あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

二 ・ 二六事件蹶起 二月二十七日 北一輝 『 國家人無シ 勇將眞崎アリ、正義軍速ヤカニ一任セヨ 』 

2024年02月26日 18時39分53秒 | 道程 ( みちのり )

・・・前項 二・二六事件蹶起 二月二十六日 『 諸子ノ行動ハ國體顯現の至情ニ基クモノト認ム 』  の 続き

二 ・ 二六事件蹶起 
2月27日 ( 木 ) 
午前2時頃  陸相官邸に於て軍事参議会と会談、結論出ない侭終了 ・・ 村中、香田、磯部、野中、栗原、對馬、竹嶌
午前2時頃  石原大佐、橋本大佐、満井中佐、亀川哲也 帝国ホテルで会談
午前3時頃  村中、亀川哲也、満井佐吉中佐、帝国ホテルへ
龜川がボーイに案内されて一室に入ると、
そこには満井、橋本、田中その他二、三名の將校、それに右翼浪人の小林長次郎がいた。
満井が龜川にこれまでのいきさつを説明したのち、
「 この際、山本大將に出てもらうことが一番よいということに意見の一致を見た。
そこで石原大佐から杉山次長に電話して、これが諒解を得た。
次長は機を見てこれを上聞に達するということになっている。
ついては山本大將と親交のあるあなたに意見を伺うと思って來ていただいたのです 」
「 それはいいでしょう。
 だが、それにはまず部隊の引きあげが先決ではないでしょうか、
蹶起部隊は一応目的を達したのだから、
いつまでも首相官邸や陸相官邸を占拠していてはいけません。
彼らは速やかに現在の場所から撤去させなければなりません 」
と 龜川は問題を投げた。
この龜川の意見には満井も橋本も同意し、
部隊を戒厳司令官の指揮下に入れて警備区域はそのままとして歸隊せしめよう、
と 提案、
一同それがよかろうということになり、
満井は車を陸相官邸にやり 村中 をよんできた。
村中を説得して引きあげさせようとしたのだ。
龜川はこの村中説得の事情をつぎのように述べている。
「 そこで満井と私は村中を別室に呼び、
 まず私から目的を達したかと聞きますと村中は達しましたという返事なので、
私はそれでは早く引きあげればよいではないか、といいますと、
村中は、事態をどうするか決まらないのに引きあげるわけにはいかない、との返事でした。
私は引きあげさえすれば事態は自然に収拾されるのだ、といいました。
この時、満井は、
≪ 部隊を戒嚴司令官の指揮に入れ警備区域は現場のままとする ≫
という条件を持ち出し、早く引きあげた方がよいと話したので、
村中は
引きあげるということは重大だから 外の者にもいわなくてはならん、

そして西田にも相談しなくてはならん
と いいました。

この時私から 西田の方は私が引き受けるから、
若い人たちの方は君が引き受けて早速引きあげてくれ、と話ました。
すると村中は
歸りましたら早速引きあげにとりかかりましょう

ということで
わずかな時間で話がまとまって村中は帰って行きました」
( 憲兵調書 )
こうして彼らはこの協議をおえて帝國ホテルを出た。
もう夜が明けかかっていた。
満井はその足で戒嚴司令部に赴き、石原参謀を訪ね、右の顚末を傳え、
さらに、
「 維新内閣の實現が急速に不可能の場合は、
 詔書の渙發をお願いして、建國精神の顯現、國民生活の安定、
國防の充實など國家最高のご意思を広く國民にお示しになることが必要である。
そしてこれに呼応して速やかに事態の収拾を計られるよう善処を希望する 」
龜川はホテルから自宅にかえったが、そこで山本大將と久原に右の報告をした。
それから眞崎邸を訪問したが不在だったので車を海軍省に向けここで山本大將に會い、
組閣の心組みをするよう申言したが、山本は相手にしなかった。
八時頃 北一輝邸に西田税を訪ね帝國ホテルにおける部隊引上げの話をした。
西田は憤然として、
「 そんなことをしては一切ぶちこわしだ、一体誰の案か、村中は承諾したのか 」
と 詰問した。
龜川が、大体承諾したようだと口をにごすと、西田はすっかり考え込んでしまった。 ・・・帝国ホテルの会合

村中、陸相官邸で撤退を協議、野中、香田、安藤、磯部、栗原  

帝國ホテルで部隊の撤退を約束した村中は
二十七日朝
陸相官邸の廣間で野中、香田、安藤、磯部、栗原らとともに 部隊の引きあげについて協議した。
だが、意見は硬軟二派にわかれた。
村中は同志部隊を引きあげよう、皇軍相撃はなんとしても出來ない、
と 撤退を説いたが、
磯部 は激昂を全身にたぎらかし、
「 皇軍相撃がなんだ、相撃はむしろ革命の原則ではないか、
 もし同志が引きあげるならば俺は一人になってもとどまって死戰する 」

と 叫ぶ。
安藤もまた、
「 俺も磯部に賛成だ。維新の實現を見ずに兵を引くことは斷じてできない 」
と 鞏硬だった。
磯部としては もし情況惡化せば田中隊と栗原隊をもって出撃し、
策動の本拠と目される戒嚴司令部を轉覆する覺悟だった。
とうとう磯部は怒って栗原と一緒に首相官邸に引きあげてしまった。・・・「 国家人無し、勇将真崎あり 」



午前2時20分  戒厳を宣告
午前2時40分  枢密院が戒厳令の施行を決定す
午前3時50分  東京市に戒厳令公布

午前4時40分  戒厳司令部より 「 戒作令第一号 」が下令さる
戒作命第一號  
命令  ( 二月二十七日午前四時四十分 於 三宅坂戒嚴司令部 )

一、今般昭和十一年 勅令第十八、第十九號ヲ以テ
 東京市ニ戒嚴令第九、第十四條ノ規定ヲ適用セラルルト同時ニ、
 予ハ 戒嚴司令官ヲ命ゼラレ 從來ノ東京警備司令官指揮部隊ヲ指揮セシメラル

二、予ハ 戒嚴地域ヲ警備スルト共ニ、地方行政事務及司法事務ノ軍事ニ關係アルモノヲ管掌セントス、
 適用スベキ戒嚴令ノ規定ハ第九條及第十四條第一、第三、第四ト定ム
三、近衛、第一師團ハ夫々概ネ現在ノ態勢ヲ以テ警備ニ任ズベシ
四、歩兵第二、第五十九聯隊ノ各一大隊及工兵十四大隊ノ一中隊
 竝陸軍自動車學校ノ自動車部隊ハ、依然現在地ニ在リテ後命ヲ待ツベシ

五、憲兵ハ前任務ヲ續行スルノ外、特ニ警察官ト協力シ戒嚴令第十四條第一、第三、第四の實施に任ズベシ
六、戒嚴司令部ハ本二十七日午前六時九段軍人會館ニ移ル
戒厳司令官  香椎 浩平
下達法  命令受領者ヲ集メ印刷セルモノヲ交付ス

軍隊區分
麹町地區警備隊
  長 歩兵第一聯隊長 小藤大佐
二十六日朝來出動セル部隊


蹶起部隊、麹町地区警備隊に編入せられ、戒厳令下での治安維持任務に就く
午前5時頃  三宅坂の安藤大尉の許へ、柴有時大尉来訪す


午前6時  戒厳司令部が九段の軍人会館に移る
午前7時  田中隊、陸相官邸から首相官邸へ移動
午前8時  丹生部隊、歩哨を残し主力は新国会議事堂 (  新議事堂附近に集結待機 ) に移る 
午前8時15分  「戒作令第一号 」 が発表さる
午前8時20分  昭和天皇 奉勅命令を裁可 ( 発令は28日午前5時8分 )


