
「クリスマスローズ」 尼崎・中央公園 パークセンター (12-2-20)

図書館に本を返して、新しい本を借りて来ました。「2冊お返しいただくのは3月
6日です」「あ~ぁ3月がそこまで来ているんだわ、早いなぁ~」
光市母子殺害事件の犯人に「死刑」判決が出ましたね。当然だと思います。当
時18歳と1ヶ月だったと言うことで2転3転した判決です。
少年だからと言って、人を殺して、刑の軽減は必要ありません。人の命を奪っ
たものは死刑、即ち自分の命で償う、これしか考えられません。
あれから13年の年月、拘束されているとはいえ、犯人は命長らえたのです。
命奪われた赤ちゃんは14歳に成長しているはずです。幼稚園、小学校と、新
しい事を学び、遠足、運動会と、一杯の嬉しい生活が待っていたはずです。今
年は中学かも知れません。何も経験せず、自分の意志も持たないまま命を奪
われたのです。
又その母にしても、子の成長を見る喜びを奪われ、結婚生活2年足らずで命を
たたれた。何の罪もないのに。その上に命奪われた後まで、犯人の欲望の餌
食にされた。この犯人の何処に生きる権利があるというのですか。
生い立ちが影を落としているといいますが、恵まれない家庭で育った子供はい
くらでもいます。でも大概は一生懸命生きていきます。「母の姿を求めて、抱
きついただけ」そんなことが許されますか? 他人様にですよ! 抵抗にあう
のは当たり前のことです。
初め殺意を認めていたのに、弁護人の入れ知恵が付いてから、言を翻しました。
そして13年も生かされました。
犯人の弁護団は「犯行時少年であった。更生の可能性あり」と死刑反対を今で
も訴えていますが、ご自分の家族が、殺されても、そういって弁護できるので
しょうか。
ご主人の本村さんは「死刑の判決」を勝ち取っても、生きてる限りこの事件を
背負って生きていかなければなりません。「死刑判決」を一応の区切りとして、
ご自分の人生を歩んでいただきたいと思います。

