あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

軍事參議官との會談 1 『 國家人なし 勇將眞崎あり、正義軍速やかに一任せよ 』

2019年03月24日 10時31分41秒 | 首脳部 ・ 陸軍大臣官邸

前項
帝國ホテルの會合 
の続き
  村中孝次
帝國ホテルで部隊の撤退を約束した村中は
二十七日朝
陸相官邸の廣間で野中、香田、安藤、磯部、栗原らとともに
部隊の引きあげについて協議した。

だが、意見は硬軟二派にわかれた。
村中は同志部隊を引きあげよう、皇軍相撃はなんとしても出來ない、
と 撤退を説いたが、
磯部 は激昂を全身にたぎらかし、
「 皇軍相撃がなんだ、相撃はむしろ革命の原則ではないか、
 もし同志が引きあげるならば俺は一人になってもとどまって死戰する 」

と 叫ぶ。
安藤もまた、
「 俺も磯部に賛成だ。維新の實現を見ずに兵を引くことは斷じてできない 」
と 鞏硬だった。
磯部としては もし情況惡化せば田中隊と栗原隊をもって出撃し、
策動の本拠と目される戒嚴司令部を轉覆する覺悟だった。
とうとう磯部は怒って栗原と一緒に首相官邸に引きあげてしまった。
同志の間には氣まずい空氣が流れた。
けんか別れである。

人なし勇將眞崎あり
磯部が首相官邸に移ってから間もなく、
西田から栗原に電話があり、つづいて、北一輝からも栗原に電話で、
「 眞崎大將に時局収拾をしてもらうことに、
 まず君ら靑年將校の全部の意見を一致させなさい。
そして君らの一致の意見として軍事參議官の方も、
また、參議官全部の意見一致として眞崎大將を推薦することにすれば、
つまり陸軍上下一致ということになる。
君らは軍事參議官の意見一致と同時に眞崎大將に時局収拾を一任して、
一切の要求を致さないことにしなさい 」

と 教示した。
さらに、
西田も磯部を電話口に呼び出し和尚 ( 北のこと ) の靈告なるものを告げた。
磯部は、
午前八、九時であったが西田氏より電話があったので、
「 余は 「 簡單に退去するという話を村中がしたが斷然反對した、小生のみは斷じて退かない。
 もし軍部が彈壓するような態度を示した時は、策動の中心人物を斬り戒嚴司令部を占領する決心だ 」

と 告げる。
氏は、「 僕は龜川が撤去案を持ってきたから叱っておいたよ 」 と いう。
更に今、御經が出たから讀むといって
「 國家人なし 勇將眞崎あり、國家正義軍のために號令し、正義軍速やかに一任せよ 」 と 靈示を告げる。
余は驚いた、
「 御經に國家正義軍と出たですか、不思議ですね、私どもは昨日來 尊皇義軍と言っています 」
と 言って神威の嚴肅なるに驚き 且つ快哉を叫んだ 」

と 遺書 「 行動記 」 に書いているが、この北の靈告にはよほど激励されたものらしい。

しばらくすると 村中が香田とともに首相官邸にやって來た。
磯部は村中を見つけると 夜明け方の喧嘩別れも忘れて、
「 さきほど、西田さんから電話があって 和尚の靈告を聞いたんです。
人なし勇將眞崎あり國家正義軍のために號令し、正義軍速やかに一任せよというのです」

と 氣色をたたえ、はしゃいだ聲で話しかけた。
村中も、
「 いや、俺の所にも今、その電話があったものだから相談しに來たのだ。
 和尚の靈告通りに この際は眞崎一任で進むのが一番いいんじゃないかと思うんだが 」
と 一同にはかった。

そして
「 賛成 ! それでいこう 」
と いうことになった。

折もよく 野中も來合わせていて、眞崎一任ということに全員一決した。
そこで 各參議官の集合を求めることになったが、
同時に、昨日來の行動で疲勞している部隊に休息を与えるために、
警備兵を除いて、部隊を一時國會議事堂附近に集結することにきめた。
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國會議事堂附近に集結する爲に移動する野中部隊
 

  
戒嚴司令部
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そして 村中と香田が部隊を代表して戒嚴司令部に交渉に行くことになった。
二人は戒嚴司令官を訪ねて參謀長列席の上で、
蹶起の趣旨ならびに軍上層部に対する要望を述べ、