主力を新議事堂附近に集結
午前9時頃  警視庁附近警戒の野中部隊 鈴木少尉 ( 歩三第10中隊 )、新国会議事堂に集合
午前9時頃  西田税、首相官邸の磯部に電話 ・・北一輝の 「 霊告 」 を伝える
二月二十七日朝
北ノ靈感ニ、
 『 國家人無シ、勇將眞崎アリ、國家正義軍ノ爲ニ號令シ、正義軍速ニ一任セヨ 』
ト現ハレタトノ事デ、
北ハ私ニ對シ、
早ク彼等ニ知ラシテ眞崎ニ一任スル様ニ注意シテ遣レト申シマシタノデ、
同日栗原、磯部、村中ニ夫々電話ヲ掛ケタ際、
「 君等ガ二月二十六日軍事參議官ト會見シタ際、臺灣ノ柳川中將ヲ以テ次ノ内閣ノ首班トシ、
 時局収拾ヲ一任シタイト要求シタトノコトデアルガ、
十日モ二十日も要スル遠イ人ノ事ヲ考ヘズニ、此際眞崎ニ總テヲ一任スル様ニシタラ何ウカ。
夫レニハ、軍事參議官ノ方々モ一致シテ眞崎ヲ擁立テテ行ク様ニ、御願ヒシテ見タラ何ウカ 」
ト云フ趣旨ノ事ヲ忠告シテ遣リマシタ処、
孰レモ、夫レデハ同志一同協議ノ上、其ノ方針デ進ム様ニスルト申シテ居リマシタ。
・・・・・
北ハ靑年將校等ガ柳川中將ヲ持出シタコトヲ心配シテ居ツタ様デアリマシタガ、
朝カラ御經ヲ讀ムデ居ラレマシタガ、
間モナク、
「 國家人無シ、勇將眞崎在リ、國家正義軍ノ爲ニ號令シ、正義軍速ニ一任セヨ 」
トノ靈感ガ現レタトテ、夫レヲ示サレ、
早ク彼等ニ知ラシテ眞崎ニ一任スル様ニ注意シテヤレト申サレマスシ、
私モ無論早ク彼等ニ知ラシタイト思ヒマシタノデ、其ノ事ヲ村中、磯部等ニ知ラシマシタ。
其ノ要旨ハ、
「 實ハ北ノ御經ニ此様に出タノダガ 」
ト申シテ右ノ靈感ヲ告ゲ、
「 此中ニ國家正義軍トアルノハ君等ノコトニ當ツテ居ルノダガ、
 君等ハ二月二十六日軍事參議官ト會見シタ際、柳川中將ニ時局収拾ヲ一任シタイト要求シタトノコトデアルガ、
遠方ニ居ル柳川ヲ呼ブヨリ、此際眞崎ニ一任スル様ニシテハ何ウカ。
全員一致ノ意見トシテ、無条件ニテ時局収拾ヲ皆ノ者トヨク相談セヨ。
ソシテ軍事參議官ノ方々モ亦意見一致シテ眞崎ニ時局収拾ヲ一任セラル様ニ、御願ヒシタラ宜カラウ 」
ト云フ趣旨ノ事ヲ申シマスト、
村中、磯部等ハ
「 判リマシタ。我々ハ尊皇義軍ト言ツテ居ルノダガ、眞崎デ進ムコトニ皆ト一緒ニ相談シマセウ 」
ト申シマシタ。・・・西田税、蹶起将校 ・ 電話連絡 『 君達ハ官軍ノ様ダネ 』
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人なし勇將眞崎あり
磯部が首相官邸に移ってから間もなく、
西田から栗原に電話があり、つづいて、北一輝からも栗原に電話で、
「 眞崎大將に時局収拾をしてもらうことに、
 まず君ら靑年將校の全部の意見を一致させなさい。
そして君らの一致の意見として軍事參議官の方も、
また、參議官全部の意見一致として眞崎大將を推薦することにすれば、つまり陸軍上下一致ということになる。
君らは軍事參議官の意見一致と同時に眞崎大將に時局収拾を一任して、一切の要求を致さないことにしなさい 」

と 教示した。
さらに、西田も磯部を電話口に呼び出し和尚 ( 北のこと ) の靈告なるものを告げた。
磯部は、午前八、九時であったが西田氏より電話があったので、
「 余は 「 簡單に退去するという話を村中がしたが斷然反對した、小生のみは斷じて退かない。
 もし軍部が彈壓するような態度を示した時は、策動の中心人物を斬り戒嚴司令部を占領する決心だ 」

と 告げる。
氏は「 僕は龜川が撤去案を持ってきたから叱っておいたよ 」 と いう。
更に今、御經が出たから讀むといって
「 國家人なし 勇將眞崎あり、國家正義軍のために號令し、正義軍速やかに一任せよ 」 と 靈示を告げる。
余は驚いた、
「 御經に國家正義軍と出たですか、不思議ですね、私どもは昨日來 尊皇義軍と言っています 」
と 言って神威の嚴肅なるに驚き 且つ快哉を叫んだ 」

と 遺書 「 行動記 」 に書いているが、この北の靈告にはよほど激励されたものらしい。
しばらくすると 村中が香田とともに首相官邸にやって來た。
磯部は村中を見つけると 夜明け方の喧嘩別れも忘れて、
「 さきほど、西田さんから電話があって 和尚の靈告を聞いたんです。
人なし勇將眞崎あり國家正義軍のために號令し、正義軍速やかに一任せよというのです」

と 氣色をたたえ、はしゃいだ聲で話しかけた。
村中も、
「 いや、俺の所にも今、その電話があったものだから相談しに來たのだ。
 和尚の靈告通りに この際は眞崎一任で進むのが一番いいんじゃないかと思うんだが 」
と 一同にはかった。

そして
「 賛成 ! それでいこう 」
と いうことになった。

折もよく 野中も來合わせていて、眞崎一任ということに全員一決した。
そこで 各參議官の集合を求めることになったが、
同時に、昨日來の行動で疲勞している部隊に休息を与えるために、
警備兵を除いて、部隊を一時國會議事堂附近に集結することにきめた。
・・・軍事參議官との會談 1 『 國家人無し 勇將眞崎あり、正義軍速やかに一任せよ 』

午前10時頃  丹生部隊、山王ホテルへ
午前中  香田大尉、村中、戒厳司令官を訪問  皇軍相撃つことなき様意見上申
午前10時30分  野中部隊 清原少尉 ( 歩三第3中隊 )、1箇小隊を率い華族会館を襲撃
 栗原中尉来て蹶起趣意書を朗読す ・・・華族会館襲撃

午後0時10分  安藤部隊・・・新議事堂へ移動
坂井部隊・・・陸軍省東北角配備 → 新議事堂附近に集結
香田、村中・・・戒厳司令部へ ・・香椎、参謀長、石原大佐、柴大尉と面接 → 首相官邸へ 栗原、磯部と会う


午後1時頃  安藤部隊 新国会議事堂附近に集結
井出宣時大佐、安藤大尉と面会 ・・・小川軍曹がいきなり大佐を射殺すると言い出し大尉に止められる一幕あり
午後1時頃  坂井部隊 高橋小隊、新国会議事堂裏の広場に集結す
午後1時27分  岡田啓介首相、官邸より脱出す
午後2時頃  野中部隊 鈴木少尉以下10中隊、警視庁に戻る
主力を新議事堂附近に集結
午後2時  野中部隊 3中隊、7中隊、10中隊、新国会議事堂へ向かうも途中で引返す
午後3時頃  安藤部隊、幸楽へ向かう
同期生宇田武次 、幸楽で安藤大尉と会う 
・・・いまの参議院西通用門の口にまわってのぞいて見ると、
安藤輝三大尉が出来かけの石段の上に立って部下中隊に訓示と命令を達しているところであった。

