「いづこいし」
昼過ぎのバスで南に下るのですが、タクシーを利用したため時間的な余裕が出来たので、昼食後もう一度「長八美術館」に行く途中にあったこの教室に行きました。
昨日は時間がなくて諦めていました。それが幸いでした。昨日はお弟子さん二人でしたが、今日はこれを考案したご本人がおられました。
「いずこいし」と言うネーミングは娘婿のコピーライターの方が付けられたそうです。『伊豆が恋し(小石)』とかけて「いずこいし」だそうです。
これは黒くぬった石に、デコパージュの要領で、用意された絵の内から自分の好きなものを選び、石に貼り付け、一寸金粉も刷いて、ニスをぬっては乾かしを8回ぐらい繰り返します。薄く回数が多いほど照りが出るそうです。
私はバスの時間があるので7回で終了しました。何故「お雛様」を選んだかと言いますと、松崎は旧のお雛様ですので、まだお雛様が飾ってあったからです。
アチコチで「いずこいし」を目にしましたが、彼女がコンクール(なんのだか忘れた)に入選したのが19年前で、やっと今年になって日の目を見て、今忙しいそうです。何でも諦めてはいけないのですね。彼女は私と同い年と判って、大いに話しが弾みました。
彼女が19年前入選した作品 そのときの新聞も見せてもらった
大きいです 私の作品の7~8倍はあります
時間にせかされながらも手仕事の好きな私は楽しみました。バスを乗り継いで「休暇村伊豆」に泊まりました。此処は以前にも泊まったことがありますが、なにしろ20年ぶりです、新館も出来ていました。旧館が去年リニューアルしたばかりなので、旧館に泊まりました。以前は食事は注文でしたが、この度は夜も朝もバイキングになっていました。品は「休暇村富士」の方が良かったように思います。
寝姿山に登るロープウエイ
山頂の愛染明王堂 絵馬がハート型でした
建物は1坪ほどの小さい「黒船見張り所」
予定では「寝姿山」に上る気は無かったのですが、早くついたのと町が案外こじんまりしていたので、時間がありそうで上ることにしました。ロープウエイから見た下田の市街地は一寸エキゾチックだったかな~。
宝福寺(お吉さんの菩提寺)のお吉さんのお墓の向かいにある「長寿亀」
お吉さんの哀しい一生を長々と読みました。美人に生まれたが為の不幸だったのでしょうか。下田条約協定の影の立役者なのに、ペリーさん亡き後は「ラシャメン」と蔑まれ、入水自殺するまでに落ちぶれて哀れな生涯だったのですね。お吉の生涯を書いたものがあれば読んでみたいと思いました。
この「長寿亀」に腰掛けると長生きするというので、腰掛けてきました。元気で長生きを願いながら。主人にも「掛けたら?」といったのですが、「もう長生きしてる…」って、掛けてる私を見て笑っていました。
了仙寺名物大きな「レモン」 夏みかんほどありましたよ
了仙寺の本堂と桜 (ジャスミンの花が有名でジャスミン寺といわれる)
下田条約協定調印した場所
ペリー通りに行く近道だったものですから通りました。お吉さんの菩提寺で出合った観光バスにここでも又出会いました。
ペリーさんが通ったといわれる「ペリー道路」
川端の柳が有名
此処で昼食を取るつもりで、土地の人に道を聞いた序でに、食事のことも聞いてみました。お年寄りでしたが、わざわざ店の前まで連れて行ってくださいました「良心的だと思うから…」だがだが、です。不味かった。「刺身定食」と「てんぷら定食」を取ったのですが、そのてんぷらを見てギョッ?!、素人の私でもこんなに不細工なてんぷらは揚げないという代物、衣を外して食べましたけどね…。お刺身もたいしたことありませんでした、只「金目ダイ」の刺身は初めてでした。でも不味い食事に当たった時は哀しいですね。
土肥温泉の花時計(世界一大きい)と桜
「といおんせん」と書かれた部分はタイルなんだよ 一寸ずるいんじゃない?
今夜は「戸田(へだ)」に泊まる為に2回目の乗り換え地点として土肥によりました。此処で旅行中始めて小雨が降ってきました。此処から30分で戸田です。カーブの多い山道です、左は絶壁ですが桜のトンネルがとても奇麗でした。
戸田の停留所には民宿の女将さんが車で迎えに来てくださいました。今夜の泊り客は私達だけでしたが、下のお座敷で地元の人が宴会(話すだけの静かな)をしていました。今日はこの地方で3ヵ所も桜祭りがあったそうです。
窓からはライトアップした桜が見えました。ライトアップした桜は初めて見たのですが、昼間の奇麗さと違って「妖艶」と感じました。
この宿のお食事はとても美味しかったです。下が宴会なのでお部屋に運んでくださいましたからゆっくり食べることが出来ました。次から次から出てくるものですから、年寄りには量が多すぎたかな~と言う贅沢な感想です。
お料理の数々 これにデザートのアイスクリームがつきました
(1020回)