ブログ 「ごまめの歯軋り」

読書子のための、政治・経済・社会・文化・科学・生命の議論の場

読書ノート 佐藤栄佐久著 「福島原発の真実」 平凡社新書

2011年09月30日 | 書評
福島原発事故は日本統治システムの腐敗構造を曝露 第5回

1)幻の「核燃料リサイクル」 (2)

福島県内の原子炉建設
原子炉       出力  燃料及び消費量         着工日     運転開始日
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第1原子力発電所
     1号機  46.0万kW  二酸化ウラン 約 69 t / 年  1967年9月   1971年3月
     2号機  78.4万 kw 二酸化ウラン 約 94 t / 年 1969年5月    1974年7月
     3号機  78.4万 kw 現在 MOX燃料 約 94 t / 年 1970年10月   1976年3月
     4号機  78.4万 kw  二酸化ウラン 約 94 t / 年 1972年9月   1978年10月
     5号機  78.4万 kw  二酸化ウラン 約 94 t/年  1971年12月   1978年4月
     6号機  110.0万 kw 二酸化ウラン 約 132 t/年  1973年5月   1979年3月
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第2原子力発電所  
     1号機  110.0万 kw 二酸化ウラン 約 132 t/年  1975年11月   1982年4月
     2号機  110.0万 kw 二酸化ウラン 約 132 t/年  1979年2月   1984年2月
     3号機  110.0万 kw 二酸化ウラン 約 132 t/年  1980年12月   1985年6月
     4号機  110.0万 kw 二酸化ウラン 約 132 t/年  1980年12月   1987年8月
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 1991年9月福島第1原発が立地する双葉町議会が第7号機,第8号機の増設要望を議決した。固定資産税と電源三法交付金という補助金頼みの自治体は、固定資産税の収入が減ると(30年で償却するので)、次の原発の増設を要望するという「麻薬患者のようなシャブ漬け」になるようだ。「原発の後は原発で」という発想が自治体を支配し、原発は全く地域振興の役に立っていなかった。それは交付金の用途が公共事業に限定されており、けっきょく「ハコモノ」を作るしかできないで、あとでその維持運営費が自治体を苦しめることになっていた。夕張の破産と類似している。原発で出る使用済み核燃料の処分をどうするかという絶対命題を後送りして、未完の技術である原発行政は進められてきた。またウラン核分裂の結果使用済み核燃料にはプルトニウムが1%ほど含まれている。プルトニウムは原爆の材料となるので、国際社会から日本のプルトニウム保有が懸念され、プルトニウムを消費する事を国際公約としている日本のエネルギー安全保障戦略上、高速増殖炉(二酸化ウランと二酸化プルトニウムをまぜてMOX燃料をつくり、炉の中で高速中性子を使ってプルトニウムの核分裂を促し、そのままでは核分裂しないウラン238の核分裂を起こして高出力を得る。)が切り札となった。核廃棄物の体積を縮小し(放射能は物質保存則より減少しないが)、かつ10%ほど燃料が節約できるという1石2鳥の技術といわれた。動燃は高速増殖炉実証炉「もんじゅ」を1985年福井県敦賀発電所で建設し、1994年に実証研究がスタートさせた。ところが熱媒体が沸騰水型BWRが水であるにに対して、高速増殖炉では金属ナトリウム(人類は水に触れて爆発するナトリウムを熱媒体に使ったことはないので懸念されていた)を使うことであるが、1995年12月8日「もんじゅ」は配管から漏れたナトリウムにより爆発火災事故を起こした。それ以来今日(2011年9月)にいたるまで「もんじゅ」の試験運転は停止されたままである。「もんじゅ」の挫折を受けて、1996年1月23日原発設置三県である、福井、新潟、福島の知事が当時の橋本龍三郎首相に面会し、原発行政が適正に行なわれるよう提言書を手渡した。その要点は以下の3点である。
① 原子力委員会に国民や地域の意見を十分反映させる体制の整備
② 検討段階から十分な情報公開をおこなう。
③ 原子力長期計画の見直し。
(つづく)

