アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

小中学生向け「防衛白書」が意味するもの

2021年08月17日 | 憲法と日米安保・自衛隊

    

 政府・防衛省は16日、「防衛白書」を小中学生向けに「分かりやすくまとめた」(岸信夫防衛相)「はじめての防衛白書」なるもののHP掲載を開始しました(写真左、中)。「国防」に小中学生を取り込む策動を強めるもので、けっして軽視できません。

 掲載開始が、「日の丸・君が代」「自衛隊」でナショナリズムが鼓舞された東京五輪の直後、天皇裕仁の「玉音放送」に由来する「終戦記念日」の翌日というのは、けっして偶然ではないでしょう。

 「はじめての防衛白書」は、①国の防衛はなぜ必要か、から始まって、⑩自由で開かれたインド太平洋、まで全10章30ページ。イラスト、図表をふんだんに使っています。「中国」「北朝鮮」の「脅威」を前面に出し、自衛隊を「合憲」と強弁し、膨張し続ける軍事費を「必要なお金」と言い繕い、「日米同盟」=軍事同盟を「世界の平和を守るため」と美化するなど、歴代自民党政権の安保・自衛隊政策の要点を解説。新味は、現在の日米安保の重点である「インド太平洋」戦略が強調されていることです。

 「自衛隊合憲」「専守防衛」「非核三原則」など事実を偽る一方、騒音・犯罪・環境破壊などの基地問題や辺野古はじめ基地反対の市民運動には一切触れず、戦争法(安保法制)による憲法違反の「集団的自衛権」行使にも口をつぐむなど、まさに偏向教材そのものです。

 とりわけ、歴史認識に立って友好関係を築いていかねばならない中国や朝鮮民主主義人民共和国に対し、逆に敵愾心を煽って軍事的対峙の必要性を強調していることは、小中学生に計り知れない害悪をもたらします。

 これを作成した目的について、岸防衛相はこう公言しています。

「「はじめての防衛白書」では、令和3年版の防衛白書の内容のうち、我が国周辺の安全保障環境や防衛省・自衛隊の取り組みなどについて、若年層向けにできる限り分かりやすくまとめたものとなっております。

 特に、以前作成しましたトピック別の「まんがで読む防衛白書」とは違い、ターゲットを絞ったわが国の防衛政策について幅広く学べるコンテンツを、初めての試みとして新たに作成をいたしました。

 国の防衛には、わが国の将来を担う若年層を含む国民の皆様の御理解と御支援が不可欠です」(10日の記者会見。防衛省HPより)

 政府は「オリンピック教育」で「日の丸・君が代」の誤った歴史を教え、開会式や「聖火リレー」などで「日の丸・君が代」「自衛隊」との親和性を図りました(3日のブログ参照)。

 天皇制帝国日本の侵略戦争・植民地支配責任(加害責任)を隠ぺいする15日の政府主催「戦没者追悼式」にも、中高生が動員されました(写真右)。

 その直後の「はじめての防衛白書」です。

 少子化の中、さらに日米軍事同盟の世界的深化がすすむ中、「若年層」をターゲットにした政府・防衛省の策動が強まっています。これまでも、文科省と一体となって、「自衛隊基地見学」や「防災教育」と称して自衛官を学校に呼ぶなど、小中学生と自衛隊との接触を政策的に行ってきました。「はじめての防衛白書」はその危険な動きを加速させるものです。


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「河村金メダルかじり問題」の核心はセクハラ黙認

2021年08月16日 | ジェンダー・性暴力と日本社会

    

 河村たかし名古屋市長が後藤希友選手の金メダルを噛んだ問題(4日)で、NHKなどメディアは、JOC がメダルを交換するとか、その費用をだれが負担するかなどを報じていますが、的外れも甚だしいと言わねばなりません。
 この問題の核心は、河村氏によるセクハラ・パワハラであり、それを正面から追及せず黙認した日本のメディア・社会の欠陥です。

 問題の直後、クリエーティブディレクターの辻愛沙子さん(25)は、こう指摘しました。

日本のパワハラとセクハラの問題が凝縮されたような話です。もし、表敬訪問したのが、身長2メートルのごつい男性選手なら同じことをしたでしょうか? もっと年上のベテラン選手だったら?…そもそも若い女性選手に対する「なあ」という呼びかけも含め、相手へのリスペクトがないように思いました」(11日付朝日新聞デジタル)

