「星桔梗」 少し弱っているみたい 秋に植え替えましょう (16―6―20)
暑いことは暑いのですが、外にいますと、吹く「風」は冷たく感じるようになりま
した。後2週間もしないうちに、暦に上では「秋」なんですものね。
この本を図書館の本棚で見つけたとき、私は躊躇することなく、借りることにし
ました。「田中角栄」さんという人は、何故か私に心の中に居座っているような
んです。
この本を読んで、世間的には「ロッキー事件」などで、悪名が高いようなのです
が、私にはそのように受け止められない何かがあるのです。それが何であった
のか、書かれている人となりが私の思っていた角栄さんだということに思い当
たりました。
絆 父・田中角栄の熱い手 田中 京
・親父に認知され、母の辻姓ではなくく田中の姓を名乗ってきた。
・物心ついてから、オヤジにいわれたのは「お前たちはお金を使
えるのだから使うのはかまわん。だが、バカな使い方はするな」
「最初から偉そうに人に奢ったりするのはバカのやることだ。
パラパラとだすんじゃない。本当に必要なとき、いざというときに
ドンと金は使うものだ。それ以外は皆と同じようにやれ」「貸した
金は帰ってくると思うな。あげたと思え。金の貸し借りがあるから
人間関係がおかしくなる。自分でできると思うならくれてやれ。貸
したと思うな」
・オヤジは私が音楽に熱中するのを流行り風邪にかぶれた程度に
しか思っていなかっただろう、別段、口出しすることもなかった。
・気が向けば造る鍋料理はすき焼き一辺倒。自分で仕切って鍋奉
行ぶりを発揮する。味付けは濃い目だが、これがなかなK美味し
い。
・総理大臣になったオヤジと再会したのは、それから2.3日後のこ
とだ。「京はいるか!」という声が鳴り響いて,突然オヤジが帰っ
てきた。…オヤジが待っている居間の襖を開けると、目を赤く腫
らしたオヤジがたっていた…どどっととっしんしてきてわたしに抱
きついてこういった。「ありがとう…」突然抱き疲れた親父の体は
固く、厚かった。旅先から弟に手紙(角栄が父親であるという事
を母親から、聞かされた同じ年代に、年の離れた弟が成った時、
父親の事を書いて、弟に手紙を出した)を書いた経緯を母から
聞いたのだろう。私は始めてそのときに本当にオヤジというもの
を肌で感じた。
・CBSソニー時代、オヤジになんどかゴルフに誘われた。オヤジが
ゴルフを始めたのは、佐藤内閣の幹事長時代だったと思う。何故
ゴルフに誘ったのか親父は話さなかったが、おそらくは息子の御
披露目をかねて、社会人になった私に人脈を作らせようとしたの
だろう。そういう親心というか、オヤジの温かさが若い時分にはま
ったくわからなかった。
・小学4年の時、社会党委員長の浅沼稲次郎さんが演説中に暴漢
に刺されて亡くなるくなるという事件があった。当時、子供ながら
に社会党や共産党はオヤジの敵だと思っていた。葬儀に行くとい
う親父に「あんな人の所に何で行くの?」と無邪気に尋ねた。「バ
カモン!」とオヤジは怒鳴ってこう続けた「考え方こそ違っても、お
互い命を掛けた国を良くしようと思っている仲間だ。其の仲間が命
絶えたんだから、仲間として弔ってやるんだ。よく覚えておけ!」
・病床のオヤジのそばについていてあげられなかったことはやはり
無念だし、今でも悔やまれて成らない。
・私が生まれた時、祖父(角栄の父)が男の跡取りができたと大層喜
んで「ああ、めだたい。新潟のものでも何でもこいつにやるぞ」とい
うような事を言ったらしい。それで真紀子さんが泣き出してしまった
らしい。祖父の言葉から、自分のものを全部取られる、もっていか
れる、と思ったのかも知れない。「男が良い、男が良い」といわれれ
ば「じゃ私はどうなの?」という気持ちになるだろう。姉も未だ子供
だったから。共に角栄という父親を持ち、姉ははなさん、私は辻和
子という母親を持った。