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ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

知らぬが仏

2006年10月31日 | ちっちゃな旅
            (見~つけた)
            行く道すがら
          秋を積んだ車を見つけた

東京ディズニーランド&シーに3年ぶりに行った。東京には2ヶ月ぶり、飛行機で行ったのは久し振りである。「ハローウインのディズニー」に行きたいと言う孫娘の希望で実現した。今回でディズニーの四季を見たことになるそうだ。私も然りだ。

久し振りの飛行機で落語を聞いた。懐かしい声が、語りが耳に届いた「上手いな~」そのはず桂枝雀さんの「変わり目」だったのだ。イヤーホンを通して聞いているだけなのに枝雀さんの姿が彷彿とする。上方落語協会は惜しい人を早くに亡くしたものだ。

今回はまず「シー」に行った。此方は「ハローウイン」の影は薄かった。「かぼちゃの陰が見当たらない。まず蒸気船で遠くまで運んでもらう。「海底2万マイル」を見て、「地球の中心」と言うのを見たいというので行くと130分待ちだと言う。2時間も待つのは辛い、予約券を発行してもらう事にした。機械の上には、今予約すると19時20分~20時20分までの入場となる旨記されている。6時間後と言う事になる。

ウロウロしていて、もう一つ見たいのを思い出したと孫娘が言うので探すのだが、5時を過ぎると日も沈み、所々の明かりだけで周りは暗い、とうとう探し出す事が出来ず、腰掛けて待つ事にした。

地球の中芯に入っていくと言う想定のようだ。初めは「アメジスト」「ダイアモンド」等がキラキラと輝いて綺麗。でも本当は地中にある時から輝いているわけではないよね~なんて毒づきながら見ていた。大きな昆虫が居たり、稲光が走ったり、そんなことありえる?と考えているまに前方真っ暗の穴仁突入、これは小手試し、次の暗闇が長く急降下で実に怖かった。一点の光も無い暗闇ゆえ、恐怖心をあをリ立てる、年も外聞も無く「キャ~キャ~」と叫ぶ。声をあげると言う事はそれだけ恐怖心を薄める事を知っているから。

元の位置に帰った私の耳に放送が聞こえた「・・・妊娠中の方、心臓病・高血圧の方はお乗りになれません・・・」だって。今頃何を聞くのよ~。私「高血圧だよ」
でも無事ご帰還、よかった~。

翌日は「ランド」の方へ、此処は「ハロウイン」一色。あちこちに「かぼちゃ」が転がっている。ディズニーの人気者のコスプレの老若男女で一杯だ。白雪姫はスタイル自慢の女の子、アリスは何故か少し、もっと太目の女の子、妖精の人は寒そう、魔女はマントが暑そう。ハリーポッターも居たよ。修学旅行生はコスチュームは無理でもリボンや耳のカチューシャを着けている。1~2割の人が仮想を楽しんでいるといっても過言でない。

実は今夜のニュースで「ハロウインの仮装」の仲間が東京環状線仁集まった。と言うニュースを見るまで「東京ディズニー」の仮装が「ハロウイン」の故とは気付かなかった。近年何時もコスプレを着飾った人たちが居るものと錯覚していた。何処で着替えるの?ホテルでは見かけなかったし、会場の外ではすでに着て歩いていたし・・・

面白かったのは、先頭のガイドさんが旗を掲げて、後に続く人たちが「魔女の帽子とマント」をつけていた。何組か見かけたから、同じ観光バスの人達なんだろう。

帰りは早めに羽田に着いて、晩御飯を済ませる予定だった。昨日一日はハンバーガー、朝に御飯を食べたとは言え、昼は「ピザ」。「あ~ぁ、たこ焼きが食べたい、おにぎりが食べたい。USJには売ってる?」「売ってるよ」「やっぱり関西が良いわ」と嘆いていた。夜は「江戸前すし」が食べたい!

見つけたすし屋さん、暖簾を潜ろうとして気が着いた、大きな字で「大阪寿司」
「何で東京で大阪寿司なん?」と嘆き節・・・背に腹は変えられぬ・・・
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東京(2)

2006年08月12日 | ちっちゃな旅
        三鷹の森ジブリ美術館のレストラン
         孫娘は麦わら帽子のチョコパフェ
       私は野菜畑の冷たいパスタを取りました

今年の夏はワンピースとスカートで女らしい流行だと言われていたが関西ではその気配を感じなかった。東京ではスカートが案外目に付いた。流行に素直という事かな。ラッシュにぶつかりました。車中は混んでいなかったがホームにたどり着くのが大変だった。降りてくる人が背中と胸がくっ付きそうな間隔でどんどん降りてきて流れに逆行する私達はやっとの思いです。関西と違いは10時までは座席がない、沢山詰め込む為に椅子は畳まれている。出口も5ヶ所と多かった。

