できることを、できる人が、できるかたちで

京都精華大学教員・住友剛のブログ。
関西圏中心に、教育や子ども・若者に関する情報発信を主に行います。

年の初めに

2009-01-04 19:46:03 | ニュース

年の初めに、ひとこと、このブログを通して、どうしても言っておきたいことがある。

現行の小学校学習指導要領には、5・6年生で学ぶべき内容として、次のような項目がある。今の子どもたちには、小学校でこうしたことを、「道徳」教育のなかで学ぶことが求められている。

「生命がかけがえのないものであることを知り、自他の生命を尊重する。」

「公徳心をもって法やきまりを守り、自他の権利を大切にし進んで義務を果たす。」

だが、私はそっくりそのまま、日本政府の閣僚・官僚や国会議員、地方自治体の首長や行政職員、地方議会の議員、そして、そのブレーンとして活動している研究者その他「学識経験者」と呼ばれる人たち、日本経済を引っ張るような大きな企業の経営者などに、つきかえしておきたいと思う。

例えば、この年末年始、テレビのニュースなどで「派遣村」の話がくり返し、報じられていたかと思う。あわてて厚生労働省が庁舎内の講堂か何かを解放して、「派遣村」の人々の寝る場所を確保したとか、そんなニュースも聞く。

冷え込むおおみそかや正月の空の下、非正規雇用の契約期間の打ち切り等、さまざまな事情により住む場所や生計を立てる道を失い、まさに「路頭に迷う」状態に陥った人々の姿を「派遣村」関連のニュースで見て、本当に心の痛む思いである。

また、急激な経済情勢の悪化によって生活困難な状態に陥る人々の数は増えているだろうし、その傾向は特に、いわゆる「マイノリティ」において強まっているのではないかと危惧している。

こういう社会的状況や、生活困難な状態に陥った人々への対応を政府や地方自治体が後回しにしておいて、他方で「生命がかけがえのないもの」とか、「自他の生命を尊重する」とか教育行政当局が訴えたところで、はたして、だれがその人たちの言うことを信用するのだろうか。

「子どもたちに道徳教育で、こんなことを語る前に、まずは政府や地方自治体、教育行政当局が、目の前にいる生活困難な状態にある人々に対して、現在、とりうる限りの術を使って、生活支援に乗り出せ」と言いたい。

それこそがまさに「生命がかけがえのないもの」であること、「自他の生命を尊重する」こと、そして、行政当局として「法やきまりを守り、自他の権利を大切にし、進んで義務を果たす」ということではないのか。

それから、「コスト・パフォーマンス」という観点から、企業が景気情勢にあわせて都合よく人を雇い、都合よく人を切るという、そういうしくみを導入することを積極的に行ってきた人々。

また、そのしくみを導入すれば地方自治体の財政状況が回復するといって、自治体行政にも非正規雇用を増やそうとしている人々。

そして、高齢者や障がいのある人々などへの国や地方自治体の支援施策を「コストがかかってしょうがない」といって、財政再建のためならやむなしといってばっさり打ち切るような、そんな施策導入を積極的に主張してきた人々。

こういった人々にも、「生命がかけがえのないものであることを知り、自他の生命を尊重する」ということや、「公徳心を持って」や「自他の権利を大切にし」という部分をどう考えるのか。そこを問いたいと思う。

例えば、体や心に何か悩みのある人たち、年老いた人たち、働きたいけど働けない事情にある人たち、言葉や生活習慣のちがいなど、日本社会になじめない何か事情のある人たち・・・・、などなど。

こういう人たちへの国や地方自治体の支援施策を、例えば「費用対効果」という次元だけで考えて、今後の方針を決めていいのか。

それは結局、「支援施策の充実ばかりを求めるような、手間とコストのかかる人たちは、国や地方自治体の施策のじゃまにならないように生きろ」と言っているのに等しいのではないのか。そういう見方は、「生命がかけがえのないものであることを知り、自他の生命を尊重する」や「自他の権利を尊重する」という観点から見て、どうなのか。

あるいは、この社会の多くの人々が雇用によって賃金を得て、それによって生計を立てている。その社会において、例えば3ヶ月や6ヶ月、1年といった形で企業側が期間を区切って人を雇い、期間が終了すれば雇用を打ち切りにできるシステムというのは、たしかに現行の労働法上、許されるのかもしれない。実際、さまざまな政治的な動きのなかで、そのほうに法を変え、今の経済が回っているという部分もあるのだろう。

しかし、その有期雇用を前提とするシステムのなかで、雇用の継続次第で生活を脅かされる人たちがいる。こういう人たちを生み出してしまうシステムというのは、合法的であってもやはり、「生命がかけがえのないものであることを知り、自他の生命を尊重する」という観点から見れば、道義的には問題がいろいろあるのではないか。それこそ、「公徳心」や「自他の権利を尊重する」という観点から見たら、このシステムはほんとうにいいものなのかどうか。

要するに、小学生たちに語る「道徳」の中身と同じもので、政府や地方自治体の行政当局や国会・議会、経済運営の中枢にいるおとなたちが、わが身を一度、点検してみよ、といいたいのである。

また、今まですすめられてきた数々の行政改革経済政策の内実を、今、あらためてきちんと、例えば「自他の生命・権利の尊重」というような観点から批判的に問い直し、その行き過ぎにブレーキをかけ、異なるものへと置き換えるべき時期がきているように思う。つまり、「オルタナティブな道を探る」という作業が必要なのである。

そして、自戒をこめて言うが、今まですすめられてきた数々の行政改革や経済政策の内実を問い直す作業や、別の観点からその行き過ぎにブレーキをかけ、オルタナティブな道をつくる作業のためには、今まで私たちが行ってきた学術的な研究や実践的な活動(社会運動)の内実の問い直しも必要不可欠であろう。もちろん、そのなかには人権教育や子どもの人権に関する研究や実践的活動、さまざまな社会運動も含まれるし、これらのとりくみは例外ではない。

なぜなら、先に「今まですすめられてきた」と書いたように、この悲惨な事態に至る流れを食い止めたり、別の方向へと転換する力をもてなかったわけだから。やはり、自分たちのダメな部分、判断や理解を誤った部分などを見つけ出し、そこを是正していく作業とともに、前述のようなオルタナティブな道を探る作業を行わなければいけない。そのことを、あらためて自戒とともに述べておきたい。

年の初めに語っておきたかったことは、以上である。

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