ブログ 「ごまめの歯軋り」

読書子のための、政治・経済・社会・文化・科学・生命の議論の場

景気後退  経営者は簡単に首をきれる派遣法のありがたさを実感 

2008年12月17日 | 時事問題
asahi.com 2008年12月17日3時1分
ソニー社長「需要減これほどとは」 雇用より業績優先
 ソニーの中鉢良治社長は16日、朝日新聞のインタビューに答え、業績の落ち込みについて「需要減の影響が一番大きい。これほどとは思わなかった」と世界同時不況が予想を超えた打撃を与えたとの認識を示した。また「雇用を優先して損失を出すことが、私に期待されていることではない」と収益改善を急ぐ姿勢を強調した。

asahi.com 2008年12月17日6時56分
ホンダ、国内新工場の稼働を先送り 業績は下方修正へ
 ホンダは16日、最先端の生産技術を採り入れる埼玉県寄居町の新工場について、当初目指していた2010年の稼働を先送りする方針を固めた。金融危機が直撃し、国内外で自動車の販売不振が加速しており、当面の需要が見こめないと判断した。また、販売不振と円高を受け、09年3月期の業績予想を下方修正する方向で最終調整に入った。 ホンダは4月の08年3月期決算で、今期の連結営業利益の予想を6500億円と発表した後、7月に6300億円、10月に5500億円に下方修正、今回で3度目になる。

世界的企業ホンダ、ソニーも苦境に 経営者は規模縮小へ雪崩を打つ
企業はアメリカ並みに実に簡単に首を切れる労働規制緩和策のありがたさを実感している事だろう  日本はどんどん分解してゆく




「私は貝になりたい」 清水豊松の遺書

2008年12月17日 | 時事問題
清水豊松の遺書 

房江、賢一、直子、さようなら・・・・・
お父さんは、もう2時間ほどで死んでゆきます。
お前達とは別れ、遠い遠いところへいってしまいます・・・・・
もう一度会いたい・・・・
もう一度みんなと一緒に暮らしたい・・・・
許してもらえるなら、
手が1本、足が1本もげても、
お前たちと一緒に暮らしたい・・・・
でも、もうそれは出来ません・・・・
せめて、せめて生まれ変わる事ができるなら・・・・・
いえお父さんは生まれ変わっても、
もう人間にはなりたくありません。
人間なんて厭だ、
こんあひどい目に会わされる人間なんて・・・・
牛か馬のほうがいい・・・いや、牛か馬なら、
また人間にひどい目にあわされる・・・・
いっそのこと、誰も知らない、
深い、深い海の底の貝?
そうだ、貝がいい!
深い海の底なら・・・・
戦争もない・・・兵隊もない・・・
房江や健一、直子のことを心配することもない。
どうしても生まれ変わらなければいけないのなら。・・・・
私は貝になりたい・・・・

読書ノート 堂目卓生著 「アダム・スミス」  中公新書

2008年12月17日 | 書評
「道徳感情論」、「国富論」への案内 第7回

第二部 「国富論」(1)

1、「国富論」の概略
「国富論」の冒頭で「序文および本書の構想」において、「国富論」の目的と全体構造が簡潔に示されている。物質的富とその原資の定義を「すべての国民の年間の労働は、その国民が年間に消費するすべての生活必需品や便益品を供給する原資であって、消費される物質はつねに国民の労働の直接の生産物であるか、その生産物で他の諸国民から購入したものである」といった。また国民の富を増進させる一般原理を「生産物・購入物で供給できる量と消費するものの総量との割合によって国民の豊かさが表され、その豊かさは次の二つによって規定される。一つは労働の熟練度、技量、判断力によって、二つは有用な労働に従事する人々の数とそうでない人々の数の割合によって規定される。スミスに寄れば、国民の豊かさを増進するには、労働生産性を高め、生産的労働の割合を高めなければならない。そして「国富論」は次の五つの内容で構成される。
(1)分業
(2)資本蓄積
(3)自然な経済発展と現実の歴史
(4)重商主義体系
(5)財政



