アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
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女性記者への性暴力、もっと重大視を

2023年12月11日 | 人権・民主主義
  7日付京都新聞の第3社会面下の「雑報」欄に次の記事(共同配信)が載りました。短いので全文転載します。

記者にキス、元市議を不起訴処分 札幌地検は6日までに、北海道新聞社の女性記者に同意なくキスをしたとして、強制わいせつの疑いで書類送検された元石狩市議の男性(52)=9月に辞職=を不起訴処分にした。理由は明らかにしていない。処分は5日付。
 元市議は2月、タクシーに同乗していた記者の同意を得ないままでキスした疑いで道警に書類送検されていた。記者を含む数人と飲食店で会食し、帰宅する途中だった。>

 私が見た限り、沖縄タイムスも第3社会面でベタ(1段)、朝日新聞デジタル、琉球新報には掲載がありませんでした。NHKも報じませんでした。

 あまりにも軽視されていると言わねばなりません。

 加害者は取材対象の政治家か官僚。数人の記者と会食後、女性記者と2人になった状況で犯行に及ぶ。女性記者に対する性暴力の典型的なパターンです。

 だからニュースバリューに乏しい、と編集幹部は判断したのでしょうが、それは大きな誤りです。繰り返される典型的なパターンだからこそ重視しなければなりません。大変なことが常態化しているということですから。

 性暴力はもちろん、被害者、加害者がどのような職業でどのような関係にあるかに関わらずきびしく断罪しなければなりません。その前提の上で、女性記者に対する性暴力はとりわけ重大視する必要があると考えます。

 その理由は第1に、記者の取材は市民の「知る権利」の代行であり、それに対して性暴力を加えることは、被害者に対する犯罪であると同時に、市民の基本的人権を暴力で蹂躙するものだからです。

 第2に、性暴力の背景には常に権力の上下関係があります。女性記者に対する性暴力は、加害側の政治家・官僚と被害側の記者(メディア)の権力関係の反映であり、その固定化です。

 第3に、記者が所属するメディアの幹部・上司は、「それぐらい我慢しなければいいネタは取れない」などと女性記者に対する性暴力を軽視あるいは容認する傾向が強いことです。性暴力を根絶する先頭に立つべきメディアが女性蔑視の温床になっているのです。上記事件の場合、北海道新聞は社として加害の元市議にどう対処したのか問われます。

 第4に、女性の社会進出が阻まれているのはどの分野でも共通ですが、記者(メディア)はその典型の1つです。性暴力は女性記者の進出・活躍に対する最悪の妨害です(写真は女性記者が少ない官邸記者会見=性暴力事件とは無関係です)。

 第5に、女性記者への性暴力は、「夜討ち朝駆け」や取材対象と親密になって情報を引き出すという記者活動と無関係ではありません。社の方針あるいは慣習として行われているこうした旧態依然として記者活動は、権力との癒着の温床にもなり、取材方法として間違っています。記者の「働き方改革」にも反しており、根本的に見直す必要があります。

 以上のことを改めて痛感するのは、元長崎市議で「平和活動家」といわれていた故岡正治氏の性暴力事件も同様のパターンで行われていたからです(10月11日のブログ参照)。

 女性記者に対する性暴力をどれだけ重大視し根絶することができるか。それは社会の人権度を測るバロメーターといえるでしょう。


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