読書ノート 富永茂樹著 「トクヴィルー現代へのまなざし」 岩波新書

2011年09月30日 | 書評
フランス革命時の民主思想の憂鬱とは 第13回

2)アンシャンレジームとフランス革命 (3)

 トクヴィルの晩年の視点は絶対君主ではなく、この官僚組織を通して権力は中央から津法の細部に浸透したと考える。国内的には重農主義、国外的には重商主義によって中央集権を達成した近代国家は次第に帝国の形態をとり始めるのである。それは絶対君主制であれ、民主国家であれ同じ形態である。行政はすべてのフランス人を被後見状態に置いたとトクヴィルはいう。集権化した政府の後見下におかれ、なにごとにつけ世話を受けるようになり、国民は国家への依存度を深めてゆく。官僚組織は組織の上から下まで、公的な利益を理由に,民間の事業や生活に関与してゆく。行政にとって効率重視の点からも、政策徹底からも、国民の画一化が欠かせない。国民の顔を見るのではなく、数としてみるのである。「人口」や統計学が流行するのも18世紀からであった。啓蒙哲学の基礎となった合理主義は行政の中央集権制を支え、フランス社会に画一化をもたらした。これはアンシャンレジームから革命後も連続した流れであった。トクヴィルは利己主義と個人主義を区別する。トクヴィルによると利己主義は「自分自身に対する、行過ぎた激しい愛」と定義し、自己本位に自己利益を優先する考えであるとした。個人主義とは「自分中心の小さな社会に閉じこもり、自分の事しか見えな思考様式」とした。平等がゆきわたると、各階層の人々は自分らの殻に閉じこもり「一種奇妙な自由」で満足する。第3身分よりも先に革命を起こしたのは、国王権力に反抗する貴族層であり、僧侶・平民を巻き込んだ革命へ展開した。最も革命的であったのは絶対君主から圧迫を受け権利を剥奪された貴族階層だったとは、20世紀のロシア革命でも同じことであった。
(つづく)

文芸散歩  池田亀鑑校訂 「枕草子」 岩波文庫

2011年09月30日 | 書評
藤原道隆と中宮定子の全盛時代を回想する清少納言 第7回

[11] 「よろこび奏するこそ・・・」 第3類
正月の昇進のお祝いのため、御前を向いて下襲の裾を長く引いて舞をまうのが華やかだという。

[12] 「今内裏のひんがしをば・・・」 第3類
内裏の東にある北の陣のまえに梨の木があった。権中将源成信はこれを切って扇にして定澄僧都にプレゼントしたいとおっしゃっていた。定澄僧都が興福寺の別当に昇進した御礼に権中将源成信を訪れたが、扇をお渡しするのを忘れてしまったというお話。これは清小納言の記憶力を誇る話になっているようだ。

[13] 「山は・・・」 第1類
小倉山以下、列記ものでは最初の頃はまじめな固有名詞の名前が列記されるが、途中から本当にそんな名前の山があるのかなというようなふざけた名前に変化してゆく。この言葉遊びがおもしろい。これも駄洒落の世界かな。
(つづく)

筑波子 月次絶句集 「高楼観月」

2011年09月30日 | 漢詩・自由詩
中秋観月獨登台     中秋観月 獨り台に登り
 
浩浩精華捧玉来     浩浩たる精華 玉を捧げて来る

漆髪佳人絲佐興     漆髪の佳人 絲は興を佐け
 
垂翁朗詠酒為媒     垂翁朗詠 酒は媒を為す


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(韻:十灰 七言絶句平起式  平音は○、仄音は●、韻は◎)
(平仄規則は2・4不同、2・6対、1・3・5不論、4字目孤平不許、下三連不許、同字相侵)