この数日、大阪府下のいくつかの自治体で、塾から講師派遣を受けて補習授業を行うことをはじめたという記事がでています。
これは例の「夜スペ」を大阪府下でもやろうとしていることの現われだという風にも理解できますが、私はもうひとつ、「別の見方も可能かな?」ということを考えています。
それは「コストパフォーマンス面で、安上がりな義務教育の実施」という方向性を、どの部分から大阪府下の学校に導入していくか、ということの現われ、ということです。
でも、今はマスメディアも「安上がりな義務教育の実施」が、どんなデメリットを生み出すのかについては、ぜんぜん注目していません。「これじゃダメだろう」ということで、あえて今日は、以下のことを書き記しておきます。
さて、先日、ある大阪府下の公立小学校教員の方と、じっくりと話をする機会がありました。その方によりますと、最近、学校で例えば病気その他の事情で年度途中に教員が休職に入られても、その代替の方が見つからない傾向にあるとのこと。このために、例えば、さまざまな目的で「加配」という形で配置した教員が担任にまわらざるをえなくなった学校があるとか、年度途中の教員交代が続いて校内運営等にも支障が出てきたり、「もう、だれも倒れられない」というような状況になりつつある学校も出てきた、ということでした。
もしもこの小学校教員の方がおっしゃる話が本当だとすると、今の大阪府下では、義務教育段階の学校現場において、教員の数は「ぜんぜん、たりていない」ということなのです。とすれば、まずもって義務教育段階で本気で「学力向上」とかいうのであれば、大阪府教委としては、この足りない分の教員をきちんと満たしていくこと。また、大阪府知事としては、教員確保に向けての腑教委の取り組みを、全力をもってバックアップしていくこと。このことを、大阪府の教育改革において、最優先にすべきなのです。
ところが、このところ相次いで報道されているのは、塾講師派遣による公立学校での補習授業。もちろん、今ここで、塾と学校との連携がすべてダメだとは、あえて言いません。その補習授業で行われている学習の内容や、そこでの子どもや保護者たちの満足度等々のこともありますので。
ですが、学校における平素の教育活動が、例えば教員数の不足や校内運営の問題等で支障を来たしているのに、そちらにはたいした手当てをせず、それどころか、「成果をあげないと予算を減らすぞ」等々の脅しをかけ、府下市町村教委や府下公立各学校に圧力をかける。その一方で行われているのが、補習授業からはじまった塾と学校との連携です。
こういうことを見ていくと、何か、府知事サイドから出てくる話や、それにのっかかって各市町村レベルですすめられている教育改革は、どこか方向性が本末転倒していると思うのは、私だけでしょうか。「塾との連携をはかる前に、まずは学校できちんとした授業が受けられたり、教員で放課後の補習等ができるように、条件整備をきちんとするべきではないのか?」と思うわけです。一方で学校の条件整備を後回しにしておいて、手っ取り早く、塾との連携で効果を挙げようとする。どこか、本末転倒のように思ってしまうのです。
また、この本末転倒をあえてすすめようとするところから思ったのが、今は「コストパフォーマンス的に安上がりで、効率よく成果があがるなら、それでよい」というのが、今の大阪府下の教育改革の基本方針なのか、ということです。
例えば、塾からの講師派遣を受けて公立学校が補習授業を行うことは、いわば自分らが本来なすべき教育活動の「外注」、「アウトソーシング」というものですからね。だから、新たに公立学校で「学力向上」策実施に向けて教員を雇用するよりも、そのほうが「安上がりだ」という財政的な面からの判断が、どこかにあるのではないかと思ってしまいます。
ちなみに私の予想では、府教委は「こんなこと、やりたくはない」と思っているのだけど、しかし府庁内の財政当局だとか、知事のブレーン筋とか、そのあたりがマスメディアなども使って強い圧力をかけながらすすめているので、逆らえず進んでいるのではないか、と見ています。
でも確かに、放課後の補習授業を含め、これまで学校の教員が行ってきた仕事の一部を、次々にこうやって「外注」、「アウトソーシング」していけば、学校に関連する経費は削減されるかもしれません。なおかつ、それで「学力向上」という目的が「安上がり」にできるのであれば、コストパフォーマンス的には有効だという判断になるのでしょう。
