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できることを、できる人が、できるかたちで

京都精華大学教員・住友剛のブログ。
関西圏中心に、教育や子ども・若者に関する情報発信を主に行います。

「ピンチをチャンスに」と言う前に

2009-01-11 12:21:26 | 学問

このところ、私の身近なところのあちこちで「ピンチはチャンス」とか、「ピンチをチャンスに」いう言葉を聴きます。

しかし、他の人はさておき、同じ研究者仲間がこれをいうのであれば、例えば何を根拠にそういうのか、どうして「ピンチはチャンス」といえるのが、私にはよくわかりません。「そんなことを言う前に、やるべきことがあるだろう」と思ってしまうのです。

例えば、もともとこのブログをはじめたのは、2006年8月末に、大阪市の青少年会館条例廃止・市職員引き上げ方針を出してきた、地対財特法期限後の事業等の調査・監理委員会報告に対する違和感、疑問などの指摘と、抗議の意志表示のためでした。

ある意味、長年、青少年会館の利用者であった子どもや保護者、地元住民や民間団体の人たちにとっては、これは大きなピンチだったはずです。また、そこで仕事を続けてきた市職員にとっても、そこでの取り組みを地元の側から支えてきた運動体にとっても、これは大きなピンチだったはずです。何しろ、今まで30年近く、そこに「ある」ことが前提だった施設がなくなるわけですからね。自分たちの日常生活が大きく動揺すること、それをピンチといわずして、何をいうのか、ということです。

ですから、そのピンチを前に、まずは存続を求めて声をあげたり、抗議集会などを行ったりすることは当然のことです。また、それが実際に廃止されたあと、各地区で今までの子どもや保護者、住民などにニーズを満たすべく、地道にサークル活動などを立ち上げてきた人々や民間団体、運動団体があるわけですし、私も仲間の研究者たちとともに、こうしたサークル活動を支援するべく取り組みを続けてきました。その一環として、このブログでの情報発信もあるわけです。

もちろん、私たちの取り組みがすべてうまくいっているとも思いませんし、実際、例えばボランティアが集まらないとか活動資金が足りない等々、いろんな課題にもぶちあたっている面があります。活動を続けている人たちの間での意見の相違とか、方向性のズレとかもあります。

しかし、まさにピンチというような状況のなかで、各地区で地道に活動を続け、成果を残しつつあるグループもでてきています。また、その成果をふまえて、さらなる取り組みへとつなげていこうとしている人々もいます。その人たちやグループはいずれも、地元の子どもたちや保護者たち、住民たちのニーズをしっかりと見つめ、自分たちに何ができるのかを考え、「できる人が、できることを、できるかたちで」動いてきたように思います。また、「今まで青館で培ってきたことを、ここで捨ててはいけない。消してはいけない」という一念で、粘り強く活動を続けてきた人たちだっているわけです。そして、こうした人たちの粘り強い、地道な営みが、各地区での子ども会活動の再建、識字教室等々の活動の継続などへとつながっていったわけです。

だから、私としては、少なくとも研究者が「ピンチをチャンスに」と本気で思うのであれば、「まずは、地元でこうして粘り強く活動を続けている人を支え、励まし、ともに行動すること」が大前提だろう、といいたくなります。そのためには、「まずは、その人たちの活動している現場に出向き、その人たちの声を聴き、何が自分にできるかを考えること」であり、「この現状のなかで、現場から耳の痛いことを聴くことも含め、痛みをまずはわが身が感じること」。それが出発点にあるのではないか、と思います。

また、その現場で粘り強く動いている人たちにとっては、例えば「これだったら、自分らにも何かできるかもしれない」と思うような手がかりを、まずは研究者たちは示していくことが、最大の支援になるのではないかとも思います。ちなみに、その手がかりは、例えば大阪府下や大阪市内以外のところで取り組まれている事例の紹介であってもいいだろうし、国や大阪府・大阪市などの地方自治体の施策の動向であってもいいだろうし、理論的な研究動向をその人たちにわかりやすく伝える取り組みでもいいように思います。あるいは、今の社会情勢がどうなっていて、そのどこに問題があって、研究者としてはその情勢にどう立ち向かおうとしているのか、どこに課題があって、それをどうクリアしようとしているのかという方針をくり返し伝えることだって大事だと思います。

そして、現場レベルで地道に活動している人たちと、理論的な研究をしている人たちとの交流をもっと深めて、そのなかで芽生えてきた共通理解を手がかりに、さらなる取り組みをすすめていくこと。こうした粘り強い、しつこい営みがあって、はじめてピンチをしのぐこともできるだろうし、そこから新しい運動の方向性を切り開くチャンスだってできてくると思うのです。

