あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

川島義之陸軍大臣 二月二十六日

2019年03月11日 06時25分39秒 | 首脳部 ・ 陸軍大臣官邸

陸相官邸 二月二十六日 
当日 第一の失敗は官邸の小門を開け置きしこと。
側小門より乱入す。
外の騒音で目を覚す。憲兵が何か交渉し居り。何か起りしと直覚す。
靴音が寝室の反対に移る。其内憲兵が独り秘に寝室に来り。
「 将校の指揮する一部隊来り。閣下に面会を求む。
而し危険だから今出らるることなく、憲兵の増援後御会ひになるならば御会ひ下さい 」
電話が充分掛らず 増員来らず。
奥様は着物を着換え将校に面会す。
将校が陸相に面会を求む。
奥様は
「 承知しました 名刺を下さい。
主人が風邪にて臥し居り 殊に昨夜は睡眠剤を飲ましてあり 
家を温むる間 待って下さい 」
枕下にあるウイスキーを引除け 薬瓶を置き換える

川島義之・陸相  香田清貞 ・大尉

川島大将は床中にて、「 大臣閣下 川島閣下 」 等呼ぶ所から見れば

大なる敵意あらざるが如し、自分から出て面会せんと思ひ居る所へ小松光彦秘書官来る。
小松が門により入り来りし状況を単簡に述べ、閣下が会はれなければならずと。
軍服を着し秘書官と共に応接間に出づ。
将校数人整列し居り 一同敬礼し 香田大尉は職姓名を述べ、他一名も職名を述ぶ。
今一人古参顔にて名乗りざりしを以て陸相が問ひたるに、「 私は村中 であります 」 と 答ふ。
爾後交渉は香田大尉。
香田大尉が趣意書を置き説明す。 
次に紙に書きたる要求書を出す。 
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・  蹶起趣意書

・ 香田清貞大尉 「 国家の一大事でありますゾ ! 」
・ 川島義之陸軍大臣への要望書
・ 
「 只今から我々の要望事項を申上げます 」
・ 
内田メモ 「 只今から我々の要望事項を申上げます 」

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之を一読し秘書官に渡す。
香田大尉は至急全国に戒厳令を布き 大臣閣下に善処を御願致し度し。
大臣は
「 戒厳令は大臣の独断にて布くを得ず 勅命に依るを要す 」 と。
香田は左様で御座いますかと答ふ。
「 今度の事件は東京に於ては重臣を襲撃 、
満洲に於ては南次郎司令官を襲撃、
朝鮮に於ては朝鮮総督 ( 宇垣一成 ) と軍司令官 ( 小磯国昭 ) を殺害する計画である。
関東軍司令官の後任は○○大将を御願したい。
○○大将は余り好まないのであるが已むを得ません 」
地図を開き 現在の軍隊の配備を詳しく説明す。
大臣は
「 事態が斯くの如くなって居るならば已むを得ない。
然しながら、皇軍互に相撃つ流血は絶対に避けねばならぬ故に現在の位置より動くな。
之れ以上行動してはいかぬ 」
香田は
「 承知しました。我々一同は其積りで居るから 相手方に閣下より銃火を開かざる様申付け下さい 」
尚 香田は侍従武官長 ( 本庄繁 ) 、○○、○○大将を官邸に呼で呉れと。
侍従武官長は君側にある故 不可能なるも、○○、○○大将は呼はんと電話せしむ。
更に次官 ( 古荘幹郎 ) 軍務局長 ( 今井清 )、軍事課長 ( 村上啓作 ) にも電話にて官邸に招致す。
但し 之等の電話は余り能く通ぜざりしが如し。
尚 阿部信行大将も呼ぶ様にしたが能く通ぜず。
其内に眞崎大将来る。
其頃に齋藤瀏少将来邸、其理由を聞きしに
「 自分は偕行社記事に青年将校に歌を教へ親しくし居る。
今度事件が起きたから様子を見に来た 」  ( 川島大将は何等か事件に関係あると感ず )
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 眞崎甚三郎・大将   齋藤瀏・予備少将

