「アプチロン」 ピンクもあります 大好きな花 (14―9―9)
今日も涼しかったですね。夏布団を洗いましたらね、なんとなく乾きが悪かっ
たですよ。
9月18日(木) は主人の86回目の誕生日でした。前にも書いたと思うのです
が、行きつけのお店が、閉店閉店で行く場所が無くなってしまいました。
そこで始めてのお店(天ぷら屋)ですが、一度行きたいと思っていたのですが、
高いものですから、二の足を踏んでいました。しかし、先日の私の誕生日は、雨
で無しでしたから、二人合同とすれば、高くないか!と思って出かけたのです。
お店は大体覚えていましたから、すんなりと行き着きました、「このアタリ?」と
覗き込んだ路地に、明かりが、店名を示していました。でも近づいて「??」。暖
簾が出てないのです。5時開店で、その時間は過ぎています。一応声を掛けて
みようと戸に手を掛けましたが、閉まっています。中から女将さんと思しき人が
出てこられて、「すみません、今日は貸切で、其の分量しか仕入れてないのです」
といわれてしまいました。
「お食べいただけば、お値段は納得していただけると思います」と本に書いてあ
りましたから、当日分のみの仕入れた材料を使っているのだろうと思ってはいま
したが、やっぱりがっくりきてしまいました。
このお店は、実は戦前から知っていました。でも食べに行ったことはありません。
初代だと思うのですが、私が生田さんに稚児に出た時、元町を人力車で「お練」し
た時に「Oチャン(私)写真写してあげよ」とカメラを向けて、人力車の中の私を写し
てくださったのが、初代さんなのです。戦前は写真は写真屋さんに行って写すの
が普通で、個人でカメラを持つなんてことはすくなかったように思いますから、
私の印象に残っていました。
今は3代目ぐらいだろうと想像しています。初代さんのお顔を覚えているわけでは
ありません。白の割烹着と調理帽で、私にカメラを向けた、其のことだけが記憶と
して残っているだけです。しかし、其のご縁のお店が、神戸で有名店の仲間入りを
しているのを知っているので、おじさんはおられないだろうけれど、一度行ってみ
たかったのです。これも、年を重ねた者のセンチメンタルな感情でしょうか。
行き先に困りました。「そうだ、もう一軒あった」こちらは、戦後ですが、元町・三宮
の有名店が集まって、料理研究会(楽味会)を作っていました。年に一度大型バス
を貸りきって京都その他の有名店に食べ歩きするのです。
私も、2度連れて行ってもらいました。20歳の頃でした。一度は赤穂岬の対鴨館、
ここでは天皇陛下がお泊りになったというお部屋を見せていただき、赤穂岬の岩場
で遊びました。
次は京都の「土井」です。若い頃のことですから、お料理が如何だったかは覚えて
いないのですが、いずれにしても、板前さんがお品書きを記した和とじ帳を持って
(料理人が、墨の直筆で書くのがルールとか)座敷に挨拶に来られました。この日
は雪が降り、お座敷の雪見障子を通して見える、雪景色が忘れられません。そして
東映撮影所に見学に行きました。撮影所の所長がグループのお店のお得意さんだ
ったので、当時の大スターがご挨拶に来られ、一緒に写真を撮ったりしました。
其の「楽味会」の一員だった方のお店が、三宮にあった事を思い出して、其のお店
に行きました。(続く)