駅は「市谷」自衛隊の駐屯所のある所「代々木」オリンピックの競泳プールのある所とか説明しながら「三鷹」まで行った。此処からは「ジブリ美術館専用バス」がある。普通のバスも止まるが「専用バス」に乗りたいというので10分待った。料金は子供100円のところ夏休み中は50円だ。

入り口からは美術館内は撮影禁止である。思っていたよりこじんまりとしていた。
まず短編映画「みずぐも もんもん」を見た。みずぐもと水澄ましの友情物語。

「猫ばす」等子供の触れて遊べる遊べる場所もあったが彼女には幼い道具らしくパスし、ラッパ型の拡声器とか手で廻すと小さなスクリーンに動画が出るとか自分で触れる物には興味を示したが、映画の出来るまでとか、書斎の風景とかは興味を示さなかった。3階までの螺旋階段は2度登った(私は一度)。売店で「可愛い犬のマグネット」と「メイの付いたストラップ」をお揃いで買った。私はメモ用紙を2冊追加した。

庭の「レストラン」は行列が出来ている。結局は1時間並んだ。椅子があるので座って絵本を読みながら待つように出来ていた。お店の中も可愛く出来ていた。チョコパフェは高さ25㎝ほどもある、その先におなじみの旗が立ててあった。キーウイとイチゴがいらないというので、私の鶏肉のソテーと交換した。私のスパゲティのお皿がトトロの絵で可愛かった。目で食べるには満点の飾りつけでした。

東京タワーに行きたいというので早めに切り上げ駅まで歩いた。元武蔵野地域なので街路樹も太い。良い所だな~と15分間を楽しんだ。

浜松町から増上寺にそって東京タワー(330M)に着いた。ここでも建物が綺麗になっているのに驚いた。数年前兄の方を連れて来た時、タワー下の建物は薄暗い感じで、なんだか早く立ち去りたい思いだったが、明るく広々としている。

今まで大展望台(150M)までしか上がった事が無いので特別展望台(250M)まで上がる事にした。階段を40段程上がってからエレベーターに乗ることになる。エレベーターを待っている間に、切符を確かめておこうと言う気になり、切符を取り出して「ギョ?」18時のはずが16時になっているまさかの間違いである。後その時間に30分しかない到底間に合わない。いいや予定通り18時に乗ろうと決めて、上空250Mの風景を楽しむ事にした。

上は細い所なのであっという間に一周できる。富士山は見えなかったが、昨日行ったお台場のフジテレ、レインボーブリッヂ、有名な六本木ヒルズが良く見えた。「ほりえもんさんの御住まい」は高くて大きなビルだ。

みて、ふれて、写して遊ぶ「トリックアートギャラリー」が見たいと言うのでそこを最後に帰る事にした。

東京駅で窓口に直行して如何すれば良いか聞いた「時刻が過ぎているので指定席は無効だが、このまま自由席に並ぶといい」予定より一台早いのに乗れるのでお弁当を買って並ぶ事にした。20分前に並んでよかった満席で立っている人も出た。

新大阪駅で待つ母親に彼女を渡し「ちっちゃな旅」無事終えた。またね~。












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東京

2006年08月11日 | ちっちゃな旅
           ノウゼンカツラ
          (この花見~つけた)
        あちこちで咲いている夏の花
       強力な光が当たらないと蕾は落ちる

7ヶ月ぶりの東京へ孫娘と一緒の1泊の小さな旅、第一目的は10日に予約した「三鷹の森ジブリ博物館」だ。前日を何処に行こうかと考え、今人気スポット・お台場に決めた。

朝が早い為、前日の夜から泊まりに来る事になっている。8時頃の予定だった。
夕方何気なく携帯を見て驚いた。本人からその母からその兄からのメールや電話が入っている。直ぐ母親に電話する「おばあちゃんに連絡したが出ないので一人で行く」今度は本人に電話した「今何処?」「もう直ぐ尼崎」「その電車西明石行き?」「そう」これで安心間もなく着く、やれやれ。

9歳(2月生)だし、乗り換えの一つや二つあっても我家に来れるとは思うが、今の世の中途中で事故に巻き込まれてもと言う事で大阪まで迎えに行っていた。夜遅いときはマイカーで送ってきた。帰りは大阪駅に母親が出迎えた。

「子供用イコカ」が残高0円だと言っていたので「切符は?」「カードに1,000円入れた」補充する時は彼女がしていたので大丈夫だった。大阪駅は今月に入って様変わりしているし、西明石行きに乗らないと、尼崎から三田方面に行ってしまう。「よく乗り場解ったね?」「駅員さんに聞いた『XXに行くのは何処から乗りますか?』親切に教えてくれた」初めての経験、彼女は無事着いた。

此処でも文明の利器「携帯」が役立った。我家に向かっている時もその現在位置が解ったので安心して待てた。彼女は両親が共稼ぎに近い為、連絡用に携帯を持っている。

昨日から台風7号が関東地方に上陸の可能性在りと報じている。気になったが「ジブリ美術館」は予約制で切符を買っているし、心配の一方では過去には「旅行中は晴れ」だから今回も「晴れ」だろうと暢気に考える。パラパラと雨は落ちたが持参の傘は差さずに済んだ2日間だった。

