獨協法学第39号 ( 1994 )
研究ノート
二 ・二六事件北 ・西田裁判記録 ( 二 )
松本一郎
五 西田の起訴前の供述
1 はじめに
2 警察官聴取書
3 予審訊問調書
4 西田の手記 ( 以上39号 )
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獨協法学第40号 ( 1995年3月 )
研究ノート
二 ・二六事件北 ・西田裁判記録 ( 三 )
六 公判状況
はじめに
第一回公判 ( 昭和11年10月1日 )
第二回公判 ( 昭和11年10月2日 )
第三回公判 ( 昭和11年10月3日 )
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獨協法学第41号 ( 1995年9月 )
研究ノート
二 ・二六事件北 ・西田裁判記録 ( 四 ・完 )
第四回公判 ( 昭和11年10月5日 )
第五回公判 ( 昭和11年10月6日 )
第六回公判 ( 昭和11年10月7日 )
第七回公判 ( 昭和11年10月8日 )
第八回公判 ( 昭和11年10月9日 )
第九回公判 ( 昭和11年10月15日 )
第一〇回公判 ( 昭和11年10月19日 )
第一一回公判 ( 昭和11年10月20日 )
第一二回公判 ( 昭和11年10月22日 )
第一三回公判 ( 昭和12年8月13日 )
第一四回公判 ( 昭和12年8月14日 )
七 判決
八 むすび ( 以上四一号 )
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六 公判状況
3 第三回公判 ( 昭和11年10月3日 )
(一) 西田に対する被告人訊問 ( つづき )
( 前略 )
問 澁川ハ、蹶起シタトノ電話ヲ何処カラ掛ケテ寄越シタノカ
答 其ノ電話ガアツタ時、
私ハ澁川ニ 「 何処カラ電話ヲ掛ケテ居ルノカ 」 ト聞キマシタ処、
澁川ハ 「 青山ノ電車線路ノ邊ニ居ル 」 ト言ヒマシタノデ、電話ノ内容ト見合セテ、
私ハ澁川ハ部隊ガ出テ行クノヲ附近デ見テ居ルノダラウト思ヒマシタ。
問 被告人ハ、澁川ヨリ電話ガアツテカラ何ウシタカ
答 澁川ノ電話デハ、唯澤山ノ兵ガ出ツツアルト云ツタダケデ、
夫レガ果シテ青年將校ノ率イル蹶起部隊デアルカ何ウカ確實デハアリマセヌデシタガ、
以前カラノ話モアリ、私ハ愈々彼等ガ蹶起シタモノト直観シ、
澁川ニ對シ 「 電話デハ話ガ遠イカラ、鳥渡來テクレナイカ 」 ト申シテ置キマシタ処、
暫クシテ澁川ハ北方ニヤツテ來マシタ。ソコデ私ハ、
「 君ノ見タノガ本当ダラウカ、彼等ガ蹶起シタトナルト從來ノ關係ガアルノデ、
今度關係ノ有ル無シニ拘ラズ御互ニ身邊ハ危險ダカラ自分ハ當分引込ンデ居タイト思フガ、
君モ當分引込ムデ居テハ何ウカ 」
ト申シ、暫ク話ヲシ、朝食ヲ共ニした上、澁川ハ歸ツテ行キマシタ。
問 澁川ノ事前事後ニ於ケル行動ヨリ推スト、被告人ガ其ノ様ニ言ツタカラトテ、引込ム様ナ者デナイ様ニ思ハレルガ如何
答 澁川ハ己レノ心ニ副ハヌニ拘ラズ、人ヨリ頼マレルト身ヲ粉ニシテ其ノ人ノ爲ニ働クト云フ性質デアリマスノデ、
同人ガ牧野伸顕所在偵察ノ爲湯河原ニ行ツテ居ツタ時モ、
事ノ善惡ハ扨さて置キ、一旦偵察ニ出タ以上私ノ手紙位デ夫レニ應ジテ歸京シテクレルカ何ウカ、
萬一歸ツテ來テモ、私ニ突掛ツテ來ルカモ知レヌト危ムデ居ツタノデアリマス。
処ガ案ズルヨリ産ムガ易ク、澁川ハ私ノ意ニ從ツテ歸京シテクレタ計リデナク、極ク柔和ナ電話ヲ掛ケテ寄越シタノデアリマス。
澁川ハ一方ヨリ見ルト何事モ叩潰ス計リノ性格ノ様ニ見ラレ、反面ヨリ見ルト其ノ反對ノ性格ノ様ニ見ヘル男デ、
一徹ニ進ムデ行クカト思フト、途中デイカヌトナレバ直グ引返シ、今度ハ其ノ引返シタ方向ニ一徹ニ進ムト云フ急進直角的デ、
樫木ノ様ナ性格ノ持主デアリマスカラ、私ハ一旦私ノ言ヲ容レテ歸ツテクレタ以上ハ、
其ノ後ノ事ハ私ノ言フ通リニナツテクレルモノト信ジテ、左様ニ申シタノデアリマス。
問 澁川ハ、事實其ノ後行動隊ニ加ツテ居ルガ、被告人ガ澁川ヲ澤加セシメザル如ク努力シタノハ何故カ
答 今度ノ事件ハ軍人ダケデヤルトノ事デアリマシタノデ、
私ハ最初カラ軍人ハ抑ヘテ抑ヘラレネバ已ムヲ得ヌ、
又村中 磯部ハ現在軍人デハナイガ、自他共ニ軍人ト同様ニ思ツテ居ルノデ、此兩名ハ例外トシテ、
其ノ餘ノ民間側同志ニハ一人モ加ツテ貰ヒタクナイト思ツテ居リマシタノデ、
澁川ダカラ參加サセナイ様ニ努力シタト云フ譯デハアリマセヌ。
後、澁川ガ行動隊ニ加ツテ居タノヲ知リ、唖然トシタ次第デアリマス。
