あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

安藤大尉「 私どもは昭和維新の勤皇の先駆をやりました 」

2019年07月07日 13時38分35秒 | 安藤部隊

東京府内で軍事的事件が発生した場合、
その治安維持に当るのが東京警備司令部であった。
したがって、二・二六事件の場合、
近衛、第一師団長より指揮権で東京警備司令官が上位にあったわけである。
当時、東京警備司令部は陸軍省の向い側に在った。

二十六日 午前五時頃、
東京警備司令部の電話が鳴った。
宿直の深井軍曹が受話器をとると、相手は首相官邸の宿直員からで、
「 いま、兵隊が官邸へ来て乱暴をしております。大変なことになりそうです 」
という報告であった。
まさに襲撃中の電話で、直にきれた。
驚いた深井軍曹は、
まず杉並区馬橋に自宅のある参謀福島久作少佐 ( 32期 ) のところへ電話で知らせた。
福島参謀は当時二台あった司令部の自動車を司令官香椎浩平中将と、
参謀長安井藤治少将の自宅へ迎えにやるように命じて、
直ちにタクシーを拾って半蔵門まで来た。
時刻は五時四十分頃である。
すると半蔵門の三叉路に多数の警官がいる。
福島参謀が車から降りると、
ちょうど襲撃を終えた安藤中隊が青葉通りを半蔵門へ差しかかるところであった。
福島参謀の姿に気づいた安藤大尉は、そのまま中隊を行進させ、
単身駆け寄って敬礼し、
「 どなたでありますか 」
と 聞くので、
「 東京警備司令部の福島参謀だ 」
と 応えると、安藤大尉は、
「 自分達は歩兵第三聯隊の安藤大尉であります。ただいま 同志とともに蹶起し、鈴木侍従長を殺害致しました。
どうか昭和維新断行のため宜しくご協力をお願い致します 」
と 訴えた。
福島参謀は殺気立った安藤の声を聞きながら、
内心とうとうやってしまったか、と 安藤大尉の軽挙を惜しみ、直ちに司令部へ急いだ。
司令部では深井軍曹がひとり困惑顔で待っていた。
福島参謀が電話で各方面の連絡に当っていると、
約三十分遅れて高級参謀の新井匡夫中佐が到着した。
新井参謀は半蔵門で安藤中隊の歩哨線に停止させられ、
福島参謀と同じように安藤大尉に会って来ている。
新井参謀 ( 26期 ) が 総指揮官の名前と行動目的を安藤大尉に尋ねると、
「 総指揮官はなく、目的は昭和維新の達成であります 」
と 安藤大尉が落着いて応えた。
そこで新井参謀は次のように安藤を説得した。
「 こうなった以上戒厳令の布告は避けられない。
いずれ警備司令部は戒厳司令部になるのであるから、
司令部の職員の出入りはさまたげない方がよいではないか 」
新井参謀にはまだ襲撃状況の詳細は わからない。
しかし、東京警備司令部の参謀は普段二名なので、
戒厳令布告となれば参謀本部の幕僚が一部戒厳参謀として、
参謀本部と戒厳司令部の連携および意志の疎通を図らなければならない。
新井参謀は安藤大尉が快く応じたので、事件は意外に早く解決できるものと信じた。
やがて安井参謀長、続いて午前八時三十分頃に香椎警備司令官が到着したが、
香椎も安井も初めから青年将校に同情的であった。
安井参謀長は、新井、福島両参謀の報告を聞いて安藤大尉に会っている。
そして安藤の態度から、原隊への復帰の可能性が強いことを香椎司令官に報告した。


陸相官邸で山下少将が 「 陸軍大臣告示 」 を読上げていた頃、
東京警備司令部の安井参謀長は、
新井参謀に命じて三宅坂の安藤大尉に口頭で 「 陸軍大臣告示 」 を伝達した。
安藤は蹶起が天聴に達したものとして一応喜びの表情をみせたが、
やはり まだしんじられなかったとみえ 文書にすることを要求した。
新井参謀がガリ版の 「 陸軍大臣告示 」 を安藤大尉に渡したのが午後五時頃で、
安藤は山下少将が陸相官邸で読みあげるのに出席する必要はなかったわけである。
むろん山下少将が来た事は伝令によって承知していた。
また、告示の次に維新大詔が渙発されるという情報がながれて、
安藤は内心蹶起の成功を信じたことだろう。