幸いな事に往復とも富士山が見えた。富士山を始めて見る彼女は大喜びである。頂に雪はなくとも、なだらかな山形にその山と理解したらしい。帰りにもまた富士山に会った。暮れなずむ空に浮かぶようなシルエットでその姿は在った。この感じは私も始めてである。スピードの速い新幹線が恨めしい一瞬だった。

東京着、新橋から「ゆりかもめ」に乗りお台場へ。「お台場冒険王」と言う「フジテレビ」の中をうろうろする。雑誌には「もしかしたらスターに会えるかも?」と書いてあったが、会えるわけがない撮影場所に入れるわけではないし、誇大広告もいいとこだ。彼女の見たい所だけ見て隣のビル(メディアージュ)に食事に行った。

「マクド」のマークを見つけた彼女はそこに行くといい、関西風お好み焼きの字に「お好み焼き」の私と意見が分かれた。じゃんけんで私が負けて「マクド」へ。

このビルに「ソニーエックスプローラーサイエンス」が在るのでそこに行った。簡単な科学の不思議を実体験できた。フジの番組で「脳内エステIQサプリ」の部屋があり色んな問題を解くようになっていた。此処も彼女は気に入ったようだ。私は解答を見て初めてなるほどと頷けるがちっとも解らなかった。

十分に楽しんで、宿は朝食のみなのでファミレスで食べるつもりだったが、歩き疲れたので、コンビにで「おにぎりとデザート」を買って行こうと意見が一致、宿に向かった。  また明日・・・


































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下呂温泉

2006年07月05日 | ちっちゃな旅
             ルリマツリ
           どんどん大きくなる
       白色もあるそうですが見たことが無い

今夜は下呂泊、1時間半も掛けて下呂まで来たのは春に下呂に来た時に「苗代桜」を見に行きました、その濃尾バスが「蛍狩り」の車を出しているのです。電話をした時「雨が降ると蛍が出てこないし、人数が集まらない時も出ません」土曜日の夜ですので人が集まらない事は無いと思いました。

高山本線は下呂に近づくにつれてすごい霧でした。私達は先頭車両の一番前の席に乗っていましたから、瞬間線路が見えない時、霧の中に突っ込む感じでした。山の所々に漂う霧は墨絵を見る感じでした。嬉しくて何枚も写真を撮りましたが、カラーなのにモノクロ写真のようでした。

遠目は神秘的な美しさを感じる霧ですが、本当は身近に迫ると恐ろしいものです。
霧はすごいスピードで駆け上がってきます。車で山道を下っている時、下からドライアイスに水をかけた時の煙のように地面を這うように登ってきたかと思うとアッツと言う間に霧の中です。とても怖い思いをしました。裕次郎さん「夜霧よありがとう」なんて歌わんとって・・・と言う感じです。

下呂の山も霧に包まれていました。タクシーの運転手さんに聞きました「下呂は何時もこんなに霧が出るのですか?」「う~ん。霧は山の上に行けば晴れで下に降りれば雨だしね。今日は変な天気だったよ」答えになっているような無いような答え、宿に着きました。

夕食、孫娘には「お子様ランチ」を取りました。一皿に、スパゲッチ、エビフライ、鳥のから揚げ、サラダ付き。コーンスープ、小さなコンロにはハンバーグ、デザートには大好きなクリームパフェ、大喜びでした。

一つ置いてお隣の席はご夫婦でした。何気なく見ると、奥様の方がお体が不自由のようでした。右手が動かないようで、それもまだ利かなくなってから日が浅いらしく、左手で箸を使っているのですが3回に一度ぐらいしか口に運べません。ご主人が食べやすいように、全てを小さくして奥様の前に差し出します。まだ60歳になるかならないお若い方でした。杖をついてはいましたが歩く事はお出来のようでした。良いご夫婦だな~、優しい旦那様で良かったな~と思いました。

夜霧雨が振り出しましたが、決行との連絡が入りほっとしました。集合場所まで歩きました。小型バスはほぼ満席でどんどん山に入ります。このときも一番前でしたので、山道を添乗員さんと運転手さんが話しながら、ちらっとよそ見したりするとひやひやしました。

山の中真っ暗です。20分間の時間を貰い「蛍狩り」自動車のライトも消されました。居る居る蛍、力強くチカチカやっています。でも私は身近を飛ぶ蛍を見たかったのですが、車道から対岸を飛ぶ蛍を見ることになり少しがっかり。おまけに「余り遠くに行かないでください。ヘビもでます」ヘビ大嫌いの私「ヘビ」と聞いただけで足がすくむ。足元も真っ暗ですし。「蛍」があんなに高くす~いす~いと移動するとは知りませんでした。ま~ず「蛍狩り」はいたしました。地元三田の方が良かったかな~。