 朝日新聞は当日の河村氏の発言をテープ起こしで報じました(10日付朝日新聞デジタル)。その中から抜粋します。

「でかいな、やっぱり」(開口一番)
「どえりゃあ、かわええお嬢さんだから、びっくりしました」
「女のソフトボールやっとるやつは、中学生か何かでもみんな何となく色が黒くて、結構ポニーテールが多いでしょう、意外と」
「ポニーテールの女のソフトボールやっとる連中、かっこええんですよ、本当に。なかなか元気そうで、未来がありそうで、感じがいいじゃないですか。ぜひ立派になっていただいて、ええ旦那をもらって。まあ、旦那はええか。恋愛禁止かね?」
「感じがええ…テレビのたくましい雰囲気と、えりゃあキュートな雰囲気いうか…」
「元気な女の子は最高だわ」

 まさに、セクハラ・パワハラ満載です。こうした相次ぐ発言について、河村氏は12日の記者会見で「セクハラではないか」と聞かれ、こう答えています。「若い子に彼女おるかね彼氏おるかねと聞くと、リラックスして口数が増える。相手を和ますのも市長として重要」(13日付中国新報=共同、写真右)。なんの自覚も反省もありません。

 これが河村氏だけの問題なら、まともに取り上げる気にもなりませんが、問題はそうではないことです。先の辻さんは、こう続けています。

周囲が誰も止めなかったことにも違和感があります。同じような出来事が日本社会のあちこちで起きているような気がして、しんどくなりました」(同上)

 ここに今回の問題の核心があると思います。

 4日の現場には、名古屋市の職員、後藤選手のコーチや所属するトヨタ自動車の関係者など多くの人々がいましたが、誰ひとり、河村氏のセクハラ・パワハラを指摘し、止めさせたり抗議する者はいませんでした(「アクティブ・バイスタンダー」の不在―8月8日のブログ参照)。

 また、取材していた各メディアも、金メダルを噛んだことは問題にしても、セクハラ・パワハラ発言を最初から問題にして追及する記者・メディアは皆無でした。その後もメディアは、「金メダル」問題は取り上げますが、これをセクハラ・パワハラ問題として正面から追及しているメディアは見られません。

 これが日本のメディア、社会の現実です。河村氏の愚行は氷山の一角であり、水面下の巨大なセクハラ・パワハラ、それを黙認する「日本社会」こそ問題にしなければなりません。


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日曜日記161・「九州大生体解剖事件」のドラマ化で「戦犯裁判」を考える

2021年08月15日 | 日記・エッセイ・コラム

 1945年5~6月、九州帝国大学(現九州大)で米軍の捕虜8人を生きたまま解剖する人体実験が行われた(いわゆる「九州大生体解剖事件」)。それをドラマ化した「しかたなかったと言うてはいかんのです」が13日夜放送された。

 原作は熊野以素『九州大生体解剖事件・七〇年目の真実』(岩波書店2015)。主演は妻夫木聡、蒼井優。生体解剖に立ち会った(立ち会わされた)鳥巣太郎助教授が主人公のモデルだ。

 軍隊と主任大学教授という絶対的権力の下で、抵抗できずに手術に立ち合い、敗戦後、戦犯として死刑判決を受けた(のち、朝鮮戦争勃発によるGHQの思惑で減刑)。
 「戦争だから仕方がなかった(のでは?)」という言葉に対し、主人公が苦悶の末発した言葉がタイトルになっている。

 これ自体、たいへん重要な問題提起だが、ここではドラマを見ながら考えたそれ以外の2つのことを書く。

 1つは、「司令官の責任」だ。

 劇中、捕虜を殺害した部隊の司令官(中将)が、「部下の罪は私の罪。何もしなかった(止めなかった)罪もある」といって自ら罪を認め、処刑される場面がある。このセリフを聞いてすぐ脳裏に浮かんだのは、天皇裕仁のことだ。

 当時の国家元首であり大元帥だった天皇裕仁こそ、侵略戦争の総司令官だった。その裕仁の戦争責任は、極東国際軍事裁判(東京裁判)ではまったく取り上げられず、今日に至るも不問・隠ぺいされている。これが東京裁判の最大の欠陥(特徴)だ。
 劇中の司令官が美化されているのとは裏腹に、戦犯裁判の歴史からは、裕仁が免罪された事実こそ想起しなければならない。

 もう1つは、旧植民地の人々の「戦犯」問題だ。

 ドラマは鳥巣(劇では鳥居)助教授の戦犯裁判がいかに理不尽かがテーマだったが、戦犯裁判の理不尽さを言うなら、日本が植民地支配していた朝鮮半島、台湾の人々が、それゆえに「日本兵」とされ、捕虜監視などの任務につかされ、それをもって戦犯として処刑された事実ほど理不尽なことはない。

