ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

歌うこと大好き!

2011年04月15日 | 今日この頃

     「はなもも」   尼崎・スポーツクラブ・ウッディ   (11-4-5)



先週はお休みしましたので、3週間ぶりに唱歌の学校に行きました。周りの人達は、
着くなり「あ~しんど、だんだん来るのがしんどいね」「そやけど、やめたら行くとこ
ないし、何にもする事ないし…」と言う会話…。

「しんどい」と言うことは共感できるけど、「する事ない」「行く所ない」にはビックリ! 
「する事」「行くとこ」限りなくあります。ただ体力がついていかないのでほどほどに
しています。

12年も続けているのですから、それだけ年をとってきたわけです。残っているのは
半数ぐらいでしょうか。2~3年後のクラスと合併しているので、初めのクラスから
すれば、1/3ぐらいになっていると思います。

校長先生はオーストリア行きでお休みでした。急なお呼びが掛かったそうです。「東
日本大震災」の為のチャリティ・コンサートがウイーンで開かれるそうです。会場は
宮殿内に1000名収容のホールがあり、そこで「唱歌」を歌うのだそうです。そこの
オーケストラの構成員は日本人が多いそうです(留学生やそこに住んでいる人等)
それで指揮者も日本人がいいだろうと言う事で先生にお呼びが掛かったようです。

明後日17日に行われるそうで、チケット代が日本に寄付されるそうです。来週に
は帰国されるそうですから、「お土産話」を楽しみにしています。

それから、もう一つ、のりこ先生が「音楽の友」と言う雑誌のコンサート評価で好
評されたようです。私は聞きに行きませんでしたが…。「声量豊かに、歌の情を切
々と歌い上げている」と言う絶賛記事だそうです。

お二人ともご活躍で嬉しい限りです。生徒の私達もがんばらなくっちゃ~ね。




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獅子のごとく

2011年04月14日 | 読みました

                  JR大阪駅が綺麗になりました   (11-4-12)


大阪駅が新しくなりました。11日から2階からも出られるようになりました。あち
こちにエスカレーターが設置されています。大丸百貨店を二分するような形で南側
の地上に降り立ちます。新しいのでとても気持ちが良いです。私のように写真を撮
っている方も見かけました。5月の4日から商店街も開店のようです。


    獅子のごとく(小説 投資銀行日本人パートナー)     黒木 亮

大会社の合併とか金融融資とかにかかわる銀行が投資銀行という名の銀行かな? 
と興味はありました。

小説と言う名を借りては居ますが、実際に行われた事のお話であると言う事は、実
名の一字を変えていることで想像がつきました。

一番分かりやすかったのが、安田火災保険(甥っこも勤めている)の「ゴッホのひま
わり」47億円と書かれていたのでも分かりました。甥に招待券を貰って、見に行き
ましたが、何故この絵が47億円もするのか、私には理解できませんでした。私は
「絵」は好きですが、この「絵」の良さは理解できませんでした。玄人筋といわれる
人のみ理解できる良さなんだろうと理解しています。ただ、他所でも「ゴッホのひま
わり」を見たこともありますが、それらより安田火災の「ひまわり」が上等(構図が
いい?)かな?と言う感じは受けましたが…。

自分の勤めた銀行NI
、実父の会社が倒産して、家屋敷を取り上げられる。主人公は、
その差配をした上司を恨み、何時か見返したいと思う。銀行を辞め、外国資本の投
資銀行に転職する。あらゆる手を使って実績を上げ、成功する。

地位的には、見返したい元上司の上になる。上司の転職先の会社と逢坂の会社が敵
対的な立場に立った時、逢坂は元上司を見事に貶め、自分の勝ちを意識する。

しかし、逢坂に会社を辞めさせられた部下に恨まれ、その刃に倒れる。

人を恨むことは自分も不幸になると言うことですね。

註が付いていました。
本作品には一部実在の人物や団体が登場しますが、内容はフィクションです。
為替の換算レートは、それぞれの時点での実勢レートをしよう。

参考としては「逢坂とライブドア幹部の話」「村上世影激白『今度は西武鉄道を徹
底的にやります」等々を参考にしたと記載されていました。(本書の主人公の名は、
そのまま「逢坂」ですから、実在の人物、実話でしょうね)。