疲れたので一眠りしてから温泉に入りました。「掛かり湯」の事を思い出し、急いで後を追いました。彼女は「掛かり湯」の真っ最中、突っ立ったまま、ザーザーと「掛かり湯」です「座りなさい!掛かり湯は座ってするものよ!立ってたらお隣の人に掛かるでしょう・・・」夜中ですから私達だけ、広い湯船は彼女のプールと化しました。

あくる日は荷物を預けたまま、歩いて直ぐの「合掌村」に行きました。始めてみる合掌造り、興味深げでした。その頃から雨が降り出しました。色々見て廻る内に雨脚が強くなってきました。彼女に「紙漉き」を経験させたいと思っていましたので。雨宿りも兼ねて「紙漉き小屋」に行きました。私は一度だけ徳島で経験しています。間に「紅葉」を挟んだ葉書を造りました。

店主が言うには「子供さんは葉書は小さすぎて造りにくいので色紙が良いです」と言う事でした。ここは紙を漉くというよりも、漉いた紙の上に、色付けされて細い紙紐で色紙の上に絵を描くことが主の様でした。余り絵は得意そうではないので見本に見せられた「ドラエモン」を真似る事を勧めました。結構愉し気でした。その間雨は勢いを増し雷も加勢しています。作品は1週間後に送られてくると、大枚1,250円の紙漉き体験は好評の内に終わりました。宿に帰り着いた時はもう雨は止んでいました。

一台早めの電車に間に合ったので変更し、予定より1時間早く新大阪まで迎えに来ていた両親に彼女を引き渡し、無事今回の二人旅終了。




















































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名古屋港水族館

2006年07月04日 | ちっちゃな旅
              ユ リ
         我家の最後に咲いたユリです
      鮮やか過ぎて吃驚、これはこれで良しかな

フットボール型の「メインプール」に移動しました。今度はおなじみ「イルカのショー」です。2~3階筒抜けの深いプールです。3000人収容です。館内が広いものですから、そんなに混んでいる感じはしなかったのですが、3000人収容の席がほぼ埋まっています。私達は水のかかるのを承知で3列中央よりに座りました。一度少しだけ水を浴びました。

前面には大~きなスクリーンがあります。それには水中カメラがセットされているらしく、水中の様子も映されます。始めて見たのは飼育員がカラフルな輪を投げ入れます、それを追う3匹のイルカの水中の姿がスクリーンに映し出されます。イルカは3っの輪を口先に引っ掛けると水上に上がってきます。数が判っているのでしょうか。

水中では赤い色は水に吸収されて見難くなり、青い生き物は黒く見えるそうです。
だからカラフルな色の魚が泳いでいるとしても、水の中は黒っぽい魚の群れと言う事になります。

三匹のイルカの首にレイの様に輪を掛けてやりますと、フラフープのようにぐるぐる廻すんですよ。

空中にボールが張り出てきます。助走を付けたイルカが飛び上がって頭でその玉にタッチします。これは和歌山でも見ましたが、高さが違います。その上驚いたのはもう一度は飛び上がったイルカがここぞ!と思ったところで、くるっと一回転したかと思うと尾びれで確実に玉にタッチするのです。空中でですよ。お見事!としか言いようがありません。万来の拍手を貰ってイルカたちは退場します。

お隣が5人兄弟とお母さんでした。お母さんがたこ焼きと蕨餅を買ってきました。一番末っ子が蕨餅を一つ食べました。見ていますと下の子から順番と言うルールらしく上の子達は自分の分がなくなりはしないかと心配顔をしては居るのですが、ちゃんと順番を待っています。順番が来れば自分の欲しい方を言うだけ。お母さんも何も言わず唯下から順を繰り返しています。一番オチビちゃんが二つ目を取ろうとしても上げません。兄弟と言うのはこうして育って行くのだと感心して眺めていました。私は一人娘ですから競争する事はありません。私の目の前にあるものは全て私のもので、ゆっくり食べても誰も取る人は居ません。どちらが幸せなんでしょうか?分け合って食べるほうが美味しいような気がしましたね。

「進化の海」と言うのは骨格標本や進化の過程が学べる様に立体映像があります。
その一角におなじみのマイカメラでシャッターを切ってくれるコーナーがあります。私達も並びました。バックには実寸のシャチがぶら下がっています、その前に足型で立つ位置が決められています。絵ではなくシャチの模型の前ですから立体感があります。始めの一枚は会館のもの「買って頂かなくても結構ですが一枚取らせてください」撮りました。次は私のカメラで一枚撮ってくれました。一応写った写真を見ようと前進しました。その私の前に早々と今撮った写真が印刷機から吐き出されてきました。撮って私の手に載せられるまで1分と掛かっていません。此処にもハイテクの波が押し寄せています。今は家庭でも印刷機にカメラを接続して印刷できるようになっています。その技法が此処で使われているのです。今までなら「お帰りの時出口で・・・」が瞬時に出来るようになったのです。

