あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

陸相官邸 二月二十六日

2019年03月13日 08時17分45秒 | 首脳部 ・ 陸軍大臣官邸


二月二十六日 午前五時やや前、
武装した將校三名が下士官若干名を率い、陸軍大臣官邸に來り、
まず 門衛所におった憲兵、巡査を押え、
官邸玄關にて同所におった憲兵にむかい、
「 國家の重大事だから至急大臣に面會させよ 」 と 強要した。
憲兵は官邸の日本間の方に進むことを靜止したけれども、
彼等は日本間に通ずる扉を排して大臣の寝室の横を過ぎ、女中部屋の方へ行く。
この時 「 あかりをつけよ 」 との聲が聞えた。
事態の容易ならざるを感知して、大臣夫人が襖の間から廊下を見たところ、
將校、下士官、兵が奥にむかって行くのが見えたので、夫人は なにごとならんと そちらへ行く。
憲兵は大臣夫人の姿を見て
「 危險ですから お出にならん方がよろしい 」 と 小聲にて述べたるも、
夫人は 「 なんてすか 」 といいながら 彼等を誘導し 洋館の方に至る。
夫人は 「 夜も明けない前に何事ですか 」 と 問いたるに
「 國家の重大事ですから至急大臣にお目にかかりたい 」 と いう。
夫人は 「 主人は病気で寝ているから夜明まで待たれたい 」 と 述べ、「 待てない 」  應酬す。
夫人は 「 名刺をいただきたい 」 旨 述べたるに、香田大尉の名刺を渡す。
夫人はこれを大臣にとりつぐ。
この間 憲兵が大臣寝室に來て、
「 危險の狀態だから大臣は出られない方がよろしい。
 そのうち麹町分隊より大勢の憲兵の應援を受くるから寝ておってくれ 」
と 言うので、大臣はしばらく臥床して狀況を見ようとする。
夫人は 「 寒いから應接間に案内いたします。暖まるまでお待ち下さい 」 と 述べるに對し
「 待てない、ドテラを何枚でも着て來てもらいたい 」 と 言う。
夫人は憲兵に應接間の暖炉に火をつけさせる。
この頃、總理大臣官邸の方向に 「 萬歳 」 の聲が聞え、ホラ貝の音がする。
これを聞いた彼等は 夫人にむかい 「 相圖が鳴ったから早く大臣に來てもらってくれ 」 と いう。
憲兵は憲兵隊に電話しようとするも、「 ベル 」 が鳴るとすぐ押えてしまい、十分目的を達し得ない。
書生を赤坂見附交番に走らせようとしたけれども、門の処で靜止せられて空しく歸って來る。
隣接官舎 (事務官、属官、運転手、馬丁小使等居住) 方に通ずる非常ベルが鳴らぬので、女中を起こしに走らせる。
これは目的の官舎に行くことが出來たけれども、官舎からは一嚮に誰も來ない。
麹町憲兵分隊からもまだ來ない。

その内に彼等はまたやって來て 「 早く來てくれ 」・・陸相に対し と  急がす。
夫人は日本間と洋間との境のところにて 「 それでは襖越しに話して下さい 」 と 述べる。
彼等は靴のままで日本間の方へ行くのを躊躇するので、
「 さっきはそのままで奥の方へ行ったではありませんか。それでは敷物を敷きましょう 」
と いうと、彼等は 「 應接間の方へ來て下さい 」 と いって應接間の方へ引返して行った。
これまでの間において書生および女中の見聞せるところによりて、
門の周囲および庭内には多數の兵がおり、また門前には機關銃を据えおることもあきらかとなる。
しこうして兵などに聞けば演習なりと言いおれりと。
大臣はホラ貝も鳴り、呼びにやった人も來ず、
なにか大きな演習でもやったのかと思うけれども只事でもないようにも思われ、
狀況の判斷はつかぬけれども ともかく會うことに決心し、袴をつけて机の前に座し一服しようと思う。
その時 彼等も切迫つまって大臣夫人にむかい 「 閣下には危害を加えませんから早く來て下さい 」 と 言う。
大臣は一服吸いつつある時、小松秘書官 ( 光彦・歩兵少佐。29期・四十歳 ) が來た。
多分門衛の憲兵が塀を乗り越えて知らせに行ったのであろうと思う。
秘書官は玄關で將校と話して來たらしく、「 閣下、軍服の方がよございます 」
と いうので軍服に着がえる。
憲兵は三名ぐらいに増加していたらしい。
それから便所に行き、憲兵は面會を止めたけれども彼等に面會するために談話室に入った。
室のなかでは將校三名がなにか書いており、ほかに武装の下士官が四名いた。
憲兵三名が大臣を護衛していたが、憲兵を室のなかに入れないので
やむなく室外でいつにても内に飛びこめる用意をしていた。
當時廊下入口および玄關には下士官がおって警戒しておった。

