平成14年5月15日(水) 第36番 青龍寺
距離:26K 喜久屋旅館 ~ さざなみ荘
喜久屋旅館は私達だけで一寸寂しい食事でした。また「鰹のたたき」が出ました。夕方遅くに女性4人のグループが素泊まりでやってきました。観光でしょうか? 何処を見るのでしょうか?
食事の後、女将さんに明日の道順を聞きました。この宿の名物「女将の地図」を丁寧な説明と共に頂きました。字がとっても奇麗でした。字が奇麗ということは徳ですね。賢そうに見えます。声の大きいのも良いですね。元気で、自信ありげに見えます。
5月15日(水) 第36番 清龍寺(せいりゅうじ)
起きぬけ、5時にシャッターを押し上げて家内に向かって「有難うございました」と呟き、一礼して出発した。昨夜の内に支払いも済ませて、早立ちすることを伝えてあります。シャッター内部のガラス戸に鍵は掛けないで置くといわれました。
「塚地トンネル」と言う看板を右折、此処からは一本道と聞いているので気が楽でした。トンネルと峠声の分かれ道のところに休憩所がありました。東屋の中に野宿しているテントが4張り、自転車の主達はまだ夢の中らしく静まり返っています。
私達はトンネルを選びました。トンネルを抜けるとその突き当たりは海です。海岸線に沿って歩いていますと、暫くして宇佐大橋が見えてきました。小雨まじりの風が吹いています。橋を渡るときだけでも「風よ吹かないで!」と祈る気持ちです。
36番 青龍寺は打ち戻り(同じ道を行き帰りする事)なので橋を渡る前に荷物を預ける予定です。予定していた店は「本日休業」でした。途方にくれていますと、同じ道筋の「レベッカ」と言う喫茶店に従業員らしき人が現れました。「モーニングを食べて、荷物を預かってもらえますか?」と訊ねましたら「もう少し待ってくれれば出来ます」と言うので、待たせてもらう事にしました。「レベッカ」と言う小説を読み、映画も見たな~など考えながら、暫く外で待っていました。
用意の出来た店内に入り「モーニング」を頼みました。暫くすると店の女主人もご出勤です。「彼女(従業員)は東京から高知にお嫁に来た人だが、今では、高知生まれの私達(主人)より「ハチキン」だよ」と言いました。「ハチキン」とは男勝りの働き者の女性の事だそうです。「高知の女はよく働く、だからは男は遊ぶ。女は強くなり酒も強い」と話してくれました。お客さんが来るまで、こうして土地の事など話を聞くのも楽しみなものです。常連さんで店が塞がったので、荷物を預けて、軽々と青龍寺に向かいました。
この長い階段の上に本殿、太子堂があります
高校生だった朝青龍はクラブ活動で
毎日この石段を上がり下りしてトレーニングしたと言う話です
小雨の中、ぬれている石段に足を滑らせないように気をつけながら、ゆっくりと登りました。雨が降っていなければ、良い景色なんでしょうが、私達以外遍路の居ない寂しいお寺を早々に下りてきました。
お寺で背の高い歩き遍路さんが話しかけてこられました。「区切り打ちで、延光寺までの予定です」と言うお話しでした。私達はその手前のJRの駅で今回は終了の予定でした。その時はこれから登る彼とは袂を分かちましたが、まさかこの方と(相江哲良さん)3泊4日も一緒に旅する事になろうとは、「神のみぞ知る!」でした。
沢山のバス遍路さんがやってきました。人数が多い分ガヤガヤと賑やかです。
橋を渡り終えたところで昨日あった若者「悠々さん」がやってくるのに出会いました。「打ち戻りだし、荷物を預けていけばいいのに丁度お昼だし…」と言いましたら頭の上を遥かに越えた荷物を「見かけほど重くは無いのですよ。お腹は減っていますけど、お参りしてからにします」と笑っていました。
荷物を受け取りに行って、お昼の「うどん」を食べました。
此処から3時間先に喜久屋の女将さん推薦の「さざなみ荘」があります。もし歩けなかったら、バスに乗りなさいと停留場も教えられていました。海岸沿いに歩いていましたが、行けども行けども町らしいところに出ません。
防波堤が歩き易いと主人が言うので歩いていたのがいけなかったらしい。フッと見ると右手の山際に自動車が入っていくのが見えました。「この道はおかしいよ。自動車が右手に行くのが見えたよ」私はぷりぷりして上の道の分かれ道まで後戻りしました。又余分に歩いてしまったのです。
フッと振り返りますと青龍寺でであった背の高い人がやってくるのが見えました。「今夜は何処にお泊りですか?」と聞いてこられた。「さざなみ荘です」「私もお昼を食べた店で教えられたのですが、電話番号が解りません。道沿いにあるというので、宿には連絡しないまま此処まで来ました」と言われたので、電話番号を教えてあげました。ところが、息子さんから借りてきた携帯電話が動かないので見て欲しいとの事でしたが、そんなこと言われても、私も自分の携帯しか使えません。後で解ったことはズボンのポケットに入れているので動くといけないと思ってロックしていたらしいのです。今では考えられない事ですが、当時携帯ビギナーの私もなるほどと合点だったのです。
