できることを、できる人が、できるかたちで

京都精華大学教員・住友剛のブログ。
関西圏中心に、教育や子ども・若者に関する情報発信を主に行います。

条例「廃止」の日

2007-03-31 21:32:43 | 新たな検討課題

今日は2007年3月31日(土)。いうまでもなく、大阪市の市立青少年会館条例「廃止」の日です。

きっとこの数日、大阪市内12ヶ所の青少年会館では、条例「廃止」及び市職員引き上げを前に、数々のイベントが行われたことと思います。私もそのなかのひとつ、日之出青少年会館に、今日の午後、うちの2歳3ヶ月になる娘を連れて行きました。(これは我が家で娘の面倒を見る人がいなかったのが理由です。また、日之出青少年会館に寄る前に、新大阪駅で「ひかりレールスター」を見せています)

日之出青少年会館では今日、放課後の小学生たちの活動である「こばと会」の終了式と解散式をしていました。ちょうど娘を連れて、その式がはじまった頃に私は行くことができました。手作りおやつを食べながら、子どもたちの歌やペープサート、読み聞かせサークルの方による大型絵本の読み聞かせ、館長さんのあいさつなどがありました。また、「こばと会」の子どもたちだけでなく、その保護者や兄弟姉妹たち、会館職員、ボランティアのみなさんも、その場に集まっていました。そして、この日は「こばと会」だけでなく、識字活動の方も何か集まりをもっておられたようです。

ひとりっ子であまり人づきあいになれていないせいか、今は人前にでると緊張するうちの娘ですが、この「こばと会」の式に出たときは、ちょっといつもと雰囲気がちがっていました。最初こそなれないので緊張していましたが、おやつを食べ、子どもたちの出し物や絵本の読み聞かせなどを見ているうちに、徐々にそれがほぐれていったようです。小学校3年生の子たちが歌をうたっていたときなどは、娘はその歌にあわせて踊ってました。そして、館長さんのあいさつの頃には、スヤスヤ、気持ちよく眠り始めました(笑)

いろんなまちがいや、試行錯誤もあったかもしれませんが、少なくとも青少年会館条例があす以降も存続していたのであれば、私はきっと娘が小学生くらいになった頃、この「こばと会」の子どもたちのなかに混ぜてみたい、って思ったでしょう。また、もしも今後、活動形態を変えて何らかの形で会が続くのであれば、いつかきっと、娘を連れていきたいです。

そんな娘の様子を見て、たった2時間弱ほど「こばと会」の雰囲気に触れるだけで、あの娘がこんなに気持ちよく、スヤスヤ眠れるのは、「よっぽどこの青少年会館、そして「こばと会」が、子どもにとって安心できる雰囲気を持った場所だったのだ」ということではないかと思いました。そして、あらためて、この「ほんとうに安心できる雰囲気を持った場所」を、大阪市内の子どもや若者、その保護者、地元住民、ボランティアの方などとともに、どうやって今後も創り上げていくのか。そこを引き続き、考えていきたいと思いました。ですから、条例がたとえ「廃止」されたとしても、日之出をはじめ、各青少年会館のあと施設等を利用して活動をしている人々とは、前から書いているように、何らかの形でつながりを持ち続けたいな、と思っています。

条例「廃止」を迎えるその日を、娘といっしょに、この日之出青少年会館で、子どもや保護者、会館職員のみなさんと過ごせたことを、私はこれから先も忘れません。「誇り」にすらしたいと思います。

そして、これまで青少年会館各館で働いてこられたみなさん、市教委や教育振興公社で青少年会館事業にかかわってこられたみなさん、今日までほんとうにお疲れさまでした。


「外部委員」の責任

2007-03-31 07:04:58 | 国際・政治

毎日新聞のネット配信記事 

http://www.mainichi-msn.co.jp/chihou/osaka/news/20070329ddlk27010542000c.html

この記事をどう読むか、いろんな立場がありうるとは思うのですが、私は個人的に「あ、改革本部の機能を少し整理したな」という感想を持ちました。というのも、市政改革本部とは別に、大阪市の場合、やはり外部委員から構成される「市政改革推進会議」というものがあって、その市政改革推進会議の委員長は、市政改革本部員でもあったからです。

