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関東大震災(1923年)時の朝鮮人らに対する大虐殺(「関東ジェノサイド」前田朗氏)には、摂政(当時)裕仁の責任究明・追及という盲点があると書きましたが(7日のブログ参照)、もう1つ、ほとんど注目されていない問題があります。ろう者(聴覚障がい者)に対する虐殺です。
『歴史の闇に葬られた手話と口話―関東大震災下で起きた「ろう者」惨殺の史実を追う』(藤井裕行著、公益財団法人・神戸学生青年センター発行ブックレット2023年10月=写真中)でその実態を知りました。
藤井氏(69)は元伊丹市役所職員で、50年以上にわたって手話を母語とする人々のコミュニケーション支援を続けています。以下、同書からの抜粋(要約)です。
< 震災から4日後、東京聾唖学校に驚愕の一報が入った。在校生が憲兵に呼び止められ、言葉が通じないことから、朝鮮人と間違われて銃剣で刺殺されたという。
校長の小西信八は急ぎ在校・在勤証明書を作り、生徒全員と「ろう者」の教師たちに配布した。また、百名余りの生徒に「聾唖印章」を着用するよう伝えた。
震災時、東京には「ろう者」が約1万3千人いたと推定。聾唖学校の就学率は約10%だったので、街には無就学の「ろうあ者」が1万2千人近くいたことになる。日本語の発声発語が困難な「ろう者」たちは、朝鮮人に誤認され、自警団に殺害されたはずだ。犠牲者の中にどれだけの「ろう者」がいたのか、正確な数字は今も把握できない。
多数の「ろうあ者」が惨殺された事実が、歴史の闇の中で朽ち果てようとしている。これに関する調査研究は皆無に近い。>
藤井氏の冊子には1923年10月5日付の讀賣新聞の記事が転載されています(写真左)。差別用語満載ですが、そのまま引用します。見出しは「オシやツンボが澤山 自警團に殺傷 東京聾唖學校の生徒は 半數以上生死が判らぬ」。
「自警団の暴行検挙は引続き行はれているが大震災の当初、夜警団員は殺気立つて居たせいか誰何されて返事の出来ない多数の聾唖者が随分傷害され半死半生の憂目にあつた…東京聾唖学校在校生の生徒で生死不明の者が全生徒数の約半数に及んで居ると云ふが其他一般の唖者の中にも半殺しにされた者が多数あるのは甚だ気の毒なことである」(記事より)
東京聾唖学校で「聾唖印章」が配られた生徒は「100名余」。「全生徒の約半数が生死不明」といいますから、同校生徒だけでも約50人が惨殺された可能性があります。
当時の東京には「1万2千人近い」無就学のろうあ者がいたとされます。そのうち何人が犠牲になったのでしょうか。
「関東ジェノサイド」におけるろうあ者の虐殺は、朝鮮人に向けられたレイシズムが障がい者の虐殺にも向けられたことを示しています。
その実態が分かっていないばかりか、調査研究すら皆無に近いことは、国家権力(政府・自治体)はもちろん、学術研究、そして市民レベルでも、日本社会がいかに差別・人権侵害の歴史に背を向けてきているかを表しているのではないでしょうか。