あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

朝日新聞社襲撃

2019年09月14日 21時09分46秒 | 栗原部隊

間もなく正面玄関に四斗樽が運びこまれ、全員で乾杯し成功を祝った。
私は酒が入ったため、昨夜からの不眠がたたり忽ち寝こんでしまった。
どの位眠ったか、いきなり起されて、出勤だから支度せよといわれた。
急いで、分隊を掌握して外に出るとそこに乗用車とトラックが二輌きていた。

準備が完了すると我々はトラックに乗車した。
携行した兵器は重機一、軽機二と記憶している。
乗用車には将校が乗った。
栗原中尉、池田少尉の他外部からきた三名の計五名だ。
この時の兵力は約六〇名である。
目標が告げられた。
有楽町の朝日新聞だ。
間もなく出発、雪が降って来た。
車輛は街並をぬって進む。
車上の兵士は無表情である。

午前8時55分頃  東京朝日新聞社 → 日本電報通信社 午前・・頃 → 報知新聞社 午前9時30分
→ 東京日日新聞社 午前9時35分 → 国民新聞社 午前9時40分 → 時事新聞社 午前9時50分

やがてトラックは数寄屋橋のたもとで停止し 私たち分隊は下車、重機をすえて警備につく。
目的地が目の前なので、万一を考慮し交通遮断の挙に出たのである。
主力はそのまま進み 社前で全員が下車、忽ち社屋を包囲した。
将校たちは兵約二〇名をつれて堂々と乗りこんで行った。
私は警備かたがた主力の様子を見守っていると
間もなく上衣とズボンを持った下着姿の社員たちがゾロゾロ出てきて
雪の降る中に一列に並ばされたのを目撃した。
寒さと恐怖で全員ブルブル震えている。
気の毒だが私たちは眺めているばかりだった。
そのうち三階の窓ぎわに兵隊たちがチラチラするのが見えた。
時々手を振って合図している者もいた。
そしてザワザワした音が聞こえてきた。
何をやっているのか判らないが、部屋の中を飛廻っているようだ。
後で聞くと活字ケースを引出して次々にひっくり反してきたという。

こうして朝日新聞社の襲撃は一時間足らずで終了し 再びトラックに乗車した。
帰路、東京日日、時事新聞等報道機関に立寄り
蹶起趣意書を手交し 夕刊に掲載することを要求し首相官邸に引上げた。

歩兵第一聯隊機関銃隊  伍長 栗田良作 著 『 銃撃戦下の首相官邸 』
二・二六事件と郷土兵 から


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