問 澁川ニ參加シテ貰ヒタクナイト考ヘタト言フガ、同人ハ既ニ湯河原ヘ牧野偵察ノ爲行ツテ居タノデハナイカ
答 決行ハ現役軍人デヤルガ、目標人物ノ所在ヲ調査スルノハ現役軍人ダケデハ手不足ダカラ、
澁川ヲ補助ニ使ツタダラウ位ニ思ヒマシタ。法律的ニ申スト既ニ參加シテ居タト云フ事ニナルノデアリマセウガ、
私ハ素人考デ参加シタト迄ハ思ツテ居ナカツタノデ、引戻シタ譯デアリマス。
問 現役軍人ハ第一線ニ於テ行動シ、民間側同志ハ其ノ準備工作又ハ爾後工作ニ當ルベキダト考ヘ、
爾後工作ノ爲ニハ同志ヲ殘シテ置ク必要ガアル処カラ、澁川ヲ行動隊ニ參加セシメナカツタノデナイカ
答 左様デハアリマセヌ。今回ノ事件ニ關係シタ人ノミヲ或鋳型ニ入レテ考ヘルト、其ノ様ニ思ハレ、
又事實ノ様ニ思ツテ居ル人ガ無イデモナカラウト思ヒマスガ、夫レハ事實ヲ知ラナイ人ノ言ふ事デアリマス。
私ノ從來ノ運動ハ、今回ノ事件ニ關係シタ人ダケヲ相手ニシテ居タノデハアリマセヌ。
ダカラコソ十數年來涙ヲ呑ミ、苦心シテ來タノデアリマス。
若シ私ニ爾後工作ヲ民間側で担任スル考ヘガアレバ、
澁川等二、三人ノ者ヲ使ハネバナラヌ迄ニ人間ニ飢ヘテ居リマセヌ。
澁川一人ヲ、斯程迄力ヲ入レテ引止メル譯ハナカツタノデアリマス。
私ノ知ツテ居ルノハ、小笠原中將、山口大尉、龜川哲也ダケデハアリマセヌ。
眞ニ破壊行動ヲ採ル心意ナラバ、他ニ參加セシメ得ル團體モ、爾後工作ヲスル人モ澤山アリマス。
問 二月二十六日朝、澁川ト別レテ何ウシタカ
答 澁川が來タ時、北ハ既ニ起キテ居リマシタ。
私ハ心身共ニ疲勞シ、健康ハ勝レズ、且北方ニ居テハ依然身變ハ危險デアリ、
北ニ迷惑ヲ掛ケル様ニナルカモ知レヌナド色々考ヘタ末、友人岩田富美夫ノ入院シテ居ル、
同人妻ノ實家ナル豊島區巣鴨ノ木村病院ニ入院デモシテ身ヲ隠サウト思ヒ、北ニ對シ
「 小笠原中將ニ時局収拾ヲ頼ムデ置イタ上、木村病院ニ行つて保養シタイト思フ 」
ト申シマシタ処、北ハ 「 夫レモ宜カラウ、夫レデハ岩田ヲ呼ムデハ何ウカ 」
ト言ハレマシタカラ、私ハ岩田ニ電話ヲ掛ケ
「 今朝青年將校ガ蹶起シタ様ダ。就テハ頼ミタイ事ガアルカラ、來テクレナイカ 」
ト言ヒ、後ヲ言續ケ様トシタ時電話ニ故障ガ出來タノデ、更ニ公衆電話ニ依ツテ聯絡シマシタ。
電話ノ故障ハ、北ノ方ヨリ掛ケル方ノ故障デ、先方ヨリハ掛ツテ來テ居リマシタ。
其ノ後小笠原中將ニ電話シヤウトシマシタガ、矢張掛リマセヌデシタ。
間モナク岩田ガ見ヘマシタカラ、私ハ今迄判ツテ居ル程度ノ狀況ヲ簡單ニ話シタ上、
「 御承知ノ通リ、平素ノ關係カラ斯ウナツテハ蒼蠅クモアリ、
身體モ惡イカラ、暫ク木村病院ニ身ヲ隠シ静養シタイト思フガ、肯キ入レテクレヌカ 」
ト頼ミマシタ処、早速承知シテクレマシタノデ、岩田ト共ニイワタノ自動車ニ乗ツテ木村病院ニ參リマシタ。
此時ハ同日午前八時頃デアツタト思ヒマス。
( 中略 )
問 其ノ以後ノ行動ヲ述ベヨ
答 岩田ハ やまと新聞社長デアリマスカラ、同新聞社ニ電話ヲ掛ケテクレマシタガ、
何モ情報ハ判ラヌトノ事デ、出テ行カレタ様デアリマシタ。
夫レデ、私ハ小笠原中將ニ電話ヲ掛ケマシタガ、不在トノ事デ話スル事ガ出來ズ、
其ノ内ニ軍隊ガ丸ノ内附近ニ居ルトカ云フ少シノ噂ガ耳ニ入様ニナリマシタ。
午前十時頃、三度目ノ電話デ漸ク小笠原中將ト話スル事ガ出來マシタ。
私ハ、
「 陸軍ノ青年將校等ハ遂ニ今朝蹶起シ、多クノ兵ヲ聯レテ重臣ブロックニ向ツテ襲撃シタ様デアリマスガ、
既ニ御承知ノ事ト思ヒマス。斯ウナリマシテハ致方アリマセヌカラ、國家ノ爲一刻モ速ニ事態ヲ収拾シテ頂ク様、
閣下ノ御力添ヲ御願ヒシタイ 」 ト云フ趣旨ノ事ヲ申シマシタ処、小笠原ハ
「 ヨク判ツタ。何トカ考ヘテ、出來ルダケノ事ヲシテ見ヤウ 」 ト言ツテクレマシタ。
問 被告人ハ、事前ニ小笠原中將ヲ訪問シテ事ガアルカ
答 二月二十日頃小笠原ヲ訪問シタ事ガアリマス。
夫レハ、相澤公判ニ附荒木、阿部両大將等ハ、
先輩軍人ヲ證人トシテ公判廷ニ呼出ス事ハ宜ロシクナイ、
裁判ハイイ加減ニ穏便ニ濟シタ方ガヨイト云フ意見デ、
林大将、眞崎大將等ヲ説キ、又川島陸相ニモ進言シタト云フ噂ガアリマシタノデ、
私ハ先輩軍人ヲ證人トシテ調ベル事ハ、合法的ニ軍内ノ肅正ヲ計ル上ニ於テ是非必要ナルニ、
荒木 阿部等ノ如ク臭イ物ニ蓋ヲスル様ナ事ヲセラレテハイカヌト思ヒ、
小笠原中將ナラバ海軍デハアルガ先輩デハアリ、陸軍上層部ノ人々トモ親交ガアルカラ、
事情ヲ述ベテ荒木、阿部兩大將ナドヲ説得シテ貰ハウト思ヒマシタノデ、訪問シタノデアリマス。
( 中略 )
尚、其ノ際ハ幾分青年將校ノ空氣ニ附テモ話シマシタガ、
二月二十六日ニ私ノ事態収拾ニ附テノ盡力方ヲ頼ム事ハ、