時刻はたしか (27日) 午後三時ごろであった。
「 小藤大佐の指揮下に入り、中隊は今より赤坂幸楽に宿営せんとす・・・・」
よくとおる安藤の声がハッキリ聞こえてくる。
・・・「 今夜、秩父宮もご帰京になる。弘前、青森の部隊も来ることになっている」

午後4時  鈴木少尉以下10中隊、新国会議事堂中に集合
 常盤少尉 ( 歩三第6中隊 )、一箇小隊を率い新国会議事堂へ
午後4時  東京台場に戦艦長門他40隻の艦隊が集結し砲口を永田町一帯に向ける
午後4時30分  将校全員陸相官邸に集合、山口大尉より宿舎命令を受ける
 鈴木少尉以下10中隊は鉄相官邸、清原少尉以下3中隊は文相官邸、
 其の後、野中大尉以下7中隊、香田大尉は鉄相官邸、蹶起部隊本部を鉄相官邸に置く
 10中隊は文部大臣官邸、栗原・中橋隊は首相官邸、

午後4時59分  秩父宮、上野駅に到着す
午後5時頃  陸相官邸へ集合命令・・17、8名が集合
 真崎、西、阿部の三大将と蹶起将校 陸相官邸で会見、 真崎大将に時局収拾を一任す
午後二時、陸相官邸で蹶起將校と眞崎大將らと會談した。
席上、野中大尉が
「事態の収拾を眞崎將軍に御願ひ申します。
 この事は全軍事參議官と全靑年將校との一致せる意見として御上奏をお願い申したい 」
と、言った。
しかし、眞崎は既に天皇の御意嚮を知っているから、はっきりした返事をしていない。
「 君たちが左様言ってくれる事は誠に嬉しいが、いまは君等が聯隊長の言う事を聞かねば何の処置も出來ない 」
と言って、撤退が先決だという。 
結局、この會見ははっきりした結論を出さないでおわった。
軍事參議官たちは、靑年將校が撤退を認めたと思い、
靑年將校の方では、阿部、西の両大將が眞崎大將を助けて善処するという言葉を信じた。

・・・
行動記 ・ 第十九 「 国家人なし、勇将真崎あり 」
・・・山口一太郎大尉の四日間 3 「 総てを真崎大将に一任します 」


午後6時頃  陸相官邸へ将校全員集合
午後6時  丹生部隊、山王ホテルへ  ( ・・・午後8時山王ホテルへ )

午後6時30分  丹生中尉、山王ホテルへ・・・歩一11中隊は山王ホテルに宿営
午後6時30分  安藤部隊、坂井部隊、幸楽へ向かう
午後6時半  坂井部隊・・・幸楽へ入る
午後6時半頃  安藤部隊、尊皇討奸の旗を先頭に幸楽へ入る 
 今晩秩父宮様が弘前を御出発上京の情報、中隊長以下各幹部 涙にむせぶ。
・・・「 今夜、秩父宮もご帰京になる。弘前、青森の部隊も来ることになっている」

午後7時  戒作命第九号 発令

戒作命第九號 
( 近衛師團長ニ与フルモノ )
命令  二月廿八日午前七時  於九段戒嚴司令部
一、貴官ハ半蔵門附近ニ自動貨車積載部隊若干ヲ準備シ情況ニ應シ機ヲ失セス 陸軍省參謀本部ヲ確保スヘシ
 但シ目下平穏裡ニ占據部隊ヲ撤去セシメ得ルノ見込大ナルモノアルニ鑑ミ
之ヲ刺戟シ不測ノ事端ヲ醸成セサル事ニ關シ留意ヲ要ス
戒厳嚴司令官    香椎浩平
下達法  電話ニ依ル

午後7時頃  澁川、加藤、佐藤らと留守の西田税宅に集る・・佐藤、青森の末松大尉の許へ向かう
午後7時頃  清原小隊、華族会館を出  午後7時半頃 大蔵大臣官邸へ、
田中隊 ・磯部、山本又少尉は農林大臣官邸  歩三第10中隊は文相官邸
坂井部隊、幸楽へ
澁川善助、皇道維新聯盟へ ・・・柴有時大尉と共に鐡相官邸へ
午後7時  栗原中尉、幸楽で演説
午後8時頃  村中、北一輝邸を訪問  北、西田、亀川と会合 ・・・北一輝 (警調書2) 『 仕舞った 』
・・・ 時間ハ記憶アリマセヌガ、當夜午後七、八時頃
龜川ト話シテ居ル際、村中ガ突然來タノデ、

私ハ意外ニ感ジ、且 再ビ會ヘナイダラウト覺悟シテ居ツタ同人ト會フ事ガ出來テ、感慨無量ノ體デアリマシタ。
ソコデ、私ト北、龜川、村中ノ四人が一座ニシテ、村中ニ對シテ今迄ノ經過ニ附、
物珍ラシク色々尋ネタリ、聞イタリ致シマシタ。
其ノ時村中ハ、
一、二月二十六日朝陸軍大臣官邸ニ行ツテ、大臣ト會見シタ模様、
一、蹶起部隊ハ戒嚴司令部ノ隷下ニ編入セラレタコト、
一、戒嚴司令官ト面接シテ、此儘現占據地ニ留ツテ居ツテ宜イト云フ諒解ヲ得タコト、
一、先輩同僚ガ多數來テ激励シテクレルノデ、同志將校等ハ非常ニ心強ク思ツテ居ルコト、
一、今朝陸軍省、參謀本部等ニ兵力ヲ終結シテ、幕僚ヲ襲撃スルコトヲ安藤、磯部、栗原等ガ言ヒ出シタガ、之ヲ阻止シタコト、
一、眞崎、阿部、西三大將ニ會見シ、眞崎大將ニ時局収拾ヲ一任スルコトヲ要望シ、大體其ノ方針デ進ンデ居ルコト、
一、新議事堂附近ニ兵ヲ終結スルコトハ地形偵察ノ結果不可デアルノデ、
  戒嚴司令官ニ其ノ儘留ツテ居ツテモ宜イカト尋ネタ処、同司令官カラ其ノ儘デ穏クリ給養シテ宜イト言ハレタコト、
一、万平ホテル、山王ホテル等ニ居ル部隊ハ蹶起軍ナルコト、其ノ給与ハ部隊カラ受ケテ居ルコト、
一、奉勅命令デ現地ヲ撤退セシメ、命令ニ服從シナケレバ討伐スル等ノ噂ガアルト話シタラ、村中ハ、
  「 ソンナ筈ハ無イ、我々ノ行動ヲ認メタト云フ大臣告示ガ出テ居ルカラ 」
ト申シ、右大臣告示ノ内容ヲ説明シタコト、等ヲ話シマシタ。
其ノ時北カラモ、
「 早ク陸軍首脳部ノ意見ヲ纏メテ、時局収拾ニ努力スル必要ガアル 」
旨ヲ申シテ居リマシタ。
村中ハ、兵ノ敎育上何カ參考資料ハナイカト申シマシタガ、
何モ無イト申スト、約一時間位話シテ歸ツテ行キマシタ。

午後10時  新井中尉、幸楽の安藤大尉に面会、続いて 山王ホテルの丹生中尉に面会 ・・・地区隊から占拠部隊へ
午後11時頃  磯部、首相官邸を夜襲して武装解除するとの風説の報告を受ける
終日  陸相官邸に在したる者、柴大尉、山口大尉、小藤大佐、鈴木大佐
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「 事件の処理は私がやった 」
との 陛下のお言葉のように、
この段階で進めらていた陸軍首脳の方針に、
待った、を かけられた陛下のご意志のまえに、軍当局は絶対的な苦悩に陥ることになった。
朝令暮改というが、陛下の激怒によって軍首脳は、今や施す術がなかった。
百八十度の変転である。

