アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

新谷仁美と円谷幸吉―アスリートの新たな生き方とは?

2021年08月12日 | 五輪と国家・政治・社会

    

 菅義偉政権による東京五輪強行は、政治に利用・翻弄されるオリンピックの実態をさらけ出しました。それは同時に、アスリートの社会性、生き方への重要な問題提起にもなりました。

 開会前、元ラグビー日本代表の平尾剛氏(神戸親和女子大教授)は、オリンピックは「権力者のレガシー(遺産)づくりと資本家が商機をつかむための巨大イベント」だと指摘するとともに、日本のアスリートが五輪開催の是非について発言しようとしない状況に危機感を持ち、こう述べていました。
「(アスリートは)語らないといけない。そうしないとスポーツの力は平時でしか通用しないことになる」(7月14日付沖縄タイムス=共同)

 そんな中、当初から自らの考えを率直に発信し続けていた稀有なアスリートがいました。陸上の新谷仁美選手です(写真左、中)。

 新谷選手はことし1月、開催か中止かで社会の意見が分かれていたとき、こう言い切りました。
「(東京五輪開催に)アスリートとしては賛成です。でも、国民としては賛成できません。国民と一体になってこそのオリンピックです。私たち(アスリート)(国民に)よりそわなければなりません」(1月23日のNHKニュース)

 五輪選手へのワクチン優先接種についても、「どの命にも大きい、小さいはないのに、五輪選手だけがっていうのはおかしな話だと思います」(7月16日NHK「スポーツ×ヒューマン」)と五輪選手の特別扱いに反対しました。

 同時に新谷選手には、「どんな事があっても結果を出さないとアスリートじゃないとも思う」(同)という信念もあり、「市民」としての自分と「アスリート」としての自分とのはざまで苦しみました。

 7日行われた女子1万メートル決勝で、新谷選手は自己ベストから2分以上遅い21位でした。レース後、苦しかった心境をこう吐露しました。「(昨年)12月に代表に決まってから、ただただ逃げたかった」(7日の朝日新聞デジタル)

 五輪を政治利用する政権(国家)に翻弄され押しつぶされるアスリート。
 その姿を、日本人はすでに前回(1964年)の東京五輪で目の当たりにしたはずです。新谷選手と同じ陸上の円谷幸吉選手(写真右)です。

 円谷選手はマラソンで堂々の3位でしたが、周囲はそれに満足しませんでした。円谷選手も優勝できなかったことで自分を責めました。周囲は次の五輪こそはと期待(圧力)をかけましたが、円谷選手はメキシコ大会を目前に自ら命を絶ちました(1968年1月9日、享年27)。

 円谷選手はなぜここまで追い込まれたのか。それは彼が自衛隊員だったからです。

 自衛隊は東京での五輪開催が決まった直後に、自衛官メダリストを育成するために自衛隊体育学校を造りました。円谷選手はその1期生であり、金メダルがノルマでした。それはアスリートとしての目標というより、五輪で国威発揚と自衛隊の社会的認知を図る自衛隊員としての任務でした。その重圧と、自衛隊内の非人間的な指導(命令)が彼を死に追いやったのです(2019年1月12日のブログ参照https://blog.goo.ne.jp/satoru-kihara/d/20190112

 円谷選手の悲劇から、日本人は五輪・スポーツの政治性、アスリートが国家権力につぶされる実態の根を断つべきだったのです。しかし日本(人)はそれをせず、逆に国家権力による五輪の政治利用をやりたい放題許してきました。それが安倍・菅・森・小池らによる今日の到達点です。

 しかし、円谷選手と新谷選手には大きな違いがあります。それは新谷選手が口を閉ざすことなく自らの思い・考えを発信し続けてきたことです。

 大会が終わって、佐伯年詩雄筑波大名誉教授(スポーツ社会学)は、「アスリートはもっと社会と、自らがスポーツできる環境に敏感であってほしい」(9日付共同配信記事)と、アスリートの社会性に注意を喚起しました。

 新谷選手はレース後、自分を責めて「下を向いた」(7日の朝日新聞デジタル)といいますが、下を向く必要はまったくありません。新谷選手は「社会に敏感」であり、自分の考えを積極的に「語る」アスリートの姿を身をもって示してきたのです。それはこれからのアスリートにとって大きなレガシーとなるはずです。


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