 戦犯裁判では、「朝鮮人148人、台湾人173人が、戦犯となっている。全有罪者4403人(死刑・無期・有期)に占める朝鮮人・台湾人戦犯は、7・3%にものぼる」(内海愛子著『朝鮮人BC級戦犯の記録』岩波現代文庫2015年)

 朝鮮人戦犯148人のうち、軍人は2人(死刑と有期刑)、通訳として徴用されたのが16人(死刑8人、有期刑8人)、129人は捕虜収容所の監視員として集められた軍属だった。
 捕虜監視員として集められた朝鮮人青年は3224人にのぼり、そのうち3016人が南方へ送られ、うち129人が戦犯となった(内海氏前掲書)。この「朝鮮人監視員の高い戦犯率」自体に、朝鮮人に対する差別がくっきりと表れている。

 天皇裕仁の戦争責任が棚上げされ、日本の植民地支配が全く裁かれず、逆に旧植民地の人々(朝鮮・台湾)が「戦犯」とされことは、「戦犯裁判」の最大の問題点である。それはいずれも、今日の日本の政治・社会を規定している根本問題に通じている。


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「8・14」で日本人が忘れてならない2つのこと

2021年08月14日 | 日本軍「慰安婦」・性奴隷・性暴力問題

    

 8月には「記念日」がいくつかあります。「8・6」「8・9」「8・15」。しかし、これらと同じように、いいえこれら以上に、日本人にとって重要な「記念日」があります。それは「8・14」です。その意味は2つあります。

①「敗戦記念日」

  「敗戦(終戦)記念日」といえば「8・15」と思っている(思わされている)日本人が多いですが、それは危険な誤りです。「8・15」は天皇裕仁が「終戦詔書」を読み上げた日にすぎません(「玉音放送」)。それを「終戦の日」とするのは、「国体」(天皇制)温存と裕仁の戦争責任の隠ぺいという国家権力の2つの思惑のためです(2020年8月15日のブログ参照https://blog.goo.ne.jp/satoru-kihara/d/20200815)

 日本がポツダム宣言を受諾し世界に通知したのは1945年8月14日です。「8・14」こそ、日本帝国主義の侵略戦争・植民地支配が破綻した日として記憶すべき日です。

②「日本軍「慰安婦」告発の日」

 「挺身隊慰安婦として苦痛を受けた私が、こうしてぴんぴん生きている」

 日本軍「慰安婦」(戦時性奴隷)の被害者・金学順(キム・ハクスン)さんがソウルで記者会見し、初めて実名で名乗り出て日本政府を告発した日、それが30年前、1991年8月14日です(写真左、中)。

 ハクスンさんの勇気ある告発を契機に、韓国、中国、フィリピン、台湾、東チモール、マレーシア、インドネシア、オランダ、そして日本から性奴隷の被害者が相次いで名乗り出ました。

 ハクスンさんの告発は、日本軍「慰安婦」の事実を白日の下にするとともに、世界中の戦時性暴力とのたたかいの発端になった、まさに歴史的な出来事でした。「8・14」はその重要な記念日です(写真右はソウルの「平和の少女像」前で開かれた先週の水曜デモ=ハンギョレ新聞より)。

 ハクスンさんは名乗り出たいきさつをこう話しています。

「1990年ごろ、日本政府が「慰安婦」を連れ歩いたのは民間業者だと言っているというニュースを聞いて、私がここに生きているのに、なんでこんなことを言うのか、日本の政府はウソを言っていると思いました。私はそれを許すことができませんでした。私はとにかく日本政府に事実を認めさせなければいけないと思いました。

 私はこの時、朝鮮を植民地として支配をし、日本が起こした戦争に朝鮮人を引っ張っていき、巻き込んでおきながら、その責任をとらないということは、私は許されないと思いました」(日本軍「慰安婦」問題解決全国行動のチラシより)

 ハクスンさんの告発のきっかけは、「日本政府のウソ」だったのです。

 ハクスンさんはその年の12月、日本政府を相手に裁判を起こします。その時の記者会見ではこう述べています。

一生、涙のなかで生きてきました。こんなことを金で補償できるでしょうか。私を17歳のときに戻してください」(『「慰安婦」問題と未来の責任』大月書店2017年より)

