あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

新撰組を急襲 「 起きろ! 」

2019年06月04日 16時58分37秒 | 野中部隊

私は昭和十一年一月十日 現役志願兵として歩三、第十中隊に入隊した
所属は第一内務班で班長は井戸川富治軍曹である。
その頃 中隊長島田信平大尉は教育のため歩兵学校に入校していたので、
新井勲中尉が中隊長代理を務め、初年兵教官には鈴木金次郎少尉が任じていた。
 鈴木少尉
教育が着々と進んで行く内 ちょうど入隊一ヶ月目の二月十日、外出から戻った晩、
鈴木少尉の精神訓話が行われた。
少尉の話は上海に於ける爆弾三勇士から始まり、色々と戦場の様子を述べた後 最後に、
「 俺が任務の為に燃えさかる火中に入って行ったとしたら、お前達はどうするか 」
と 全員に問いかけた。
すると 二年兵も初年兵も一斉に答えた。
「 教官殿について 火中に飛込みます 」
「 そうか、一緒に飛込んでくれるか 」
鈴木少尉は我々の答えに大分感激したらしく 涙をこぼして喜んだ。
そのような喜び方は今回が始めてである。
まして涙を出すなど尋常な沙汰ではない。
おかしい・・勘の働く二年兵の中には ただならぬものを悟った者があったと云う。
・・・・
二月二十五日は大久保射場で中隊の実弾射撃が行われた。
我々初年兵は初めての体験なので二年兵の指導を受けながら緊張気味で射撃を行った。
午後三時頃 フト伝令の岡崎一等兵が飛んで来て 鈴木教官に伝言した。
すると 途端に少尉の顔色がサッと変った。
「 これは妙だ、何かあるな 」
少尉は再び元の顔つきに戻ると、後の処置を下士官に指示し一人で去って行った。
私はその時 伝令から、今夜非常呼集があるらしいことを聞いた。
やがて演習が終り 中隊に帰った我々は、夕食後軍装を整え軍靴を履いたまま就寝した。
果して夜中の零時頃突然班長に揺り起こされた。
・・・・
間もなく出発。
営門を出て歩一の前を通り隊列は警視庁に向かった。
この時の兵力は夜間で はっきりしなかったが、
後刻第十中隊の他、第七、第三、МGの混成で約五百名位であることが判った。
目的地には五時頃到着しМGがすぐ正面入口と裏門に配置され、小銃部隊は合図と同時に構内に突入した。
私は鈴木少尉に従って森泉、井之上 他一名の計五名で庁舎裏手の新撰組の建物に突入し、
三階に寝ていた隊員三十六名を急襲し 忽ちのうちに一室に軟禁した。
彼等は未だ就寝中だったため、
「 起きろ 」 の声で一斉に起床させ、片隅に全員を集めると共に武器を全部押収した。
着剣した小銃を構えられては新撰組とはいえ 手を挙げる以外にどうすることもできなかったであろう。

ここで他の分隊に新撰組の身柄を引渡し、我々五名は斥侯の形で内務省に向った。
急いで表門に至るとカギがかかっていて門扉が開かず、そこで裏手に廻って眺めると構内は濠になっていて氷が張っていた。
已む無く表門に引きかえしたところ、すでに他の分隊が突入していたので
我々も直ぐ屋内に入り責任者を探したが どこにも人影が見当たらず、
やっと湯殿で留守番の男を見つけたので鈴木少尉が糺したところ その男は
「 全員夕べのうちにどこかへ退避した 」 と 答えた。
そうしてみると 我々の行動は昨日のうちに彼等の耳に入っていたのかも知れぬ。
このため我々は一旦警視庁に戻り 改めて海軍省の横の道路の警備についた。

もう その頃は明るくなっていて市民がどこからともなくやってきた。
我々の蹶起行動を耳にして見物にきた様子である。
そこで歩哨線にきた連中を逐次追い払い 交通遮断の任務を続行した。
このような我々の行動を見ていた海軍省構内の歩哨が
陸軍は何をしているのかと話かけ 雑談を交えるようになったが、
午後になると彼等の人数が五名になり、我々に対し警戒を強化し 話もせず、
いつしか仇敵同士のような対立になった。
何も知らない私は海軍の態度に不審を抱いた。

二・二六事件と郷土兵
歩兵第三聯隊第十中隊 二等兵 細谷伊勢吉 「黙秘して頑張る 」 から


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