大臣が室に入ると將校三名 ( 内二名は背嚢を負い拳銃を携帯す ) は 敬礼し、
歩兵第一旅團副官 香田大尉であります。
歩兵第一聯隊付栗原中尉であります。
と 挨拶す。
他の一名はなんとも言わなかったので
「 君は誰か 」 と 問えば
村中 です 」 と 答えた。
大臣は 「 今時分なんの用事で來たのか 」 と たずねたところ、
今朝襲撃した場所を述べる。
「 ほんとうにやったのか 」 と たずねたところ
「 ほんとうであります。只今やったという報告を受けました 」 と 答う。
「 なぜ そんな重大事を決行したのか 」 と たずねたのに對し、
「 從來たびたび上司に對し小官らの意見を具申しましたが、
おそらく大臣閣下の耳には達していないだろうと思います。
ゆえに ことついにここに至ったのであります。
すみやかに事態を収拾せられたいのであります。
自分たちの率いている下士官以下は全部同志で、その數は約千四百名であります。
なお満洲朝鮮をはじめ その他いたるところにわれわれの同志がたくさんおりますから、
これらは吾人の蹶起を知って立ち、全地方爭亂の巷となり、
ことに満洲および朝鮮においては總督および軍司令官に殺到し、大混亂となりましょう。
しこうして満洲および朝鮮は露國に接譲しておりますから、
露軍がこの機に來襲するの虞おそれがあり、國家のため重大事でありますから、
すみやかに事態を収拾せられたし 」
と 言い、蹶起趣意書 なるものを朗讀する。

ついで 通信紙に筆記した 
希望事項 讀む ( 現物は川島大臣保管 )

イメージ ・・nhk
一、斷乎たるたる決意によりすみやかに本事態の収拾に任ぜられたし。
 それがためには御維新のほかなし。
(答) 多數重臣を殺した以上、事態はなんとかして収拾せねばならぬ。

二、皇軍相撃つの不祥事を絶對に起さざるの処置をすみやかにとられたし。
 処置
イ、憲兵司令官をして憲兵の行動を避け、本事態の認識をあきらかならしむるまで靜観せしむること。
ロ、
警備司令官および両師團長に命じて、皇軍相擊つを絶對避けしむること。
(答) 皇軍相擊つの不祥事を惹起せないように努むるのは當然である。
これがため別命あるまで 占據位置より動かないようにせよ。
動くと擊ち合いが始まる心配がある。

三、軍の統帥を破壊せる元兇の逮捕。
(答) そんなことはできない。

四、軍中央部に蟠踞ばんきょして軍閥的行動をなし來りたる中心的人物を除くこと。
大臣はこれに對し
「 軍閥的行動とはどんなことか 」 と たずねたのに對し
「 地位權勢を利用し、自己の勝手なる振舞をなす 」 意味であると答う。

大臣就任以來 村中が二度ばかり手紙をよこし、おなじような意味を言ってきたことがあるも、
ただ自分の心得として棄ておいた


五、荒木大將を關東軍司令官に推薦すること。
(答) 荒木大將の關東軍司令官は一利一害がある。
荒木大將に信頼するならば同大將を呼ぶことにしようと述べたるに、
彼等は
「 荒木大將は國内問題の処理については信頼し得ざるにつき、眞崎大將と本庄大將とを呼ばれたし 」
と 言う。
よって 小松秘書官に命じ 同大將に電話させる。
眞崎大將からは 「 腹痛臥床中なるも事件が起った以上すぐ行く 」 と 返事あり、
本庄大將はすでに參内後であった。

六、左の將校を即時東京に採用し、その意見をききて善処せられたし。
 大岸、菅波、小川、大蔵、朝山、佐々木、末松、江藤、若松。
(答) 「 貴官等の指名する地方にある多數の靑年將校をただちに、東京に採用することは實行不可能である 」
と 答えたが、
大臣は叛亂參加者とこれら指名の將校との關係については、特にその席でなにも聞いたことはない。

七、突出部隊は事態安定まで絶對に移動せしめざること。
 願くば明斷果決御維新を仰ぎ奉り、破邪顯正皇運御進展に翼賛し奉らんことを。
右のため 山下少將を召致し、
海外ならびに國内に對する報道を適正に統制せしめられたし
以上