右ニ二月二十日ニ話シタ關係ガアツタカラト云フ譯デハナイノデアリマス。
問 被告人ノ謂フ蹶起後ノ事態収拾ニ附テノ盡力ト云フノハ何ウスルノカ
答 國家國軍ニ對スル蹶起青年將校等ノ希望、目的、精神ニ副フ様ニシテ事態ヲ収拾スル様、
盡力シテ貰ヒタイトノ意味デ、約言スレバ、彼等ノ意見ニ合致スル様ニシテ貰ヒタイト云フ意味デアリマス。
此意味ナル事ハ言明シナクテモ、私ノ氣持ヲヨク判ツテ居ラレル小笠原トシテハ、十分酌ムデクレタモノト信ジテ居リマス。
問 夫レカラ何ウシタカ
答 小笠原中將ニ電話ヲ掛ケテカラ、自宅ニ電話ヲ掛ケテ留守番ノ赤澤ヲ呼出シ、
「 自分は今木村病院ニ來テ居ルカラ、此方ニ來テクレヌカ 」 ト申シマシタ処、
赤澤は午前十一時頃病院ニ來マシテ、「 軍人ガ警視庁ニ居ル 」 ト報告シマシタノデ、
更ニ同人ヲ外ニ出シ、夫レガ蹶起部隊カ鎭壓部隊カヲ確メサセマシタ結果、
蹶起部隊ガ首相官邸、陸相官邸、警視庁方面ヲ占據シテ居ル事ガ判明致シマシタ。
夫レカラ赤澤ガ私ノ自宅ニ電話ヲ掛ケマシタ処、
「 今栗原カラ電話ガアツテ、西田ハ捕ツタカト問合セテ來タカラ、西田ハ北方ニ行ツテ居ルト答ヘタ処、
栗原ハ、自分ハ首相官邸ニ居ルト言ツテ大笑ヒシテ居ツタ 」 トノ事デアリマシタ。
私ハ事前ニ栗原ト喧嘩別レヲシタガ、
其ノ際私ガ、君等ガ蹶起スレバ自分ハ捕マルダラウト話シタ事ヲ覺ヘテ居テクレテ、
安否ヲ気遣ヒ、尋ネテクレタト思フトイヂラシイ氣持ニナリマシタシ、
當時寒クテ兵モ可愛サウダガ、彼等ハ兵ヲ何ノ様ニシテ居ルノダラウト思ツタリシマシタノデ、
先方カラ電話ヲ掛ケテ寄越ス位ダカラ、此方ヨリ掛ケラレナイ事モナカラウ、
一ツ連絡ヲシテ見ヤウト思ヒ、首相官邸ノ栗原ニ電話ヲ掛ケマシタ。
ソシテ同人ニ對シ、
「 ドシドシ雪ハ降ツテ居ルシ、兵達ハ寒イデナイカ、兵ノ飯ハ何ウシテ居ルカ 」
ト尋ネマシタ処、栗原ハ、
「 糧食ハ聯隊カラ持ツテ來テクレルシ、防寒具モ持ツテ來テ居ルノデ心配ナイ 」
ト申シマスカラ、
「 君達ハ官軍ノ様ダネ 」
ト申シマスト、
「 官邸ヲ占據シタカラニハモウ動カヌ 」
ト言ヒ、
「 何ウシテ居ルノカ 」
ト申スト、
「 何モシテ居ラヌ 」
トノ事デアリマシタ。
尚、襲撃ノ結果ヲ尋ネマシタ処、
「 岡田首相ハ殺害ノ目的ヲ達シタガ、非常ニ苦戰デアツタ。
兎ニ角一度様子ヲ見ニ來ナイカ。來ルナラ、溜池迄案内ヲ出シテ置ク 」
ト言ヒマシタガ、私ハ 「 行キタクナイ 」 ト申シテ斷リマシタ。
右ノ様ナ次第デ、夫レ迄抱イテ居タ私ノ豫想ハ全然裏切ラレ、糧食 被服ハ聯隊ヨリ支給シテ居リ、
栗原モ元氣デ呑氣サウニ話シ、一方我々ノ方モ警察ヨリ追廻シテ居ル様子モナシ、
事態ハ惡化シテ居ラヌ計リデナク、却テ好轉シツツアルノデナイカト云フ様ナ氣ガシタノデ、
夫レナラ設備行届カズ、暖クモナイ木村病院ニ居ルヨリ、北方ニ歸ツタ方ガ宜クハナイカト云フ様ナ、
事件前ト變ツタ氣持ニナリマシタノデ、午後北ニ電話ヲ掛ケ、變リハナイカヲ尋ネマシタ処、
何ノ變リモナイトノ事デアリマシタカラ、安心シテ 「 之カラオ伺ヒシマセウ 」 ト申シマスト、
北ハ、「 來テモヨイ 」 ト言ツテクレマシタノデ、「 後刻參リマス 」 ト申シテ置キマシタ。
夫レカラ薩摩雄次ニ電話ヲ掛ケテ狀況ヲ聞キマシタ処、色々ノ情報ガ集ツテ居ル様ナ話デアリマシタカラ、
私ハ 「 自分ハ之カラ北方ニ行クカラ、同家ニ落合ツテ色々話サウ 」 ト申シテ電話ヲ切リ、
同日午後二時頃赤澤ト共ニ木村病院ヲ出テ北方ニ戻リマシタ処、
間モナク薩摩ガ來マシタカラ、北ト薩摩ト私ノ三人デ話合ヒマシタ。
私ハ栗原ト電話デ聯絡シタ狀況ヲ話シ、薩摩ハ世間ノ噂ナド色々ノ情報ヲ話サレマシタガ、
何レモ局部的デ、事實カ流言カ判ラヌ様ナモノモアリマシタ。
問 被告人ハ栗原ニ電話ヲ掛ケタ際、外部ノ情報ヲ傳ヘナカツタカ
答 其ノ時ニハ、未ダ知ラスベキ情報ガ手ニ入ツテ居リマセヌデシタカラ、栗原ニハ何モ申シテアリマセヌ。
問 龜川ニモ聯絡シタノデナイカ
答 私ハ其ノ日小笠原中將ニ電話ヲ掛ケタヨリ前デアツタカ後デアツタカ忘レマシタガ、
兎ニ角木村病院ニ居ツタ間ニ龜川ニ電話ヲ掛ケ、今木村病院ニ居ル事及木村病院ノ電話番号ヲ知ラシマシテ、
「 貴方ハ何ウサレマシタカ 」 ト尋ネマシタ処、龜川ハ
「 今早朝、眞崎大將ヲ訪問シテカラ鵜澤方ニ行ツテ、同人ヲ西園寺邸ニ遣ルコトニシ、
同人ヲ品川驛ニ見送ツテ來タガ、鵜澤ハ今日ノ夕方歸ツテ來ル事ニナツテ居ル 」 ト申サレマシタ。
問 眞崎ニ會ツタ狀況ニ附聞カナカツタカ
答 夫レハ聞キマセヌ。
問 鵜澤ガ西園寺方ヲ訪問スル目的ニ附テハ