ハイテクと言えばイソギンチャク等動かない生物の前にカメラが据え付けられていて、ボタンを押せばカメラが前後左右どちらにも移動し、自分の見たい生き物がじっくり見れるようになっていました。孫娘も喜んで操作していました。

「日本の海」は深く大きな水槽の中で「バンドウイルカ」と「シャチ」が勇々と泳いでいるのを見ることが出来ます。大きな水槽の前で休憩しながら眺めていました。「シャチ」と「イルカ」が空中に顔を出して立ち泳ぎの様に並んでいるのは(私達が居るのは2階部分で水面は3階)身体の大小のかなりの差が二つ並んでいるのはユーモラスでした。
                   (またまた明日)
                                (90)






















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ベルーガ

2006年07月03日 | ちっちゃな旅
            アガパンサス
         薄い色が何とも涼しげ・・・
       友人の息子さんも大好きだそうで
         男の人にも好まれる花か?
        優し気でいて、凛としてます

「ベルーガ」って?と思われるでしょう?私はわざわざ「ベルーガ」に会いに「名古屋港水族館」に孫娘と二人旅してきました。テレビで「ベルーガ」を見た日から見たくて、ネットで調べて名古屋にしかいない事を知り行ってきました。孫娘との二人旅を、この梅雨時を選んだのは元々は「蛍狩り」のつもりでした。でも「蛍」は天候次第ですから何か他にメインになるものを探していました。

毎日のように天気予報を見ていましても7月1日~2日は雨または雨のち曇りです。諦めていました。雨でも「水族館」ならぬれなくても良いし、孫娘には「蛍狩り」は天候次第で、雨には飛ばないと言う事もあり期待はずれは可哀想なので「水族館」を前面に出すようにしていました。

二日間幸いな事に1日「蛍狩り」の時霧雨、2日日曜日の10時~11時までの1時間スコールの様な激しい雨が,遠雷を感じさせながら降りましたが後は又天気になりました。

名古屋について感じたのは昔と何だか違うと言うことです。名古屋の人が聞くと怒られそうですが、私としましては「田舎都会」って感じだったのです。それが何故か判らないのですが「精気」と言いますか、人間でいいますと「働き盛り」って感じなのです。

名古屋港から名古屋へ帰りの地下鉄に3時過ぎに乗りましたが、ぎゅうぎゅう詰め、思わずお隣の方に聞きました「名古屋の地下鉄は何時もこんなにいっぱいなんですか?」「今日は特別ですよ、今日から各デパートがバーゲンを始めていますから・・・」と言うことでした。購買力があると言う事は市民生活向上を意味していますよね。孫娘が新しい靴を履いてきて足の先が痛いと言うのでバーゲン会場でサンダルを買いました。ほんの気持ちだけ消費税を落としてきました。

名古屋から地下鉄を一度乗り換えていくので40分程掛かると計算していましたら30分もかからず着いてしまい、開園9時30分までの間「砕氷船ふじ」を眺めていました。

名古屋港水族舘は北館南館に分かれていて主に南館は普通の水族館の感じでメインは「ペンギン」です。北館から入って直ぐに「ベルーガ」の居る水槽があります。
普通は奥まった所に「スター」が居ると思うのに、直ぐご対面です。「ベルーガのショー」が10時20分なので暫く座り込んで「ベルーガ」の不思議な姿を見ていました。

「ベルーガ」は「白イルカ」といわれるクジラの仲間なんです。身体全体に脂肪を蓄えている(寒い、冷たい海で生きているので)少々ずんぐり型です。「ベルーガ」は背びれが無いんです。背びれのあるあたりはその脂肪層が厚く少し盛り上がっています。「ベルーガ」は生まれた時は薄ねずみ色です。成長するにしたがって白くなっていきます。頭がこぶのように膨らんでいます。此処を「メロン」と呼びます。「メロン」は脂肪の塊で「気のう(噴気孔のあたり)」で発せられた音を集めて水中に出す役割をしています。「メロン」はとても柔らかです。

歯は生えていますが(上下それぞれ18~20本)獲物を挟むためのものでほとんど飲み込みます。クジラ類の年齢は歯に現れるので、死ぬと歯を二つに割って数えるそうです。去年死んだ「ベルーガ」は35歳とα(歯が磨り減った部分)だったそうです。獲物の取り方も変わっています。獲物の居そうな海底の砂に向かって一度吸い込んだ息を吹きかけて、驚いて出てきた魚を飲み込むのです。

「ベルーガ」の喜び所は「舌」らしく一つ芸が出来るとベルーガ自身が口をあけます飼育員の人が手を差し入れて「舌」に水を掛けてピチャピチャ叩いてやっていました。魚のご褒美は後の方だけで大方はこの方法で「舌」を叩いてやっていました。私達はショーの始まる少し前に「オーロラの海」と言う「ベルーガのショー」のある水槽に行ったので練習風景を見ていました。合図で甲高い大きな声でなくんですよ。