私にしてみると、少なくとも私ら研究者が「ピンチをチャンスに」と百回くり返し言う時間があれば、理論や歴史の研究、あるいは行政施策の研究などをやってる人たちは、まずは「現状分析や今の社会構造の分析と、今後取り組むべき課題の析出、その課題を乗り越える方策の検討」をしてほしいです。また、実践研究をやっている人たちは、実際の諸活動の現場に乗り込んで、何をどう具体的に変えればいいかを、現場の人たちとともに悩んでほしいって思います。そして今、十分なことができているとはとても思えませんが、私はそのことに取り組もうとしているわけです。

結局のところ、本気で「ピンチをチャンスに」というのであれば、その「ピンチ」を「チャンス」に転換できるくらいの「底力」を持った人たちの育成や、あるいはその「底力」のある人々のネットワークを形成することからはじめなければいけないというのが、今の私の正直な思いです。そして、そこができていないことこそ本当の「ピンチ」なのではないか、だとしたら、真剣に人材育成や学習活動の段階などからはじめなければいけないのではないか、とすら思ってしまうのです。

「私たちのいま、やろうとしている研究は、だれの、どんな暮らしと、どこで、どのようにつながっているのか?」ということの再確認。少なくとも、研究者が本気で「ピンチをチャンスに」というのであれば、まずはここが出発点だろうと思います。

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そのうちに起こる教員の「派遣切り」

2009-01-11 11:40:39 | ニュース

この数日、大阪府下のいくつかの自治体で、塾から講師派遣を受けて補習授業を行うことをはじめたという記事がでています。

これは例の「夜スペ」を大阪府下でもやろうとしていることの現われだという風にも理解できますが、私はもうひとつ、「別の見方も可能かな?」ということを考えています。

それは「コストパフォーマンス面で、安上がりな義務教育の実施」という方向性を、どの部分から大阪府下の学校に導入していくか、ということの現われ、ということです。

でも、今はマスメディアも「安上がりな義務教育の実施」が、どんなデメリットを生み出すのかについては、ぜんぜん注目していません。「これじゃダメだろう」ということで、あえて今日は、以下のことを書き記しておきます。

さて、先日、ある大阪府下の公立小学校教員の方と、じっくりと話をする機会がありました。その方によりますと、最近、学校で例えば病気その他の事情で年度途中に教員が休職に入られても、その代替の方が見つからない傾向にあるとのこと。このために、例えば、さまざまな目的で「加配」という形で配置した教員が担任にまわらざるをえなくなった学校があるとか、年度途中の教員交代が続いて校内運営等にも支障が出てきたり、「もう、だれも倒れられない」というような状況になりつつある学校も出てきた、ということでした。

もしもこの小学校教員の方がおっしゃる話が本当だとすると、今の大阪府下では、義務教育段階の学校現場において、教員の数は「ぜんぜん、たりていない」ということなのです。とすれば、まずもって義務教育段階で本気で「学力向上」とかいうのであれば、大阪府教委としては、この足りない分の教員をきちんと満たしていくこと。また、大阪府知事としては、教員確保に向けての腑教委の取り組みを、全力をもってバックアップしていくこと。このことを、大阪府の教育改革において、最優先にすべきなのです。

ところが、このところ相次いで報道されているのは、塾講師派遣による公立学校での補習授業。もちろん、今ここで、塾と学校との連携がすべてダメだとは、あえて言いません。その補習授業で行われている学習の内容や、そこでの子どもや保護者たちの満足度等々のこともありますので。

ですが、学校における平素の教育活動が、例えば教員数の不足や校内運営の問題等で支障を来たしているのに、そちらにはたいした手当てをせず、それどころか、「成果をあげないと予算を減らすぞ」等々の脅しをかけ、府下市町村教委や府下公立各学校に圧力をかける。その一方で行われているのが、補習授業からはじまった塾と学校との連携です。

こういうことを見ていくと、何か、府知事サイドから出てくる話や、それにのっかかって各市町村レベルですすめられている教育改革は、どこか方向性が本末転倒していると思うのは、私だけでしょうか。「塾との連携をはかる前に、まずは学校できちんとした授業が受けられたり、教員で放課後の補習等ができるように、条件整備をきちんとするべきではないのか?」と思うわけです。一方で学校の条件整備を後回しにしておいて、手っ取り早く、塾との連携で効果を挙げようとする。どこか、本末転倒のように思ってしまうのです。

また、この本末転倒をあえてすすめようとするところから思ったのが、今は「コストパフォーマンス的に安上がりで、効率よく成果があがるなら、それでよい」というのが、今の大阪府下の教育改革の基本方針なのか、ということです。

例えば、塾からの講師派遣を受けて公立学校が補習授業を行うことは、いわば自分らが本来なすべき教育活動の「外注」、「アウトソーシング」というものですからね。だから、新たに公立学校で「学力向上」策実施に向けて教員を雇用するよりも、そのほうが「安上がりだ」という財政的な面からの判断が、どこかにあるのではないかと思ってしまいます。