・・・挿入
午前十時頃、安藤隊は航空本部東側突角部にある公園に到着した。
公園は小松宮の銅像を中心にした二百坪ほどの狭い地積であったが、
風雪から部隊を遮蔽していて、適当な休息地を形成していた。
直ちに、周辺の雪を盛り上げ、地面をならして露営地を造りあげた。
その頃になると、付近住民が恐る恐る様子を窺いに姿を見せ始めた。
暫らくして在郷軍人会長と称する人物が、数人の町の世話役とともに現れ、
「 少しでもお役にたちたいので、何なりと遠慮なく言って欲しい・・・」
と 申し出てきた。
安藤は彼等の好意を深く感謝し、手短かに蹶起の趣旨を述べ、
とりあえず露営用の天幕と温かい湯茶の提供を頼んだ。
なお、現金を持たせて兵隊を差し向けるから、パンや餅菓子を売ってくれるように、
近くの店舗を開かせて欲しい・・・と希望した。
昼近くになると、
在郷軍人の手で、公園内に数張りの角型天幕が設置され、莚むしろや炭俵が運び込まれた。
また、愛国婦人会の襷をかけた十数人の女性が、熱い湯茶と炊出しの握り飯を持って現れ、
兵隊達に心こまやかにサービスして廻った。
兵隊達は、携帯口糧の乾パンをかじりながら空腹をしのいでいたが、
思わぬ住民たちの温かい接待に大喜びをした。

午後になると、聯隊から食事が届けられた。
献立は肉が沢山入った豚汁と、今までお目にかかれなかったような豪華なおかずが付いていた。
兵隊達は手を叩いて喜び、支給された温食を腹一杯食べて、すっかり生気を取り戻した。
安藤は、三宅坂一帯に歩哨線を張り、交通を遮断して、きびしい警戒体制を布いたが、
部下達に交代で天幕を利用して睡眠をとらせ、出来る限り体力を回復させるように指導した。
安藤は、聯隊から支給された間食のほか、
ポケットマネーを出して、近くの商店から菓子や果物を買い集め、適宜部下達に加給した。
また、今後の不測の事態に備え、銃器弾薬の整備に万全を期すと同時に、
日頃から準備していた軍用金の一部を割いて、必要量の米麦調味品を購入し、
とりあえずの兵糧を確保するように努めた。

午後三時近くになって、漸く陸軍大臣告示なるものが発せられ、
山下奉文少将が野中以下の蹶起将校幹部に伝達した。

どうる意味が解らない。
内容が漠然として全く具体性がない。
ただ陸軍上層部が、決は部隊に悪意を持っていないことを感じる程度だ。
磯部や對馬が、山下に内容の説明を求めたが、
大声で告示文を三度読みあげ、引き揚げていった。
同志将校の告示文に対する見解はまちまちであった。
野中の、
「 安藤の意見を聞くべきだ 」
との意見で、坂井が告示を持って跳び出し、
尊皇  討奸 の合言葉を使って警戒線を通り抜け、公園内の安藤部隊本部に着いた。
数張りの角天幕が立ちならび、
襷がけの夫人が十人余りで、甲斐甲斐しく湯茶や甘味品のサービスをしている。
安藤は小松宮の銅像前に置かれた椅子に座って、初老の紳士となごやかに談笑していた。
「 用件は何だ 」
「 さきほど、陸軍大臣告示というものが出ました。
表現は非常に漠然としていますが、我々に対する好意が感ぜられます。
竹嶌さんや對馬さんは、軍幕僚の謀略じゃないかと大分警戒していますが、
磯部さんや栗原さんらは楽観しています。
私も楽観論で、このままで行けば昭和維新の実現は可能だと思いますが・・・」
「 見せてみろ 」
安藤は、告示文を何度も読み返しながら、じっと考え込んでいた。
「 これは空文に過ぎんぞ。まだ楽観や悲観などするのは早い。
この告示だけで兵力を移動したり、警戒を解くようなことは絶対にいかん・・・」
蹶起部隊に対する具体的な指示がない限り、過早に戦闘準備を緩めるべきではない。
野中さんに、この点をくれぐれも伝えてくれ・・・」
安藤は、陸軍大臣告示に関しては、永田、堂込の両小隊長だけに伝えるのみにとどめた。
夕食も、聯隊からちゃんと届けられ、今のところ給養面では何一つ附則はない。
夕闇が迫る頃になると、雪は再び強く振り出し、温度が急激に下がっていく。
三宅坂附近は、人っ子一人通らず、東京の都心部は無気味な静寂さの中で、
深沈として更けていった。
歩哨や、特別警戒配置についているもの以外は、
天幕の中で体を寄せ合うようにして睡眠をとっている。
安藤も本部天幕の中で、指揮班に守られるようにして仮眠をとった。
・・・奥田鑛一郎 著 二・二六の礎 安藤輝三
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三宅坂の中隊本部に陣取る安藤大尉は、
同志各部隊からの連絡や訪れる幕僚および隊付将校その他の激励を気持ちよく受けていたが、
ふと気付いたように堂込曹長を招いた。
「 堂込曹長、野中部隊には聯隊から昼の給食が届いたそうだ。
時間が時間だから、聯隊の三宅主計に事情をいって兵の食事代を請求してもらって来い 」
堂込曹長は安藤大尉の命令を復唱すると、
直ちに陸軍省の前で待機していた田中隊にサイドカーを出させ、
担当伍長の運転で赤坂見附、青山一丁目を経て歩兵第三聯隊に到着した。
堂込曹長が聯隊の三宅主計に会って中隊長の命令を伝えると、
さすがに三宅主計も独断では処理できず、堂込曹長を聯隊本部へ連れていった。
聯隊長以下はさっそく堂込曹長から事件発生後の状況を聴取した。

