あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

牧野伸顕襲撃 河野隊

2019年02月28日 15時24分54秒 | 牧野伸顕襲撃 河野隊

「磯部さん、
私は小学校の時、天皇陛下の行幸に際し、
父からこんな事を教えられました。
今日陛下の行幸をお迎えにお前たちは行くのだが、
もし、陛下の 「 ろぼ 」 を乱す悪漢が お前たちのそばから飛び出したらどうするか、
と。
私も兄も父の問に答えなかったら、
父は厳然として
「飛びついて殺せ」 といいました。
私は理屈は知りません。
しかし 私の理屈をいえば、父が子供の時教えてくれた、
賊に飛びついて殺せという、たった一つがあるだけです。
牧野だけは私にやらせてください。
牧野を殺すことは、私は父の命令のようなものですよ」

・・・
河野壽 ・ 父の訓育 「 飛びついて殺せ 」 


牧野伸顕襲撃
河野隊

目次
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・ 
澁川善助 ・ 湯河原偵察 「 別館の方には、誰か偉い人が泊っているそうだな 」 

・ 
牧野伸顕襲撃 1 「 デンポウ ! デンポウ ! 」 
・ 牧野伸顕襲撃 2 「 俺に代って誰か邸内に突っ込め 」 
・ 
牧野伸顕襲撃 3 「 女がいるらしい、君、 女を助けてやってくれ 」 


・ 
牧野伯を救った白衣の佳人 

・ 河野壽大尉の最期 
「 栗原や私たちは、万一、こと破れたさいにも、 ということについては、
一つの考えを持っていました。
それは失敗の責任を自決によって解決する方法は、
いわゆる武士道的の見方からすれば立派であり、綺麗であるが、
反面安易な、弱い方法である。
われわれの不伐の信念は、一度や二度の挫折によって挫けるものではない。
自決によって打切られるような、そんな皮相なものではなく、
死の苦しみを超克ちょうこくして、あらゆる苦難を闘い抜くことが、
ほんとうに強い生き方であるという信念です。
この考え方は、私はいまも変わりありません。
しかしながら、この信念も、それを貫くことのできない、絶対の窮地に立つに至った現在、
私の進むべき道はただ一つしかありません。
叛徒 という絶体絶命の地位は、一死をもって処するあるのみです 」


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