「 陸軍大臣告示 」 はどうして消えたか
昭和四十六年十一月の、外国記者団との会見における天皇の発言によれば、
二・二六事件の収拾処置は自分が命令した、
それは憲法の規制を逸脱した専断であった。

と 認められている。
憲法によれば、
国政を預る政府責任当局の決定に対しては、天皇といえどもそれを否認する拒否権はない。
その憲法無視を敢て強行された天皇の意志が、二・二六事件蹶起完敗のすべてであった。
事件は陸軍軍隊によって起された暴発であり、この収拾は軍当局の責任である。
その責任下に決定、告示された 「 陸軍大臣告示 」 が、
わずか半日にして姿を消したことは、一に 天皇の意志であり 激怒 であった。
いかに憲法上は正しい大臣告示でも、
神厳にしておかすべからずの天皇の意志の前には、軍人として一も 二もなく 為す術はなかったろう。
天皇の意志に反した告示など、存在する運命はなかった。
天皇の鎮圧すべしとする意思決定の段階で、「 陸軍大臣告示 」 の存在理由はなくなったのである。
・・・ 二・二六事件の収拾処置は自分が命令した 


二・二六事件蹶起 二月二十六日 大臣告示『 諸子ノ行動ハ國體顯現の至情ニ基クモノト認ム 』

2024年02月26日 12時00分00秒 | 道程 ( みちのり )

・・・前項 二・二六事件蹶起 二月二十六日 『 勇躍する、歓喜する、感慨たとへんにものなしだ 』 の 続き

二 ・ 二六事件蹶起 
2月26日 ( 水 ) 

午前10時 
 安藤部隊、三宅坂三叉路に陣地、・・27日正午まで桜田門の手前、半蔵門、隼町に歩哨警戒に当る ・・・安藤大尉「 私どもは昭和維新の勤皇の先駆をやりました 」 
 坂井中尉、麦屋少尉と共に部隊を引率して赤坂見附から平川町に至り、
 市電停留所を中心に三宅坂、永田町、麹町四丁目、赤坂見附に歩哨  ・・・
歩哨線 「 止まれ !」 

午前11時前頃
 村上大佐、三宅坂の安藤大尉に会う
 小藤大佐、山口大尉、陸相官邸に来る  ・・・
香田清貞大尉 「 陸相官邸の部隊にも給与して下さい 」 
 香椎警備司令官、山下少将と参内、川島陸相、真崎、荒木大将と会談す

西田税、首相官邸の栗原中尉に電話す ・・・西田税 (警調書2) 『 僕は行き度くない 』
( ↓ 西田税、第三回公判での供述 )
午前十時頃、三度目ノ電話デ漸ク小笠原中將ト話スル事ガ出來マシタ。
私ハ、
「 陸軍ノ青年將校等ハ遂ニ今朝蹶起シ、多クノ兵ヲ聯レテ重臣ブロックニ向ツテ襲撃シタ様デアリマスガ、
既ニ御承知ノ事ト思ヒマス。斯ウナリマシテハ致方アリマセヌカラ、國家ノ爲一刻モ速ニ事態ヲ収拾シテ頂ク様、
閣下ノ御力添ヲ御願ヒシタイ 」 ト云フ趣旨ノ事ヲ申シマシタ処、小笠原ハ
「 ヨク判ツタ。何トカ考ヘテ、出來ルダケノ事ヲシテ見ヤウ 」
 
ト言ツテクレマシタ。

被告人ノ謂フ蹶起後ノ事態収拾ニ附テノ盡力ト云フノハ何ウスルノカ
國家國軍ニ對スル蹶起青年將校等ノ希望、目的、精神ニ副フ様ニシテ事態ヲ収拾スル様、
盡力シテ貰ヒタイトノ意味デ、約言スレバ、彼等ノ意見ニ合致スル様ニシテ貰ヒタイト云フ意味デアリマス。
此意味ナル事ハ言明シナクテモ、私ノ氣持ヲヨク判ツテ居ラレル小笠原トシテハ、十分酌ムデクレタモノト信ジテ居リマス。

小笠原中將ニ電話ヲ掛ケテカラ、自宅ニ電話ヲ掛ケテ留守番ノ赤澤ヲ呼出シ、
  「 自分は今木村病院ニ來テ居ルカラ、此方ニ來テクレヌカ 」 ト申シマシタ処、
赤澤は午前十一時頃病院ニ來マシテ、「 軍人ガ警視庁ニ居ル 」 ト報告シマシタノデ、
更ニ同人ヲ外ニ出シ、夫レガ蹶起部隊カ鎭壓部隊カヲ確メサセマシタ結果、
蹶起部隊ガ首相官邸、陸相官邸、警視庁方面ヲ占據シテ居ル事ガ判明致シマシタ。

夫レカラ赤澤ガ私ノ自宅ニ電話ヲ掛ケマシタ処、
「 今栗原カラ電話ガアツテ、西田ハ捕ツタカト問合セテ來タカラ、西田ハ北方ニ行ツテ居ルト答ヘタ処、
 栗原ハ、自分ハ首相官邸ニ居ルト言ツテ大笑ヒシテ居ツタ 」 トノ事デアリマシタ。
私ハ事前ニ栗原ト喧嘩別レヲシタガ、
其ノ際私ガ、君等ガ蹶起スレバ自分ハ捕マルダラウト話シタ事ヲ覺ヘテ居テクレテ、
安否ヲ気遣ヒ、尋ネテクレタト思フトイヂラシイ氣持ニナリマシタシ、
當時寒クテ兵モ可愛サウダガ、彼等ハ兵ヲ何ノ様ニシテ居ルノダラウト思ツタリシマシタノデ、
先方カラ電話ヲ掛ケテ寄越ス位ダカラ、此方ヨリ掛ケラレナイ事モナカラウ、
一ツ連絡ヲシテ見ヤウト思ヒ、首相官邸ノ栗原ニ電話ヲ掛ケマシタ。
ソシテ同人ニ對シ、
「 ドシドシ雪ハ降ツテ居ルシ、兵達ハ寒イデナイカ、兵ノ飯ハ何ウシテ居ルカ 」
ト尋ネマシタ処、栗原ハ、
「 糧食ハ聯隊カラ持ツテ來テクレルシ、防寒具モ持ツテ來テ居ルノデ心配ナイ 」
ト申シマスカラ、
「 君達ハ官軍ノ様ダネ 」
ト申シマスト、
「 官邸ヲ占據シタカラニハモウ動カヌ 」
ト言ヒ、
「 何ウシテ居ルノカ 」
ト申スト、
「 何モシテ居ラヌ 」
トノ事デアリマシタ。
尚、襲撃ノ結果ヲ尋ネマシタ処、
「 岡田首相ハ殺害ノ目的ヲ達シタガ、非常ニ苦戰デアツタ。
 兎ニ角一度様子ヲ見ニ來ナイカ。來ルナラ、溜池迄案内ヲ出シテ置ク 」
ト言ヒマシタガ、私ハ 「 行キタクナイ 」 ト申シテ斷リマシタ。