答 夫レモ聞キマセヌ。鵜澤ガ夕方歸京シテカラ何ウスルトノ話モアリマセヌデシタ
問 事前ニ龜川ト聯絡シタ關係モアリ、龜川ヨリ言ハレナクテモ被告人ヨリ聞クベキ筈デハナイカ
答 二月二十四日ニ龜川ト話シタ事モアルノデ、果シテ眞崎邸ニ行ツタカ何ウカト思ツテ電話ヲ掛ケタダケデ、
聯絡ノ爲ニ掛ケタノデアリマセヌカラ、其ノ事ハ聞キマセヌデシタ。
問 鵜澤ヲ西園寺邸ニ遣ル事ニ附テハ豫メ被告人トノ間ニ相談ガアツタノデハナイカ
答 別ニ相談ハアリマセヌ。
二月二十五日夜半過、澁川ヨリノ電話ニ依リ西園寺ノ襲撃ハ中止シタノカト思ツタ位デ、
夫レ迄元老ハ襲撃サレルモノト信ジテ居リマシタノデ、鵜澤ヲ西園寺邸ニ遣ル相談ヲスル筈ハアリマセヌ。
鵜澤ヲ西園寺ノ許ニ遣ル事ハ、私ハ全然豫想シテ居ナカツタ処デアリマシテ、
龜川ガ西園寺ノ襲撃中止ヲ知ツテ鵜澤ヲ遣ル事ニシタトスレバ、
意外ニ早ク中止ノ事實ヲ知ツタモノダト輕ク感ジタニ過ギマセヌ。
問 スルト、何ノ爲ニ鵜澤ガ西園寺邸ニ行ツタモノト思ツタカ
答 鵜澤ハ今回彼等ガ蹶起シタ事ヲ知ツテ行カレタノカ、又ハ知ラズニシテ行カレタノカ判リマセヌガ、
事件ヲ知ツテ行カレタトスレバ、無論時局収拾ヲ頼ミニ行カレタモノニ違ヒナイト思ヒマスガ、
私ハ鵜澤ト一面識モナイノデ想像スル資料ガアリマセヌカラ、其ノ邊ノ処ハ判リマセヌ。
( 後略 )
問 其ノ日被告人ハ、以上ノ外聯絡シタ処ハナカツタカ
答 北ノ家ニ戻ツテカラ、満井中佐ノ処ヘ電話ヲ掛ケマシタガ、不在ノ爲聯絡ガ出來マセヌデシタ。
ソシテ其ノ晩ハ噂話ナドヲシテ居ル間ニ夜モ遅クナリ、寒クモアツタノデ北ニ話シテ同家ニ泊メテ貰ヒマシタ。
問 二月二十七日ハ何ウシタカ
答 私ハ二月二十七日起キテカラ、
鵜澤ガ西園寺ノ処ヘ行ツタ結果モ知リタシ、龜川ガ眞崎大將ニ話シタ時ノ狀況モ聞キタシ、
又前日私ガ知リ得タ情報ヲ話シテ、今後ノ對策ニ附テ協議シタイトモ思ヒマシタノデ、
午前六時ニ龜川ニ電話ヲ掛ケマシタガ、遠クテ聞ヘ難カツタノデ、
「 自分は今北方ニ居ルガ、外ニ出タクナスシ、貴方ニ會ツテ話シタイ事ガアルカラ、御苦勞ダガ來テクレヌカ 」
ト申シマシタ。夫レカラ新聞ヲ讀ンダリシテ食事モセズニ待ツテ居リマスト、間モナク龜川ガ來ラレマシタノデ、
食事ヲ聞クト未ダ食事前ダトノ事デアリマシタカラ、
女中ニ頼ンデ麺包ト珈琲ヲ取リ寄セ、暖炉ノ傍デ共ニ食事ヲシツツ話合ヒマシタ。
其ノ時私ハ、二、三日來殆ド寝テ居ラヌノデ疲レテ居リマシタガ、龜川モ相當疲勞シテ居ル様ニ見受ケマシタ。
私ハ龜川ニ對シ、栗原ト聯絡シタ事、小笠原中將ニ電話ヲ以テ時局収拾ヲ頼ムダ事、
其ノ他自分ノ知リ得タ情報ヤ致シタ事ヲ告ゲマシタ処、龜川ハ、
「 眞崎大將ト會ツタガ、同大將ハ大變狼狽シテ居ツタ。
鵜澤ハ西園寺ニ會ツテ現下ノ大勢ヲ述ベ、色々意見ヲ申上ゲタガ、
西園寺ハ何モ言ハズ單ニ聞イテ居ツタダケデアツタトノ事ダ 」
ナドト話シテクレマシタ。
私ハ眞崎大將ガ蹶起ノ話ヲ聞イテ驚カレルノハ當然ダガ、夫レガ爲ニ狼狽シテ貰ツテハ困ルト思ヒ、
同大將ニハ相當期待ヲ掛ケテ居ツタ事トテ失望シマシタ。
又西園寺ノ事ハ、豫テ確カリ者デ普通ノ人ハ歯ガ立タヌ、
又平生ハ温厚ナ君子人ダガ、國家ノ事トナルト全然別人ノ様ニナル人ダト聞イテ居リマシタノデ、
如何ニ鵜澤デモ御互同士話スル様ナ譯ニハ行クマイシ、何処迄歯ガ立ツカガ見物ダ、
西園寺ノ諒解ヲ得ル事ハ難シテダラウガ、
或ハ蹶起方面ノ狀況、關係筋ノ空氣ナドヲ鵜澤ヨリ聞イテ參考ニシテクレ、
何トカナルカモ判ラヌト云フ様ナ氣モ致シテ居リマシタガ、
龜川ノ話ヲ聞イテ、果シテサウデアツタ、元老ノ意嚮ナド輙ク判ルモノデナイ、
事態収拾ニ附テモ空頼ミニナツタト思ヒマシタ。
夫レデ私ハ龜川ニ、「 貴方モ疲レテ居ル様ダカラ、暇ヲ作ツテ御休ミニナル必要ガアルデセウ 」 ト申シ、
龜川ハ一時間程居ツテ立上リマシタ。
其ノ立上ル直前頃ニナツテ、斷片的ニ
「 昨夜橋本大佐、石原大佐及満井中佐ノ三人ガ帝國ホテルニ會合シテ、後繼内閣ニ附テ策動シテ居ル 」
ト云フ話ヲ切出シマシタ。此三人ガ結束スレバ軍ハ統一スルト云フ抱負ヲ持チ、
事アル毎ニヨク帝國ホテルナドニ會合シテ策動シ來ツタ人デアリマスカラ、
私ハ龜川ノ話ヲ聞キ、又例ノ如クヤツテ居ルノカト思ヒマシタ。
龜川ノ話デハ、
「 石原大佐ハ東久邇宮殿下ヲ首班トスル皇族内閣を主張シ、橋本大佐ハ建川中將ヲ出シタイト主張シ、
又満井中佐ハ久原房之助ヲ有力ナ位置ニ出サネバナラヌト主張シテ居ル 」
トノ事デアリマシタ。此皇族内閣説ハ民間ニモアリマスガ、主トシテ陸軍ノ統帥派幕僚間ニ行ハレテ居ル議論デアリマス。
私ハ國體観念上之ニ反対シ來ツタノデアリマス。
