あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

なにゆえにそのようなものを讀みきかせるのか

2020年05月08日 18時18分14秒 | 大御心

蹶起部隊が占拠する警視庁、首相官邸、議事堂周辺にも、見物の市民が群集していた。
各官庁も概要を知って執務はほぼ中断状態となり、株式取引所は閉鎖され、
新聞記者たちは取材にかけまわった。
そのひとり、
米紙 『クリスチャン・サイエンス・モニター』 極東主席特派員W・チェンバレンも、
警視庁前にやって来た。
早朝、友人の日本人記者が電話で事件を知らせてくれたが、
その話によると、
「 信頼すべき筋の情報だがね。
 ふたりの将軍が白馬にのって全閣僚と元老を殺しているそうだ 」
チェンバレン記者は仰天してとびだし、
外務省、『ジャパンタイムズ』 を 訪ねたが、
正確なニュースは得られずに警視庁前に来たのである。

そして、また びっくりした。
明らかに叛乱軍らしい兵士が集合しているが、
市民男女はその銃口にすりよるようにして見物しているのである。
チェンバレン記者は、インテリ風の紳士に質問した。
「 失礼、革命ですか 」
「 ノー 」
と、相手は予想どおり英語で答えてくれた。
「 天皇陛下の国に革命はありませんよ 」
「 それじゃ、クーデターで?」
「 ノー、天皇陛下の国にクーデターはありません 」
では、革命でもクーデターでもないのに、なぜ軍人が閣僚を殺すのか。
やはり将軍が発狂したのか、と チェンバレン記者は途方にくれた
・・が、じつはこの紳士の回答は事件の本質を意外に的確にとらえていた、
と いえる。


武力を使用しての政治体制の変革をもとめるのがクーデターだとすれば、
昭和維新 という政治改革をめざした 「 二・二六事件 」 もまた、クーデターである。
しかし、
「 ノー 」 と 紳士が首をふったように、
「 二・二六事件 」 は 基本的にクーデターの要件を放棄していた。
クーデターは無法の所為であり、現秩序の破壊行為である。
現に蹶起部隊は六人の高官の殺傷をはかり、首都の一部を占拠する無法行動をした。
ところが、趣意書および要望事項が明示する如く、
蹶起部隊はひたすらその行動が天皇の是認をうけることを望み、
秩序の破戒よりは秩序のなかでの地位をもとめている。
いわば、一種の 「 諫言 」 である。
要望事項は、明らかに陸軍部内における、«皇道派» の 勢力拡大をねらっていて、
その限りではひどく露骨な «私意» を感じさせるが、
青年将校たちにしてみれば、ひたすら天皇を 現人神あらひとがみ 視する教育をうけ、
それに反する意見の持主を 非国民 と信じているのだから、
反皇道派の一掃も天皇のためということになる。
「 尊皇討奸 」 といい、
「 天皇親政 」 といい、
「 昭和維新 」 という
蹶起部隊のスローガンは、

だから、いみじくもそういう青年将校の
諫言クーデター思想を表現しているわけである。

そして、この発想は、
「 君側の奸 」 を 討つことを是認する教育と、
軍内部の皇道的粛正を叫ぶ上級将校の意図にも合致するはずである。

だが
天皇の立場からみれば、
蹶起は明白な叛乱であり、憲法にたいする挑戦となる。
「 大日本帝国憲法 」 は、天皇を統治権の総攬者と定めているが、
同時にその大権はすべて責任者の輔弼によって行使される制限を与えている。
直属する軍隊との関係においても、天皇は大元帥とはいえ、
作戦用兵にかんする統帥大権は陸海幕僚長 ( 参謀総長、軍令部総長 )、
編成にかんする大権は陸海相の輔弼を承認する立場にある。
いいかえれば、
「 大日本帝国憲法 」 は実質的な 天皇不親政 を規定しているのであるから、
天皇親政を叫んで君側の高官を殺すのは、憲法の否定であり、
そこに定められた天皇の権能を破壊することになる。
その意味で、「 二・二六事件 」 が 天皇の心にかなうことを志したとしたら、
なによりもまず天皇の立場にたいする誤解にもとづいていた、といえるであろう。