ショーが始まる前真っ暗になって、徐々に明るくオーロラが出たりします。今の時期の北極圏の状態を表しているそうで、今は白夜だそうです。ショーの一環として体温を測ります。尾に近いあたりに生殖器があり、そこに体温計を入れて計ります。人間と同じ35度ぐらいです。その生殖器を挟んで漢字の「小」の字の様な位置にお乳があります。

そうだ特徴をもう一つ・・・。「ベルーガ」は首と胸びれ(人間の手を広げたような形で団扇の様な形)が柔らかいので、飼育員が小首を傾げますと、自分も小首を傾げるんです。これはイルカには出来ない芸ですね。「バイバイ」と胸びれを振るのも、人間の手のひらに似ていますので自然です。

死するものあれば生まれるものありで、去年赤ちゃんが生まれました。今はまだお母さんと別の水槽で暮らしています。子育ては母親の仕事です。乳離れをするのが2年ぐらいですから(今一年半)もうじき見られますね。ニックネームは「ベル」だそうです。   
                 (又明日)




















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飛騨高山春祭り(4)

2006年04月24日 | ちっちゃな旅
         JR下呂駅プラットホームからの桜

風邪のため入湯を控えていたが、折角日本で3本(草津 有馬 下呂)の指に入ると言われる下呂温泉に来ながら、入らないのも惜しいので、朝風呂に入った。主人のように温泉大好き人間ではない私でさえ、「お肌によさそう!」と感じる優しいお湯だった。

宿でゆっくりするつもりが、貧乏性と言うか、せこいと言うか、切符は午後だったので、宿から歩いて5分の「合掌村」に行く事にした。此処にも「朝市」があた。
その前を通ると近道で「合掌村」に行く事が出来る。

そこの桜は満開だった。一軒の中で老人が黙々と「わらじ」を編んでいた。私も縁故疎開で富山の砺波郡に疎開していた時、編んだ事があるので懐かしかった。小さな篭の中に「1,5cmほどのわらじ」がちゃんと一足でストラップになっていた。「91歳のおばあさんが編んだんだ。足腰丈夫のお守りよ」こんなに小さいのをどのように編まれたのか、足腰丈夫につられて500円でお買い上げ。

屋内の二階は富山と一緒で「蚕の棚」があった。私が縁故疎開したのは2ヶ月だけで、夏だったけれど、1階の囲炉裏は使われていたと記憶する。囲炉裏の周りを囲んで食事をする。囲炉裏の灰にくべて焼かれた「玉蜀黍」おいしかったな~。天井は煙が抜けるようにだろう板と板の間が開いていた。そこから時々「蚕」がポトンと落ちてくる。恐いと思っている私の上に落ちてくる。私は飛び上がったな~。沢山居ると「蚕」の桑の葉を食べる音ってすごいんだな~。何しろすごい食欲なんだ。「桑のは」をやる仕事をするのだが私は恐くて気持ち悪くて出来なかった。

仏間は南向きの大きな部屋で、大きな仏壇がで~んと据えられていた。家族、特にお嫁さんの部屋は北側の薄暗い小さな部屋だった。子供の私でさえ「嫁」の居場所でその立場が感じられた。牛部屋は同じ屋根の下にあったと思うが、お便所は外だった。夜中、外に出るのは恐かった。お便所といっても足を置く板が2枚掛っていると言う感じで中央から下丸見え、戦時中だからかも知れないが確か「わら」で拭いていた。水は裏山から引かれて台所の竹筒で受けていた。入り口の前に小さなせせらぎがあり洗濯はそこでしていた。

園内の演芸館しらさぎ座で「夢芝居」をしていて、主人が見たいと言う。2時間見ていると電車に間に合わないので1時間だけ見る事にした。桟敷を区切っている仕切りは通路だそうで、その上に「おひねり」用の紙の入った篭が置いてあった。芝居の1時間が過ぎ、幕を引き始めるとおひねりが数十個飛んだ。思ったより人が(100人程)入っていた。時間で帰りかけると「これからが歌謡ショーで良いのに帰るの?」と言われた。歌好きの私後ろ髪を引かれる思いで退出。

無事立花に着いた。お医者さんに駆け込んだ。「風邪です。こんな売薬飲みました」「風邪?珍しいですね」そう言われれば風邪を引く回数がへったが、反比例して長引く。

何はともあれ、長々とお付き合いありがとうございました。
お疲れ様でした。






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飛騨高山春祭り(3)

2006年04月23日 | ちっちゃな旅
            夜祭の提灯を点けた山車

有名な宮川の朝市に行った。此処も20年前とは違っていた。
20年前と同じであれと思う私が間違っているのは解ってい
るが、懐かしさゆえにどうしても昔を求めてしまう。まず
衛生面のためか今はビールの箱の上に商品が並んでいる。
故に腰掛けている店主と客がしゃがんで話す必要がない。

道路を隔てた片側は普通の店舗になっているし、異様に
漬物屋さんが多い。自家製漬物あり、手作り小物あり、
野菜あり、花ありと万屋さん的なお店が減ってしまった。
お店も減って、空地が目立つ。私は早々に立ち去った。

