アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

日曜日記305・「60年安保闘争」を学び直そう

2024年06月09日 | 日記・エッセイ・コラム
   

 3日のNHK「映像の世紀」は「安保闘争 燃え盛った政治の季節」だった。

 1951年9月8日、サンフランシスコ講和条約に調印した吉田茂はその直後、場所を変えて日米安保条約に調印した。署名したのは吉田1人だった。同行していた腹心の池田勇人にも署名させなかった。なぜか。安保条約は不人気だから、これに署名すると政治家としての経歴に傷がつく、汚れ役は自分1人でいい、という考えだったという。

 それほど安保条約は、日本国憲法に照らして問題がある、いや憲法違反の条約だ。
 ところが、国内ではさして反対運動が起こらなかった。なぜか。「日本国民」は朝鮮戦争(1950年6月25日勃発)の特需景気に浮足立ち、安保条約への関心は薄かったという。

 それから9年後。岸信介による安保条約改定(新安保条約)には全国で反対・阻止の声・運動が巻き起こった。いわゆる「60年安保闘争」だ。

 労働組合はゼネストを断行した。交通機関が止まったが、「怒りの矛先は岸へ」と言ってストに共感する市民の映像が流れた。
 デモに参加した市民は、「主権在民を実感する」と語っていた。
 国会に何万という市民が詰めかけ、「安保反対」「岸を倒せ」と叫んだ。国会の中では、社会党の議員たちも体を張って安保改定強行を阻んだ。

 だが、安保改定は強行された。

 デモに加わった文化人の中に永六輔もいた。永が作詞し世界的にヒットした「上を向いて歩こう」(作曲・中村八大、歌・坂本九)は「60年安保の挫折を歌ったもの」だという永の肉声が流れた(2021年7月18日のブログ参照)。

 日本にもこんな時代があったのだ。遠い昔のように思えるが、わずか64年前のことだ。

 51年の「無関心」から60年の大闘争へ。何が人々を立ち上がらせたのだろう。

 それから60余年。労働者も学者も文化人も学生も家庭人もみんな、平和と民主主義のために「安保反対」で一つの輪になった、あの熱気はどこへ行ってしまったのだろう。

 日本国憲法はもちろん一言一句変わっていない。逆に、日米安保条約の危険性は増大し続けている。なのに「安保反対」の声が巻き起こらないのはなぜなのだろう。

 「60年安保闘争」を学び直す必要性を痛感する。

 1960年といえば私は7歳だ。「安保闘争」の記憶はない。だが、「60年安保闘争」とその後の日本の変化を学び直すことは、自分が生きてきた時間を歴史の中で振り返ることに通じると思う。

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