部隊の配備を縮小すること、現配備をなおしばらく是認せられたいこと、
しからざれば軍隊相撃の危險があることを力説し、さらに軍事參議官との面接を依頼した。
こうして 香椎のあっせんで
( 二十七日 ) 午後四時頃
陸相官邸の大廣間で
ふたたび蹶起將校と軍事參議官との會談が行われた。
この場合
反亂將校側は ほぼ全員、
立會人として山下少將、鈴木、小藤両大佐、山口大尉が同席した。
まず、野中大尉が立って、
「 事態の収拾を眞崎大將にお願い申します。
 その他の參議官は眞崎大將を中心としてこれに協力せられることをお願い致します 」

と 申し入れた。
すると 眞崎大將は、
「 君らがそういってくれることは誠に嬉しいが、今は君らが聯隊長のいうことを聞かねば何の処理もできない 」
と 暗に撤退をほのめかした。

阿部大將はこれをとりなすように、
「 われわれ參議官一同心をあわせて力をつくすことを申しあわせている。
 眞崎大將がもしその衝に當ることになれば、われわれも勿論これを支持するし、
また、他に適當な方法があったならばこれに協力するにやぶさかではない 」
と いい、

西大將も
「 阿部閣下のいわれる通りだ 」
と そばから言い添えた。
野中は更に、
「 この事柄をどうか他の参議官一同へもはかってご賛同を願います 」
と 懇請すると、阿部大將は、
「 諸君の意のあるところは充分に參議官に傳えよう 」
と あっさり承諾した。
すると野中は、
「 それでは軍事參議官一同ご賛同の上は、
 われわれの考えと參議官一同の考えが完全に一致した旨を、是非、ご上奏をお願いします 」
と 切り込んだ。

阿部大將は、
「 そういう事柄は手続き上にも考慮せねばならないので即答はしかねる、よく研究してみよう  」
と 逃げてしまった。
今まで だまって聞いていた眞崎大將はこのとき、
「 われわれ軍事參議官は、御上のご諮詢があって初めて動くもので、その外は何の職權もない。
 ただ、軍の長老として事態の収拾に骨を砕いているのだ。
だから君らがわしに時局収拾を委すというなら無条件でまかせてもらいたい。
しかし 時局の収拾は君らが速やかに、統率の下に復歸することだ。
それ以外に手段方法はない。

戒嚴令はとりもなおさず奉勅命令だ。
もし、これにそむけば錦旗に反抗することになる。

萬一、そのような場合が生じたら、自分は老いたりといえども 陣頭に立ってお前達を討つぞ、
大局を達観して軍長老の言を聞いて考えなおせ。
赤穂四十七士が全部同じ金鐵の考えなりしや否や不明だ。
今日出動した部隊も同様で、蹶起後日數もたち疲勞している。
思わざる色々のことがおこるかも知れない。早く引きとるようにせよ 」
會談は 彼らの考えとは逆な方嚮に向けられてしまった。
眞崎、今日の説得は迫力があった。
阿部大將口を開いて、
「 それでは君らの申し入れの意思はよくわかったから  他の參議官ともはかって後刻返事することにしよう  」
と 會談を打ちきった。
三大將は説得ほぼ成功とふんで喜んで偕行社にかえった。
リンク→山口一太郎大尉の四日間 3 「 総てを眞崎大将に一任します 」 
 
この日( 二十七日 ) 午前
反亂軍は一部配備の變更を行い
陸相官邸その他 永田町台上一帯の警戒を緩やかにし一般の交通を許したので
首相官邸には激励の訪問者が續々とつめかけ 邸前には 萬歳、萬歳 の聲が湧きあがっていた。
こうした中で 一部幕僚による撤退勧告がはじめられていた。
満井中佐は
維新の大詔渙發と同時に 大赦令が下るようになるだろうから、一應君等は退れといい、
鈴木大佐も一應退らねばいけないと説示する。
彼らは一抹の不安をもちつつも、なお事件の成功を信じて、その 「 戰勝 」 に酔っていた。
・・・大谷敬二郎  二・二六事件 『 ひとなし勇將眞崎あり 』 から


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