右ノ様ナ次第デ、夫レ迄抱イテ居タ私ノ豫想ハ全然裏切ラレ、糧食 被服ハ聯隊ヨリ支給シテ居リ、
栗原モ元氣デ呑氣サウニ話シ、一方我々ノ方モ警察ヨリ追廻シテ居ル様子モナシ、
事態ハ惡化シテ居ラヌ計リデナク、却テ好轉シツツアルノデナイカト云フ様ナ氣ガシタノデ、
夫レナラ設備行届カズ、暖クモナイ木村病院ニ居ルヨリ、北方ニ歸ツタ方ガ宜クハナイカト云フ様ナ、
事件前ト變ツタ氣持ニナリマシタノデ、午後北ニ電話ヲ掛ケ、變リハナイカヲ尋ネマシタ処、
何ノ變リモナイトノ事デアリマシタカラ、安心シテ 「 之カラオ伺ヒシマセウ 」 ト申シマスト、
北ハ、「 來テモヨイ 」 ト言ツテクレマシタノデ、「 後刻參リマス 」 ト申シテ置キマシタ。
夫レカラ薩摩雄次ニ電話ヲ掛ケテ狀況ヲ聞キマシタ処、色々ノ情報ガ集ツテ居ル様ナ話デアリマシタカラ、
私ハ 「 自分ハ之カラ北方ニ行クカラ、同家ニ落合ツテ色々話サウ 」 ト申シテ電話ヲ切リ、
同日午後二時頃赤澤ト共ニ木村病院ヲ出テ北方ニ戻リマシタ処、
間モナク薩摩ガ來マシタカラ、北ト薩摩ト私ノ三人デ話合ヒマシタ。
私ハ栗原ト電話デ聯絡シタ狀況ヲ話シ、薩摩ハ世間ノ噂ナド色々ノ情報ヲ話サレマシタガ、
何レモ局部的デ、事實カ流言カ判ラヌ様ナモノモアリマシタ。
・・・
40 二・二六事件北・西田裁判記録 (三) 『 公判状況 第三回公判 1 』 

林八郎少尉 は、二六日の午後
倉友音吉上等兵を供に、銀座の松坂屋に買物に出かけた。
蹶起将校たる白襷をかけ 人々の視線の中、颯爽と店内を歩いた。
林少尉は、晒布、墨汁、筆 を購入し、首相官邸に帰ると
「 尊皇維新軍 」 と、大書した幟を作って、高々と掲げたのである。
 
・・・林八郎少尉 『 尊皇維新軍と大書した幟 』


正午 
陸軍軍事参議官が正午までに全員参内す

歩三聯隊より 野中隊に昼食届く ・・夕食も
蹶起部隊、古荘次官を通じ、宮中の陸相に 「 蹶起部隊を義軍に認めるや否や 」 の決意を求める

午後1時頃  軍事参議官会議

川島の參内につづいて寺内大將、
それから、ついさっきまで官邸に來ていた眞崎大將が參内してきた。
陸軍省からの急報によってかけつけた軍事參議官は、
東久邇、朝香の兩宮を始め、荒木、西、阿部、植田の諸大將も續々と參内してきた。
一番遅く姿を現わしたのは林大將で、もう正午をすぎていた。
この軍事參議官招集は 山下少將の入れ知恵で事件對策を協議するために、
大臣が宮中に參集を求めたものであった
    
 寺内大將         眞崎大將           東久邇宮          朝香宮            荒木大將
     
 西大將              阿部大將             植田大將           林大將                   ・・・梨本宮 ( ? )
宮中に參集した軍事參議官たちは
東溜り場で情報を収集するかたわらこれが對策について協議していた。
隣室には杉山次長、岡村寧次第二部長、山下奉文軍事調査部長、
石原作戰課長、村上軍事課長それに香椎警備司令官が待機していた。
軍事參議官たちが円陣をつくって何事か協議している。
荒木大將が隣室の山下などを呼びつけひそひそと打ちあわせをしていた。
これをかたわらのソファーによりかかって、見つめていた杉山次長は、
軍事參議官の干渉によって事態の収拾が妨害されることをおそれた。
そこで川島陸相に向かって言った。
「 軍事參議官は陛下の御諮詢があって始めてご奉答申上ぐべき性質のものであるから、
 事件処理にあたっていろいろ干渉されては困る。
 事態の収拾は責任者たる三長官において処置すべきものだと信ずるが大臣の意見をた承りたい 」
「お説のとおり 」 と 陸相はうなずいた。
これを聞いて荒木大將が弁明した。
「 もとより軍事參議官において三長官の業務遂行を妨害しようとする意志は毫も持っていない。
 ただ、われわれは軍の長老として道徳上 この重大事を座視するに忍びないので奉公の誠をつくそうとするものである 」
こんな問答があったのち、
參議官一同はその對策なるものの協議に入った。
まず 川島陸相はその對策を三段にきって、
一、勅命を仰いでも屯營に歸還すべく論す
二、聽かなければ戒嚴令を布く
三、ついで強力な内閣を組織する
と 提案した。
荒木大將はこれに對し、
「 川島案に先だって まだわれわれのなすべきことがある。
 今日までのわれわれのやって來たことを回想すると、
國體の明徴、國運の開拓に努力はしたものの、その實績は挙擧っていない。
それがついに今日の事態を惹起せしめたものともいえる。
この際、もし對策を一歩誤れば取りかえしのつかぬこととなる恐れがある。
これは充分に考えなくてはならんと思う。
ともかく刻下の急務は一發の彈もうたずに事を納めることである。
私はこの際 維新部隊に對して
「 お前たちはその意圖は天聽に達したことである。
 われわれ軍事參議官もできるだけ努力しよう。
それには軍事參議官一同は死をもってこれが實施に當るから、
お前たちは速やかに兵營に歸還し一切は大御心にまつべきである。
お前たちが引きあげたのちにわれわれは國運の進展に努力することができる 」
との主旨で 説得することが大切である、と信ずる。
もしも一度あやまてば皇居の周囲で不測の戰闘がおこり
飛彈は恐れ多くも宮城内にも落ちることは必然である。
この邊も とくと考慮せねばならぬ。
もし、どうしてもこの説得を聞かなかったら川島案のごとく勅命を拝すべく、
なお、これにも應ぜざるときは斷乎これを討伐するより外はない。
なお、この際最も注意すべきことは左翼團体の暴動で、
これがゴタゴタに便乗しておきたら困難をきたすおそれがある 」
眞崎大將もまたおおむねこれと同様の意見を述べた。
その間、荒木大將か眞崎大將かの發言で、
 「維新部隊をその警備にあてるよう取り扱ったらよい 」
との 意見が開陳されたが、
その他の參議官はこれには誰も反對せず、また、積極的に支持もしなかった。
だが、大勢は武力行使を回避し説得によるということに參議官會同の方向を決定づけ 
そこでこの非公式軍事參議官會同では、
軍の長老として蹶起將校に説論し原隊に歸ること勧告することとし、
これがための説得要領を起案することになった。
山下少將が荒木の命で 原案を書き二、三の軍事參議官が修正を加えて一案が決定した。
そして陸軍大臣の同意を得て大臣告示としての成案となった。
これがのちに問題をおこした、いわゆる 「 陸軍大臣告示 」 である。 ・・・大臣告示の成立経過 
陸軍大臣告示
一、蹶起ノ趣旨ニ就テハ天聽ニ達セラレアリ
二、諸子ノ眞意ハ國體顯現の至情ニ基クモノト認ム
三、國體ノ眞姿顯現 ( 弊風ヲ含ム ) ニ就テハ恐懼ニ堪エズ
四、各軍事參議官モ一致シテ右ノ趣旨ニヨリ邁進スルコトヲ申合せたり
五、之レ以上ハ一ニ大御心ニ待ツ
この告示はとりあえず 山下少將をして陸相官邸に赴いて將校に傳達せしめることになった。
一方、この成案を喜んだ香椎中將は
許を得て司令部安井參謀長に電話してこれを隷下部隊に下達することを命じた。