ちなみに私の予想では、府教委は「こんなこと、やりたくはない」と思っているのだけど、しかし府庁内の財政当局だとか、知事のブレーン筋とか、そのあたりがマスメディアなども使って強い圧力をかけながらすすめているので、逆らえず進んでいるのではないか、と見ています。

でも確かに、放課後の補習授業を含め、これまで学校の教員が行ってきた仕事の一部を、次々にこうやって「外注」、「アウトソーシング」していけば、学校に関連する経費は削減されるかもしれません。なおかつ、それで「学力向上」という目的が「安上がり」にできるのであれば、コストパフォーマンス的には有効だという判断になるのでしょう。

ただ、今の方向性をどんどんおしすすめていけば、そのうちに、教育行政当局は一定の財源と法的権限だけ持っていて、自らの政策目的に沿った教育活動を行ってくれる諸団体に「入札」か何かを行わせて、安くその団体から教育活動を買うような形で施策を実施するという、そんなことへとつながっていくのではないでしょうか。それは補習授業や放課後のクラブ活動からはじまって、そのうちに学校の正規の教育活動にまで展開されるかもしれません。

そして、その諸団体では、人件費コスト削減が「入札」につながるということで、例えばパートタイマーや有期契約等の形で、教育活動に従事する職員を集めるなんてことになるでしょう。

あるいは、どこかの会社が教員の人材派遣業をはじめ、各公立学校や地方自治体教委と契約して、必要なときに必要なだけ、その派遣業者から教員を送り込んでもらう。不要になれば、契約期間終了ということで、非正規雇用の教員を切っていく。いわば、学校教員の「派遣切り」というものも行われるようになるでしょう。

その結果はどうなるか? 例えば、公立学校での不安定な雇用形態を敬遠するため、諸団体での教育活動に従事する職員の意欲や仕事の質が著しく低下したり、頻繁な職員の入れ替わりによって、長期間地道に努力をして向上するような性質の教育活動が行われなくなったりなど、かえって学校教育の成果をさげていくような方向性は生まれてこないのでしょうか?

あるいは3年や5年という比較的短期間での委託を繰り返すことにより、10年や20年といった将来展望に立って学校が何かに取り組んだり、現場レベルで柱になるような教育関係者の人材育成ができなくなったり、さらには、地方自治体レベルでの教育施策そのものも「場当たり」的なものばかりになって、だんだんレベルが低下するということになりはしないのでしょうか。 そして、人権教育や解放教育の営みだって、あるいは「障がい」のある子どもの普通学校・学級での受入だって、「コストパフォーマンスにあわない」とか「担い手がいない」とかいって、このままでいけばまずは縮小、そこから継続打ち切り・廃止ということになっていくことが危惧されます。

それこそ、「地域からの学校改革」とか、「学校・家庭・地域の連携」とかいって進めてきたこの間の府教委の学校改革は、その主たる担い手である学校の教員たちがそのうち、「派遣」や「非正規雇用」の人たちばかりになっていけば、継続できるのでしょうかね?

まぁ、今すすめられている学校ソーシャルワーク(SSW)関連の事業のように、学校・家庭・地域の連携という営みの担い手すら、有期雇用を前提として外部に人材を求めるというような、そんなことになっていくのかもしれませんが。(だから、SSWの関係者にあえていいたい。本当に子どもの人権保障の観点にたって学校・家庭・地域の連携をすすめたり、生活困難な層の子どもたちの支援をやろうと思うのなら、きちんとした制度的基盤の整備に向けて、行政・議会・マスコミ等々にむかって、「最低限のやるべきことはやれ!」と、怒りとともにものを言わねばならないのだ、と。)

もちろん、安上がりな義務教育をめざして今、行われているような取り組みは、一時的には効果をあげるかもしれません。特に、学校教育にかかる経費削減には、一時的にはつながるかもしれません。しかし、長い目で見たときには、こうした施策は学校教育のレベルを大幅に低下させる危惧があります。

そのことに対して、研究者や現場教員、市民団体のメンバー等々といった立場のちがいにかかわらず、大阪の人権教育関係者が今、どれだけ「おかしい」といえるのか。私も含め、今後そこが問われていることを自覚して、日々、いろんなことに取り組んでいきたいと思います。

なお、すでに大学・短大などの高等教育の分野では、大量の非常勤講師や有期契約の講師採用が行われています。また、大学等の教職員の非正規雇用のあり方をめぐって、雇用者側と労働者側の紛争が各地で起きていること(しかも、それが大手有名私立大学で起きていたりする)、非正規雇用の教職員の諸権利を守るための運動もはじまっていることも、あえて記しておきます。

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