はたして。
午前九時半、
参内した川島陸相を迎えた天皇の態度は、かつてない怒りと厳しさに満ちていた。
河島陸相は、自室で頭をかかえているうちに来邸した山下奉文少将、
さらに眞崎甚三郎大将に、
はげまされて宮城にやってきた。
眞崎大将は、陸相官邸に到着すると、
「 お前たちの心はヨオッわかっとる、ヨオッーわかっとる 」 と 磯部淺一に声をかけた。
そして、川島陸相に会うと、
テーブルにおかれた 蹶起趣意書 と要望事項の紙片をおさえて、いった。

「 こうなったら仕方ないだろう・・・これでいこうじゃないか 」
川島陸相はうなずき、
天皇に拝謁すると、

事件の経過を報告するとともに 蹶起趣意書 を読みあげた。
天皇の表情は、陸相の朗読がすすむにつれて嶮けわしさを増し、
陸相の言葉が終わると、
ナニユエニ ソノヨウナモノヲ讀ミキカセルノカ
と 語気鋭く下問した。
川島陸相が、
蹶起部隊の行為は明かに天皇の名においてのみ行動すべき統帥の本義にもとり、
また 大官殺害も不祥事ではあるが、陛下ならびに国家につくす至情にもとづいている。
彼らのその心情を理解いただきたいためである、
と 答えると・・・。
今回ノコトハ精神ノ如何ヲ問ハズ甚ダ不本意ナリ。
國體ノ精華ヲ傷ツクルモノト認ム

天皇はきっぱりと断言され、
思わず陸相が はっと頭を下げると
その首筋をさらに鋭く天皇の言葉が痛打した。

朕ガ股肱ノ老臣ヲ殺戮ス 
斯ノ如キ兇暴ノ將校等、其精神ニ於テモ恕ユルスベキモノアリヤ
天皇は、
一刻モ早ク、事件ヲ鎭定セヨ
と 川島陸相に命じ、
陸相が恐懼して さらに拝礼するのをみると、

速ヤカニ暴徒ヲ鎭壓セヨ
と はっきり蹶起部隊を 暴徒 と断定する意向をしめした。
川島陸相が退出したあと、
天皇は二、三十分間おきに本庄武官長を呼んで、

暴徒鎭壓 の処置を催促しつづけた。
陸軍は自分の首を真綿で締めるのか
なぜ明確な処置をとにぬのか、なにをしているのか
・・・と、天皇は怒りと焦慮を荒い足どりに顕示しながら、室内をぐるぐると歩きまわった。
・・・以上  児島襄 著  天皇 から
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川島陸相の上奏要領
一、叛亂軍の希望事項は概略のみを上聞する。
二、午前五時頃 齋藤内府、岡田首相、高橋蔵相、鈴木侍従長、渡邊教育總監、牧野伯を襲撃したこと。
三、蹶起趣意書は御前で朗讀上聞する。
四、不徳のいたすところ、かくのごとき重大事を惹起し まことに恐懼に堪えないことを上聞する。
五、陛下の赤子たる同胞相撃つの惨事を招來せず、出來るだけ銃火をまじえずして事態を収拾いたしたき旨言上。
陛下は この事態収拾の方針に関しては 「 宜よ し 」 と 仰せ給う

「 事件勃發當初は蹶起部隊を叛亂軍とは考えず。

 その理由は下士官以下は演習と稱して連出されたのものにして、叛亂の意思に出でたるものにあらずして
ただ將校が下士官以下を騙して連出し人殺しをなしたるものと考えいたり。
したがって蹶起部隊全體をもって叛亂軍とは考えず。
またこれを討伐するは同胞相撃となり、兵役關係は勿論、對地方關係等 今後に非常なる惡影響をもたらすものと考えたり。
また 蹶起部隊は命令に服從せざるに至りたるときは叛徒なるも、
蹶起當時においては いまだ叛亂軍と目すべきものにあらずと 今日においても考えあり  」
・・川島陸相訊問調書


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