リラハープは、ご注文頂いてから、弦を張り、通常は、一週間かけて調整します。
その間、各弦を響かせますが、まとまった音色にするには、弾き込みが必要です。
そのため、マリリラを手にした時から、「一日20分弾き」を始めて頂ければ、やがて、各弦が美しい音色を奏でるようになります。
リラハープは、ご注文頂いてから、弦を張り、通常は、一週間かけて調整します。
その間、各弦を響かせますが、まとまった音色にするには、弾き込みが必要です。
そのため、マリリラを手にした時から、「一日20分弾き」を始めて頂ければ、やがて、各弦が美しい音色を奏でるようになります。
今日の工房は、午前中、シャリーバシーのCDが、何度も繰り返し再生されていました。
このCDは、私がバンドマンをやっていた頃から聴いています。
リラ作りを始めた頃も、聴いていましたが、聴くたびに、米軍基地内のクラブのステージが思い出され、飽きることはありません。
私にとっては、大事な一枚です。
このところ、工房は、朝暖房、昼冷房、が続いています。
木材もニスも、温度、湿度に影響されます。
幸い、今の作業場は、コンパクトで、母屋からは離れているので、良かったです。
でも、一日20分練習は、母屋で続けています。
リラサークルの皆さん。頑張りましょう。
(写真は、のんちゃんが工房に来てくれた時)
館林市に移住し、工房を構えて3年になろうとしています。
作業場の、正面に張ってあるのが、リラ工房のモットーです。
毎日、これを見てから仕事を始めています。
工房にお出で頂いた方は、お気づきと思います。
また、初心に帰って頑張ります。
今日、テレビで、100歳の影絵作家「藤城清治」「光と影の詩人」を観ました。
まさに100歳の現役作家の日常でした。
私自身は、かろうじて、70代(79)ですが、365日楽器作りをしている職人です。
まさに、職人の、お手本を見させて頂きました。
ありがとうございます。
リラ工房の始まりは、楽器製作と、地方訪問が一体となっていました。
私も月に一度は、リラ奏者のもとにお邪魔し、レッスンもさせて頂きました。
その後は、バブルの崩壊、コロナ不況もあり、地方訪問もできず、楽器ブームも下火になりましたが、その反面、しっかり演奏する人、教室に通う人が増え、着実にリラハープが全国に広まりつつあります。
これからが楽しみです。
(写真は、Missa AOKI)
リラ工房の始まりは、楽器製作と、地方訪問が一体となっていました。
私も月に一度は、リラ奏者のもとにお邪魔し、レッスンもさせて頂きました。
その後は、バブルの崩壊、コロナ不況もあり、地方訪問もできず、楽器ブームも下火になりましたが、その反面、しっかり演奏する人、教室に通う人が増え、着実にリラハープが全国に広まりつつあります。
これからが楽しみです。
(写真は、Missa AOKI)
これは、消えることのない歌謡曲の名曲かもしれません。
森進一、キムヨンジャ、長谷川きよし、などが、熱唱しています。
そして、イントロで流れる弦楽器の音は、リラハープの音色にも似ています。
私も飽きることなく、弾いています。
ヴァイオリンにあご当て、肩当て、があるように、リラハープには、ひざ当て、足台が必要です。
どちらが欠けても、演奏できません。
そして、リラハープを弾くには、オーケストラで使用されてるような、パイプ椅子も必要です。
その上で、演奏者自身にあったリラの抱え方を見つけます。
これらは、リラ教室でご確認下さい。
魚沼育ちの私は、18歳で東京に出て、19歳からキャバレーのバンドマンとして毎夜ステージで演奏してました。
その後、米軍基地内のクラブで、コンボバンドのメンバーとなり、ショービジネスの本場を体験しました。
そして、グループサウンズ時代には、全国を回り演奏しました。
ところが、カラオケブームがあって、バンドマンのほとんどが失業しました。
そこから、作曲や音楽理論の勉強が始まり、楽器つくりの道が開けたと思います。
今後は、世代を越えて弾いて頂ける、小さなハープ、リラハープを後世に残せるよう精進します。