ソコデ私ハ龜川ノ歸リヲ見送リツツ、
「 石原ハ相變ラズ其ノ様ナ詰ラヌ事ヲ言ツテ居ルノカ、皇族内閣ト云フ事ハ我國體ニ反スルノダガ、
其ノ位ノ事ガ判ラヌノダラウカ。又御年嵩カラ申シテモ、東久邇宮殿下ヨリ年長ノ方々ガ在ラセラレルデハナイカ。
橋本モ橋本デ、物ノ判ラヌニモ程ガアル。三月事件ヤ十月事件デハ、建川ヤ橋本ガ立役者デアツタデハナイカ。
此事件デ蹶起シタ者ハ、建川ヲ血祭リニ上ゲ様トシテ居ルデハナイカ。
其ノ建川ヲ出スナドトハ、蹶起ノ趣旨ニモ反シテ居ル。
又久原ヲ担ギ出スノハ、普通ノ政變ノ場合ナラバイザ知ラズ 自分ニハ異存ハナイガ、
從來ノ經驗カラ云ツテ政党内閣ノ頭領デ札附ノ久原ヲ、此非常ナ騒ギニ依ツテ生レル政變ニハ全然問題ニナラナイ。
其ノ久原ヲ出サウト云フ満井モ、判ラヌ人ダ 」
ト云フ趣旨ノ事ヲ、龜川ニ向ツテ言フトモナク噛ンデ吐出ス様ニ申シマシタ。
夫レカラ玄關デ、今後共御互ニ確カリヤラウト云フ事デ、何等得ル処ナク別レテ龜川ハ歸リマシタ。
( 中略 )
問 帝國ホテルニ於テ橋本大佐、石原大佐、満井中佐等ガ會見シタ狀況ニ附、モ少シ突進シタ話ガアツタ様デアルガ何ウカ
答 夫レ以上ノ話ハアリマセヌデシタ。
問 其ノ際龜川、村中モ出席シ、協議シタトノ事ヲ龜川ヨリ聞イタノデナイカ
答 夫レハ聞イテ居リマセヌ。
龜川自身ガ其ノ席ニ列ツタト云フ事サヘ、言ヒマセヌデシタ。
唯私ハ龜川ガ橋本大佐等ノ會見ノ話ヲスルノダカラ、龜川モ其ノ場ニ行ツテ居ツタノダラウト想像シタニ過ギマセヌ。
問 帝國ホテルニ於ケル會合ノ結果ハ、海軍ノ山本内閣ニ依ツテ時局ヲ収拾シテ貰フ事ニ一決シ、
村中ヲ招致シテ蹶起部隊ヲ撤退スベク勧説シタル処、村中ハ、個人トシテハ大體同意ナルモ、
事重大ダカラ一應同志ト協議する必要モアルシ、西田ノ意見モ聽カネバナラヌト答ヘタルニ、
龜川ハ、西田ノ方ハ俺ガ引受ケルト言ツタノデ、
村中ハ、夫レデハ同志ト協議の上、速ニ部隊ヲ引上ゲル事ニスルト言明シテ歸ツタノト異ナルガ、
スルト龜川ハ其ノ朝被告人ト會見シタル際、當然其ノ顚末ヲ話スベキ筈ノ様ニ思ハレルガ何ウカ。
答 其ノ様ナ事實ノアツタ事ハ全然聞カズ、判リマセヌ。
問 被告人ハ龜川ヨリ其ノ事ヲ聞キ、其ノ様ナ事ヲスレバ何モカモ打壊シニナリ大變ダナト言ヒ、非常ニ憤慨シタノデナイカ
答 其ノ様ニ申シタ覺ヘハ、全クアリマセヌ。
彼等ハ私ガ抑ヘルノヲ肯カズニ蹶起シタ程デアリマスカラ、
今撤退スルニ附 村中ガ私ノ意見ヲ聽カネバイカヌト言ツタノモ不思議ナ位ニ思ハレマスガ、
村中ニシテ見レバ從來ノ交友關係及信用ノ程度等カラ、
龜川、満井等二相談スルヨリ、私ニ聞イテ見タイト云フ気持ニナツタノカモ知レマセヌ。
問 龜川ヨリ其ノ話ヲ聞イタト申立テレバ不利ナ立場ニナルト思ヒ、何モ聞イテ居ラヌト申立テルノデハナイカ
答 決シテ左様デハアリマセヌ。事實聞イテ居リマセヌ。
私ハ彼等ノ行動方針ニハ全然觸レタクナカツタノデ、夫レニ自ラ進ムデ割込ムノハ私ノ意思デハアリマセヌガ、
私ハ絶ヘズ事態収拾ニ附何トカシタイト念願シテ居タノデアリマセヌカラ、
若シ其ノ際龜川ヨリ其ノ話ガ出タトスレバ、
必ズ即座ニ村中ナドガ其ノ意見ナラバ、其ノ通ニシタラ宜カラウト申シタニ違ヒナイト思ヒマス。
問 帝國ホテルニ於ケル會見顚末ガサウデアツタトスレバ、龜川ハ夫レヲ被告人ニ隠サネバナラヌト思フカ
答 龜川ハ一日収拾ノ方針デアルノニ其ノ時ハ既ニ一日延ビテ居リ、
収拾ニ附他ノ方法ガアレバ喜ムデ賛成スルノハ當然デアリマスカラ、
龜川カラ撤退ノ話ヲ聞キ、夫レハ打壊シダナドト申ス筈ハアリマセヌ。
私ハ事件ニ引掛ツテ居ル今日、今更其ノ位ノ事ヲ隠立テスル必要ハナイノデアリマス。
龜川ニシテモ何モ私ニ隠サネバナラヌ必要ハナイト思ヒマス。
問 蹶起將校ト電話聯絡シタ狀況ヲ述ベヨ
答 最初ハ二月二十七日午前十時頃栗原カラ電話ガ掛ツテ來タ様ニ思ヒマスガ、
或ハ私ノ方カラ掛ケタカモ知レマセヌ。
其ノ點ハ判然記憶シマセヌガ、兎ニ角栗原ハ、
「 襲撃目標ノ岡田、高橋、齋藤、渡邊ハ完全ニ殺害ノ目的ヲ達シタ。
又牧野襲撃ハ相當苦戰デアツテ、同志中ニ負傷者ヲ出シタ 」
ト話シタ上、
「 蹶起部隊ハ戒嚴令下ニ編入サレ、又蹶起軍ノ行動ヲ是認シタ趣旨ノ大臣告示ヲ貰ツタ 」
ト言ツテ大臣告示五ケ条ヲ電話口デ讀上ゲ、
「 尚、昨夜 ( 二月二十六日夜 ) 軍事參議官全部ト蹶起將校等ト會見シタ。
自分ハ其ノ會見ニハ立會ハナカツタガ、事態ノ収拾ヲ柳川中將ニ一任スル意見ヲ主張シテ置イタノデ、
會見ノ時他ノ者カラ意見具申ヲシタ様ダ。
尚、其ノ際蹶起將校ヨリ要望事項ヲ出シタガ、參議官ノ多クハ御互ニ肚ノ探合ヒノ様デハツキリシナイガ、
