アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
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自衛隊と旧日本軍の連続性・「6・23」の変更を

2024年06月24日 | 沖縄と戦争
   

 今年の「6・23 沖縄慰霊の日」は、自衛隊と旧日本軍(帝国軍隊)の連続性がかつてなく問われる中で迎えました。

 23日付沖縄タイムスは1面トップで、「沖縄の陸上自衛隊第15旅団が、沖縄戦を指揮した牛島満・日本軍司令官の軍服を那覇駐屯地の展示場に陳列していたことが分かった」と報じました(写真左)。

 同記事は、「沖縄住民に多大な犠牲を強いた責任者をしのぶ遺品の展示は、日本軍と自衛隊の連続性を示している」と指摘しています。

 「日本軍と自衛隊の連続性」を示す事項は、このかん相次いで表面化しています。

▶陸上自衛隊の小林弘樹陸上幕僚副長ら数十人が、靖国神社を集団参拝(1月9日)

▶海上自衛隊の酒井良海上幕僚長が記者会見で、昨年5月17日に海自幹部候補生学校の卒業生らが「歴史学習として」靖国神社を集団参拝していたと明かす(2月20日)

▶海上自衛隊の元海将・大塚海夫氏が、靖国神社の宮司に就任(4月1日)

▶陸上自衛隊第32普通科連隊(さいたま市)が、公式SNSに「大東亜戦争最大の激戦地硫黄島」と投稿(4月5日)(問題になって削除)

▶陸上自衛隊第15旅団が、公式HPに牛島満司令官の「辞世の歌」を掲載していることが判明(6月3日付琉球新報)

 「日本軍と自衛隊の連続性」という点では、陸自第15旅団の幹部らが「6・23」の未明に制服で、摩文仁の丘にある牛島満司令官、長勇参謀長を祀る「黎明之塔」に参拝してきた問題を見逃すことはできません。批判を受けて3年連続「中止」したようですが、塔の周りには埼玉県の男性によって「日の丸」が数多く掲揚されました(写真中=琉球新報デジタルより)。

 改めて「6・23」を「沖縄慰霊の日」としている問題を問わねばなりません。

 「6・23」を「沖縄慰霊の日」とするのはこの日が「沖縄の組織的な戦闘が終結した日」とされているからですが、それはきわめて不適切です。

 主な理由は、①「6・23」(「6・22」説も)は牛島、長が無責任な自害をした日である②「6・23」以降も沖縄戦は続き多くの犠牲を出した③「沖縄戦の靖国化」と関係している―です(23年6月22日のブログ参照)。

 「組織的な戦闘が終結」とは牛島・長が自害したことにほかなりません。彼らの「命日」を「慰霊の日」とし、県の公式行事として追悼式典が行われ、首相も列席することは、沖縄戦で犠牲になった人々、さらに現在の沖縄市民に対する冒とく以外のなにものでもありません。そして「日本軍と自衛隊の連続性」を象徴的に示すものです。

 いまこそ県内外の議論を高め、「沖縄慰霊の日」の日にちを変更すべきです。

 玉城デニー知事は23日の「追悼式典」で、「安保3文書により、自衛隊の急激な配備拡張が進められており、悲惨な沖縄戦の記憶と相まって、私たち沖縄県民は、強い不安を抱いています」と述べました。しかし、「自衛隊増強・ミサイル基地化に反対する」とは言いませんでした(写真右)。

 また、「悲惨な沖縄戦の記憶と相まって」などとあいまいな言い方をするのではなく、「軍隊は住民を守らなかった」、いや「軍隊は住民を殺した」とはっきり述べるべきです。それこそが沖縄戦の最大の教訓であり、その教訓を今に生かさなければ犠牲者を「追悼」することにはなりません。

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