アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
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「陸自HPに牛島司令官辞世の歌」問題の核心は何か

2024年06月06日 | 天皇制と日米安保・自衛隊
   

 3日付琉球新報は1面トップで、沖縄戦の第32軍司令官・牛島満の辞世の歌を、陸上自衛隊第15旅団が公式HPに掲載している問題を報じました(写真左は同HPより)。

 掲載されている牛島の辞世の歌は、「秋待たで 枯れ行く島の 青草は 皇国の春に 甦らなむ」。防衛省によれば2018年から同旅団の「沿革」欄に掲載されています。

 直訳すれば、沖縄の青草が天皇の治める国に甦ってほしい、という意味ですが、歌人の名嘉真恵美子さんは、「青草」には「臣民」のイメージがあり、「天皇の臣民に再び立ち上がってほしいという願いがあると解釈できる」(4日付沖縄タイムス)と指摘しています。

 4日の参院外交防衛委員会で高良鉄美議員(沖縄の風)が「極めて不見識、不適切」と削除を要求しました。しかし木原稔防衛相は、「誤解があってはならず丁寧に説明しなければならない」とするだけで、削除要求をはねつけました。

 牛島の歌が「皇国史観そのもの」(沖縄県平和委員会・大久保康裕事務局長、3日付琉球新報)であることは確かです。「「皇国史観」復活の動きは断じて認められない」(4日付琉球新報社説)のは当然です。

 しかし、3~5日に琉球新報、沖縄タイムスに掲載された「識者」のコメントや新聞論調には妥当性を欠くものが少なくありません。

 たとえば、「佐道明広中京大教授は…沖縄の自衛隊が「日本軍とは違う」と地道な活動をして受け入れられてきた経緯を振り返り、「これまで住民感情を重視して受け入れられてきたのに、もう住民感情はいいのかとなる。大臣は『日本軍との連続性を疑わせるものはあってはならない』と削除を指導すべきだ」と語った」(5日付琉球新報)。

 あるいは、「これを掲載することは、国民ではなく国と国体を守る旧軍の思想を継承するかのような行為で、沖縄県民として穏やかではいられず、恐怖すら感じる。自衛隊が「軍」となっては明確な9条違反となる。憲法を無視するような発想をする人が、自衛隊の中に入り込んでいる」(前泊博盛・沖縄国際大教授、4日付沖縄タイムス)。

 これに通じるのが、「日本国憲法下、日本には軍隊はなく、自衛隊は軍隊ではない文民統制の組織として存在してきた。天皇主権の「皇国」も、天皇の軍隊を意味する「皇軍」も、憲法で否定したはずだ」(4日付琉球新報社説)。

 これらの論調に共通しているのは、自衛隊は軍隊ではなく、住民の支持も得てきている、だから「県民感情」を考慮して、旧日本軍との連続性を疑われる(誤解される)ような牛島の辞世の歌は掲載すべきではない、ということです。

 これは何重にも誤った論調です。

 第1に、自衛隊はれっきとした軍隊であり、したがって憲法違反の存在です。

 第2に、自衛隊と旧日本軍=皇軍の連続性は誤解ではなく厳然たる事実です。
 自衛隊は発足時から旧日本軍関係者が関与しています。自衛隊が旧日本軍との連続性・一体性を追求していることは、今回の問題に限らず、6月23日の「黎明之塔」の集団参拝、最近表面化した靖国神社の集団参拝などでも明白です。
 そもそも自衛隊は、「皇軍」の象徴だった「旭日旗」を、「自衛隊旗」(陸自)や「自衛艦旗」(海自)にしています。そこに「皇軍」との連続性が端的に表れています。

 第3に、皇軍との連続性と関連しますが、自衛隊は組織として天皇(制)自体にも強い親和性を持ち、「皇軍」であることを目指しています。例えば、安倍晋三政権が2018年3月に創設した「水陸機動団」の紋章は「三種の神器」の1の「草薙の剣」です(24年3月23日のブログ参照)。

 牛島の辞世の歌を削除させる必要があるのは当然ですが、削除してすむ問題ではありません。それは上記の論調のような「誤解」や「住民感情」の問題ではないからです。

 自衛隊は生まれも育ちも、旧日本軍と連続性があり、「皇軍」であることを目指している軍隊です。憲法の主権在民にも平和主義にも反する軍隊です。憲法違反の軍隊の存在を容認することはできません。それが今回の問題の核心です。

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