・・・挿入・・・
午前八時頃になりますと、後ろの方がザワザワするので振向くと眞崎大将が入って来られました。
若い将校は一同不動の姿勢をとり久し振りで帰って来た慈父を迎へる様な態度を以て恭しく敬礼をしました。
附近に居られた齋藤瀏少将は 「 やあ よく来られた 」 と 云ふ声を掛けられると 、
眞崎大将は 左の大臣に一寸目礼をした儘 直に斎藤少将の方へ進まれました。
齋藤少将は例の大声で
「 今暁 青年将校が軍隊を率ひて、これこれしかじか の目標を襲撃した 」
とて大体の筋を話した上、
「 此の行ひ其のものは不軍紀でもあり、皇軍の私兵化でもあるが、
僕は彼等の精神を酌し
又 斯の如き事件が起るのは国内其のものに重大なる欠陥があるからだと考へ、
此際 青年将校の方をどうこうすると云ふよりも、もっともっと大切の事は国内をどうするかと云ふ事だと云ふ事で、
今大臣に進言して居る所です。
斯の如き事態を処置するのに閣議だの会議だの平時に於ける下らぬ手続きをとって居っては間に合はぬ。
非常時は非常時らしく大英断を以てドシドシ定めなければならぬと思ひます 」
と 云ふ様な意見を陳べられました。
其の間 眞崎大将亦大きな声で、
「 そうだそうだ、成程行ひ其のものは悪い、然し社会の方は尚悪い、
起った事は仕方がない、我々老人にも罪があったのだから、之から大に働かなければならぬ、
又 非常時らしく、ドシドシやらねばならぬ事にも同感だ 」
と 云様に大変青年将校に同情のある同意の仕方をされました。
次で大臣との短い言葉で話を交されました。
「 大体今齋藤君から御聞きの通りだ 」
「 将校の顔ぶれはどんなものか 」
「 此所に書いたものがある 」
と云ふて紙片を渡されると、眞崎大将は暫く夫れを眺め、
又 決起趣意書とか青年将校の要望事項の原稿とか云ふものにも頷きながら目を通して居られました。
それから
「 かうなったらからは 仕方が無いじゃないか 」
「 御尤もです 」
「 来るべきものが来たんじゃないか、大勢だぜ 」
「 私もそう思ひます 」
「 之で行かうじゃないか 」
「 夫れより外 仕方ありませぬ 」
「 君は何時参内するか 」
「 もう少し模様を見て 」
「 僕は参議官の方を色々説いて見やう 」
などの話で、其の他 両大将とも青年将校に対し同情のある話振でありました。
眞崎大将は暫く富士山の室 ( 陸相官邸 ) に居られ、九時から九時半頃の間に出て行かれた様であります。
「 さあ 出掛ける 」 と云って椅子を立たれた時私は、
「 閣下 御参内ですか 」 と伺ふと
「 いや 俺は別の方で骨折って見やうと思って居るのだ 」
との御返事でありましたから私は、之は大臣の別動隊となって軍事参議官方面を説いて下さるのだと直感しました。
其の時私は眞崎大将に
「 手段は兎も角として 精神を生かしてやらぬと かう云ふ事は何回でも起こります、
宜しく御願します 」
と 早口に申しますと、大将は 「 判っとる、判っとる 」 と 云はれました。
・・・山口一太郎

・ 川島義之陸軍大臣参内 「 軍当局は、吾々の行動を認めたのですか 」 
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川島にどうして此事件を収拾すると聞いたが、川島にも何等の成算もないので、

『 陸軍の事は陸軍の手で納めなければならぬ。
何時迄もグズグズ出来ないではないか、すぐ君の権限で軍事参議官会議を招集しろ。
又 岡田がやられたならば 当然総辞職だらうから、君が閣僚を招集して閣議を開かなければなるまい 』
と 注意すると、早速参議官一同を招集する事になった。
・・・真崎甚三郎
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一通り状況判明せしを以て、上奏の為準備しあるも、
香田は 「 私も御所へ携はれたし 」 と 之を許さず。

川島陸相の上奏要領
一、叛乱軍の希望事項は概略のみを上聞する。
二、午前五時頃 齋藤内府、岡田首相、高橋蔵相、鈴木侍従長、渡邊教育總監、牧野伯を襲撃したこと。
三、蹶起趣意書は御前で朗読上聞する。
四、不徳のいたすところ、かくのごとき重大事を惹起し まことに恐懼に堪えないことを上聞する。
五、陛下の赤子たる同胞相撃つの惨事を招来せず、出来るだけ銃火をまじえずして事態を収拾いたしたき旨言上。
・・・

参内の途中屡々歩哨に止めらる。将校を呼び歩哨線を通過す。
川島大臣が御所へ到着した時に、誰か文官側にて上奏中 其済むを待ち 奏上。
事件の概要を述べ 此際流血の惨を極力避け度き旨上聞す
陛下は 夫れで宜しいと御嘉納あらせらる。
次いで 閣僚の集り居る部屋に行き 事件の大要を説明す。
其説明の場所に於て流血の惨を見せしめざることを述ぶ。