高山線は1号車が全面大きなガラス張りで写真を撮るにも
もってこいである。来る時にそれを知ったので、1号車の
一番前があれば変更してもらおうと言う事になった。
幸いな事に席は有った。主人の希望が叶ったのである。
何故ならば喫煙席が1号車のみだから・・・
咳に苦しむ私の事は考えず、席で吸える事を選んだのだ。

下呂に着いて駅前の観光案内所にいった。事前の調べでは
「合掌村」位しかなかったし、白川郷や富山で合掌造りは
見ているので余り気が進まなかった。まず私の目に飛び込
んだのはテレビで見た「苗代桜」だった。それも明日まで
期間延長しているというのである。「見たい!」と思った。
しかし私の風邪は持参の薬ではだんだん効かなくなり、声
まで嗄れてきた。帰ってすぐの約束が頭を掠める。19日
21日22日26日とこのままで行けるのだろうか?(実際には
順調にこなしている)ままよ行ってみよう!会期延長され
たのも私を待ってくれたからだ・・・何てね・・・

申し込みを済ませたものの、夜出る事に迷いは有った。
まず「咳止め」を買うことにした。薬局を見つけたが不運
な事に今日は日曜日休みである。観光案内所に取って返し
「薬局がないか?」と聞いたが「駅の向こうに一軒あるが、
日曜日なので休みです。車で15分のところにコンビニが
ありそこならある」と言う。ケチケチ言ってる場合ではな
いとタクシーに乗り込んだ。運転手さんに話と「そんな遠く
まで行かなくても開いてる店を知っている」と言う。
店は開いていた。4時間毎の薬を買い時間は忠実に守った。

夜8時いよいよお迎えのバスに乗り込んだ。25分の距離で
ある。私は唯ひたすら「風邪が拗れません様に」と祈った。

桜の前に立った私「綺麗!」と叫んだのみ、後は言葉もなく
ただ目の前の桜を見つめた。周りの人もそうだ。携帯で
この美しさを伝えている人の声も上ずっていた。初めて見た
時の一言の他は皆無言である。シルエットだけが人間の
存在を知らせている。滞在時間は50分と言われていた。
この寒空に長時間どうしようとの心配は無駄。あっという
間に集合時間は来た。

私は元々木や花が水面に写っているのが好きなのだ。
だから被写体としてカメラに収める事はよくある。しかし
この度は私のカメラ、腕ではその美しさを捕らえる事が出来
なかった。しかしこの感動を伝える事はいかなる機器を使っ
た名カメラマンでも出来ないだろう。自分の目で、心で受け
止めてこその心の喜びだと感じた。

私達が着く前までは漣の為、水の上の桜は映ってなかったと
言う。なんて幸運なんだろう、私がその場に立ち、一目見た
時から上下対称の桜が待っていた。

この美しさをどのような言葉で表現すれば良いのだろう。
静寂 優雅 妖艶 言葉が見つからない。

醍醐の桜も吉野の桜も美しい。「苗代桜」は特別なのだ。
今はライトアップという力を借りているが、この木が若
かったその昔、人工的な助けを借りる事無く月光を受け
静けさの中に立って、少数の人の心を満たしていたのだ
ろう。それは夜にそこに在るからこそだろう・・・

満足満足な下呂のよるでした。  








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飛騨高山春祭り(2)

2006年04月22日 | ちっちゃな旅
              からくり人形 三番叟
             箱を開ければ童子が翁になる                

15日
宿舎に帰る道すがら薬局で「カイロ」を買った。寒がりの私
はまさかの為に「カイロ」を二枚持ってきていた、けれどそ
れでは足りそうにない寒さである。自分に必要な薬は自分で
薬袋に入れておくと言うのが旅のルールになっているが、袋
ごとぽんとほり込むのがO型の主人、3泊分きっちり数えて
必要数だけ持つのがA型の私。「カイロ」二枚はその為だ。

昨夜は両肩に一枚ずつ、腰に一枚張るという。「カイロ」は
空気にさえ触れなければ2日もつと教えたが信用しない。

20分ほどの距離なので歩こうと言う事になり会場まで歩い
た。人は続々と集まってくる。昨日の事があるので今日は
待つ覚悟である。写真を左右から撮ろうということになり、
二手に分かれた。

お人形は高い山車のうえにあるので小さく見えるが1m20㎝
もあるのだ。熟練の綱方が息を合わせて何十本の綱を操る
とからくり人形が見事な動きを見せるのである。観衆をう
ならせる見事な演技でした。90分があっという間に過ぎて
いいった。満足満足!