 日本軍「慰安婦」問題の核心が、被害者の尊厳回復であることを、この言葉が端的に示しているのではないでしょうか。

 それから30年。日本社会はハクスンさんの告発を正面から受け止めてきたでしょうか。

 「日本政府のウソ」は改まるどころか、安倍晋三政権以降エスカレートする一方です。日本人はどれだけこの問題を自分のことと受け止め、政府の過ちを批判してきたでしょうか。

 「敗戦の日」と「日本軍「慰安婦」告発の日」。これが同じ「8・14」なのはたんなる偶然ではない気がします。この日を、日本人が自分の国の侵略戦争・植民地支配の歴史に向き合い、加害の責任を償う決意を新たにする「記念日」にしたいものです。


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新谷仁美と円谷幸吉―アスリートの新たな生き方とは?

2021年08月12日 | 五輪と国家・政治・社会

    

 菅義偉政権による東京五輪強行は、政治に利用・翻弄されるオリンピックの実態をさらけ出しました。それは同時に、アスリートの社会性、生き方への重要な問題提起にもなりました。

 開会前、元ラグビー日本代表の平尾剛氏(神戸親和女子大教授)は、オリンピックは「権力者のレガシー(遺産)づくりと資本家が商機をつかむための巨大イベント」だと指摘するとともに、日本のアスリートが五輪開催の是非について発言しようとしない状況に危機感を持ち、こう述べていました。
「(アスリートは)語らないといけない。そうしないとスポーツの力は平時でしか通用しないことになる」(7月14日付沖縄タイムス=共同)

 そんな中、当初から自らの考えを率直に発信し続けていた稀有なアスリートがいました。陸上の新谷仁美選手です(写真左、中)。

 新谷選手はことし1月、開催か中止かで社会の意見が分かれていたとき、こう言い切りました。
「(東京五輪開催に)アスリートとしては賛成です。でも、国民としては賛成できません。国民と一体になってこそのオリンピックです。私たち(アスリート)(国民に)よりそわなければなりません」(1月23日のNHKニュース)

 五輪選手へのワクチン優先接種についても、「どの命にも大きい、小さいはないのに、五輪選手だけがっていうのはおかしな話だと思います」(7月16日NHK「スポーツ×ヒューマン」)と五輪選手の特別扱いに反対しました。

 同時に新谷選手には、「どんな事があっても結果を出さないとアスリートじゃないとも思う」(同)という信念もあり、「市民」としての自分と「アスリート」としての自分とのはざまで苦しみました。

 7日行われた女子1万メートル決勝で、新谷選手は自己ベストから2分以上遅い21位でした。レース後、苦しかった心境をこう吐露しました。「(昨年)12月に代表に決まってから、ただただ逃げたかった」(7日の朝日新聞デジタル)

 五輪を政治利用する政権(国家)に翻弄され押しつぶされるアスリート。
 その姿を、日本人はすでに前回(1964年)の東京五輪で目の当たりにしたはずです。新谷選手と同じ陸上の円谷幸吉選手(写真右)です。

 円谷選手はマラソンで堂々の3位でしたが、周囲はそれに満足しませんでした。円谷選手も優勝できなかったことで自分を責めました。周囲は次の五輪こそはと期待(圧力)をかけましたが、円谷選手はメキシコ大会を目前に自ら命を絶ちました(1968年1月9日、享年27)。

 円谷選手はなぜここまで追い込まれたのか。それは彼が自衛隊員だったからです。

 自衛隊は東京での五輪開催が決まった直後に、自衛官メダリストを育成するために自衛隊体育学校を造りました。円谷選手はその1期生であり、金メダルがノルマでした。それはアスリートとしての目標というより、五輪で国威発揚と自衛隊の社会的認知を図る自衛隊員としての任務でした。その重圧と、自衛隊内の非人間的な指導(命令)が彼を死に追いやったのです(2019年1月12日のブログ参照https://blog.goo.ne.jp/satoru-kihara/d/20190112

 円谷選手の悲劇から、日本人は五輪・スポーツの政治性、アスリートが国家権力につぶされる実態の根を断つべきだったのです。しかし日本(人)はそれをせず、逆に国家権力による五輪の政治利用をやりたい放題許してきました。それが安倍・菅・森・小池らによる今日の到達点です。

 しかし、円谷選手と新谷選手には大きな違いがあります。それは新谷選手が口を閉ざすことなく自らの思い・考えを発信し続けてきたことです。

 大会が終わって、佐伯年詩雄筑波大名誉教授(スポーツ社会学)は、「アスリートはもっと社会と、自らがスポーツできる環境に敏感であってほしい」(9日付共同配信記事)と、アスリートの社会性に注意を喚起しました。

