ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

遍路 2

2009年03月22日 | 思い出話
       平成13年11月17日(土曜日)
4番 大日寺  5番 地蔵寺  6番 安楽寺  
7番 十楽寺(じゅうらくじ)  8番 熊谷寺(くまがやじ)




二日目は第4番札所 大日寺からである。何のことも無い小さなお寺である。ただ山門の上に鐘が載っているのが珍しかった。


       佇む人と木の大きさを比べてください
第5番札所  地蔵寺は大きな銀杏の木で有名だ。
昭和58年8月、作家向田邦子さんが、その死の10日前、1番札所霊前寺から、この地蔵寺の間を歩いたそうだ。あんなに早い死が彼女を迎えに来なければ、彼女は「歩き遍路」をどのようにえがいたのだろうか。その感想が読めなかったのが、とても残念です。


門前に托鉢の遍路の方が居た。その人の前を通って(布施はせず)、次の寺へは右か左かと迷って、フッと振り返ると、あちらも閑で私達を目で追っておられたらしく、「右、右」と言うように手を振って方向を示してくださった。


昨夜から蕁麻疹が出ていると言う主人が、お医者さんを探すという。やっと見つけて看板のほうに行こうとしたら「そっちじゃないよ!」と大声を挙げながら遍路姿の人が走ってこられた。彼は野宿を交えて遍路をしていると言う広島の方で、背には頭を遙か越える荷物が載っていた。私達が間違った方向に行くと見て声を掛けてくださったらしい。

やっとたどり着いた医院のお医者様は用事で居ないという。奥様が気の毒そうに、別の病院を教えてくださったが、中々見つからず、土曜日なので昼までに見つけなければと心が焦っていた。ウロウロしていると又「お四国さ~ん!そっちじゃないよ」と言う声がする。そちらの方を見ると自動車から降りたご夫人が叫んでいた。又、迷子と思われたらしい。「のだ医院を探しているのですが…」といいますと「直ぐそこですよ。良くお遍路さんが此処で迷っておられるのでね。又だと思ったのですよ」とのだ病院まで案内してくださった。ありがたいことに、12時は過ぎていましたが、注射を打って、薬も頂きました。

☆ ご婦人は自動車を路上に置いたまま、病院まで案内してくださったのです。都会では考えられない事です。


第6番札所 安楽寺 では歩き遍路の尼さんに会った。大きな宿坊があるようだったが、その辺りが工事中でザワザワしていて落ち着かなかったので、早々に退散した。だから何も印象に残っていない。


7番札所 十楽寺は目の不自由な人に霊験新たかといわれている。88ヵ所には目に良いといわれる寺が多い。気休めだろうが遍路を決めた一つの理由でもある。「黄班前膜」と言う目の「病」を持つ主人はどのように祈ったのだろうか。

☆ 1年前から主人の目の病気の名前が「加齢性黄斑前幕」と変わった。5年前はただ「黄斑前幕」だったが、この度は老人性と名が変わって治療中である。治療は大学病院でしているが、手術を勧めてくださった近所の医師に「何時までするのか?良くなったようにも思えない」と訊ねると「手術をしなかったら、今頃は失明しています」と慰められたそうです。大学病院に行くと、同病の人が大勢来ています。6年前は珍しかったこの病が、今は大衆病になった感がいたします。


寺の前の店でうどんとご飯を頼んだが、はじめ「もうご飯は無い」といっていたのに、暫くして「ある」と言う。出てきたご飯がぺちゃぺちゃで不味い、これはご飯に打ち水して蒸したとしか考えられない代物でした。腹が立ったけれど、それ以上にお腹が空いていた、背に腹は代えられぬ。でも嫌な事をするね。其れも食事つくりの専門家の主婦が食べるんだよ。話してみれば、そんなに悪い人ではなさそうでしたが、商売にはセコイ人なんですね。店の中には左幸子さんのサインが掛けてありました。


第8番札所 熊谷時 は今日最後のお寺です。私達は写真の山門から入らず、づ~っと寺院に近い道からお参りしたので、この山門の写真は、翌朝次の寺に行く時に写しました。お寺は坂を登り、階段を上がった高台にあった。5時ギリギリに間に合った(ご朱印帳に印をいただけるのが5時まで)。心急かなければじっくり居たい雰囲気を持ったお寺だった。しかし、ボリュームいっぱいの音でスピーカーからお経の様な?声が流されていたので、ここのお寺の折角の良い雰囲気が壊されていると感じた。お寺は静かなのが良いです。


11月17日  たみや旅館  (二泊目)

たみや旅館は普通の民家でした。部屋の手前に通し廊下が続いていて、その奥が皆で食事をする部屋になっていた。その廊下に面して幾つかの部屋が並んでいた。今日は一人歩きの遍路さん2組と私達だけだった。

お一人は北海道からの方で、一度はバスツアーで遍路を経験されたが、物足りなく、やっぱり歩くべきだと、観光を兼ねて3ヵ月掛けての遍路で、明日結願だと言う。当時歩き始めたばかりの私は解っていなかったが、逆打ちだったのです。なんといっても3ヵ月連続と言う旅に驚いたのです。

もうお一人は藤沢からの菅野さん。やはり2度目でした。1回に10日から2週間掛けて、春と秋に来られて、1回目は2年間で結願されたそうです。この度は鯖太子までのご予定とか。区切り打ちするなら、JRの駅の側で打ち切ると、次も続け易いですよと教えていただいた。私はその教えを守って遍路計画をした。

菅野さんは四国遍路以外はどこにも行きたく無いといっておられた。半年の間に般若心経を写経しておいて各寺に納められるそうです。遍路を中心に日を過ごしておられるのが窺える。生き様が姿に顔に現れている素的な人。明日の柳水庵でもご一緒の予定です。明日渡る藤井寺の手前の潜水橋のあたりの景色の良さを教えてくださった。
(残念ながら道を間違って潜水橋を渡ることは出来なかった)又、焼山寺を登るには、遅くとも12時には藤井寺についておかないと、山道の3時間は日が暮れると大変だからとご指導も頂いた。だのに道を間違え藤井寺に着いたのは1時に近かった。

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2 コメント

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Unknown (いっさ)
2009-03-23 11:27:08
記録に残しておくことは大事ですね。実際に再び行くことが叶わなくても、写真で文章で、何回も行くことができます。見習って大正解でした。有難うございました。
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Unknown (ちっち)
2009-03-24 06:36:04
いっささん

貴女の遍路記の方が、日が経ってから書かれたとは思えない、詳しさですが、本当に書いておいてよかったですね。

この度のように7年も経って読み返すと、尚一層懐かしさが増します。辛かった時の自分が愛おしい…
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