(本の中では逢坂のもち馬が優勝することになっていますが、)第140回天皇賞
で実際に優勝したのは、カンパニー(8歳、牡)です。

経済・金融用語集も着いていて、親切な本です。



           奇抜な、私的には好感度の屋根 色んな角度から撮って見ました



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やっと、中止になった「子ども手当て」

2011年04月13日 | 今日この頃

                    「木蓮」   尼崎の町角で   (11-4-5)




やっと「子ども手当て」廃案が決まりましたね。先の国会で共産党と社民党の協力
を得て、「つなぎ法案」とやらで9月までの支給が決まりました。その理由が元の
児童手当に戻すのに時間がかかり、空白を作るからと言う理由でした。

「子ども手当て」は時限立法です、何時中断されるか分からないのです。元の児童
手当のデーターを保存していないのでしょうか? コンピューターの時代です。クリ
ック一つで元に戻れると私は考えます。「つなぎ法案」など必要ないと思っていまし
た。

このことで共産党への見方も変わりました。私は元は共産党員といえば、貧しい世
界から、歯を食いしばって自力で這い上がってきた人の集まりだと思っていました。
「やれば出来る」と言う考えの持ち主達だと思っていました。だのに、「子ども手当
て」の「つなぎ法案」に賛成して、「親」を甘えさせ、ありえない「平等」をもっともらし
く信じさせようとしました。志位さん! なんだか変ですよ! 共産党ってそんな
主義主張でした? あいまいな今のままでは、ますます人心は離れてゆきますよ!

民社党は、何故今の時期に廃止を決めたのでしょう? やっぱり「選挙」の為です
か?「つなぎ法案」まで作って、選挙民をつなぎとめようとしたのに、「子ども手当
て」と言う鼻薬は効かずに、惨敗でした。お金ばら撒いても、効果なしなら、やめ
とこかですか? やっぱり票欲しさのバラマキだったのですね。ま~止めてくれた
のですから、いいとしましょうか。ずいぶん無駄な授業料でしたが…、これで、自
分の子は自分の収入で育てる覚悟が、親に出来ました。良かった良かった!



                      「いちはつ」
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東日本大震災の陰に隠れて

2011年04月12日 | 気にかかる

                     「こぶし」  町角で     (11-4-9)


如何してこんなに何時までも寒いのでしょう。寒いと、血圧が上がります。東北の
高齢者の方は如何しておられるのでしょうか、避難所はもう灯油は届いているの
でしょうね。常備薬は手に入っていますか?折角命拾いしたのです、長生きして
ください。

仮設住宅は家族向きが先なんでしょうか? 独居老人用は後でしょうか? お掃
除も大変ですから、1間でもいいのです。しかし命綱、病院だけは歩いていける範
囲に作ってあげてください。それも出来るだけ元の場所に近くにお願いします。年
よりは若い人のように順応性がないのです。どうかどうかよろしくお願いいたしま
す。 


韓国の金滉植首相が「日本は無能だ」と明言したそうです。どういう点を指してい
るのか、良く分からないのですが、確かに外国との関係においては、「馬鹿なくら
いお人好し」であり「相手を見る目」がありません。

しかし今の政府はうっかりしていると、コソコソと自分の思いを遂げようとするよ
うです。

大震災のこれからに奔走しているかに見せかけて、ドサクサ紛れに、過ってからの
通したい件案、「中国人ビザ発行」の緩和を更に進めようとしたり、「特捜全面可視
化」を江田法相が検事総長に指図したりしているようです。

「特捜全面可視化」は「冤罪」を造らない為と言う理由です。それも一端かも知れ
ませんが、その反対、隠れている「真実」を引きずり出す方法でもありませんか? 
「可視化と決める前に、もう一度、真摯に意見を戦わせることが大切ではないです
か? 意見を戦わすことなく通す案件ではないような気がします。

「中国人のビザ」の件もそうです。これ以上緩和すると、またまた、ややこしいこ
とになる可能性が大です。

今は震災の後始末とすべてを失った人々の事を考えてください。

それでなくとも、我領土を中国、韓国、ロシアが「隙あらば!」と狙っています。
民主党はコソコソと空き巣狙いのようなことは止めてください!