午後2時  山下少将、陸相官邸に於て 『 大臣告示 』 を朗読呈示
 香田、村中、磯部、野中、對馬の五人  古荘次官、鈴木大佐、西村陸軍省兵務局長、小藤大佐、山口大尉
・・・山下少將は官邸に赴き將校の集合を命じた。
香田、村中、磯部、野中、對馬、などが會議室に集まった。
古莊次官、山口大尉らも列席した。
一同が集合したのを見て山下少將は、
それでは大臣告示を讀むから皆よく聞くように と 前おきして、
一語一語ゆっくり讀んだ。
讀みおわると
「 わかったか 」
と 一同を見返した。
對馬中尉がまっ先に質問した。
「 それでは 軍當局はわれわれの行動を認めたのですか 」
すると 山下はむっつりした表情で、
「 ではもう一度讀むからよく聞け ! 」
といい、またゆっくり讀み上げた。
「 それではわれわれの行動が義軍の義擧であることを認めたわけですか、
 少なくともそう解釋してよいのですか 」
今度は磯部がたずねた。
だが、山下はそれでも答えなかった。
「 もう一度讀む 」
そして山下は都合三度その告示を讀みあげ、あとは一言も發せず、さっさと引きあげてしまった。
だが、立ち會いの人たちは告示を聞いて愁眉を開いた。
次官は行動部隊を現位置にとどめるよう大臣に申言し盡力しようと出かけるし、
西村大佐も香椎中將に聯絡して、やはりこのままの位置にとどめておくようにしようと、そそくさと官 邸を飛び出した。
・・・ 「 軍当局は、吾々の行動を認めたのですか 」 

・ 
大臣告示 「 諸子ノ行動ハ國體顯現の至情ニ基クモノト認ム 」 
・ 
山口一太郎大尉の四日間 1 「 大臣告示 」 

午後2時30分  宮中で臨時政府会議が開催さる
二十六日の午後二時半、宮中では臨時政府会議が西溜りの間で開催された。
この会議の出席者の一人 内田鉄相のメモがそれである。
この場で川島義之陸相は、一木枢密院議長と閣僚たちを前に、早朝から状況報告を行なった。
そこで述べられた
「 蹶起軍の陸相への要望事項 」 とは
一、昭和維新を断行すること
二、之がためには先づ軍自らが革新の實を挙げ、
      宇垣朝鮮総督、南大将、小磯中将、建川中将を罷免すること
三、すみやかに国体明徴の上に立つ政府を樹立すること
四、即時戒厳令を布くこと
五、陸相は直ちに 用意の近衛兵に守られて参内し、我々の意思を天聴に達すること 
・・・
内田メモ 
・・・ 戒厳参謀長 安井藤治 記 『 二・二六事件の顛末 』 

午後3時 
東京警備司令部より第一師団管区に戦時警備令  ( 「 軍隊に対する告示 」 ) が下令、 蹶起部隊、警備部隊に編入さる
村上啓作大佐が 「 維新大詔 」 の草案を川島陸相に一部をみせる  ・・・
維新大詔 
午後3時頃  満井中佐、陸相官邸へ ・・・満井佐吉中佐の四日間 
 東京警備司令部、 「 軍隊に対する告示 」

 
午後3時20分  「 陸軍大臣ヨリ 」 告示さる
午後3時30分  「 陸軍大臣ヨリ 」 蹶起将校らに伝達さる

午後4時  閣議開催さる
一師戦警第一号
命令 「 本朝出動シアル部隊ハ戦時警備部隊トシテ警備に任ず 」 
蹶起部隊、歩三渋谷聯隊長の指揮下に入り現在地警備の任務に就く

午後4時頃 
小藤大佐、第一師団司令部招致せられ
 陸軍大臣告示 ( 諸子の行動とある分 )、
 軍隊に対する告示 ( 二月二十六日午後三時東京警備司令部 )
 第一師団命令 ( 二月二十六日午後四時於東京 )
を 受領す

午後5時30分  小藤大佐、歩一聯隊長室で 陸軍大臣告示、軍隊に対する告示、第一師団命令を下達す
午後六時   澁川善助、
新宿宝亭で有時大尉と松平紹光と會う
昭和維新情報 第一報  午後7時現在・・・澁川善助、福井 幸、加藤春海、宮本誠三 ・・全国の同志に直送す
午後7時東京に警備令が発令のラジオ放送
午後7時30分頃  小藤大佐、
一師団司令部に招致せられ ・・一師戦警第二号、第一師団命令を下達
歩一警命第四号
歩兵第一聯隊命令  二月二十六日  於屯営
一、師団は昭和十年度戦時警備計画書に基き、担任警備地域の警戒に任じ、治安の維持を確保す。
二、予は本朝来行動しある部下部隊及歩三、野重七の部隊を指揮し、
 概ね 桜田門、公園西北角、議事堂、虎の門、溜池、赤坂見附、平河町、麹町四丁目、半蔵門を連ねる線内の警備に任ぜんとす。
歩兵第三聯隊長の指揮する部隊は其他の担任警備地区の警備に任ずる筈。
三、聯隊主力は古閑中佐の指揮を以て待機の姿勢に任ずべし。
聯隊長  小藤大佐
下達法  命令受領者を集め、口達筆記せしむ。


午後8時15分  陸軍省公式発表
午後9時  内閣総辞職  「 速やかに暴徒を鎮圧せよ 」
午後9時頃  三宅坂の安藤大尉の許へ、柴有時大尉、松平紹光大尉、來訪 ・・二人共陸相官邸へ
午後10時頃  軍事参議官と会談、村中、磯部、對馬、栗原、山下少将、小藤大佐、鈴木大佐、山口大尉、立会う
( 眞崎大将 )
「 吾々に總てを委して呉れんか。 委する以上は条件を附けないで呉れ。
 きつとやるから。我々も命がけだ。 今迄は努力が足りなんだ。
今度はきつちりやる。全部一致團結して居る。
吾々がやると言ったら、君達は吾々の懐に飛込んで呉れんか。
然し日本では大御心が一番大事なものぞ。 これは絶対である。
我々が如何に努力しても必ず必ずこの範囲内の努力である。
一度び大御心により決ったならば、お前達は己れを空しくして從はねばならぬ。
之れに反するならば、私は遺憾乍ら君達を敵とせなければならぬ。」
・・・ 磯部淺一
行動記 ・ 第十八 「 軍事参議官と会見 」 
・・・ 山口一太郎大尉の四日間 2 「 軍事参議官と会見 」 
・・・山口一太郎 
軍事参議官との会見 「 理屈はモウ沢山です 」 

部、村中、香田、陸相官邸に宿泊

・・・次頁 
二 ・ 二六事件蹶起 二月二十七日 『 國家人無シ 勇將眞崎アリ、正義軍速ヤカニ一任セヨ 』  に 続く


二・二六事件蹶起 二月二十六日 磯部淺一『 勇躍する、歓喜する、感慨たとへんにものなしだ 』

2024年02月26日 05時00分00秒 | 道程 ( みちのり )

・・・前項 二 ・ 二六事件前夜 二月二十五日 林八郎 『 おい、今晩だぞ。明朝未明にやる 』  の 続き

二 ・ 二六事件蹶起
2月26日 ( 水 ) 
午前0時30分頃  安藤大尉、柳下中尉に部隊の出動を通達す ・・・命令 「 柳下中尉は週番司令の代理となり 営内の指揮に任ずべし 」 
午前0時30分頃 
 河野大尉の牧野伸顕襲撃隊、歩一を出発す

