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京都精華大学教員・住友剛のブログ。
関西圏中心に、教育や子ども・若者に関する情報発信を主に行います。

「つまらないものを斬る」話(2)―レベルの低い政治家の「子ども家庭庁」論議―

2022-02-04 20:24:48 | 国際・政治

○以下の内容も、今夜、ツイッターを見てからフェイスブックに書きこんだ内容に手を加えて、転載したものです。ほんと「子ども家庭庁」構想について議論をしている政治家のレベルが「低すぎる」と思います。「もう一度、一から子どもの人権思想を学び直して、顔洗って出直してほしい」と思うのは、私だけでしょうか? このところ、政治家の質の劣化が止まらない感じがしています。

<以下、転載内容>

さっきツイッター見たら、子ども家庭庁設置構想練ってる政治家のなかで、「子どもを個人として尊重する」思想は「マルクス主義」とか言うた人がいるようだ。

あのなあ、そんなこと聴いたら、19世紀末~20世紀初頭の欧米諸国で子どもの人権思想とか、新教育の理論を説いていたような人々、怒るで。エレン・ケイとか、ジョン・デューイとか、コルチャックとか、墓場から怒ってくるんとちがうか??

日本でも賀川豊彦や下中弥三郎とか、20世紀初頭の新教育運動とか子どもの福祉にかかわった人々が、これ聴いたらどう思うか?

そして、国連子どもの権利条約そのもの読めよ。前文からしっかり読んだら、子どもを社会のなかで個人として尊重するという考え方は、市民革命以来のおとなの人権思想のあゆみのあと、20世紀初頭からのさまざまな子どもの権利宣言のあゆみが生まれるなかで確認されてきたことが、はっきりわかるはずだぞ。

ほんと「無知」にもほどがあるぞ。いいかげんにしろ!

せめてもう一回、うちの大学に入り直して、私の「子ども支援論」か「人権教育論」を全部出席して、単位とり直してから子ども家庭庁構想つくりなおせ!(めちゃくちゃこの政治家だけ単位認定基準厳しくして何回も落としてやる…)

…ああ、また「つまらぬものを斬ってしまった」なあ…。


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「つまらないものを斬る」話(1)―橋下氏VS大石議員のこと―

2022-02-04 20:19:42 | 国際・政治

また「しょ~もない話やな」とか「つまらぬものを斬ってしまった」と思うようなことですが…。「れいわ」の大石議員に橋下氏が告訴状を送っていた件で、朝からいくつかツイッターでつぶやいたことを、こちらにも転載してまとめておきます。まとめるにあたって、若干手直しをしています。下記のうち○1個分が、ツイッターでの1つの私の発言です。

<以下、転載内容>

○朝ドラみたいに時代劇風に言えば、「また今朝もつまらないものを斬った」ですねえ。夜中~今朝にかけて、また維新関係者(橋下氏含む)がしょうもないことしてるようで…。大石議員はじめ、いろんな方々のご迷惑・ご苦労を考えると、やっぱり私も一言「つまらぬものを斬る」発言しないと、と思います。

○もとから彼を「社会的に評価」してこなかった、むしろ「警戒と批判」しかなかったのが私です。それにしても自分が勝てそうで、なおかつ社会的に目立つターゲットで「こいつしばいといたら、他のやつも黙るだろう」と思う相手しか彼は攻撃しませんね。それこそ「裏番長」か「いじめのボス」の理屈かと。

○そういえば…。学校での重大事故・事件遺族が「真相を知りたい」と亡くなった子どもの周囲の子どもや教職員に話を聞いたり、あるいは学校側に質問状出したりすると、「これ以上は迷惑だ」といって学校側の用心棒みたいな弁護士がでてきますねえ。橋下氏の大石議員を訴えてる動きって、あれにそっくり。

○たぶん橋下氏は「企業側の用心棒弁護士」として、いろいろと動いてきた経験があるんでしょうね。行政だけでなく企業も、いろんな方々から訴えられるときに、弁護士を前に出して法的防御をとることありますから。それを「リスク管理」「危機管理」と言う人もいます。

○私から見ると、かつて「大阪府知事」という権力の座にあった弁護士が、自分の法的知識を使って、「元府庁職員」だった国会議員を、十数年前の知事時代の府庁職員からの批判を取り上げて今頃訴訟を起こすのは、現在「私人」の立場を利用し、時間差でやってる「パワハラ」みたいなものですなあ。

○逆にいうと、橋下氏はそれだけ「過去の自分の失敗」や「これまでの自分への批判」を蒸し返されて、公に出されることを恐れているということ。だとしたら、いろんな人が大石議員支援の立場で、過去の彼の発言の問題を事実をふまえて指摘することが大事でしょうね。とにかく「黙らないこと」が大事。

○ほんとうに自分が府知事や市長時代に大阪でやってきたことに自信があるなら、批判に対して堂々としていればいいのにねぇ。こうやって昔のことを持ち出して批判者に反撃するたびに「それだけ過去にやましいことあったのか?」「そこ指摘されるのがそんなに嫌?」って、逆に私などは思ってしまいますわ。

○あと、府知事や市長時代に自分がやった施策等々が批判されて落ちるような「社会的評価」って、そもそも、なんなんですかね? 周囲の人々のお追従、ごますり、あるいは批判者への威嚇でこれまでできあがっていた「社会的評価」ってことを、逆に自分から告白してしまったようなものです。


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