     
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尼崎・立花も桜満開!

2011年04月11日 | 今日この頃



          尼崎・高瀬公園の 「桜」 私の一番のお気に入り(11-4-9)



今日も、東北では、震度7の余震があったようですね。縦ゆれもあったようですね。
縦の突き上げる感じは、本当に怖いと思います。

東電と福島県どうなっているんでしょう。東電社長が県庁を訪れたそうですが、県
知事は会わなかったようです。廻りも「何をいまさら1ヶ月もたって!」と言う雰囲気
だったそうですね。前に東電社長が会いたいというのを福島県知事が「ノー」と言
ったんでしょう?

今日も会わなかったそうですが、大人気ないですね。トップがこれでは困ります。
危険手当を貰い、県の財政資金にしていた福島県がこんな態度でいいのですか?
角つき合わせている場合ではないのです、お互いに意見を交わしてこそ、未来への
道も開けると言うものです。

避難生活をしている南相馬市の主婦が「県庁には行ったのに、避難所にはこないの
はおかしいが、ここに来たら無事ではすまなかっただろう」とはき捨てるように言った。
と言う記事を読んだとき、トップがトップなら市民も市民だな~と「がんばって欲しい。
皆でできるだけの事をしてあげたい」と言う気持ちがす~っと引いていくような気が
しました。今は心を一つにしなければならない時なのに…。


            JR立花駅 沿線の「桜」   (11-4-9)



9日(土曜日)に図書館に本を返しに行く時に、歩いた道すがらに撮った写真です。
尼崎には案外「桜」が多いのです。個人住宅のお庭にも植わっていますしね。

今はあまり言われなくなりましたが、「尼崎は公害の町」と言われて、「煙もくも
く」の感じでしたが、今は空も澄み渡り、公害に弱く、花を咲かせないといわれて
いる「金木犀」も毎年花をつけるようになってから、数十年たちました。

結婚して立花に住んだとき「どちらにお住まいですか?」と聞かれて「尼崎です」
とは素直にいえない時期がありました。

尼崎は兵庫県ですが、大阪府のお隣で、兵庫県の東の端になります。尼崎は地方
局番が何故だか大阪の「06」なんですよね。だから大阪だと思う人もあるよう
ですよ。

今から50年ほど昔ですが、私が結婚して尼崎にうつりすんだころです、よっぽどの
理由がない限り、個人宅には電話が引けなかったのです。ですから私の家の電話
は「主人の会社の出張所」と言う事で引いてもらいました。

それも「秘話式」と言いまして、1本の回線を2軒で使っていたのです。勿論番号は
違いますが、相手が使っている時は使えないと言う代物でした。相手方は相場師
の方でよく使っておられましたが、私の方は、電話料は会社持ちなんですが、めっ
たにかけることはありませんでした。

今日は「尼崎の桜」を愛でていただきましょう。




          阪急・武庫之荘駅 沿線の「桜」     (11-4-9)




               尼崎・福住公園の 「桜」   (11-4-9)    
     
   


          尼崎市立・立花西小学校の 「桜」    (11-4-9)






        尼崎・武庫之荘・さくら通りの 「桜」    (11-4-9)
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優しいおとな

2011年04月08日 | 読みました

                    我家の「ムスカリ」 2色


今日は一日中雨が降っていました。折角満開に近い「さくら」が一寸可哀相な気も
します。


          優しいおとな     桐野夏生

桐野さんの本は割りと沢山読んでいる。でもこの頃の私は題名ぐらいは覚えている
が、内容はすぐ忘れてしまいます。それでもめげずに読み続けます。本を読んで、今
まで知らなかった世界を見て、感動して、それでいいのではと自分を許しています。

忘れるのを恐れていたら、これからの私は何も出来ません。読んでいるときに、見
ている時に、何か心に響くものがあれば、それでよしとしています。


主人公のイオンは児センを脱走して、一人で生きていくストリートチィルドレンだ。
児童養護施設で「愛」を知らないで育ったイオンはやっぱり他人に「愛」を感じな
い少年だった。しかし、一人生活していくうちに、だんだん周りの人間と親しみ、
愛されるようになっていく。