有名なお蕎麦屋さんの前に来たので昼食に並ぶ事にした。
私達の後ろに並んだ茨城からのご夫妻の話では「雨のため
2時のからくりが中止になり、それぞれの館で行われると言
うのです。と言う事は一つしか見れないと言う事なのです。
そういえば傘をささなくても良いほどの時雨があった。
金箔と漆は湿気を嫌うので、パラパラとでも降れば中止は
良くある事だそうだ。私達は幸運にも三体とも見る事が
出来た。

並んでいる時ふと隣を見ると、奥様方が紙袋を提げて大勢
出入りしています。そこは「落雁」のお店だった。
上品なお味の美味しい落雁でした。

「蕨もち」も美味しかったですよ。「蕨もち」大好き人間
の主人が買うと言うので昨日買って食べたのですが、美味
しいので買って帰ろうと言う事になった。関西と違って
「冷蔵庫に入れないでください」と言うのです。「蕨もち」
は冷やして食べるものと言う常識の外の食べ方の美味しか
った事。「落雁」も「蕨持ち」ももう一度食べたい品だった。

今日こそ宿舎でゆっくりしようと言う事になった。
一宮の「臥龍桜」を明日見て下呂に行くつもりだったが、
来る時の車窓から見た桜がまだ咲いていなかったので中止
にした為、明日朝市を見ても十分の時間があるからだ。

「どうなっているか見て!」主人の言葉に「カイロ」を張っ
ていた辺りを見ると赤くなっている。「これ低温やけどや」
良く聞くと一度外した昨日の「カイロ」落ちないように
バンドでしっかり抑えていたという。まさに皮膚にアイロン
を押し付けたと同様である。「低温やけど」今も主人の腰に
鎮座ましましている。これって直るの長く掛るよね!

二日目の夜はふける。



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飛騨高山春祭り(山王祭)

2006年04月21日 | ちっちゃな旅
                ビオラ              
           吹けば飛ぶような種を蒔く            
         10本ほど芽を出したが育ったのは3本


4月14日
春の高山祭りに行ってきた。20年程前秋の祭りに行った。
私が夜祭を見ていると男性がすーと寄ってきて耳元に囁いた
「春祭りも良いですよ」あっけにとられている私を残し来た
ときと同様すーっと人ごみに消えた。私の心には「行って見
なければ」と何時までも消えない囁きだった。

今年やっとその思いが叶った。予定通り11時前高山に到着。
電車を降りたとたん身震いした。「何?この寒さ?」私達は
春のジャンバーを着ている。暖かい車中から出てきたから
と初めは思った、でも違った。本当に寒いのである。
5度だ。18度前後の関西からの私にはまるで冬に逆戻り、
その上風邪でゴホンゴホンやっている、嫌な予感がした。

気持ちを持ち直し「観光案内所」に直行、祭りのパンフレッ
トと説明を受ける。車中でも感じたが外人さんが多い、私の
前も外人さん、窓口のお嬢さん、すらすらと英語で会話して
いる。資格は英会話の出来る人なんだろうな・・・

第一目的の「ご巡幸」まで時間があるので昼食を取る事に。
今年2月中尾温泉の雪のかまくら祭りに孫娘を連れて来た
時入った喫茶店が美味しかったので、その店に行った
「美味しかったので又来ましたよ」と言うとあちらも
「カルボナーラ注文のお嬢ちゃんがご一緒でしたね」と
覚えていてくれた。ココも外人さんが多い。口コミだって。

日枝神社に向かう道すがら山車が勢ぞろいしていた。桜の
名所の神社にも花影はなく寂しい。まもなく「ご巡幸」が社
から降りてきた。各山車毎にそれぞれの格好でお練である。
若い巫女を揃えているのは一部で、後は見事にご老人であ
る。町中のご老人が全員集まっているのではと思うほど。
紋付袴に小さく平べったい笠を頭に載せて、何人かの人が
手に笊を持っている、もしかして?と思っていると、やはり
お祝儀を頂く笊らしい。この行列各町内を廻るため3時間
掛るらしい、大丈夫かな~ご老体・・・
いやいや一年一度の喜びの日かな。

からくり奉納1時間前、人もまばらまだ大丈夫と喫茶店へ、
10分前戻って驚き、人人人で前に進めず、山車ははるか
かなたに。すっぱりとあきらめて明日10時に変更を決め
その場を後にする。これぞ個人旅行の良さである。

夜祭は今夜きりである。宿舎の人が「7時ごろ行けば良い
ですよ」と言われたので、それに間に合うようにタクシー
を頼んだ。一風呂浴びたいところだが、この寒さ風邪引く
ので我慢して、布団を被って夕食までひとねいり。

会場は大勢の人だった。昼見た山車に提灯が点けられてい
た。その明かりだけの山車は、煌びやかな金箔も精巧な
細工も隠れた感じで何処となく物足りなさを感じたのは
町行く人の声にもあり私だけではなかったようだ。

20年前あんなに綺麗だっと感じたのに・・・と考えると
その頃は小路を、手の触れる所を通過していたからだろう、
今は大通り(都会感覚から言えばそんなに大きな道幅では
ない)を通るからだろうか。それとも私の心が感動に鈍く
なっているのだろうか?

何はともあれ高山の第一夜は更けていった。





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