「それなら私が連絡しましょう」と私の電話で宿に電話を入れました。その時女将さんに「3時からですからゆっくり着てください」と言われました。ところが2時に着いてしまったのです。しかし「3時から…」と言う言葉があったので、入りにくいのです。三軒手前の店先を借りて、合羽を脱いだり畳んだりしていても時間は遅々として進みません。「喫茶店はありませんか?」と店の人に聞きますと、「喫茶店と言う程ではないが…」と教えてくれたのが、私達が留まる「さざなみ荘」だったのです。
先を行く 長身の相江さんと主人
仕方が無いので私は「すみません。もう着いてしまいました」と遠慮がちに電話を入れました。後で女将さんが言われるには「3時からですといったのは、大抵の人が言った時間より遅れてきて『すみません』と謝られるので、『ゆっくりでいいですよ』と言う意味で言ったのです」と言う事でした。意思の疎通を欠くと言うのはこういう事を言うのですね。お互い話合って見ないと心の内は解らないものです。
8:48 ふじいさん (送)
昨夜早い内から雨降っています。青龍寺打ち戻しの橋のとき小雨だったらいいな。日に照り付けられないのはいいです。日が強くて袖口と手袋の間が焼けて、腕輪のように色がついています。
8:49 かずよ (送)
朝5時から歩いて、今モーニングを待っています。覚悟の上とはいえ雨はいや、長~い橋があるらしい。打戻と言って島にあるお寺に参って戻るために二度わたらなくてはならないのが一寸心配。
13:58 かずよ (受)
こちらもよく降っています。雨の日はうっとおしい気分的に重たくなりますよね。でも頑張って。
12:06 ふじいさん (受))
大阪は小雨が降り始めました。なんだか寂しい。そちらもあんまり降らないように。
さざなみ荘は裏が直ぐ海 夏は海水客で賑わうとか…(2階から写す)
16:10 ふじいさん (送)
じゃーじゃー振りです。雨の中、朝の5時から2時まで修行させていただいたわ。靴はグショグショ、ポンチョ型合羽にレインズボン、雨で濡れるのではなく蒸れて大変。入江に向かってとても景色の良いお部屋です。又明日。
16:52 ふじいさん (受)
入江に向かっての安らげるお部屋で疲れを少しでも忘れて、明日も良いお参りが出来ますように。
距離:26K 喜久屋旅館 ~ さざなみ荘
喜久屋旅館は私達だけで一寸寂しい食事でした。また「鰹のたたき」が出ました。夕方遅くに女性4人のグループが素泊まりでやってきました。観光でしょうか? 何処を見るのでしょうか?
食事の後、女将さんに明日の道順を聞きました。この宿の名物「女将の地図」を丁寧な説明と共に頂きました。字がとっても奇麗でした。字が奇麗ということは徳ですね。賢そうに見えます。声の大きいのも良いですね。元気で、自信ありげに見えます。
5月15日(水) 第36番 清龍寺(せいりゅうじ)
起きぬけ、5時にシャッターを押し上げて家内に向かって「有難うございました」と呟き、一礼して出発した。昨夜の内に支払いも済ませて、早立ちすることを伝えてあります。シャッター内部のガラス戸に鍵は掛けないで置くといわれました。
「塚地トンネル」と言う看板を右折、此処からは一本道と聞いているので気が楽でした。トンネルと峠声の分かれ道のところに休憩所がありました。東屋の中に野宿しているテントが4張り、自転車の主達はまだ夢の中らしく静まり返っています。
私達はトンネルを選びました。トンネルを抜けるとその突き当たりは海です。海岸線に沿って歩いていますと、暫くして宇佐大橋が見えてきました。小雨まじりの風が吹いています。橋を渡るときだけでも「風よ吹かないで!」と祈る気持ちです。
36番 青龍寺は打ち戻り(同じ道を行き帰りする事)なので橋を渡る前に荷物を預ける予定です。予定していた店は「本日休業」でした。途方にくれていますと、同じ道筋の「レベッカ」と言う喫茶店に従業員らしき人が現れました。「モーニングを食べて、荷物を預かってもらえますか?」と訊ねましたら「もう少し待ってくれれば出来ます」と言うので、待たせてもらう事にしました。「レベッカ」と言う小説を読み、映画も見たな~など考えながら、暫く外で待っていました。
用意の出来た店内に入り「モーニング」を頼みました。暫くすると店の女主人もご出勤です。「彼女(従業員)は東京から高知にお嫁に来た人だが、今では、高知生まれの私達(主人)より「ハチキン」だよ」と言いました。「ハチキン」とは男勝りの働き者の女性の事だそうです。「高知の女はよく働く、だからは男は遊ぶ。女は強くなり酒も強い」と話してくれました。お客さんが来るまで、こうして土地の事など話を聞くのも楽しみなものです。常連さんで店が塞がったので、荷物を預けて、軽々と青龍寺に向かいました。