この本の題名である「優しいおとな」ですが、おとなには、「優しいおとな」「優
しくないおとな」「どっちつかずのおとな」が居ると書かれています。一番癖の悪
いのが、「どっちつかずのおとな」です。なぜなら大方の「どっちつかずのおとな」
は自分の都合で「優しくないおとな」に傾いて、子どもをいじめる側に廻るのです。

「闇人」とか「川人」とか聞いたことがないような生き方の集団に流れていくイオン。
私には実際に、これに似た集団があるのかないのか、何故かあると信じたい感覚で
この本を読みました。

この本の中で心に残った言葉は

『人間は記憶で生きる。昔の記憶。少し前の記憶。昨日
の記憶。それらが、自分と言う人間を作る』


今まで考えたこともないことだけれど、「なるほど」と思う。「記憶」と言う言葉
ではなく「思い出」という言葉に置き換えれば、実感がわく。私の今までの生活が、
記憶となって、私の心に留まり、「それこそが私である」と言う。私って?と考え
た時、過去の私を思い出し、私が形作られていく。

そんな事を考えさせられた本でした。



            「椿」   尼崎・大井戸公園   (11-3-20)



コメント (2)
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東日本大震災の裏表

2011年04月07日 | 気にかかる

             私にとって今年初めての 「桜」     尼崎市・上坂部・ひろ田


     


大震災で亡くなった方が多いのですが、その報道は毎日のようになされています。
しかしその裏側で、と言いますか、震災関係、二次関連で死亡した自衛隊、警察、
消防の方々が多いことも事実のようです。早い時期に、自衛隊、警察官数十名の
死亡報道がありましたが、それを見た私達は「何故?」と言う驚きがありました。
しかし、そのことに関しては、何の報道もなく、疑問のままに残っております。どうい
う状態で多くの犠牲者を出したのか? 知りたいと思います。

原発に関しては、東電の下請けの方達は、身を削って修復にかかっておられます。
そのことに関して、「下請けばかり(東電の社員は努力しない)にさせて…」と言う人
も居ますが、前に東電の女子社員が「東電の社員も一生懸命なのに…」と言ってい
たように、東電の現場の人は働いておられると信じます。

しかし事務方が現場で役に立つはずがないのです、日ごろから現場を熟知している
のは下請けの会社のかたではないですか? だから招集が掛かったのであって、被
爆の恐れがあるからということで事務方が行かないのとは違うと思うのですよ。現場
を良く知っている人に、一刻も早く破壊を止めて欲しいから召集を掛けたのだと、私は
思うのです。

重役が現場に行かないのはけしからんと言う声がありました。現場に行って激励を
せよと言うことでした。これに関しては私もそう思います。現場に行って、感謝と励ま
しの言葉は必要でしょう。本当に誰も行っていないのでしょうか?

外人の意見として、「日本人は一つ事の解決を見ないと、先に進めない傾向があり、
それが迅速さを阻み、援助等の妨げになっている」と言いました。何とか委員会と
かが乱立する中で、会議も開かれず、又開かれたとしても、実践に繋がらない、折
角の援助物資も山積みされ、被災者の元に届けられない映像を見ると、「何をもた
もたしているの!」と腹立たしい気持ちになります。

今読んでいる本の関係から、お金の動きも気になります。復興資金?兆円とかいわ
れています。お金の動きがあれば、そこには利益を得る企業もあるわけで、全財産
を失った被災者があれば、それで潤う人もあるという具合に、常にお金には、と言
うより、物事には明と暗、損得が付きまとうのが世の中なんだな~と複雑な気持ち
でいます。

沖縄の2大新聞・沖縄タイムスと琉球新報はこの度の自衛隊の援助活動を報じな
いそうです。「自衛隊問題を政治の方便にしてはならない」とか「活動開始が遅い」
とか、自衛隊の活動を否定するような書き方だそうです。沖縄での「嫌われ者」は
「トモダチ作戦」と称して親身になって助けてくれています。行動も早かったのです。
「集団自決問題」もこの新聞たちの広言です。沖縄の人々はこの新聞で情報を得て
いるのですから「何をか言わんや」です。2大紙の記者は日本人でしょうか?
と本気で考えてしまいます。

