新聞を取りに外んでたら、風が冷たかったです。 もう7月だというのにね~。
一昨日は月参りで、お坊さんがこられました。
初めの頃はJRを使って歩いてこられていましたが、 次は自転車になりました。
今は自動車ですよ。 何でも替わりますね。
60年ぐらい、来ていただいているのですが、 私はお経が読めません。ところ
どころ覚えている程度です。 信心深い祖父や母は読んでおりました。
母は読めとは言いませんでした。
母に叱られたという記憶もないのです。勿論、母は店を持っていましたので、
私のことは祖父任せでした。 文句があれば、祖父に言ったようです。
時々親子喧嘩していたのは、私に関してだと思いました。
私は知らん顔していましたし、祖父は私には母との話しの内容は何も言いま
せんでした。
私はお祖父ちゃんが大好きでしたし、何時も二人で居たように思いますが、
どんな声で、どんな話をしていたのかの記憶がないのです。
祖父は若い頃は「宮大工」だったようで、時々「のこぎり」を大事そうに磨いて、
いました。 そんな大切な「のこぎり」も、空襲で無くしたんでしょうね。
私は、おじいちゃんよりも長く生きています。おじいちゃんが守ってくれているの
だと感じます。当時の80歳まで生きていたのですから、今の100歳ぐらいでしょうか、
終戦の2ヵ月後ですから、ご遺体は棺おけもなく、上に上にと積み重ねて焼いていった
そうで、それも、おいていくと、どうされるか分からないので、母はおんぼ(死体を焼く人)
に「袖の下」をつかませて、上においてくれるのを見届けて帰ったそうです。
おじいちゃんを大八車に乗せて運んだそうですよ。 そんな行動力私にはないな~。