今日は8月31日。
ここのところ、例の2学期開始(一部地域を除く)を前に、「つらかったらここへ逃げて」という話が、マスコミでもSNS上でもにぎやかですよねえ。
で、その善意を否定する気もないし、また、どこかでそのメッセージが届いてふみとどまる気持ちになる子どもがいるかもしれないし・・・。
一方でそういう風には思うものの、ただ、朝、何気なく見ていたテレビの情報番組で、あるコメンテーターが言っていた一言が「ほんとうに的確だな~」って思いました。
それは・・・。フリースクール関係者がでてきて「なにかあったらここへおいで」というメッセージを発しているVTRが流れたあとで、そのコメンテーター氏が「ほんとうにいろいろつらかったら、もうフリースクールにも行かなくていいじゃん。家にいたらいい」みたいな発言をしたこと。
「ほんと、そのとおりだよな~」って思いました。
なんか、この2学期開始(一部地域を除く)を前に、一方で危機に直面する子どもたちに社会的なサポートがあることを伝えるメッセージを発することの重要性、それは否定しないし大事だと思うものの・・・。
「それを発している側にいる自分自身の善意に酔うことなく、自分たちのしていることの中身、質を点検してもっとよくすること、工夫すること」も必要なんじゃないかなと、ふと思ってしまいました。
ついでにいうと・・・。
テレビの情報番組は、「絵」になる場面がほしいもの。
だからこそ「学校に無理していかなくていい」という情報を発するときには、たとえばフリースクール関係者に取材をして、録画どりをして編集し、「学校に行かなくともほら、こんな感じで、別のところで過ごして『よかった』と思う人がいるよ」という「絵」を描こうとするわけですね。
私としても、それはテレビの番組制作上、いたしかたない手法かなぁって思います。映すべき「絵」がないテレビ番組って、制作者泣かせだと思うので。
ただ、その「絵」に加えて、テレビには「語り」があります。
たとえばナレーションとかテロップとか、識者コメントとか、いろんな「語り」を付け加えることが、テレビには可能です。
その「語り」の部分で、「フリースクールだけではない選択肢」を子どもたちに示すことって、可能なようにも感じました。
もしもそういう「フリースクールだけではない選択肢」を示さなければ、ひとつまちがうと、フリースクールだけしか逃げ場はないように、このようなテレビ番組の「絵」からは受け取ってしまう恐れもあるわけで・・・。
ほんとうは学校に行くと「命があぶない」って思うほどの危機にある子どもには、学校に行く以外の多様な選択肢があるし、「どこにも行かなくてもいい。ひとまず自分の部屋とか、とにかく自分が落ち着く場で、ひとりで様子を見たっていいんだ」ってメッセージでもいいんですよね。
でも、ひとりで部屋に居るシーンって、テレビ番組的にはあまり、インパクトのある「絵」にはならなさそうですが・・・。