このたびは新聞報道はなくとも、テレビで放映されていますから、沖縄の人も少し
は認識を改めてくださったのではないでしょうか。沖縄タイムス、琉球新報はそれ
を阻止したいのでしょう。しかし人間人の好意を素直に受け取れなくなったら人間
不幸の始まりだと思います。

「地元民の身になってみろ!」と言われるかもしれませんが、それは無理な話で、
しかし、対岸の岸に居るからこそ、大きな視野で見渡せるということもあるのでは
ないでしょうか? 大きく目を開き、反対意見にも耳を傾けてこそ、正道が開ける
と私は思います。




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破壊された自然

2011年04月06日 | 気にかかる
          
          我家の「日本水仙」 やっと咲き始め 今あちこちで咲いています
     

美しい海岸線は自然が造ったもの、それを津波がさらっていってしまいました。
町造りをどうするのか?新しい町を造るのか?元通りにするのか、個人資産の利権
関係もあり、住民との摩擦も考えられるが、当事者ではない私から見れば、町が跡
もなく無くなった状態を見れば、この際思いきった新しい町造りをしてはと思うのです。

自然が売り物の観光地であったのですが、それを人力で再現なんて、出来っこあり
ません、たとえ似通ったものが出来たとしても、それは人工の偽物。自然は自然
にしか造れないと思うのです。だから方向転換をして、現代の持てる総力を注ぎ込
んだ新しい町になれば良いな~と思うのです。

多くの工場も流されたようです。1軒1軒建て直すのも時間がかかりますから、共同
団地にして1箇所に集めるとか、働く人の活気があればその周りに、商店街が増え
る。商店が増えれば住宅が増えると輪が広がると思うのです。

まずは仮設住宅でお過ごしいただき、生産過程を重視率先させないと元気が戻らな
い。漁業が多いようなので、まず、船を手配して働く場所の確保、元気を出してもら
う。良く引き合いに出される「神戸」とは家や財産をなくしたのは同じですが、一部を
除いては過疎地も多い東北とは全然違うと思うのです。

問題は生産力の無い高齢者住宅は病院を中心に仮設を建てていただく。折角拾った
命です、それには医療と介護の手が必要なんです。私も同世代ですから、その必要
性を身に滲みて感じます。

問題は観光で商売をしていた方ですね。私の考えは及びませんが…。

町が村が元のままの姿に戻れなくとも、被災者の皆さまの心の窓には、シッカリと
残っていると思います。これは私の経験からなんですけれど、私の家も、昭和20
年3月17日神戸の大空襲で跡形もなく焼け落ちました。しかし、70年近くたった今
でも、私の頭の中には、家の間取り、元町商店街のお店等はっきりと残っておりま
す。

私が集団疎開から帰ってきたのが11月です。その時は神戸の北部、平野に住んで
いましたが、どのようにして、自宅の焼け跡に行ったのか忘れておりますが、ボチ
ボチ廻りにバラックの立ち始めた元町の我家の焼け跡にぽつんと一人立っている
自分の姿を良く思い出します。

焼けて8ヶ月、終戦から3ヶ月たっていましたから、焼け落ちた家屋の撤去はされ
ていました。このたびの津波ですべて押し流され、むき出しになった土地の映像に
過っての私がいるような気がしました。「何にもないな~」と思ったこと。

何か一つでも思い出の物をと探しておられる映像を見ますと、人間って、境遇が同
だと、同じように考え、同じ事をするのだな~と思いました。小学4年生の私も、又
何か思い出の物を…と探しました。私はその焼け跡からガラスの小鉢を2つ拾って
帰りました。母のお気に入りの器でした。今でも大切に持っております。この小鉢が、
私の小さい頃を知っている生き証人のような気がしているのです。

ですから写真を拾い集めて、ご本人に渡そうとしておられる方が居るのを見て、今
は不必要なことのように見えますが、少し落ち着けばありがたいことだと思いますよ。
今しか出来ないことですからね。整地される前に、コツコツと集めてくださっている
方には「よく気がついてくださった」と感心しています。1枚でも多く集まるように、そし
てご本人のまたはご家族の手に返りますようにと祈っております。



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