 磯部、河野壽大尉出発後、→ 歩三野中大尉と打合せ ・・・
下士官の赤誠 1 「私は賛成します 」 
 → 歩一 → 西田税宅へ  ・・・行動記 ・ 第十一  
午前2時30分頃  對馬、竹嶌中尉、歩一に到着
午前3時頃  歩一11中隊の下士官を起し、丹生中尉より蹶起趣意書を説明す
午前3時過  磯部、村中、香田、歩一11中隊の下士官室に赴く  丹生中尉、下士官全員に紹介す
午前3時30分  安藤部隊 ( 歩三第6中隊 )、出発す
午前4時頃  澁川善助、営門を出た安藤部隊 安藤大尉と歩一の前で会う
午前4時過  河野隊、湯河原到着
午前4時10分  坂井部隊 ( 歩三第1中隊 )、出発す
午前4時25分  野中部隊 ( 歩三第3、第7、10中隊 ) 出発す
午前4時30分頃  
 栗原部隊 ( 歩一機関銃隊 )、丹生部隊 ( 歩一第11中隊 )  表門から出発、歩一裏門で待つ野中隊と合流す
 丹生部隊、栗原部隊の後尾より首相官邸の坂道を上る ・・ 村中、香田、丹生 先頭、磯部、山本、後尾に付く
午前4時30分頃  亀川哲也、眞崎邸へ蹶起を知らせる
午前4時50分  中橋部隊 (近歩三第7中隊 )、出発す
午前4時50分頃  安藤部隊、鈴木侍従長邸に到着
午前5時前  栗原部隊、首相官邸に到着
午前5時  丹生部隊、陸相官邸に到着




栗原部隊の後尾より溜池を経て首相官邸の坂を上る。
其の時俄然、官邸内に数発の銃声をきく。
いよいよ始まった。
秋季演習の聯隊対抗の第一遭遇戦のトッ始めの感じだ。
勇躍する、歓喜する、感慨たとへんにものなしだ。
同志諸君、余の筆ではこの時の感じはとても表し得ない。
とに角云ふに云へぬ程面白い。一度やって見るといい。
余はもう一度やりたい。あの快感は恐らく人生至上のものであらふ。
・・・行動記 ・ 第十三 「 いよいよ始まった 」

午前5時同時蹶起
野中部隊、警視庁占拠開始
栗原部隊、首相官邸襲撃開始

安藤部隊、鈴木侍従長襲撃開始
坂井部隊、斎藤内府襲撃開始 
中橋部隊、高橋蔵相襲撃開始 
牧野伸顕襲撃 河野隊 、襲撃開始 
丹生部隊
首脳部
陸相官邸に突

我々は三十分行進して香田、村中、と着いた所が陸相官邸正門前であった。
私は將校の身辺護衛という任務のため中隊の先頭にたち、香田大尉に随行して正門に至った。
そこには憲兵上等兵が一名立哨していた。
香田大尉は門外から大声で
「 アケロ! アケロ!」
と 数回叫び開門を強要したがシブって応ずる気配がない。
そこで大尉は語気を強めて
「開けなければブチこわすゾ!」
と 一喝したところ、立ちどころに門をあけた。
憲兵は開門と同時に哨舎に飛込み受話器をとったので、
香田大尉が 「それをおさえろ!」
と いいながら兵一名を監視につけたため、憲兵は観念し連絡を断念した。

開門するや、
香田大尉、村中大尉、
護衛の私以下五名及び丹生中尉指揮の第十一中隊は官邸玄関前広場に浸入、
丹生中尉は直ちに分隊の任務と配備を下達し全兵力を要所に配し警備体制を布いた。
官邸に隣接する陸軍省、参謀本部にも当然兵力を配置し
特定者以外の出入りを遮断したことはいうまでもない。
香田大尉、村中大尉、護衛の私と兵四名はやがて表玄関に進み階段を登った。
玄関の扉はピタリと閉まっていて恰も我々の訪問を拒絶しているかのようであった。
香田大尉は扉に近づくや大音声をあげて大臣に呼びかけた。
時の陸軍大臣は川島義之大将である。
大臣閣下! 大臣閣下! 國家の一大事でありますぞ! 
早く起きて下さい。
早く起きなければそれだけ人を余計に殺さねばなりませんゾ !!
大尉は繰返し繰返し叫びながら大臣の現れるのを待ったが、
なかなか姿を見せず、・・・・
・・・香田清貞大尉 「 国家の一大事でありますゾ ! 」 

丹生部隊、陸相官邸を包囲、赤坂見附~三宅坂附近 ・ 参謀本部正門付近、陸軍省表門付近を警戒
山本予備少尉、丹生部隊と共に陸相官邸表門出入者を監視す

野中部隊、鈴木少尉 ( 歩三第10中隊 )、新撰組を急襲 ・・・新撰組を急襲 「 起きろ! 」 

午前5時10分 
中橋襲撃隊63名、蔵相門前に集合 → 中島少尉が引率して首相官邸へ向かう
中橋中尉、2箇小隊75名を引率 赴援隊として宮城半蔵門へ向かう  ・・・「 近歩三第七中隊、赴援隊として到着、開門!」 

川島陸相、面会を渋る間、磯部浅一、正門、其他の部隊配置を巡回する  竹嶌中尉は首相官邸へ

午前5時25分 
田中隊 ( 野重砲第七 )、陸相官邸へ来る  「 面白いぞ 」
中島少尉、陸相官邸へ報告に来る  「 高橋蔵相をヤッタ 」 → 首相官邸へ向かう
・・午前5時40分  首相官邸到着、その後は単独で陸相官邸、鉄相官邸、を往復する

午前5時40分  「 朕ガ首ヲ真綿デシメルヨウナモノダ 」  ・・・「 俺の回りの者に関し、こんなことをしてどうするのか 」 

午前5時53分  中橋赴援隊62名半蔵門から宮城に入る

 
昭和維新の春の空 正義に結ぶ益荒男が
胸裡百万兵足りて 散るや万朶の桜花
 昭和維新の歌 」 を高唱しながら
三宅坂方面に向い行進する安藤隊


午前6時頃 
 安藤部隊、侍従長邸正門前で隊列を組み三宅坂方面に向かう  「 昭和維新の歌 」 を高唱しながら行進、
 安藤大尉、東京警備司令部の参謀福島久作少佐と接見す ・・・安藤大尉「 私どもは昭和維新の勤皇の先駆をやりました 」 

午前6時頃  清原少尉 ( 歩三第3中隊 )、警視庁屋上占拠 ・・軽機2箇分隊、小銃2箇分隊 40名

午前6時頃  林少尉 ( 歩一機関銃隊 )、襲撃を終え首相官邸表玄関に集結す

午前6時頃 
 中橋襲撃隊、大江曹長以下60名首相官邸を包囲配備す
 野中部隊、 虎ノ門 日比谷 三宅坂に歩哨
 野中部隊 鈴木少尉 ( 歩三第10中隊 ) 二箇小隊を指揮して内相官邸を占拠、一箇小隊を残置し午前9時頃迄内務省附近を警戒
 坂井部隊 高橋少尉 ( 歩三第1中隊 )、陸相官邸に到着、参謀本部前を午前10時頃まで警備
 坂井部隊 麦屋少尉 ( 歩三第1中隊 )、陸相官邸に報告に来る  「 斎藤内府をヤッタ 」

午前6時30分頃 
 安藤大尉、陸相官邸報告に来る  「 鈴木侍従長をヤッタ 」 ・・・「 ヤッタカ !! ヤッタ、ヤッタ 」 
 野中部隊 常盤少尉、安藤大尉に状況報告す。・・・「 愈々 昭和維新が達成するか 」 ・・報告を受けた安藤大尉、感無量といった姿で天を仰ぐ
 安藤部隊全員、陸相官邸前に整列  安藤大尉から蹶起趣意書を読み聞かされる