 新谷選手はレース後、自分を責めて「下を向いた」(7日の朝日新聞デジタル)といいますが、下を向く必要はまったくありません。新谷選手は「社会に敏感」であり、自分の考えを積極的に「語る」アスリートの姿を身をもって示してきたのです。それはこれからのアスリートにとって大きなレガシーとなるはずです。


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Nスぺ「原爆初動調査 隠された真実」の衝撃

2021年08月10日 | 核・被爆者と日米同盟

    
 9日夜放送されたNHKスペシャル「原爆初動調査 隠された真実」は衝撃的でした。アメリカは広島・長崎への原爆投下の翌月(1945年9月)から現地で残留放射線の調査を行い、きわめて深刻な実態を把握していながら、政治的思惑でその事実を隠ぺいし、現在も隠し続けている、というのです。

 そうであろうと思っていたことが、関係者の証言や資料で裏付けられました。要点(メモ)は次の通りです。

・アメリカは1945年9月8日から、広島、長崎の残留放射線調査のため、米軍、学者を現地に派遣した。これには日本の学者も同行した。

・調査結果は、きわめて悲惨ものだった。爆心地から51㌔の地点で、通常の2倍の放射線が検出された。とりわけ長崎・西山地区の汚染は深刻だった。

・米調査団は西山地区住民の血液検査まで行い、人体への影響を把握していたが、トップシークレットとして隠ぺいした。西山地区は「観察するのに理想的な集団」とうそぶいた(写真右)。

・調査団長のグローブス少将(米核兵器開発マンハッタン計画の総責任者=写真中)は、学者に「調査の任務は残留放射線がないことを証明することだ」と言って調査資料を廃棄させ、ウソの報告書を書かせた。

・グローブスは米議会での証言(1945年11月)で、「日本人の一部の命よりアメリカ人の方が大切だ」と言い切った(議事録より)。残留放射線の事実が明らかになって核開発がストップすることはアメリカ人の利益に反する、ということだった。

・グローブスが真実を隠ぺいしたのは、①当時から米国内でも原爆投下は国際法違反ではないかという世論があった②日本占領のため兵士を日本に送る必要があり、残留放射線の事実は不都合だった③ソ連との核開発競争の障害になる事実は隠す必要があった―。

・1945年11月30日、日米の学者が初めて一堂に会して残留放射線被曝について議論した。都筑正男教授(東京大)らはその実態を告発したが、GHQは「日本人の原爆研究は許さない」と封じた。

・アメリカは日本の「独立」(サンフランシスコ条約発効)後も、長崎・西山地区での調査を継続した。しかし、その経過・結果が住民に示されることはなかった。

・残留放射線による被害は日本人だけでなく、調査に入ったアメリカの軍人、学者にもおよび、調査後数年でがんによる死亡が相次いだ。しかし米政府はいまだに残留放射線によるものだと認めていない。

・西山地区でも、当時から放射能による被害・犠牲のウワサはあったが、公言するものはなかった。農業を生業とする地域で、放射能の影響を口にすれば村八分にされる状況だった。

・ソ連も当時から調査に入り、実態を把握していたが、スターリンは核戦略のためそれを隠ぺいした。調査団の団長は調査から4年後にがんで死亡した。

・米政府(番組ではトランプ前政権の高官)は現在も「上空で爆発すれば放射線はほとんど残らない」という76年前と同じ「理論」(口実)で小型核兵器配備をすすめている。

 以上が番組の要点です。

 残留放射線(内部被ばく)の実態・恐ろしさは今日では常識ですが、アメリカが当時からそれを科学的に把握していながら、政治的思惑で隠ぺいし、核兵器開発を続けてきたことは、アメリカ政府の非人道性、大国主義をあらためて浮き彫りにするものです。

 国家権力(政権)は政治戦略のためなら科学的事実を平気で隠ぺい・改ざんします。これは古今東西の事実です。

 番組では国家権力に追従する学者・科学者の姿も鮮明です。これは核問題に限らないでしょう。現在のコロナ禍の実態・政府のコロナ対策はどうなのか、コロナ禍で強行された東京五輪と感染拡大の関係はどうなのか。学者・「専門家」の姿勢と責任が問われています。きわめて今日的な問題です。

 貴重な番組ではありますが、NHKはこれらの事実・資料をいつ把握したのでしょうか。「黒い雨」訴訟が確定してから放送されたのは偶然でしょうか。もし以前から把握していながら放送を控えていたとすれば、「黒い雨」訴訟における国側への配慮があったのではないでしょうか。