もともと、大阪市の場合、市政改革本部は市長以下の幹部級職員と、その幹部級職員にアドバイスをする外部委員から構成されていました。そこから考えると、今までは外部からの委員が、いいかたはよくないかもしれませんが、「内まで入り込んで口をだす」という形で市政改革をすすめてきたのですが、今後は「内まで入り込んで口を出す」のを控え、外部からの大阪市政改革のチェックを、市政改革推進会議においてやっていこう、ということのように思います。

これは、みようによっては、「市政改革本部員たちを逃がした」あるいは「市政改革本部員の側が逃げた」という見方もできます。なにしろ、これから市会議員選挙、さらには市長選挙と続くようですし、市長交代や市議の会派がどうなっていくかによっては、今までと同じ市政改革ができるかどうかわかりません。さらに、いろんな場面で、この市政改革の進め方や実際にすすんでいる改革の内容に対して、批判・非難も出てきています。だから、年度末のこの時期をつかって、本部員の側が「逃げた」、もしくは「本部員を市長側が逃がした」という見方もできます。

しかし、今まで大阪市側から出してきた市政改革の諸提案は、それこそ「内まで入り込んで口を出してきた」外部委員のアドバイスがひとつの裏づけとなって出てきたもののはず。これからいよいよ、市政改革の流れが本格化していくのであれば、この「内まで入り込んで口を出してきた」外部委員たちのアイデア、アドバイスの中身が、はたしてほんとうに大阪市民にとって有益なものだったのかどうか、現実としてあらわれてくるはずです。もちろん、こういう外部委員のアドバイス・アイデアを聞いてきた市長側の責任というものが問われるのですが、しかし、今後の市政改革の流れのなかで、大阪市民にとってかなりつらい状況が生まれてくれば、それはアドバイス・アイデアを出した人の責任も問われてしかるべきであろう、という風に私は考えます。

というのも、私も主に社会教育・生涯学習関係、特に青少年会館の改革関係で、大阪市の行政とはいろんなつきあいをもってきました。「ほっとスペース事業」などのように、外部委員として事業運営に深くかかわることもしてきました。それこそ、私もまた「内まで入り込んで口を出してきた」外部委員のひとり、でもあります。でも私の場合、この前も書いたように、たとえ青少年会館条例が「廃止」になったからといって、自分がかかわってきた事業の「その後」がどうなるか、たいへん気がかりです。また、条例「廃止」後の各館にあつまってきた子どもたちとその保護者、地区住民のみなさんの「その後」も気がかりですし、そこで働いていた職員のみなさんの行き先や今後の働き方、NPOのみなさんの活動のあり方も、とても気になります。

もちろん、事業や条例の切れ目が縁の切れ目と考え、ここで去っていくこともできます。また、要請もされていないのに、外からあまりあれこれ顔を出したり、口を挟んだりするのは控えるべきだ、という考えもあるでしょう。でも、たとえ事業や条例がなくなったとしても、そこで本気になって子どもや保護者、地区住民のこと、NPO関係者や市職員のことを思うと、一個人として、今後も気になることは多多あるし、お手伝いできることは一個人としてやりたいな、と思うわけです。そのくらい、外部委員のひとりとして自分がかかわってきた仕事を大事に思っているし、そこでであったさまざまな人々とのつながりを大事にしたい、という風に思うのです。たとえ条例が「廃止」されようが、事業が「解体・再編」されようが、この間、青少年会館を通じていろんな人たちと積み上げてきたつながりを、私は失いたくないって思うのです。

そこから思うと、市政改革本部の外部委員たちは、本気で市政改革にとりくむ市職員その他の関係者と信頼関係を培い、そこで何かを得たのでしょうか。また、自分たちのかかわった改革の行く末を見届けようと思ったり、あるいは、そこでかかわった人々の暮らし、さらには、大阪市民の暮らしが今後どうなっていくのか、見守っていこうという気持ちはないのでしょうか。立場こそちがえど大阪市の行政に外部からかかわったものの一人として、私は逆に、この市政改革本部に外部委員として入った人々の今後を見守ろうと思います。