午前6時15分  安藤大尉、東京警備司令部の参謀新井匡夫中佐と接見す
午前6時15分  中橋赴援隊、守衛隊司令官門間少佐の許へ到着
午前6時25分  中橋赴援隊、坂下門の非常警備配置に就く
午前6時30分頃  小藤大佐、山口大尉、首相官邸へ到着
午前6時30分過  小松陸相秘書官、陸相官邸へ到着
午前6時40分  安藤大尉、東京警備司令部安井藤治参謀長と接見・・接見後、兵数名を率い陸軍省裏門附近に亘る
午前6時40分過  香田、村中、磯部、漸く 川島陸相との面会に進展
午前6時45分  中橋中尉、午砲臺へ立つ
午前6時50分  田中自動車隊、首相官邸へ集結

午前7時頃  安田、高橋少尉 兵力30 渡邊教育總監私邸に到着襲撃開始

午前7時頃  磯部、村中、香田 川島陸相と面会
蹶起趣意書 」 「 川島義之陸軍大臣への要望書 」  朗読す
・・・「 只今から我々の要望事項を申上げます 」 
・・・陸相官邸 二月二十六日
 
川島陸相
・・・極秘文書には、
事件初日にその後の行方を左右するある密約が交わされていたことが記されていた。
事態の収拾にあたる川島義之陸軍大臣に、
決起部隊がクーデターの趣旨を訴えたときの記録には、
これまで明らかではなかった陸軍大臣の回答が記されていた。
陸相の態度、軟弱を詰問したるに
陸相は威儀を正し、
決起の主旨に賛同し昭和維新の断行を約す

川島は、決起部隊から 「 軟弱だ 」 と 詰め寄られ、

彼らの目的を支持すると、約束していたのだ。
「これは随分重要な発言だと思います。
決起直後に大臣が、直接決起部隊の幹部に対して、
“昭和維新の断行を約す”
と、約束している。 
・・・私の想い ・ 二・二六事件 「 昭和維新は大御心に副はず 」

午前7時過  斎藤少将、首相官邸に着く
午前7時20分頃  斎藤少将、栗原中尉に案内されて車で陸相官邸へ
 陸相官邸に着いた栗原中尉は折り返し朝日新聞社襲撃の準備す

午前7時30分  中橋赴援隊、坂下門を警備

午前7時30分~8時  坂井部隊 麦屋少尉、三宅坂道路上の警戒 ・・・「 チエックリストにある人物が現れたら即時射殺せよ 」 

午前7時50分  警備司令部、第一師団に兵力撤収を命ず、近衛師団に出動を命ず

午前7時55分  中橋中尉、単独宮城を出る

午前8時頃  陸相官邸に眞崎大将到着 ・・・行動記 ・ 第十五 「 お前達の心は ヨーわかっとる 」  ・・・川島義之陸軍大臣 憲兵調書 
 眞崎大将が陸相官邸に到着との伝令に、安藤大尉、陸相官邸へ 並 野中大尉も陸相官邸へ

午前8時30分頃  香椎東京警備司令官、警備司令部に当庁

午前8時40分頃  栗原中尉、朝日新聞社襲撃に首相官邸を出る
 警視庁--参謀本部の路上で中橋中尉と遭遇  中橋中尉、そのまま襲撃に加わる
午前8時55分頃  栗原隊、東京朝日新聞社襲撃 → 日本電報通信社 午前・・頃 → 報知新聞社 午前9時30分
 → 東京日日新聞社 午前9時35分 → 国民新聞社 午前9時40分 → 時事新聞社 午前9時50分
・・・朝日新聞社襲撃 『 国賊 朝日新聞を叩き壊すのだ 』  

安田優、渡邊教育總監襲撃の報告に来る・・前田病院に入院す

坂井部隊 高橋少尉、陸相官邸に到着 参謀本部前を午前10時頃まで警備

午前9時頃 
 古荘次官、石原大佐、山下少将、満井中佐、鈴木貞一大佐、陸相官邸に到着
 磯部浅一、陸相官邸の玄関で片倉少佐を射つ ・・・ 「 エイッこの野郎、まだグズグズ文句を言うか 」 

 軍事参議官 宮中に集う 

 川島陸相 参内上奏する為 宮城へ向かう
 村中、磯部、香田 と 満井中佐、馬奈木中佐、山下少将と共に宮城へ向かう も、 参内は山下少将のみ
< 川島陸相の上奏要領 
一、叛乱軍の希望事項は概略のみを上聞する。
二、午前五時頃 齋藤内府、岡田首相、高橋蔵相、鈴木侍従長、渡邊教育總監、牧野伯を襲撃したこと。
三、蹶起趣意書は御前で朗読上聞する。
四、不徳のいたすところ、かくのごとき重大事を惹起し まことに恐懼に堪えないことを上聞する。
五、陛下の赤子たる同胞相撃つの惨事を招来せず、出来るだけ銃火をまじえずして事態を収拾いたしたき旨言上。
・・・川島義之陸軍大臣 二月二十六日 
・・・ 川島義之陸軍大臣参内  

午前9時30分  川島陸相、天皇に事件を奏上し、蹶起趣意書を読上げる
天皇に拝謁すると、
事件の経過を報告するとともに 蹶起趣意書 を読みあげた。
天皇の表情は、陸相の朗読がすすむにつれて嶮けわしさを増し、
陸相の言葉が終わると、
なにゆえにそのようなものを読みきかせるのか 
と 語気鋭く下問した。
川島陸相が、
蹶起部隊の行為は明かに天皇の名においてのみ行動すべき統帥の本義にもとり、
また 大官殺害も不祥事ではあるが、陛下ならびに国家につくす至情にもとづいている。
彼らのその心情を理解いただきたいためである、
と 答えると ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

午前10時頃  眞崎大将、伏見宮邸に入る → 伏見宮上奏 ・・・伏見宮 「 大詔渙発により事態を収拾するようにしていただきたい・・」 
午前10時頃  西田税、小笠原海軍中将に事態収拾を電話で依頼す
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第一歩哨 までくると車を止めて、助手台の田中弥が飛び降りた。
そして右手を高く上げて、「 尊皇 ! 」 と どなる。
そうするとすぐ歩哨が答えて、「 討奸 」 っていうんだ。
尊皇、討奸が山と川との合言葉ってわけさ。
それで田中が
「 野戦重砲第二聯隊長橋本欣五郎大佐! 連絡ずみ ! 」
「 ようし、通ってよし ! 」
そこで田中が車で乗り込んで次へ行くと、第二哨 というのがある。
それも 同じように通って、大臣官邸までくると 下士哨 だ。

大かがり火を焚いて着剣の銃を構えたのが十五、六名いたが、すさまじい光景だったね。
なかなか厳重なもんだよ。
ここでも 同じようなことをする と、
「 それは遠路御苦労でござる。容赦なうお通り召され ! 」
哨長は曹長だったが、芝居の台詞もどきで大時代のことを真顔でいったね。
まったく明治維新の志士気取りだ
 橋本大佐
陸相官邸の警戒線はこのように三重になっていた。
最後の内戦は下士官が見張っている。
決行部隊の司令部だけに厳重であった。
橋本は官邸の中に入る。
橋本は広間に行くと、
「 野戦重砲第二聯隊長橋本欣五郎大佐、ただいま参上した。
今回の壮挙まことに感激に堪えん!
このさい一挙に昭和維新断行の素志を貫徹するよう、

及ばずながら此の橋本欣五郎お手伝いに推参した 」
と よばった。

・・・以降、次頁  二・二六事件蹶起 二月二十六日 『 諸子ノ行動ハ國體顯現の至情ニ基クモノト認ム 』  に続く