ただ、今の方向性をどんどんおしすすめていけば、そのうちに、教育行政当局は一定の財源と法的権限だけ持っていて、自らの政策目的に沿った教育活動を行ってくれる諸団体に「入札」か何かを行わせて、安くその団体から教育活動を買うような形で施策を実施するという、そんなことへとつながっていくのではないでしょうか。それは補習授業や放課後のクラブ活動からはじまって、そのうちに学校の正規の教育活動にまで展開されるかもしれません。
そして、その諸団体では、人件費コスト削減が「入札」につながるということで、例えばパートタイマーや有期契約等の形で、教育活動に従事する職員を集めるなんてことになるでしょう。
あるいは、どこかの会社が教員の人材派遣業をはじめ、各公立学校や地方自治体教委と契約して、必要なときに必要なだけ、その派遣業者から教員を送り込んでもらう。不要になれば、契約期間終了ということで、非正規雇用の教員を切っていく。いわば、学校教員の「派遣切り」というものも行われるようになるでしょう。
その結果はどうなるか? 例えば、公立学校での不安定な雇用形態を敬遠するため、諸団体での教育活動に従事する職員の意欲や仕事の質が著しく低下したり、頻繁な職員の入れ替わりによって、長期間地道に努力をして向上するような性質の教育活動が行われなくなったりなど、かえって学校教育の成果をさげていくような方向性は生まれてこないのでしょうか?
あるいは3年や5年という比較的短期間での委託を繰り返すことにより、10年や20年といった将来展望に立って学校が何かに取り組んだり、現場レベルで柱になるような教育関係者の人材育成ができなくなったり、さらには、地方自治体レベルでの教育施策そのものも「場当たり」的なものばかりになって、だんだんレベルが低下するということになりはしないのでしょうか。 そして、人権教育や解放教育の営みだって、あるいは「障がい」のある子どもの普通学校・学級での受入だって、「コストパフォーマンスにあわない」とか「担い手がいない」とかいって、このままでいけばまずは縮小、そこから継続打ち切り・廃止ということになっていくことが危惧されます。
それこそ、「地域からの学校改革」とか、「学校・家庭・地域の連携」とかいって進めてきたこの間の府教委の学校改革は、その主たる担い手である学校の教員たちがそのうち、「派遣」や「非正規雇用」の人たちばかりになっていけば、継続できるのでしょうかね?
まぁ、今すすめられている学校ソーシャルワーク(SSW)関連の事業のように、学校・家庭・地域の連携という営みの担い手すら、有期雇用を前提として外部に人材を求めるというような、そんなことになっていくのかもしれませんが。(だから、SSWの関係者にあえていいたい。本当に子どもの人権保障の観点にたって学校・家庭・地域の連携をすすめたり、生活困難な層の子どもたちの支援をやろうと思うのなら、きちんとした制度的基盤の整備に向けて、行政・議会・マスコミ等々にむかって、「最低限のやるべきことはやれ!」と、怒りとともにものを言わねばならないのだ、と。)
もちろん、安上がりな義務教育をめざして今、行われているような取り組みは、一時的には効果をあげるかもしれません。特に、学校教育にかかる経費削減には、一時的にはつながるかもしれません。しかし、長い目で見たときには、こうした施策は学校教育のレベルを大幅に低下させる危惧があります。
そのことに対して、研究者や現場教員、市民団体のメンバー等々といった立場のちがいにかかわらず、大阪の人権教育関係者が今、どれだけ「おかしい」といえるのか。私も含め、今後そこが問われていることを自覚して、日々、いろんなことに取り組んでいきたいと思います。
なお、すでに大学・短大などの高等教育の分野では、大量の非常勤講師や有期契約の講師採用が行われています。また、大学等の教職員の非正規雇用のあり方をめぐって、雇用者側と労働者側の紛争が各地で起きていること(しかも、それが大手有名私立大学で起きていたりする)、非正規雇用の教職員の諸権利を守るための運動もはじまっていることも、あえて記しておきます。
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