堂込曹長は、
「 とにかく兵は朝からろくなものも食べられず空腹です。
寒さと空腹に耐えられなくって、いまに何か不都合なことを起こし、
市民に迷惑をかけるようなことになったら大変です。
給養の方はよろしくお願いします 」
たとえ中隊長の命令とはいえ、これでは脅迫に近い。
しかし堂込曹長にすれば、寒さと緊張に耐えてる部下の兵たちに、
一刻も早く温かいものを食べさせてやりたいとの一念であった。
渋谷聯隊長は直ちに堂込曹長に給養の件を約束した。
使命を果してほっと安心した堂込曹長は、
残った聯隊将兵の射るような鋭い視線を背に熱く感じながら、
再びサイドカーで三宅坂へ戻り、安藤大尉に報告した。
時刻は午後五時頃であったという。

午後六時頃になって、半蔵門で安藤中隊の歩哨線に停止させられた一台の乗用車があった。
同乗していたのは三六倶楽部の理事で、予備役少将松本勇平と同大佐野田豊であった。
野田が自分と松本の名刷を二枚出して、歩哨に安藤大尉との面会を求めると、
歩哨は直ちに中隊本部に連絡し許可をとって案内した。
中隊本部は三宅坂の寺内元帥の銅像の下に天幕を張ってあり、
安藤大尉との面談はその幕舎内で行われた。
松本少将が
「 君たちは大変なことをやったな 」
「 はい、私どもは昭和維新の勤皇の先駆をやりました 」
「 現在の状況は?」
「戦時警備令を発令するという噂が流れていますが、私どもは戒厳令の公布を希望しております 」
「 何故、戒厳令を希望するのか ?」
ここで安藤大尉はじっと松本少将をみつめたまま黙して応えない。
すると松本少将が、
「 君たちは戒厳令を発令させて、政治的要求をしようというわけだな 」
「 そうではありません、私たちはあくまで昭和維新を断行し得る政府の出現を希望しておるのであります 」
「 しからば、すでに具体的要求をしたのか?」
「 そういうことはいたしません 」
「 では君たちは、いったいどういう連中と連絡してこんなことを起したのか?」
「 私ども現役の聯隊将校の同志が自発的に実行したのでありまして、誰とも連絡などしておりません 」
この間、時間にして約二十分ぐらいで、
会談中、安藤大尉の態度は終始敬虔けいけんそのものであったという。
野田は、安藤大尉が維新内閣に対して具体的な政治的要求をしなかったのは、
大権私議になるからだとしている。
この会談において、安藤は最後に蹶起の趣旨を広く国民に知らしめることを依頼し、
松本、野田は直ちに確約している。

安藤中隊は二十六日の夜を厳寒の三宅坂路上の天幕露営で過ごした。
堂込曹長は鳥肌を咬むような厳しい寒気の中で、
警戒に立つ歩哨 中隊の兵の士気、
健康を案じて精力的に警戒線を視察して廻った。
中隊の士気は極めて旺盛であったが、
満足に暖をとってやることもできない現実の厳しさは、
指揮官にとって何より辛いことであった。

・・・芦澤紀之著 暁の戒厳令から 


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