ヨロシイ」と同じです。
*「アリガトウ」に相当する言葉が多いので補足する。秋田県北部では「タイガトウ」、「オホリナイ」、「ホノゴジャンス」という。「耐え難い」、「本意ない」という予期しなかった好意に戸惑う意味です。
*別れの小児語「ハイチャイ」や「アバヨ」はどういう意味ですか。前者は「ハイサヨウナラ」と言いたかったのでしょう。後者は「アハ」は遠くなる後ろ影を見送る感動詞でした。「アハ」を「アバ」に変えたのでしょう。レベルの低い言葉です。
*関東・東北の「コワイ」に対して関西では「シンドイ」というのはなぜですか。これは「辛労」という漢語を永く使っていて「イ」をつけて形容詞にした造語でした。辛労を「シンド」と発音したためです。信州では慰労会を「シンノ」といいます。
*「ドッコイショ」という掛け声は何処から来たのという質問に、「ドッコイ」は「ドコへ」が起源で、「ドッコイそうはさせぬ」という様に、相手の狙いを阻むときに使います。
*しまっておくことを「ナオス」というのはなぜという質問には、「ナオス」はあるべきところに戻すという意味です。
(つづく)
1) 毎日の言葉 その6
21) モヨウを見る
「モヨウを見る」の「モヨウ」に「模様」を当てるのは間違っている。衣類の模様とは染め模様、綾模様のように紋様とも言いました。これを吟味すると日本語の「モヨイ」から出た「モヨウ」の方が正しいようです。「モヨイ」は本来は時の感覚で、目に訴える紋様ではなかったのです。雨モヨイ、雪モヨイ、お天気モヨイがその流れにあります。「モヨフ」という動詞が中央からなくなってしまったことが原因です。名詞形「モヨオス」(催す)だけが残っています。そこで地方語でその語源を探ってゆきましょう。山形県では「二日してから」ということを「二日モヨテから」といいます。宮城県仙台では「オモウ」といいます。「モヨウ」はただ時間がたつというだけでなく、待つとか見合すとかためらうとかという意味に移ってゆきます。秋田・青森・岩手では「モヨル」ですが、新潟では「しばらくモイルとやって来た」といいます。支度をするとか女がお化粧する意味にも使います。
22) よいアンバイに
男が文章を漢字ばかりで書くと、いろいろな無理が重なります。「アンバイ」が塩梅、按排になるのです。明らかに当て字です。ここから意味を取ることはできません。「アワヒ」すなわち間を取ることが語源です。それが「アワイ」となり、「ワ」がバ行に移って「アンバイ」となったのです。濁音のまえの母音にNが付く例があります。関西では人の健康状態をアンバイと言っています。「いいアンバイです」が毎朝の挨拶の言葉です。海に出る人には「アワイ」は「ヒヨリ」と同じです。岡山では風邪を「カゼアンバイ」と言います。「アワヒ」は本来「合う、逢う」という動詞から来た上品な古語でした。「アワヒ」が「アイマ」、「グアイ」に変化しました。
23) 毎日の言葉の終わり(読者のお手紙より)
最終節は読者からのお手紙の質問に答えています。そのなかから面白いものをピックアップして紹介します。
*人が来られた時「イラッシャイ」、「オイデナサイ」は変ではないかという質問にはびっくりした、私は別に変とも思わなかった。已然形の結びなので未来の事かと間違うらしい。昔は「ヨウコソ」を使っていた。挨拶の言葉は短くて何か抜け落ちているようです。
*「ケッコウデス」の意味が分からないという質問です。「結構な」はもと「よい」という代わりに、学のある人が使いました形容詞です。「ヨイ」、「ヨロシイ」と同じです。
*「アリガトウ」に相当する言葉が多いので補足する。秋田県北部では「タイガトウ」、「オホリナイ」、「ホノゴジャンス」という。「耐え難い」、「本意ない」という予期しなかった好意に戸惑う意味です。
*別れの小児語「ハイチャイ」や「アバヨ」はどういう意味ですか。前者は「ハイサヨウナラ」と言いたかったのでしょう。後者は「アハ」は遠くなる後ろ影を見送る感動詞でした。「アハ」を「アバ」に変えたのでしょう。レベルの低い言葉です。
*関東・東北の「コワイ」に対して関西では「シンドイ」というのはなぜですか。これは「辛労」という漢語を永く使っていて「イ」をつけて形容詞にした造語でした。辛労を「シンド」と発音したためです。信州では慰労会を「シンノ」といいます。
*「ドッコイショ」という掛け声は何処から来たのという質問に、「ドッコイ」は「ドコへ」が起源で、「ドッコイそうはさせぬ」という様に、相手の狙いを阻むときに使います。
*しまっておくことを「ナオス」というのはなぜという質問には、「ナオス」はあるべきところに戻すという意味です。
(つづく)