大臣は
「 今日やった仲間は幾人くらいか 」 と 聞いたるに、
十名あまりの名を紙に書き、
「 その他の將校は 最近同志に加わりたるものゆえその名を宙に記憶していない 」 と 答う。
また彼等は
「 全國に戒嚴令を布いて下さい 」 と いうので、
大臣は
「 戒嚴は陛下の御命令によらなければならず、また種々調べた上でなければきめることができない 」
と 答え、
かつ 大臣獨りでは相談相手もなにもなく、機關を揃える必要があるので、
次官 ( 古莊幹郎中將・14期・五十三歳 ) 、軍務局長 ( 今井清少將・15期・五十三歳 ) 軍事課長 ( 村上啓作大佐・22期・四十六歳 )
を 呼ぶように小松秘書官に命令する。
次官は 午前六時過 (時間不正確 ) に 來る。軍務局長と軍事課長とは來ない。
後に聞いたのであるが、軍務局長、軍事課長はその以前に事件の突發を知り登廳しようとしたけれども
途中阻止せられて、憲兵司令部の方へ行ったそうである。
また小松秘書官に両師團、警視廳、憲兵司令部に狀況の通報を命じ、
特に占據部隊と相擊をしないように注意せしめる。( 小松秘書官は誰かに命じて言わせたかも知れぬ )
戒嚴については ただ全國に戒嚴を布いてくれと申しただけで、
戒嚴の目的とか戒嚴司令官の指揮下に入りたいというようなことは なにも言わなかった。
彼等は戒嚴というようなことも詳しく知らず、
ただ簡單に戒嚴を布けば彼等の希望しているようなことができると考えたらしい。
また御維新に關し詔勅を仰いでくれといったようにも記憶しているがあまり はっきりしない。
また とくに上聞に達してくれという希望があったか よく覺えないが、
彼等の希望事項最後の 「 御維新を仰ぎ奉り 」 とは、上奏してくれとの意味であったかも知れない。
彼等の提出した要求事項記載の通信紙は保管しているが、
その他には 「 蹶起趣意書 」 數部を小松秘書官に命じて保管せしめてあるはずである。
彼等の言う通り あちこちで蜂起するようなことがあってはと思って、
全國に電報を打つように小松秘書官に話したが、
これはのちに武官府へ行ってから、憲兵司令部にある陸軍省のものに命じて打たしたはずである。

時間はよく記憶していないが、齋藤瀏少将 ( 豫備役・12期・五十六歳 ) が 官邸に來て、
「 今朝早く栗原から電話で官邸に來られたしと言って來ましたから参りました 」
と 述べ、かつ これら將校は俳句の弟子なること、および彼等の蹶起の精神を生かされたき旨を述ぶ。
上奏してくれと述べしや否やは記憶十分ではない。
齋藤少將は大臣や叛亂軍幹部のいる室に入って來て、
大臣に右に書いたようなことを述べてから、隅の方の 「 ソファー 」 に 腰を掛ける。
その後は同少將とあまり話さなかったが、少将は幹部の栗原と話していたようである。
歩一の小藤大佐 ( 恵・20期・四十七歳 ) は山口大尉 (一太郎・歩一中隊長・33期・三十五歳 ) を 案内者としてやってきたが、
時間等は明瞭でない。
また 時間の記憶はないが、伏見宮邸から加藤寛治大將 ( 軍令部長・軍事參議官ののち昭和十年十一月後備役・海兵18期・六十五歳 )
から 電話で當方面の事情をきき、また

「 君はどうする 」 というので
「 今から参内して侍従武官長に會い、事態を収拾せなければならぬ 」 と 答える。
また 眞崎大將が官邸に來たから 「 よく話してくれ 」 といい、
大臣は洗面をすませ、握飯を食い、卵をのみ、勲章をつけ、宮中にあがる準備をする。
出かけようとすると片倉少佐 ( 衷・軍務局附・31期 ) が やられて 自動車がないのでしばらく待つ。
自動車が歸って來たので 午前九時すぎ 參内のため出發する。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
川島陸相の上奏要領
一、叛亂軍の希望事項は概略のみを上聞する。
二、午前五時頃 齋藤内府、岡田首相、高橋蔵相、鈴木侍從長、渡邊教育總監、牧野伯を襲撃したこと。
三、蹶起趣意書は御前で朗讀上聞する。
四、不徳のいたすところ、かくのごとき重大事を惹起し まことに恐懼に堪えないことを上聞する。
五、陛下の赤子たる同胞相擊つの惨事を招來せず、出來るだけ銃火をまじえずして事態を収拾いたしたき旨言上。
陛下は この事態収拾の方針に關しては 「 宜よ し 」 と 仰せ給う
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

事件勃發當初ハ蹶起部隊ヲ叛亂軍トハ考エズ。
ソノ理由ハ下士官以下ハ演習ト稱シテ聯出サレタノモノニシテ、
叛亂ノ意思ニ出デタルモノニアラズシテ
タダ將校ガ下士官以下ヲ騙シテ聯出シ人殺しヲナシタルモノト考エイタリ。
シタガッテ蹶起部隊全體ヲモッテ叛亂軍トハ考エズ。
マタコレヲ討伐スルハ同胞相擊トナリ、兵役關係ハ勿論、
對地方關係等 今後ニ非常ナル惡影響ヲモタラスモノト考エタリ。
マタ 蹶起部隊ハ命令ニ服從セザルニ至リタルトキハ叛徒ナルモ、
蹶起當時ニオイテハ イマダ叛亂軍ト目スベキモノニアラズト 今日ニオイテモ考エアリ

・・川島陸相訊問調書


この記事についてブログを書く
« 川島義之陸軍大臣 二月二十六日 | トップ | 「ブッタ斬るゾ !!」 »