 番組は、明日11日午後11時31分から総合テレビで再放送されます。


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五輪閉会式・なぜ古関裕而の「オリンピックマーチ」なのか

2021年08月09日 | 五輪と国家・政治・社会

    

 8日夜の東京五輪閉会式。奇異だったのは、各国の国旗・選手団入場の際に流された(約30分間、後半はアレンジ)曲が、「オリンピックマーチ」(以下「マーチ」)だったことです。
 「マーチ」は、前回1964年の東京五輪の開会式で各国選手団が入場する際に流された曲です。なぜ57年前に使った曲を“復活”させたのか。前回大会との連続性が演出されたこと自体、時代錯誤と言わねばなりませんが、そこにはさらに見逃せない問題があります。

 第1に、「マーチ」は古関裕而(1909~89)の戦後の代表作です。「マーチ」の“復活”は古関の“復活”と言っても過言ではないでしょう。NHKの中継も古関の作曲であることに触れました。
 古関裕而とはいかなる人物だったか。NHKが朝ドラ「エール」の主人公に取り上げた際に指摘しましたが(2020年5月19日のブログ参照)、特徴は3点あります。

①軍歌(戦時歌謡)の大量作曲で戦争協力 

 古関の作曲は5000にのぼると言われていますが、その多くは軍歌・戦時歌謡です。とりわけ「若鷲の歌」は未成年の若者を戦地へ駆り出した歌として有名(悪名)です。敗戦後、古関は戦犯に問われることを恐怖しました。それは免れたものの、積極的に戦争に協力したことに対し、古関は明確な反省(自己批判)をしていません。

②自衛隊の隊歌を数多く作曲 

 反省どころか古関は、敗戦後、帝国軍隊を継承する自衛隊の隊歌を数多く作曲しています。それはいまも自衛隊の歌となっています。「自衛隊創立10周年記念」の陸上自衛隊歌「この国は」、「創立20周年記念」の「栄光の旗の下に」、海自歌「海を行く」などはすべて古関の作曲です。

③天皇・皇室崇拝

 古関は天皇裕仁の即位式(1928年11月10日)に先立って、「御大典奉祝行進曲」なる曲を作曲しています。また、皇族の北白川宮永久が中国侵略戦争で戦死したさい(1940年9月)、「嗚呼北白川宮殿下」なる歌がつくられましたが、作曲を指名されたのは古関でした。

 第2に、「マーチ」には“隠し味”があります。それは「君が代」です。
 古関自身が、「曲の最後に君が代の後半のメロディーを入れた」(「サンデー毎日」1964年11月1日号、刑部芳則著『古関裕而』中公新書2019年より)と明かしています。古関の天皇崇拝を象徴するものです。

 各国選手団は「君が代」が隠されている曲で入場したことになります。そのことを知っている選手はいないでしょうが、企画・演出した大会組織委は知っているはずです。知らないではすまされません。

 第3に、1964年の大会で「マーチ」を演奏したのは、自衛隊音楽隊です。今回、開・閉会式で自衛隊音楽隊の出番はありませんでしたが、自衛隊は「日の丸」や大会旗の掲揚、さらに各競技会場での表彰式での国旗掲揚を一手に行いました。「マーチ」はそれに加え、音楽でも自衛隊を想起させるものでした。

 開会式、閉会式の演出・パフォーマンスについての感想・評価はさまざまでしょう。しかし事実として明確なのは、始めから終わりまで、天皇徳仁(開会式)と皇嗣秋篠宮(閉会式、写真右)の前で、「日の丸」と「君が代」と「自衛隊」が強調された開・閉会式であり、大会だったということです。そこに「東京五輪」の本質が表れています。


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日曜日記160・「アクティブ・バイスタンダー」・俵万智とコロナ・東京五輪

2021年08月08日 | 日記・エッセイ・コラム

☆「アクティブ・バイスタンダー」

 「日本に劣らず「痴漢大国」であり、かつ同じく被害者が声をあげ難い社会である」エジプトに、「ハラスマップ」という団体がある(2010年設立)という話を、後藤絵美さん(東京大)が雑誌「f visions」(アジア女性資料センター発行) 6月号に書いている。

 「ハラスマップ」発起人の4人の女性が呼びかけたのは、「ハラスメント行為が起きそうなときや起きたときに、周囲が各々に適した方法で行動を起こすこと」だった。ウエブサイトには、「あなたが声をあげたとき、止めに入ったとき、誰かがあなたを見ている。その人は感化されて、次にあなたと同じ行動をとるかもしれない」と書かれているという。