眞崎ニハ我々ノ氣持ガヨク判ツテクレテ居ルト見ヘ、態度ガ一番ヨカツタトノ事デアツタ 」
ト申シマシタノデ、私ハ彼等ハ襲撃 占據デ止マルモノト思ツテ居タノニ、
村中 磯部等ノ肅軍ノ交渉ダケデナク、埒ヲ越ヘ政治的意味ヲモ含ム全面的解決ヲ要望シタト云フ事ニ、
善惡ハ別トシテ事ノ意外ニ驚キマシタノデ、「 其ノ様ナ事ヲシタノカ 」 トダケ申シテカラ、
「 君等ハ何ウシテ其処ニ居ルノカ 」 ト尋ネマスト、栗原ハ
「 蹶起部隊ハ、其の儘原位置ニ居ツテモイイ事ニ諒解ガ出來テ居ル。糧食モ、依然聯隊カラ運ムデクレテ居ル 」
ト申シ、
事前ニ色々心配サレタガ 何ムナモノカト云フ様ナ、鼻高々トシタ意氣デ喜ムデ居ル風デアリマシタカラ、私モ
「 夫レデハ全ク官軍デハナイカ。
人ヲ斬ツタ者ガ戒嚴部隊ニ編入サレタリ、大臣ノ告示ガ出タリ、
軍事參議官一同ヨリ感狀ヲ頂イタ様ナモノデナイカ。
事態収拾ニ柳川中將ヲ持出シタノモヨイガ、
速ニ収拾シテ貰フ爲ニハ、眞崎大將ニ一任スル様ニ一同デ相談シテハ何ウカ 」
ト申シマシタ処、
栗原ハ 「 外部ノ狀況ハ何ウカ 」 ト聞キマスカラ私ハ、
「 内閣ハ總辭職シ、後藤内相ガ臨時總理大臣代理ニナツタ様ダ 」
ト申シテ新聞記事ノ二、三ヲ讀聞カセマシタ処、
「 後藤首相代理ハ何処ニ居リマスカ 」 ト言ヒマシタカラ、私ハ
「 官邸ヲ君等ニ占據セラレ、行ク処ガナイノダカラ、何処ニ居ルカ判ラナイ 」 ト答ヘマシタ。
最後ニ栗原ハ、「 私ハ最後迄此処ヲ動キマセヌ 」 と言ヒマスカラ、私ハ
「 サウカ、兎ニ角、同志ハ互ニ聯絡ヲ保ツテ、喰違ヒヲ來サナイ様ニセネバナラヌ 」
ト注意シテ電話ヲ切リマシタ。
北モ、豫テ早ク時局ヲ収拾シタイモノト考ヘテ居リマシタカラ、私ハ北ニ
「 蹶起將校ハ柳川ニ時局収拾ヲシテ貰度イト云フコトヲ、軍事參議官ニ要望シタトノコトデアリマス 」
ト告ゲテ置キマシタ。
其ノ後警視庁ニ居ツタ蹶起部隊ガ居ナクナツタトカ、其ノタ色々ノ噂ガアルノデ、
眞否ヲ聞カウト思ツテ首相官邸ニ電話ヲ掛ケマシタガ、栗原ハ陸相官邸ニ行ツタトノコトデアリマシタノデ、
更ニ陸相官邸ニ電話ヲ掛ケマシタ処、
電話口ニ村中ガ出マシタノデ、偶然ナガラ村中ト話ノ出來ルノヲ喜ビマシタ。
私ハ外部ノ狀況ヤ注意等、栗原ニ話シタト大體同様ノコトヲ告ゲ、警視庁引上ノ噂ニ附尋ネマシタ処、
村中ハ 「 蹶起部隊ハ、大部分今迄居タ処ヲ引上集結シテ居ル。
戒嚴部隊ニ編入セラレ、警備參謀長ニ會ツテ現在ノ処ニ居テモヨイト云フ様ナ承諾ヲ得テ居ルノデアルガ、
今朝カラ陸軍省、參謀本部ヲ占據セル部隊ヲ引上ゲ明渡スト云フコトニ附硬軟二派ニ分レ、
磯部、安藤ナドノ強行派ハ、我々ノ前途ヲ妨グル不純ノ幕僚ヲ襲撃スル爲に集結シテ居ルノダト言ヒ、
私等ノ軟派ハ、國際関係ヨリ観テモ國内關係ヨリスルモ、其ノ様ナ事ヲスルノハ宜クナイト言ツテ、
強行派ヲ抑ヘルノニ骨ヲ折ツテ居ル。
自分等ガ集結シタ意味ハ、之ト違フ。
ソシテ議事堂附近ニ終結シテモ場所ガ惡イノデ、何処ガヨイカト偵察シテ居ルガ、
蔵相官邸ハ埃ちりガ積ツテ居ルナド宿舎ニ適當ナ候補地ガ無イノデ困ツテ居ル 」
ト申シマシタノデ、私ハ
「 何処ニ居テモヨイノナラ、今迄通リ分散シテ居ツテハ何ウカ。又イイ場所ニ居レバヨイデハナイカ 」
ト申シテ置キマシタ。
一方デハ戒厳部隊ニ編入セラレ、聯隊ヨリ糧食ヲ運搬シ、現地に居テモ差支ナシト告ゲラレ、
之ヲ裏書スル大臣告示マデ出テ居ルノデ、大勢ハ順調ニ進ムデ居ルト思ヒタルニ、
彼等ハ次第ニ深入シ、政治的交渉ヲ始メルノミナラズ、
一方デ幕僚襲撃ナドト騒イデハ、却ツテ今迄ノ好轉ヲ惡化セサルノデナイカ、
之モ彼等同志ノ間ニ聯絡ガ事由デナイノト、外部ノ情勢ガ不明ナル処ヨリ來テ居ルコトダラウガ、
内部ガ二派ニ分レテ居テハ大變ダ、從來或程度ノ交渉ガアツタノダカラ、
之レ以上惡化セシメナイ爲ニ、内部ヲ統一スルノガ急務ダト思ヒマシタ。
次デ正午頃陸相官邸ニ電話ヲ掛ケマシタ処、村中ハ居ラズ、磯部ガ電話口ニ出マシテ、
「 自分ハ誠ニ殘念デ堪ラナイ。片倉少佐ヲ撃損ジタ。
片倉ハ自分ト出會頭ニ文句ヲ言ツタカラ、何ヲ言フカト申シテ拳銃デ射撃シタ 」
ト申シマシタ。
私ハ相澤中佐ガ公判廷ニ於テ、
憲兵隊ニ聯行サレル途中担架ニ乗セラレテ行ク永田少將ノ姿ヲ見テ、
殺シ損ネタカト殘念ニ思ヒタルモ、
直ニ殺シ得レモノモ殺シ得ナイノモ、皆神ノ御思召ダト思返シ、
殘念ダトノ氣持ガ去ツタト陳述シタコトヲ不圖思出シタノデ、
磯部ニ對シ
「 夫レナラ夫レデイイデナイカ。長イ間苦シメラレ、感慨深イ因縁ノアル片倉少佐ニ、
