ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

小寒い朝

2019年07月08日 | 今日この頃

 

新聞を取りに外んでたら、風が冷たかったです。 もう7月だというのにね~。

 

一昨日は月参りで、お坊さんがこられました。

初めの頃はJRを使って歩いてこられていましたが、 次は自転車になりました。

今は自動車ですよ。 何でも替わりますね。 

 

60年ぐらい、来ていただいているのですが、 私はお経が読めません。ところ

どころ覚えている程度です。 信心深い祖父や母は読んでおりました。

母は読めとは言いませんでした。

 

母に叱られたという記憶もないのです。勿論、母は店を持っていましたので、

私のことは祖父任せでした。 文句があれば、祖父に言ったようです。

時々親子喧嘩していたのは、私に関してだと思いました。

私は知らん顔していましたし、祖父は私には母との話しの内容は何も言いま

せんでした。 

 

私はお祖父ちゃんが大好きでしたし、何時も二人で居たように思いますが、

どんな声で、どんな話をしていたのかの記憶がないのです。

 

祖父は若い頃は「宮大工」だったようで、時々「のこぎり」を大事そうに磨いて、

いました。 そんな大切な「のこぎり」も、空襲で無くしたんでしょうね。

 

私は、おじいちゃんよりも長く生きています。おじいちゃんが守ってくれているの

だと感じます。当時の80歳まで生きていたのですから、今の100歳ぐらいでしょうか、

終戦の2ヵ月後ですから、ご遺体は棺おけもなく、上に上にと積み重ねて焼いていった

そうで、それも、おいていくと、どうされるか分からないので、母はおんぼ(死体を焼く人)

に「袖の下」をつかませて、上においてくれるのを見届けて帰ったそうです。

おじいちゃんを大八車に乗せて運んだそうですよ。 そんな行動力私にはないな~。

 

 

 

 

コメント
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