 その論稿を読んだ数日後、NHKの「視点・論点」(7月29日)で、小笠原和美さん(慶応大、写真)が、「性暴力のない社会を目指して」と題した話の中で、子供向けに性暴力を許さない啓発をする絵本があるとし、その中で、友だちの被害を見たときに声を上げることの大切さが強調されていると紹介していた。

 小笠原さんによると、それを「アクティブ・バイスタンダー(Active Bystander)」というそうだ。「加害者・被害者だけの問題とひと事にせず自分のこととして捉え行動する」ことだという。
 “行動する第三者”とでも訳せるのかもしれない。後藤さんが紹介しているエジプトの「ハラスマップ」はまさに「アクティブ・バイスタンダー」の運動化にほかならないだろう。

 すぐに思ったのは、「アクティブ・バイスタンダー」の重要性は、セクハラ・性暴力に対してだけではないことだ。学校内の「いじめ」もそうだろう。

 とりわけ重要なのは、在日コリアン、そして技能実習生など日本にいる外国人に対する差別・人権侵害に対してだ。差別の場に居合わせたとき、見聞きしたとき、われわれは声を上げているだろうか。被害者を孤立させていないだろうか。

 先の論稿を後藤さんはこう結んでいる。「エジプトのハラスマップがとった方法―周囲の積極的な介入を促すこと―もまた、日本社会全体の「空気を変える」ために有効なように思われる」

 確かにそうかもしれない。「アクティブ・バイスタンダー」が普及・定着すれば、この焦げ付いた日本社会も、変わっていくかもしれない。いや、その前に、どんなときも自分が「アクティブ・バイスタンダー」であり続けなければならない。

☆俵万智とコロナ・東京五輪

 『サラダ記念日』『チョコレート革命』など恋愛歌人の印象が強い俵万智だが、最新歌集『未来のサイズ』(2020年9月初版、角川書店)はひと味違っていた。

濃厚な不要不急の豊かさの再び灯れゴールデン街

殺人の婉曲表現「人災」は自然のせいにできないときの

国、首相、社長、官僚 見殺しの方法ばかり歴史に学ぶ

声あわせ「ぼくらはみんな生きている」生きているからこの国がある

何一つ答えず答えたふりをする答弁という名の詭弁見つ

この道はいつか来た道ああそうだ茶色の朝に聞こえるノック
(フランク・パヴロフ著『茶色の朝』―引用者)

「ただちには」ないってことか戦争も徴兵制も原発事故も

自己責任、非正規雇用、生産性 寅さんだったら何て言うかな
(寅さんシリーズには「寅次郎「サラダ記念日」」あり―引用者」

 <東京オリンピック2020>
テンポよく刻むリズムの危うさのナショナリズムやコマーシャリズム

 「あとがき」で、この歌集の期間(2013~2020)は「子育てを通して、社会のありようへの関心を深めた時期でもあった」と述べている。また、現在の宮崎に移る前に「まる五年間暮らした石垣島」の体験も大きかったと。
 「子育て」と「沖縄」が俵万智の新境地を開いた。


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”金メダルを噛む”だけが問題ではない―五輪の政治利用

2021年08月07日 | 五輪と国家・政治・社会

    

 名古屋市の河村たかし市長が金メダル獲得の報告に訪れたソフトボール・後藤希友選手の金メダルを突然噛んだ(4日、写真左)ことは、まともに論評する価値もないほど愚劣な行為ですが、これには河村氏だけの問題ですませられない側面があります。

 それは河村氏の行為が、「アスリートに失礼」「コロナ感染上も問題」なのはもちろんですが、本質的には政治家(政治屋)による東京五輪・メダリストの政治利用の問題だということです。

 政治家はメダリストとのツーショットがイメージアップになると考え、映像や写真を政治利用しようとします。メダルを噛むのは河村氏の特殊性ですが、メダルを自分の首にかけたり、ツーショット写真を後援会会報などに使うことは頻繁に行われています。

 問題は、こうした政治家による東京五輪の政治利用が、河村市長のような浅薄なものだけではないことです。

 1日の中国新聞2面に、次のようなベタ記事がありました。

<自民党の河村建夫元官房長官は31日、東京五輪で日本代表選手が活躍すれば、秋までにある次期衆院選に向けて政権与党に追い風になるとの認識を示した。

 萩市の会合で「五輪で日本選手が頑張っていることは、われわれにとっても大きな力になる」と述べた。

 新型コロナウイルスが感染再拡大する中での五輪開催に批判的な声があることには「五輪がなかったら、国民の皆さんの不満はどんどんわれわれ政権が相手となる。厳しい選挙を戦わないといけなくなる」とも語った。>(1日付中国新聞)