陸相官邸ノ門前デ偶然出會ツタノヲ奇縁ト思ヘバ、會ツタダケデヨイデハナイカ。夫レモ皆神ノ御思召ダラウ 」
ト申シマスト、磯部ハ
「 我々ハ、最初カラ反亂軍タルコトヲ覺悟ノ上デ蹶起シタノデアルカラ、
今更奉勅命令トカ何トカ云ツテ脅カサレテモ、此処迄來タラ一歩モ退カヌ。
癪ニ障ル幕僚等ヲヤツツケ様ト云フノハ當然ノ事ダガ、中ニハ弱イ者モ居ル 」
ト言ヒ、大シタ勢デアリマシタカラ、
私ハ 「 夫レハサウダ、サウダ 」 ト申シテ言葉ヲ合シテ置キマシタ。
北ハ青年將校等ガ柳川中將ヲ持出シタコトヲ心配シテ居ツタ様デアリマシタガ、
朝カラ御經ヲ讀ムデ居ラレマシタガ、
間モナク、「 國家人無シ、勇將眞崎在リ、國家正義軍ノ爲ニ號令シ、正義軍速ニ一任セヨ 」
トノ靈感ガ現レタトテ、夫レヲ示サレ、
早ク彼等ニ知ラシテ眞崎ニ一任スル様ニ注意シテヤレト申サレマスシ、
私モ無論早ク彼等ニ知ラシタイト思ヒマシタノデ、其ノ事ヲ村中、磯部等ニ知ラシマシタ。
其ノ要旨ハ、「 實ハ北ノ御經ニ此様に出タノダガ 」 ト申シテ右ノ靈感ヲ告ゲ、
「 此中ニ國家正義軍トアルノハ君等ノコトニ當ツテ居ルノダガ、
君等ハ二月二十六日軍事參議官ト會見シタ際、
柳川中將ニ時局収拾ヲ一任シタイト要求シタトノコトデアルガ、
遠方ニ居ル柳川ヲ呼ブヨリ、此際眞崎ニ一任スル様ニシテハ何ウカ。
全員一致ノ意見トシテ、無条件ニテ時局収拾ヲ皆ノ者トヨク相談セヨ。
ソシテ軍事參議官ノ方々モ亦意見一致シテ眞崎ニ時局収拾ヲ一任セラル様ニ、御願ヒシタラ宜カラウ 」
ト云フ趣旨ノ事ヲ申シマスト、村中、磯部等ハ
「 判リマシタ。我々ハ尊皇義軍ト言ツテ居ルノダガ、眞崎デ進ムコトニ皆ト一緒ニ相談シマセウ 」
ト申シマシタ。
尚、其ノ際北ノ靈告ヲ筆記シタ筈デアリマス。
其ノ後世間デハ、一方ニ軍隊ガ万平ホテル、山王ホテル方面ニ居ルトカ、華族会館ニ居ルトカ、
首相官邸ニハ旗ガ立ツテ居ルナドノ噂ガアレカト思ヘバ、
一方デハ蹶起部隊ヲ彈壓スルノダト云フ噂モアルノデ、
私ハ彈壓スルナラ最初カラ彈壓スレバ宜イノデ、
戒嚴部隊ニ入レテ置キナガラ今更彈壓スルトカ云フノハ、譯ガ判ラヌト思ヒマシタ。
同日午後五時頃栗原ヨリ電話ガアリ、
華族會館ニ行ツテ其処ニ居合セタ二荒伯等二十名位ノ華族ニ蹶起趣旨ヲ説明シテ質問ハナイカト言ツタ処、
其ノ内ノ一人ガ後繼内閣ノ首相ニハ誰ガ宜イカト尋ネマスカラ、
我々ハ大權ハ私議シナイガ、後繼内閣首班トナリ時局ヲ収拾スルニハ、眞崎大將ガ適任ト希望スルト答ヘテヤツタコト、
田中国重大將、江藤源九郎少將、齋藤瀏少將等ガ來テ激励シテ行カレタトカ、
赤坂溜池附近デ民衆ニ對シテ演説シタコトナドヲ話サレマシタカラ、私ハ
「 夫レハヨイガ、民衆ニ對シテハ蹶起ノ趣旨ヲ説明スル程度ニ止メル方ガ無難デ、
煽動的ニナルト却テ世間ヨリ純情ヲ疑ハレテ面白クナイ結果ニナルカラ、其ノ邊ハ注意シテ居ラネバナラヌ 」
ト注意シタル上、「 軍事參議官ト話シタカ 」 ト聞キマシタ処、
「 軍事參議官ハ、阿部、西、眞崎 三大將ガ來テ蹶起將校ト會見シ、
蹶起將校ヨリ時局収拾ヲ眞崎大將ニ一任スル旨申上ゲタ処、
眞崎大將ハ、俺ハ何トモ言ヘヌガ、先ヅオ前達ノ方デ軍隊ヲ引上ゲテクレヌカト言ヒ、
西大將ハ、皆ガサウ希望スルナラサウヤラウ、自分ハ同意ダト言フト、
阿部大將モ、俺モ同意ダト言ハレタトノコトダガ、自分ハ其ノ會見ニ出席シナカツタ 」
ト言ヒマシタノデ、私ハ柳川説ヲ持出シタト云フノハ何ウシタノダラウト云フ様ナ感ジガシマシタ。
夫レカラ私ハ栗原ニ、「 首相官邸ニ旗ガ立ツテ居ルカ、君達ヲ彈壓スルトノ噂ガアルガ何ウカ 」
ト聞キマシタ処、栗原ハ
「 首相官邸ニハ尊皇討奸ト書イタ旗ヲ立テテアル。
又、彈壓サレルト云フ様ナコトハ聞イテ居ラヌ。
實ハ四天王中將カラ、同中將ガ戒嚴司令官ニ會ツテ確メタ処、
戒嚴司令官ハ皇軍相撃ナドハ絶對ニシナイ、
蹶起軍ヲ討伐スル様ナコトハシナイト言ツテ居ラレタト知ラシテクレタ程ダ 」
ト申シマシタカラ、
私ハ 「 今外部ノ一般情勢ハ、漸次蹶起部隊ノ爲有利ニ進展シツツアル。
殊ニ海軍側ハ一致シテ支援シ居リ、海軍軍令部總長宮殿下ガ參内アラセラレタ。
又、陸軍首脳部ハ集ツテ相談シテ居ルガ、小田原評定ノ様デアルガ、
新聞記者ヨリ聞クト、全國各地方カラ澤山ノ激励電報ガ來タガ、戒嚴司令部デ押収サレテ居ルラシイ。
君達ハ戒嚴部隊ニ入ツテ行動シテ居ルノダカラ、
今更二重、三重ニ君達ヲ脅カス様ナ奉勅命令ノ出ル筈ハナイト思フカラ、
此上共飽ク迄目的ヲ貫徹スル様、シツカリヤレ 」
ト激励シテ置キマシタ。
問 北ノ靈感ガアツタト云フノハ事實カ
答 北ハ近年他ノ事ハ何モ考ヘズ、只管御祈リダケノ生活ヲシテ居リマス。