読書ノート 辻井喬 上野千鶴子対談 「ポスト消費社会のゆくえ」 文藝新書

2008年12月17日 | 書評
セゾングループの歩みから日本の消費社会を総括し、ポスト消費社会の姿を探る
第13回


2008年の今  共同体・産業社会の変遷 (1)

 百貨店の時代は終わったといわれる。スーパーの雄ダイエーも流通戦争に負け、急速な価格破壊の波に飲み込まれた。それは生産過程のグローバリゼーションつまり、生産拠点の海外移転である。これはヨーロッパ型の「雇用なき景気回復」である。ユニクロの無印良品もグローバリゼーションの成果である。百貨店は空洞化し、パルコのように「貸し店舗業」になりつつある。百貨店はもともと日本的問屋制度に乗っかって仕入れリスクを回避してきたので、専門店への「貸し店舗業」はその典型ともいえる。社員も要らない、販売のノーハウだけでコミッションを取る業態である。そういう意味では「通販」、「ネット販売」も視野に入れなければならない。百貨店に来る客もいない時代になるかもしれない。そうするとパルコのように百貨店がスペース・コミュニケーションという空間の意味さえ失われる。いまや同質・同調性の高いコミュニケーションしか求めない消費者に分解しているといわれる。これが百貨店の終焉といわれる所以である。小売業には百貨店と量販店に分類され、量販店とはスーパーとコンビニとジェネラルマーチャンダイジングストアー(GMS 総合ストアー)に分けられる。スーパーとGMSはイトーヨーカ堂やダイエーのように同じ会社がやっている。GMSはいずれコンビニか百貨店に分極するかもしれない。無機的なストックヤードというか価格破壊型食品倉庫は人件費縮小のために生み出された方式であるが、日本にはなじまなかった。日本の食生活は高価な生もの・生鮮食品を買って調理するという伝統がある。又食の安全意識が世界一高い。土着化した惣菜コーナーが人気を呼んでいる。デパ地下の人気はそこにある。スーパーとコンビニは生き残るかもしれない。流通小売業はその地域、そこに住んでいる人々に向かい合うという地場産業で、グロバリゼーションからは除外される領域ではないだろうか。価格訴求だけではマーケットは動かない。それだけ成熟した食文化があるということです。



文藝散歩 「ギリシャ悲劇」

2008年12月17日 | 書評
啓蒙・理性の世紀、紀元前5世紀都市国家アテネの繁栄と没落を描くギリシャ悲劇 第18回

丹下和彦編 「ギリシャ悲劇」 中公新書 (17)


7)エウリピデス 「キュクロポス」-懐疑そして反乱

 ペロポネス戦争下、伝統的部族社会の共同体に、利害関係から結ばれる党派という人間関係が入り込んで、法秩序の根本理念である信義は廃れた。「キュクロポス」は卑猥な笑いを取る「サチュロス劇」である。一日の劇上演では悲劇3編を上演した後、重苦しい雰囲気をとるために口直し的な笑劇「サチュロス劇」を演じる。この「キュクロポス」はホメロス「オデュッセイア」に本をとっている。地中海を漂流したオデュッセウス一行はシチリア島に漂着し、そこに住む一つ目のキュクロプス族によって洞窟に閉じ込められてしまう。何人かはキュクロプス族に食われるが、オデュッセウスは機転を利かしてキュクロプスの目を潰して洞窟から脱出に成功するというホメロスの「オデュッセイア」という話をもじって、 エウリピデスは多弁な論争劇にしたてた。ギリシャ社会道徳に基づいて遭難者保護を主張するオデュッセウスに対して、キュクロプス族のポリュペモスは嘲笑と拒否をもってする。ポリュペモスは「富こそ神だ」、「最高の神はわが胃袋」といって、ギリシャ的社会の道徳・法の否定、反感を露にする。ポリュペモスはトロイ戦争を「一人の女のために戦争をおこすなんて」と戦争批判を行う。劇は一見すると脱出劇のようだが、ギリシャ世界以外の人々からの価値観と法秩序への否定嘲笑は 「キュクロポス」において激しさを増している。英雄と知略の人オデュッセウスはこの劇では徹底的にパロディ化されている。