この長い階段の上に本殿、太子堂があります
高校生だった朝青龍はクラブ活動で
毎日この石段を上がり下りしてトレーニングしたと言う話です
小雨の中、ぬれている石段に足を滑らせないように気をつけながら、ゆっくりと登りました。雨が降っていなければ、良い景色なんでしょうが、私達以外遍路の居ない寂しいお寺を早々に下りてきました。
お寺で背の高い歩き遍路さんが話しかけてこられました。「区切り打ちで、延光寺までの予定です」と言うお話しでした。私達はその手前のJRの駅で今回は終了の予定でした。その時はこれから登る彼とは袂を分かちましたが、まさかこの方と(相江哲良さん)3泊4日も一緒に旅する事になろうとは、「神のみぞ知る!」でした。
沢山のバス遍路さんがやってきました。人数が多い分ガヤガヤと賑やかです。
橋を渡り終えたところで昨日あった若者「悠々さん」がやってくるのに出会いました。「打ち戻りだし、荷物を預けていけばいいのに丁度お昼だし…」と言いましたら頭の上を遥かに越えた荷物を「見かけほど重くは無いのですよ。お腹は減っていますけど、お参りしてからにします」と笑っていました。
荷物を受け取りに行って、お昼の「うどん」を食べました。
此処から3時間先に喜久屋の女将さん推薦の「さざなみ荘」があります。もし歩けなかったら、バスに乗りなさいと停留場も教えられていました。海岸沿いに歩いていましたが、行けども行けども町らしいところに出ません。
防波堤が歩き易いと主人が言うので歩いていたのがいけなかったらしい。フッと見ると右手の山際に自動車が入っていくのが見えました。「この道はおかしいよ。自動車が右手に行くのが見えたよ」私はぷりぷりして上の道の分かれ道まで後戻りしました。又余分に歩いてしまったのです。
フッと振り返りますと青龍寺でであった背の高い人がやってくるのが見えました。「今夜は何処にお泊りですか?」と聞いてこられた。「さざなみ荘です」「私もお昼を食べた店で教えられたのですが、電話番号が解りません。道沿いにあるというので、宿には連絡しないまま此処まで来ました」と言われたので、電話番号を教えてあげました。ところが、息子さんから借りてきた携帯電話が動かないので見て欲しいとの事でしたが、そんなこと言われても、私も自分の携帯しか使えません。後で解ったことはズボンのポケットに入れているので動くといけないと思ってロックしていたらしいのです。今では考えられない事ですが、当時携帯ビギナーの私もなるほどと合点だったのです。
「それなら私が連絡しましょう」と私の電話で宿に電話を入れました。その時女将さんに「3時からですからゆっくり着てください」と言われました。ところが2時に着いてしまったのです。しかし「3時から…」と言う言葉があったので、入りにくいのです。三軒手前の店先を借りて、合羽を脱いだり畳んだりしていても時間は遅々として進みません。「喫茶店はありませんか?」と店の人に聞きますと、「喫茶店と言う程ではないが…」と教えてくれたのが、私達が留まる「さざなみ荘」だったのです。
先を行く 長身の相江さんと主人
仕方が無いので私は「すみません。もう着いてしまいました」と遠慮がちに電話を入れました。後で女将さんが言われるには「3時からですといったのは、大抵の人が言った時間より遅れてきて『すみません』と謝られるので、『ゆっくりでいいですよ』と言う意味で言ったのです」と言う事でした。意思の疎通を欠くと言うのはこういう事を言うのですね。お互い話合って見ないと心の内は解らないものです。
8:48 ふじいさん (送)
昨夜早い内から雨降っています。青龍寺打ち戻しの橋のとき小雨だったらいいな。日に照り付けられないのはいいです。日が強くて袖口と手袋の間が焼けて、腕輪のように色がついています。
8:49 かずよ (送)
朝5時から歩いて、今モーニングを待っています。覚悟の上とはいえ雨はいや、長~い橋があるらしい。打戻と言って島にあるお寺に参って戻るために二度わたらなくてはならないのが一寸心配。
13:58 かずよ (受)
こちらもよく降っています。雨の日はうっとおしい気分的に重たくなりますよね。でも頑張って。
12:06 ふじいさん (受))
大阪は小雨が降り始めました。なんだか寂しい。そちらもあんまり降らないように。
さざなみ荘は裏が直ぐ海 夏は海水客で賑わうとか…(2階から写す)
16:10 ふじいさん (送)
じゃーじゃー振りです。雨の中、朝の5時から2時まで修行させていただいたわ。靴はグショグショ、ポンチョ型合羽にレインズボン、雨で濡れるのではなく蒸れて大変。入江に向かってとても景色の良いお部屋です。又明日。
16:52 ふじいさん (受)
入江に向かっての安らげるお部屋で疲れを少しでも忘れて、明日も良いお参りが出来ますように。