菅義偉首相は9日の長崎での記者会見で、開催を強行した東京五輪について、「無事終えることができた」「素晴らしい大会になった」と自画自賛しました。
また、小池百合子都知事は13日の記者会見で、東京五輪が「感染拡大の抑止につながった」と強弁。その前日(12日)に、都のモニタリング会議で国立国際医療研究センターの大曲貴夫氏が、「競技場の周辺や沿道に多くの人が集まり応援する姿が見られた」と指摘したのに対し、「印象論でおっしゃっている。こちらは人数がどうだったか確認している」(13日付朝日新聞デジタル)と“反論”しました。
大曲氏は都のコロナ対策専門家会議の中心メンバーです。その発言を都知事が会見で否定するのですから、都のコロナ対策が迷走するのも無理はありません。専門家の指摘を「印象論」と一蹴するのは、小池氏の強権体質をはっきり示すものです。
この小池発言には都の幹部からも、「都合のいいことだけ専門家の意見を聴いて、それ以外は切り捨てる姿はリーダーとしての見識が問われる。五輪効果によって人出が減ったとする発言も、市民感覚から乖離している」(16日付朝日新聞デジタル)との声が出ています。当然でしょう。
菅氏や小池氏が今後も、東京五輪とコロナ感染拡大の関係を否定し、逆に「東京五輪成功」論を振りまいて責任逃れを図るのは必至です。とくに菅氏は、きたる総選挙でそれを前面に出してくるでしょう。
東京五輪の評価は重要な政治的争点になっているのです。
そんな中、注目されたのが天皇徳仁の意向表明です。
「宮内庁は12日、天皇陛下が新型コロナウイルス禍での東京五輪の開催に尽力した関係者に対し、敬意を表し、その労をねぎらう気持ちを持たれていると明らかにした」(13日付中国新聞など=共同)
たんに「労をねぎらう」のではなく「敬意を表」する。これは明らかに菅首相や小池都知事に対する賛辞です。評価が分かれ政治的争点になっている東京五輪開催について、天皇が政権を評価する意向を示したのは、天皇の政治的発言と言わざるをえず、きわめて重大です。
徳仁天皇は五輪開会前、自分が「名誉総裁」になっている大会が「感染拡大につながらないか懸念している」との意向を西村泰彦宮内庁長官を通じて示していました(6月24日)。結果は「懸念」通り、東京五輪は感染拡大を助長しました。
にもかかわらず、大会が終われば菅氏や小池氏に賛辞を送る。まったくご都合主義と言わざるをえません。
今回の天皇の菅氏や小池氏に対する賛辞は、天皇が結局、政権・国家権力と一体であり、政権に都合のいいように政治利用されるものだという「象徴天皇制」の本質を露呈したものといえるでしょう。
そしてさらに問題なのは、こうした天皇の言動に対し、日本のメディア(いわゆる「民主的メディア・識者」を含め)はけっして批判しないということです。「菊(天皇・皇室)タブー」が日本社会全体を覆っていることです。
天皇(制)を批判しない「菊タブー」は、結局、政権・国家権力への追随につながることを銘記する必要があります。