「 俺の事を反乱将校に強要せられて参内したと言ふ話があるが 絶対になし。
陸軍大臣よりの告示は軍事参議官が居られたので自分は之に参与しあらず。
片倉少佐が負傷したるに何等処置せずとの中傷に対しては
参内する為玄関に出て小松光彦少佐秘書官が
閣下 今一寸 車を使て居ります、片倉を病院へ運び居るとの事にて知りたり。
初の内、閣僚等は此事件は陸軍がグルになり 遣って居ると堅く信じ居れり。
戒厳奏請を力説せん時に閣僚皆な殊に後藤内相が反対せり。
之れ戒厳を布き 軍の希望する国家改造を行ふに非ずや。
北一輝の国家改造法案通りの筋書きと思ひたるが如し。
尚又 某閣僚は弾をドンと一発撃ったらどうか、
之れもドカンとやれば陸軍が反乱部隊と一体ならざることを証し、市民が安心するならん 」
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・・・挿入・・・

後継内閣其他の為に是非共軍部の意嚮を閣僚に通して置かなければならぬ、
又 時局収拾の為め 直ちに戒厳令を実施しなければならぬと云ふ参議官一同の意嚮であったので 川島に通し、
又 閣僚共直接話し合ったが、どうしても話が合わない。
後で判った事だが、参議官の方では総理が全くやられたものと信じて居た。
然るに 閣僚の方では総理の生きて居る事が当時から判って居たので話しが合はなかったのであろう。
川島が閣議で色々主張したらしいが、閣僚の大部分は今直ちに戒厳令を実施する事は、
軍政府でも樹立する魂胆が軍首脳部にあるやの如く誤解せられた。
どうしても自分の説を聞いて呉れないと言って 非常に悲憤して居った。
・・・眞崎甚三郎

軍事参議官会議の開かれたのは午後一時半前後かと思ひます。
先づ川島陸相から今朝来の状況に付て話があり、
尚大臣に対する彼等青年将校の要望事項に付て述べられ
御意見を伺ひたい、と云ふ意味のことを申されました。
之に対し香椎警備司令官が意見を述べられ、其話の後 眞崎大将は
「 叛乱者と認むべからず、討伐は不可、但し以上は御裁可を必要といる 」
旨を述べられました。
・・・村上啓作軍事課長

「 俺が行った時に已に出来て居ったのである。
之を軍事参議官の名を出すと云ふ話しだった。
而し 考へて見るに 軍事参議官中には殿下が居らるるを以て
夫れは宜しくないから俺の名を出すことにしたのである 」
夫れを戒厳司令官に伝へ其後軍事課長にて ゴタゴタとなる。
・・・眞崎甚三郎
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続て 軍事参議官の集りたる室に至り、大臣よりの告示となる。

大臣が叛乱将校より当初強要せられたる時、
大臣は全国各地に於て起ると事重大、兵力を以て鎮圧するは却て危険なりとの印象を受く。
宮中に於て軍事参議官中二名は之を強調せり。
他の参議官も憂慮しあり。
其処へ警備司令官が勝海舟江戸城明渡しの一席を弁ず。
当時の空気は何とか穏便に済まさなければならぬとの空気一杯なり。
依て荒木大将が原案を示し山下、村上が筆記せしか。

眞崎大将が官邸より参内の途中、軍令部総長宮 ( 伏見宮 ) 邸を訪問したるは事実なり。
尚 眞崎大将が直接上奏せんとする時に、誰か止めた。
( 他の情報 湯浅倉平宮相が止めたと云ふ ) ( 他の情報は上奏せりと云ふ )
此事件で一番困ったのは、二日目位から閣僚が陸軍の態度を非常に疑て、
各方面の者が此意味のことを陛下に上奏しありしが如し。
随て閣僚等は公然と 何故早くやらぬかと称し
陛下も侍従武官長へ 何をして居るのであろうと御下問あり。
所々 自分としては第一日 ( 二十六日 ) 上奏した時に、
流血の惨を避けると申上げ嘉納せられたりし点が最も苦しかりき。
安井藤次少将・備忘録  から
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・ 川島義之陸軍大臣 憲兵調書 
・ 
伏見宮 「 大詔渙発により事態を収拾するようにしていただきたい・・」 

川島は、午前九時に参内し、天皇のまえに進みでた。
ここで事件の概容を伝え、あまささえ 「 蹶起趣意書 」 を 読んだ。
そしてこうなったら強力内閣をつくらなければならないと述べた。
この陸相は、事件を鎮圧するのでなはなく、
この流れに沿って、新たな内閣の性格まで口にしている。

つまり 蹶起将校や眞崎の使者となっていたのである。
「 陸軍大臣はそんなことまで言わなくていい。 それより 反乱軍を速やかに鎮圧するほうが先決ではないか 」
( ・・
・ なにゆえにそのようなものを読みきかせるのか  )
天皇のことばに、
川島は自らどうしていいかわからないほど 混乱して退出していった。
・・俺の回りの者に関し、こんなことをしてどうするのか から


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