アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
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群馬・朝鮮人追悼碑を不許可とした東京高裁の不当判決

2021年08月30日 | 侵略戦争・植民地支配の加害責任

    

 群馬県高崎市の県立公園「群馬の森」に「記憶 反省 そして友好」と日本語とハングルで刻まれた碑があります(写真左・中)。市民団体が市民の寄付で建てたものです(2004年4月24日除幕式)。ところが群馬県は設置許可の期限が切れたとし、市民団体の許可更新要求を認めず、設置を不許可としました(2014年7月22日)。

 市民団体は県の不当性を訴え、前橋地裁に提訴しました(2014年11月)。一審地裁判決(2018年2月14日)は、不十分ながら、群馬県の更新不許可を「違法」と断じました。

 これに対し、県が東京高裁に控訴していた判決が今月26日あり、高橋譲裁判長は「県の不許可処分は適法」と、市民団体の逆転敗訴を言い渡しました。

 判決は、「建立時に県と団体が話し合い、碑の文面から「強制連行」の文言を削除した経緯を踏まえ「強制連行という用語を使えば政治的行事と見なされることは、団体も認識していた」と指摘。こうした発言が繰り返された結果、碑は中立的な存在でなくなったとし「更新不許可とした群馬県知事の判断には理由がある」と結論付けた」(27日付東京新聞)のです。

 この経過・判決にはいくつもの重要な問題が含まれています。

 第1に、県は毎年碑の前で行われる追悼式で参加者が行った発言、例えば「強制連行の事実を全国に訴え、正しい歴史認識を持てるようにしたい」(2005年の追悼式)などの発言が「政治的」だとして設置更新を不許可としたのです。これは明白な憲法(第21条「表現に自由と集会・結社の自由」)違反です。

 県は「強制連行」の用語を使わないことが設置の条件だとし、追悼式で「強制連行」の言葉が出たのはそれに反するとして不許可とし、高裁はそれを追認しました。
 しかし、設置の条件は碑文に「強制連行」の言葉を使わないことであり(これ自体不当・不法な「条件」ですが)、碑の前で行われた集会での発言まで問題視するのは明らかに不当です。

 第2に、県が削除を求めた「強制連行」は、安倍晋三前首相や菅義偉現首相ら歴史修正主義者が目の敵にしている言葉です。しかし、植民地支配下にあった朝鮮半島からの多くの「徴用工」が強制的に日本に連れてこられた、来ざるをえない状況に置かれたことは歴史的事実です(写真右は韓国の被害者たち)。
 その事実を打ち消そうとするのは、日本の植民地支配責任を隠ぺいする歴史修正主義への迎合にほかなりません。

 第3に、高裁判決が「碑は中立的な存在でなくなった」と言っていることです。歴史的事実を刻んだり、発言することが「政治的」で「中立的でない」というなら、そもそも「中立的」な碑や集会などありえません。

 高裁判決は「中立」の名で、公共の場所・施設における政治的な発言・集会を禁じるものです。これは各地の「表現の不自由展」に自治体が公共施設を貸さない口実にしている言い分と同じで、絶対に容認できません。

 第4に、上記の新聞記事などには書かれていませんが、群馬県が不許可にした背景には日本会議系の右翼ヘイト団体の圧力があったことです。県に不許可を働きかけた団体の1つは「そよ風」です。この団体は東京で毎年行われている「9・1朝鮮人大虐殺」の犠牲者追悼集会を妨害している団体です。

 群馬県議会は「そよ風」などが求める不許可請願を採択しました(2014年6月)。当時50人の県議のうち20人以上は日本会議地方議員連盟に所属していたといいます(下山順・弁護団事務局長の調査)。

 日本会議など右翼ヘイト団体が妨害し、それを口実に自治体が言論・集会の自由を抑える。それが日本の「民主主義」の実態であり、この件もその典型です。その点でもこれはけっして群馬県だけの問題ではありません。

 市民団体は当然上告の意向です。政府・自治体、司法が一体となった言論・集会の自由の圧殺、侵略戦争・植民地支配の加害責任を隠ぺいする歴史修正主義を許さない声を上げ続ける必要があります。

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