 河村氏(写真中)は、小泉純一郎内閣で文科相、麻生太郎内閣で官房長官を務めた自民党の幹部。同じ河村でも名古屋市長のそれとは発言の重みが違います。地元・萩市での支持者の会合で、思わず本音が飛び出したのでしょう。

 ここには菅義偉政権・自民党が「世論」の大きな反対を押し切って東京五輪を強行した政治的思惑が端的に示されています。

 それは、①コロナ対策の失政に対する批判を五輪で紛らわす②日本選手が活躍すれば五輪を開催した菅政権・自民党への支持も上向く―という二重の意味で、間近に迫った衆院選に向けて自民党に有利に働くという思惑・打算です。

 この河村元官房長官の発言は、菅首相が「五輪が始まれば空気が変わる」と再三述べていたことと通底しており、けっして河村氏だけの本音でないことは明らかです。
 菅・自民党による東京オリ・パラ強行は、こうした政治的打算・政治利用の産物にほかならないことをはっきり記憶に残す必要があります。

 


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五輪会場で天皇が秘密裏に憲法違反行為

2021年08月05日 | 五輪と国家・政治・社会

    

 7月26日付中国新聞2面にあったわずか20行のベタ記事(共同電)。その内容はきわめて重大なものでした。

< 藩基文氏と天皇陛下が面会
 【ソウル共同】韓国の聯合ニュースは25日、国連の前事務総長、藩基文(パン・キムン)氏が東京五輪に合わせて訪日し、23日夜の開会式終了後に東京の国立競技場の貴賓室で天皇陛下と面会したと報じた。聯合によると天皇陛下の要請による10分程度の面会で、双方が日韓関係改善の必要性で認識を一致させたとしている。(以下略)>

 この記事が事実なら、天皇徳仁は東京五輪開会式のあと、会場の国立競技場で重大な憲法逸脱行為を行っていたことになります。

 天皇が外国の要人と会うのは「皇室外交」と称する天皇の「公的活動」です。その是非はともかく(私はあるべきでないと考えますが)、それは「内閣の助言と承認を必要」(憲法第3条)とします。
 ところが記事によると、パン氏との会談は天皇の要請によるといいます。つまり天皇が主体的に自分の意思で会談を設定したことになり、憲法第3条に抵触します。

 さらに、「日韓関係改善の必要性で認識を一致させた」とあります。どのような議論でどのように「認識を一致させた」かは明らかにされていませんが、「日韓関係」は言うまでもなく現下の極めて重要な外交課題、すなわち政治問題です。その議論を行い、外国の要人と「認識を一致」させることが、憲法第4条「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行い、国政に関する権能を有しない」に反していることは明らかです。

 念のために付言すれば、内容(「日韓関係改善の必要性」)の良し悪しは関係ありません。いくらいい内容でも、天皇は政治的発言・活動を行ってはならないのです。それが憲法の規定です。この点、時の政権(とりわけ安倍・菅政権)との比較で、天皇に政治的発言を期待する傾向がいわゆる「民主陣営」に散見されますが、それは明確な誤りです。

 冒頭の記事は、天皇徳仁が憲法第3条、第4条に二重に違反した疑いがきわめて濃厚であることを示しています。

 この重大なニュースを、中国新聞は2面ベタ扱いでしたが、私が見た限り、この件を報じた日本の新聞は他にありませんでした。

 それだけではありません。宮内庁HPに常設されている「天皇の日程」でも、この日、国立競技場で要人と会談(会見)した記述はありません(写真右は公表された23日の皇居内での外国要人との会見)。

 つまり、この会談は秘密裏に行われた可能性があります。だから宮内庁は「公式日程」には入れず、日本のメディアに発表もしなかったのではないでしょうか。それを韓国の聯合ニュースが報じてしまった、というのが真相ではないでしょうか。

 すなわちこれは、天皇による秘密裏の憲法違反行為ということになります。

 東京五輪は国家主義発揚の場であり、「開会宣言」などで天皇を「国家元首」扱いして天皇制を強調する場でもあります(7月3日、24日、26日のブログ参照)。それだけにいっそう、開会式の日に、国立競技場で秘密裏に行われた天皇による憲法違反行為は絶対に容認することができません。


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