アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

沖縄戦の多様な側面を知る・『続・沖縄戦を知る事典』

2024年06月22日 | 沖縄と戦争
   

 79回目の「6・23」を前に、『続・沖縄戦を知る事典』(古賀徳子、吉川由紀、川満彰編、吉川弘文館)が今月出版されました。沖縄戦の何をどう継承するか、重要な問題提起がされています(写真左は「平和の礎」、写真中は牛島司令官を祀った「黎明之塔」)。

 前著『沖縄戦を知る事典』(吉浜忍、林博史、吉川由紀編、吉川弘文館)が出版されたのが2019年6月。それからちょうど5年後の続編です。前著がテーマ別に沖縄戦を解明したのに対し、続編は、沖縄県を南部、中部、北部、周辺離島・大東島、宮古・八重山の5つの地域に分け、その中の24市町村の地域史を取り上げて沖縄戦の実相に迫っているのが最大の特徴です。

 沖縄では1980年代以降、ほとんどの市町村に地域史編さん室が設けられ、地域の沖縄戦の記録・継承に取り組んできました。その手法は、住民一人ひとりからの聴き取り(オーラルヒストリー)です。

「これまで市町村史が記録した証言は数千点に及ぶ。…こうした市町村史による記録は沖縄の財産であり、これからの沖縄戦継承のカギとなる」(吉浜忍・元沖縄国際大教授、同書より)

 この「沖縄の財産」を私たちが直接閲覧するのは簡単ではありません。そこで全県の「市町村史」の中から24を抽出し、1冊にまとめたのが同書です。

 通読して改めて教えられたのは、「沖縄戦」と一口に言っても、地域によってその実態は千差万別だということです。
 メディアが取り上げる「沖縄戦」、したがって「本土」の日本人がイメージする「沖縄戦」は、米軍が本島に上陸した1945年4月1日から6月23日まで、しかも第32軍(牛島満司令官)を中心にした、首里から南部の摩文仁に至る地域の状況ではないでしょうか。

 しかし、沖縄戦は少なくともその1年前から本格的に始まり、「8・15」になっても終わりませんでした。犠牲も戦闘に巻き込まれただけではありません。食糧不足による飢餓、マラリアによる病死など多岐にわたります。

 興味深いのは、日本軍が不在か手薄なため米軍が容易に支配した中部地域は、32軍と運命を共にすることになった南部に比べ、住民の犠牲が格段に少なかったことです。

 地域によって千差万別ながら、すべての地域に共通する沖縄戦の特徴も改めて強く印象付けられました。それは、日本軍が沖縄にやってきた直後から学校をはじめ公共施設が軍に接収されたこと、そして、軍民一体化・虐殺・拷問・食料略奪・マラリア地域への強制疎開・重労働作業などによって沖縄住民を、さらには多くの朝鮮人を死に追いやった張本人が日本軍だったという事実です。

 「軍隊は住民を守らない」どころか「軍隊は住民を殺す」。これが沖縄戦の実態であり、継承すべき重大な教訓です。同書はそのことを各地の具体的な事実・証言で明らかにしています。

 編者の1人である吉川由紀氏(沖縄国際大非常勤講師)はこう主張します。

「悲惨な地上戦だったと沖縄戦を大きなくくりで捉えるのではなく、一人一人の具体的な戦争体験を集めて巨大な塊として伝える多様な側面を知り、こういう体験を刻んだ土地だからこそ、軍隊や軍事力でもたらされる平和を拒否する土壌があると理解してほしい」(18日付沖縄タイムス)

 沖縄戦の「多様な側面」を知り、「軍隊や軍事力」によらない平和を追求する。その歴史から学ぶことが今ほど必要な時はありません。


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