北ノ信仰生活ハ十六、七年來北ノ膝元ニ居ル私ガ最モヨク知ツテ居リ、神秘的ノ事モ常ニ見テ居リマス。
北ガ神仏ノ前デ御經ヲ讀誦シ、夫盡ガ傍デ黙祷シテ居ル間ニ夫人ガ精神統一狀態ニ入ルノデ、
科學的ニ申シマスト靈媒デ、相當ノ年輩デハアリ、無學ノ夫人ノ頭ニ靈感ガ浮ムデ來ルノデ、
時ニ依ツテ文字デ現ハレルコトモアリ、姿ガ現ハレルコトモアリマス。
仮定デモ何デモアリマセヌ。
文字ガ出ルト夫人ニハ判ラヌノデ、私等ニ尋ネルコトモアレバ、文字ガ讀メテモ意味ノ判ラヌコトモアリマス。
現ハレタ靈感ガ何イ云フ事ヲ御告ゲニナツテ居ルカハ、我々ノ判斷ニ待ツコトデアリ、時々ハ判斷シテ解ケヌコトモアリ、
又解釋デ間違ヘル事モナイトハ申セマセヌガ、兎ニ角御告ゲノアルノハ事實デアリマス。
然シ何ト申シマシテモ神秘的ノコトデアリマスカラ、他ノ人々カラ見ルト變ニ思ハレ、手品ノ様ニ作リ事ヲ申立テタ、
ト云フ様ニ思ハレルカモ知レマセヌケレド、信ズルト信ゼザルハ格別、事實靈感ノアツタコトハ相違アリマセヌ。
問 被告人ガ蹶起將校ト電話聯絡シタ際、北モ電話ニ掛ツテ何カ言ツタノデナイカ
答 私ガ磯部ニ御經ノ文句ヲ言ツテ遣ツタトキニ、北モ電話口ニ出テ、眞崎一任デ進ムベキ様申シマシタ。
然シ之モ北ガ進ムデ出タノデナク、私ガ話シタ後私ヨリ頼ムデ出テ貰ツタノデアリマス。
問 彼等ハ、眞崎一任ト云フコトニ附行動ヲ一任スルノカ、事態ノ収拾ヲ一任スルカニ議ガ分レ、
結局行動ヲ一任スル譯ニハ行カヌガ、事態ノ収拾ヲ一任シヤウト云フ意味デ軍事參議官ニ御願ヒシタラヨイト云フ事ニナリ、
被告人ニ確メタトノコトデハナイカ
答 彼等ノ間デ何ノ様ナ話ガアツタカ判リマセヌガ、
私ハ彼等ガ蹶起シタカラ事態ガ紛糾スルノデ、事態収拾ト云ヘバ當然行動ヲモ含マレテ居ルト思ヒ、
其ノ間ニ區別ノアルベキ筈ハアリマセヌシ、考ヘテ居タノハ事態収拾ト云フ事ノミデアリマシタカラ、
其ノ様ナ事ヲ尋ネテ來タトスレバ、無論事態ノ収拾ヲ一任スルノダト答ヘタ筈デアリマス。
問 其ノ日小笠原中將ニモ電話ヲ掛ケタカ
答 其ノ日ノ午後一時頃小笠原中將ニ電話ヲ掛ケマシタ処、
加藤海軍大將邸ニ行ツテ居ラレルコトガ判リマシタガ、
加藤大將ヲ知ラヌノデ、來合セテ居ツタ薩摩ニ頼ムデ、加藤邸ニ電話ヲ掛ケテ小笠原中將ヲ呼出シテ貰ヒ、
私ヨリ 戒嚴司令官ノ隷下ニ入リ、現地占據ノ承認ヲ得テ居ル、
陸軍大臣ノ告示ノ内容其ノ他蹶起シタル事柄ヲ報ジ、
尚北ノ靈感ノコトナドヲ告ゲタル上、
「 彼等ハ、目的ヲ貫徹スル迄ハ斷ジテ撤退シナイト強硬ナ態度デアリ、
此儘放任シテ置クト事態ハ益々惡化スルト思フ。
兵モ澤山出テ居ルガ、此兵ニ對シテハ不問ニ附シ、満洲ニ行ツテ御奉公サセル様ニシテ貰ヒタイ。
彼等ハ北ノ靈感モアリ、旁々眞崎大將一任デ進ム考デアリマスカラ、此上共宜シク御盡力ヲ願ヒタイ 」
ト申シマシタ処、小笠原中將モ豫テ北ノ靈感ノ事ハヨク知ツテ居ラレタコトトテ、
「 出來ルダケ盡力シマス 」 ト申シテクレマシタ。
私トシテハ、小笠原ニ頼ムデ置ケバ、有馬大將等ニモ話シテクレルダラウト思ツテ居リマシタ。
問 時局収拾ニ附テハ、加藤大將ニモ依頼シタノデナイカ
答 其ノ日デ時間ハ覺ヘマセヌガ、薩摩ニ
「 青年將校等ハ、總テヲ眞崎大將ニ一任シテ時局ヲ収拾シテ貰フ事ニ一致シタガ、
陸軍上層部ハ弛たるムデ居ル様ダカラ、
海軍側カラモ陸軍上層部ノ意見ガ早ク纏マル様ニ支援、盡力シテ貰ヒタイ、
尚、海軍陸戰隊ト蹶起部隊ト對立シ、漸次險惡ニナリツツアル様ダガ、
蹶起部隊ハ陸戰隊ニ對抗スル考ハ毛頭ナイノダカラ、
海軍側ノ方ヲ抑ヘテ下サイト云フ趣旨ヲ、海軍ノ加藤大將ニ電話シテ御願ヒシテクレ 」
ト頼ミマシタ。
薩摩ハ私ノ頼ムダ通リニ加藤大將ニ電話デ依頼シタ上、
「 同大將ハ海軍側ノ方デモ盡力シヤウガ、陸軍側ガモ少シ確カリシテクレルト宜イノダガ 」
ト言ハレタトノコトデアリマシタ。
問 被告人ハ、二月二十七日夕方マデニ知得シタル情勢ニ附如何ニ判斷シタカ
答 種々企保門モアリ不安トスル処モアルノデ、
アアデナイカ、カウデナイカト色々考ヘテハ見マシタガ、
理屈ハ判ラヌガ兎ニ角戒嚴部隊ニ編入セラレ、
軍事參議官一同賛美ノ裏書アル陸軍大臣告示ガ出テ現地占據ヲ承認スルナド、
全然豫想ヲ裏切リ意外ニ好轉シツツアルト思ヒマシタ。
然シ夫レガ爲、調子ニ乗過ギテ下手ヲスルト、
却テ内カラ壊ス様ナ結果ニナルカモ知レヌ、危險ナノハ内部ノ統一ガ亂レ、
御互同志意見ノ扞格かんかくヲ來ス事モアル、之
ハ彼等ノ爲ニモ、又大局ノ上カラモ採ラナイ処デアリ、
内部ノ意見統一ガ先決問題デアルガ、
北ノ靈感ニ依ツテ其ノ統一ガ出來ルダラウト思ヒ、安心致シマシタ。
( 中略 )